2016年5月17日火曜日

覚者と、アレクサンダー大王




話:OSHO(和尚)





ブッダが逝ってからちょうど300年後、インドにアレクサンダー大王がやって来た。彼は、師というものに会いたがっていた。ブッダの名前と名声は、はるかかなたの岸辺にまでとどいていた−−、ギリシャやアテネにまで。

アレクサンダーの師は、西洋論理学の父、アリストテレスだった。アリストテレスは彼に言った。

「あなたは世界を征服しようとしておられますから、きっとインドにまで到達なさることでしょう。私はどんな土産も望みませんが、ただ、光明を得た師にお会いなさい。わたしは多くを聞いていますが、まったく雲をつかむような話なのです。それにもまして、わたしは論理家ですから、論証や証明がある合理的なものしか受け容れられないのです」







アレクサンダーはその帰途につこうとしたとき、師を見つけねばならないことを思い出した。

人々に問いただすと、彼らは言った。

「それはひどく難しいことです。たとえ師を見つけられたにしても、彼があなたと一緒にギリシャに行くとは思えませんね」

アレクサンダーは言った。

「そのことは心配いらない。私はヒマラヤをギリシャに持ち帰りたいと思ったら、必ずそれをやり遂げる男だ!」







とうとう彼は、ひとりの師を見つけた。

多くの人々が言った。

「ええ、あの方は悟りを開いておられますよ。彼は川のほとりで裸で暮らしています」



その男のもとに到着したアレクサンダーは、手に抜き身の剣をかざして、言った。

「わたしと一緒に来るがいい! きっと盛大な歓迎を受けることだろう。おまえには、あらゆる待遇があたえられる。宮廷の客人として迎えられるのだから、何ひとつ心配することはない。とにかくギリシャまで来てほしい。なぜなら、わたしの師が『光明を得た人物にぜひ会いたい』と言っているのだ」

その老人は笑った。彼は言った。

「まず第一に、その剣をさやに収めなさい。それは師に会うときのやり方ではありません。それから、その馬を降りなさい!」



アレクサンダーは、かつてこれほどに威厳のある言葉を聞いたことがなかった。それも、何ひとつ持たない裸の男から。

その男は言った。

「いいですか、たとえ全世界を征服したとしても、あなたは乞食のままでしょう。いまもあなたは私に、自分と一緒に来るようにと乞うています。でもこの私は、どのような動きもない地点にまで至っています。私はどこにも行かないし、どこにも行ったことがありません。私は常にいま、ここにいるのです。時間は止まり、心も止まっています」



アレクサンダーは激怒した。

彼は言った。

「わたしと一緒に来ないなら、おまえの首を切り落としてやろう!」



その男は言った。

「それは良い考えです。わたしの首をもってお行きなさい。でも、わたしは行きませんよ。そしていいですか、わたしの首を切り落としたとき、あなたは私の首が地面に落ちるのを見るでしょうが、私もそれを見ているのです。見守ることが、わたしたちの秘密なのです。それをあなたの師にお伝えなさい。そして、わたしの首をもって行きなさい」



さあ、このような人、すこしも恐れを知らない人の首をとることは非常に難しい。アレクサンダーは言った。

「どうやら、師を連れて帰ることはできないようだな」

老人は言った。

「あなたの師にお言いなさい。光明は、外側から持ち込めるようなものではない、と。それは輸入できません。あなたはそれを自分自身の内側で探ってみなければなりません。すべての論理、すべての見解、すべての心を落として、できるかぎり深く自分自身のなかに入るのです。その探求のまさに最後に、あなたはブッダを見いだすでしょう。わたしが行ったところで何の役にも立ちません。

わたしは断ったのではありませんよ。なぜなら、私にとってはどこにいようと違いはないからです。でも、この私を見て、あなたに光明が見えますか? あなたの師匠も、その光明を見ることができないでしょう。光明を見るためには、あなたの側にも少しばかりの光明の体験が必要なのです。すくなくとも瞑想的な資質ぐらいはね…。わたしが見たところ、西洋の人々の意識には、その瞑想性すら入り込んでいないようです」










引用:空っぽの鏡・馬祖




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