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2018年5月14日月曜日

タイの出家式【もっとも遅れてきたランナー】


From:
サンガジャパンVol.29
プラ・アキラ・アマロー(笹倉明)
『タイ上座仏教への道』





テーラワーダ(上座部)仏教では、僧になるのはさほど簡単ではありません。ひと昔前は、いまよりむずかしく、たくさんなパーリ語の経を憶えるのに少なくとも一年は要したそうです。

私が所属する寺の副住職(36歳)が20歳を迎えてサーマネーン(未成年僧)から正式な僧になるときは、やはりそれくらいの時間を訓練のために費やさねばならなかったといいます。近年は、必要な準備が緩められたとはいえ、それでも一定のバリアは設けられていて、伝統的な出家式(「ウパサンパダ」と呼ばれる受具足戒式)がなくなったわけではありません。

また、僧たるものはすべからく所属の寺院をもたねばならず(昔のカタチであった遊行僧〈自由に方々を旅して歩く〉は認められず)、プラユット政権になってからは、正式な得度を経ずして僧を名乗っている者(ニセ僧)がいないかどうか、寺の内外、巷の隅々まで警察がみてまわり、僧になりたてだった私もパスポートや出家証明書なるものを提出させられたものです。

これもいわゆる管理ストレス社会へ向かう時代の一面であり、経済が発展するにつれ同時にそういう窮屈さを強いられるというのは避けられないことのようです。したがって、僧になりたいという希望はあっても、所属寺院はどこにするのかを決めることからはじめて、いくつかのハードルを越えなければ出家(得度)式に臨むこともできません。

私の場合、それを教えてもらったのは、最初にチェンマイの寺院を打ち合わせに訪れたとき、一人の僧からでした。そこに至る経緯については後に述べることにして、いくつかの条件をクリアすれば受け入れるという住職の回答をメールでくれたのがその僧(仏教大学生)であり、はじめて訪れた私にさまざま指示を出してくれたのでした。

エーサーハン パンテー スチラパリニップタンピー タンパカワンタン サラナン ガッチャーミ タンマンチャ ピクサンカンチャ …(以下略)”

(尊師よ、般涅槃されてから久しいといえども、かの世尊と法とサンガ〈僧伽〉に私は帰依いたします。尊師よ、私は世尊の法と律のもとに出家したいのです)

出家式で唱えるパーリ語は、このような出家嘆願(最初は沙弥出家)に始まり、一連のプロセスを経ることになるのですが、それらをテープに吹き込んでくれたのも、その大学生僧(僧歴は12年〈未成年僧の時代も含め〉で27歳)でした。

最後まで通しで唱えると30分ほどかかる文言を、ぜんぶ空で憶えることが最初のハードルであり、バンコクに戻ってアパートを片付けるまでの一ヶ月と、チェンマイへ来てから出家式までの二ヶ月余り、計三ヶ月間をそれに当てることになります。

私にとってはまるで馴染みのない、生まれてはじめて耳にする言語であり、最初はガクゼンとしたものです。ゼツボウ的な気分に陥りながら、これをどうにかしなければ何も始まらない、いまさら後戻りはできないという思いから、実に久しぶりの本気でもって取り組んだものです。

これまでいかに弛んだ生活をしていたかを自覚しながら、ナマケ症になじんだ心身にムチを打ち、おさな子が言葉を覚えるときの精神に立ち返り、まさに一歩ずつ、くり返し唱えることで、やっと予定の日時に間に合ったような次第でした。

この出家式を待つ約二ヶ月が、その他の準備にも大事な期間で、私の場合、寺院にほど近い安宿(ゲストハウス)に宿泊しながらの日々――、朝は6時過ぎに托鉢に出る僧(世話人の大学生僧)につき従って街を歩き、それが休みの日は自分のお堀端(旧市街を取り囲む)を歩いて足裏を鍛えたものです。これもはじめのうちは、やわな皮膚が小石を踏むたびにヒメイを上げて、ときにふらつき、よろけながら、だんだんと皮が地面に馴染んできたのは、やはり慣れというものでしょう。

テーラワーダ仏教は、いわゆる苦行を強いることはなく、つまり、とくに肉体の試練を求めることはなく、この点で誤解している人もいるようです。釈尊自身がそれでは悟りをひらけなかったことが、テーラワーダ(「原始仏教〈第一結集での決定事項〉を守るサンガ(僧集団)の意)の方針として生きているといえます。

ただ、ゼイタクなるものを極限まで戒める、つまり何であれ(衣食住にわたり)必要最小限のものでよしとする、戒律や教戒におけるその徹底ぶりは他に類をみないといってよいかと思います。むろん、そうすることが民衆の信頼と尊敬を得、最終的に目指すところの悟り、解脱なるものに到達するための必要な条件であるからにほかならず、僧である以上は文句の一つも許されません。

私が出家を決意してから苦労したのは、先ほどのようなパーリ文の暗唱とは別にもう一つ、ほかでもない断酒でした。どれほど質素な暮らしようであっても、それだけは欠かしたことのなかった私が、テーラワーダ僧となる以上、断念しなければならないのはある意味で難行だったといえます。

