2016年5月17日火曜日
送水管へむかった樹 [OSHO]
話:OSHO(和尚)
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つい数日前、私は、樹木には水に対する一定の感受性があるということを知った。
それを調査していた科学者は驚いた。その樹のまわりにはまったく水がなかったし、60m離れたところに一本の送水管が走っているだけだった。が、樹はその根をその送水管に向けて伸ばし、それを突き破り、その水を味わい、自らを養っていた。
科学者は、その理由がわからなかった。まわりには水はまったく見当たらなかったし、まさか樹が自分の根で送水管を壊して、そこから水を得ているとは思いもよらなかったからだ。
彼は首をかしげた。
「この樹は、どうやって60mも離れたところにある送水管を知ったのだろう?」
しかもその樹は、ほかのどこにも根を伸ばさずに、一直線にその送水管に向けて根を伸ばしていた。
樹木は水なしでは生きてゆけない。どうやら樹木にはある感受性、ある秘められた知識が備わっているに違いない。
たとえその水がパイプのなかを走っていようと、60mも離れたところにあろうと、樹は水を見つけ出す。
あなか方にとっても情況は同じだ。
あなたの真理の探求が誠実で、ただの好奇心からのものでないなら、何千里も離れたところから、あなたは自分の渇きがいやされる場所へと引き寄せられてゆく。
存在はまず渇きをいやす水を作っておいて、その後で初めて、のどの渇きを作り出す。
弟子、求道者、探求者がいれば、存在は彼らが師を見つけられるように計らい、彼らのなかに宿る未来の可能性を見抜き、彼らが彼ら自身であることを助けることができる師を見つけさせる。
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引用:空っぽの鏡・馬祖
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