これまた先のパーリ文と同様、少しずつ、一滴ずつ酒量を減らしていくしかないと心得て、きっちりと六ヶ月をかけ(これは出家を決心してからの月日)、出家式の前日に最後の飲みおさめを一週間ぶりに上等なビールひと瓶でやるまでに体質改善をなしたのでした。


出家(得度)式へ



そして翌日には、以降の断酒(その他)を本堂における出家式で誓うことになります。むろんその前には、いわゆる三帰依(仏、法、僧〈サンガ〉へ)の誓いがあり、ふだんの読経でも必ず冒頭に置かれる文言です。

まずは、独りで正しく悟りを開いて阿羅漢となった世尊への礼拝

ナモー タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプタッサ

に続いて、

ブッタン サラナン ガッチャーミ

(私は仏に帰依いたします)

から始まり、

タンマン(法)…

サンカン(サンガ)…

と順に「三宝」への帰依を唱えるもので、それも三度までくり返します。

再度(トゥティヤンピー)…

再々度(タティヤンピー)…

と、このような反復もまた、やはり三度の五体投地(ベンチャーン・カプラディット)の礼など、さまざまな場面で徹底しています。

パーナーティパーター ウェラマニー

(私は殺生から離れます)

から始まる十戒の唱えは、ほんの基本にすぎないとはいえ、戒全体のあり方を示すものといえます。盗み、嘘偽り、非梵行〈性交〉の禁、あらゆる種類の飲酒や麻薬類の禁、非時(午後)の食事の禁、等々。

これらは和尚の代理を務める式師(カンマワーチャーチャリヤ)の導きで唱えるものながら、まる暗記していなければとててもついてはいけません。

ナッチャキータワーティタ ウィスーカタッサナー

(演奏や舞踏など享楽的なものから離れる)

とか、

マーラーカンタ ウィレーパナ ターラナ マンダナ ウィプーサナッタナー

(香水や花輪などで身を飾ることから離れる)

などは最後まで舌がもつれそうになったものです。が、その発音は日本人に不可能なものが一つもなく、はじめは奇怪に聞こえた言語も、馴れてくると親近感をおぼえるところがあって、日本語がタミール語を起源にもつことを唱えた学者の説(大野晋『日本語はどこからきたのか』)は、その通りのように思います。


その日(午後3時より)の列席は、比丘がふつう10名以上(5名以上なら可)の規則に従い、わが寺院からは住職を含めて3名、他寺からは戒和尚、式師、教戒師役ほか7名、それぞれが縦二列に配置されます。

正面の戒和尚の前に私がいて、はじめは白衣(チュット・ブワットナーク)を着けて、先の出家嘆願を唱えます。これは、まだ沙弥出家の段階であり、人によっては別の日にすませていたり、未成年僧の場合は沙弥(サーマネーン)の名で呼ばれる通り、すでにその出家(これをパッパチャー〈タイ語ではバンパチャー〉といい7歳から可)時にすませているわけです。

このあたりの、正式な具足戒を受けた僧か、そうでないか(20歳を過ぎても沙弥のままでいることも可)は守るべき戒律の数からして相当な違い(僧は227戒律、サーマネーンは十戒のみ)があり、私の場合、前後して同時にやってしまう出家式であったことから、両者の境界が式次第に設けられていました。

ともあれ、先の沙弥出家の請願は、合唱した両腕にやがて着ることになる三種の衣(パー・トライ、この黄衣はふつうチーウォン〈三衣のうちの上衣のこと〉と呼称)を抱えて唱えます。

これがずっしりと重く、しかも足のつま先を反る形で床にひざまずいているため、そのプレッシャーから、カンペキを期したはずのパーリ文言がときに調子を乱し、二度目(トゥティヤー)と三度目(タティヤー)を逆にしてしまうなどして、そばの教戒師(アヌサーサナーチャリヤ)から援け舟を出されて事なきを得る始末でした。

一応の定年である60歳でもって念願の出家を果たすタイ人はいるけれども、それから7年も経ってからの出家は聞いたことがない(老いぼれて体力がない者は出家の資格外ゆえ)といわれたもので、まさに最後のもっとも遅れてきたランナーであることを初っ端から思い知らされたものです。


話は前後しますが、出家(この段階ではまだ沙弥出家)を嘆願して三衣を膝の前に置いた後、戒和尚から

タチャパンチャカ・カンマッターナ(皮五業処)」

というものが説かれます。これは、人体の各部分、つまり、頭髪(ケーサー)、体毛(ローマ)、爪(ナーカー)、歯(タンター)、皮膚(タチョー)の5ヵ所を指し、和尚について順に(二度目は順序を逆にして)唱えていきます。これは釈尊があみだした根本業処(ムーラ・カンマッターナ)と呼ばれる行法の一で、その意は、それぞれを不浄なものとしてよく観察するように、よく念じて心を静め揺るがさないように、というもの。

とりわけ出家する者に向けたもので、俗世を離れた当初は、残してきた人々や財産ほか物ごとに未だ縛られて心を乱しがちな者が少なからずいる(私自身もそうでしたが)ために、例えばとらわれる相手が人(愛憎こもごも)の場合、ただ対象を人体の5ヵ所のみとして観ることによって、考えすぎてしまう妄想や精神の錯綜から逃れ、心が静まり定(サマーディ)が得られる、というものです。

これは、さらに人体を諸々の内蔵を含めた三十二相として観る法「身至念(カヤーガターサティ)」や死についての「死念(マラナサティ)」などと共に、サマタ瞑想(ヴィパッサナー瞑想は次のステップ)なるものや、教理としての「無常」「無我」の法とも関わってきます。人はいずれ老いて滅び、こういう姿になるのだという、避け得ない理を認識することの大事につながるわけです。


そうしてやっと、戒和尚は、黄衣を着てよろしい。という許可を与えます。と、私は再び三衣を抱え、ひざまずいたまま後退して場の外へと出ていきます。

といっても、すぐの裏手(黄金の仏陀像の背後)で先輩僧ふたりに助けられて着替えをし、今度は白衣から黄衣姿になって座に戻ります。このときも、場の入口からは膝をつかって歩かねばならず、膝当てをしていなければとても耐えられない(用心してスポンジ布を当てていました)、またも老いを自覚させられる時間であったのです。





三帰依と十戒の唱えが終わると、戒和尚とのやりとりがつづきます。

「依止(えじ)」(新参比丘を教戒すること)を乞い求める文言につづき――

ウパチャヨーメー パンテー ホーヒ

(尊師よ、願わくば私の戒和尚になってください)

を私が三度まで、そしてそれを受けて戒和尚が――

パーサーティケーナ サンパテーヒ

(信を生じさせる努力をもって帰依しなさい)

と応えます。続いて、

アチャッタッケー ターニーテーロー マイハンパーロー アハンピ テーラッサ パーロー

(今日ただいまより、私は長老のお世話を致します。私もまた長老のお世話になります)

とやはり三度まで唱えます。これでもって、いわば師弟関係が成立したことになるわけです。僧の上下関係は、テーラワーダ(上座部)仏教の世界ではしっかりあって、一日でも一時間でも出家が早いほうが上にくる仕来りであり(法臘〈ほうろう〉の上下という)、年齢は関係ありません。

この師弟関係が成立した時点で、単なる沙弥から「仏教比丘」として認める段階に入ったことを戒和尚が告げます。そして、バート(鉢)を肩から吊るすように、という指示を出します。私が手元のそれを手にして肩に掛けると、式師がそれに手をふれて、

アヤンテー パットー

(これはあなたの鉢である)

と問いかけます。

アーマ パンテー

(はい、尊師よ)

と私が答えた後は、三衣(チーウォン他)にも順に手をふれて、同じ問いを口にしていきます。このような確認は、三衣をはじめとする僧の持ち物について必要とされるもので、新しいものを使用するときなどにも様々な戒律があり、その細かさは世尊時代の伝統を継いできた上座部の真骨頂といえそうです。

クッタン?

(あなたはハンセン病ですか)

ナッティ パンテー

(いいえ、尊師よ)

次に始まる「遮法試問」なる問答(本堂の最後部で式師と教戒師の両師が私を前にして問う)で、いきなりライ病か否かの問いが発せられるところも古来のままで、いまはそんな病が絶滅に近いことなど関係ありません。カンドー(腫瘍病)、キラーソー(天然痘)などの伝染病がないかどうか、かつて罹って完治していない場合も、出家の資格外となります。

マヌッソースィー?

(あなたは人間ですか)

アーマ パンテー

(はい、尊師よ)

それまでは、いいえ、と答えていたのが、ここからは肯定形になるので、いささか戸惑います。この問いの意味するところは浅からず、親を殺した者や僧(阿羅漢)殺しなど、最低限、出家資格者でないことを確かめるものといえそうです。また、人間(マヌット)が六道の基軸であり、これからニンゲンとしての資質が問われて死後に行く世界が決まることを示唆するものでもあるでしょう。

あとは、男性であること、自由者であること、が確かめられます。現代のサンガでは女性は認められておらず、黄門(同性愛者)も出家できません。自由な者というのは、雇われの身であるなら主人の許可を得ているかどうかの問いであると同時に、出家の束縛となるものから逃れられているかどうかの問いでもあります。

なかでも最大の束縛である配偶者(および家族)をもつ場合は、その了解を得ているかどうか(これは一時出家者の場合)、長期の出家であれば、子供はいても妻と正式に別れる(離婚に相当する)などして自由の身であるかどうかが問われるわけです。これは、家庭を捨ててまで強引に家を出ることは好ましくない(絶対に不可とはいえないまでも)という考えに基づくもので、私の場合、この点だけはタイへ移住するときの条件でもあって、皮肉な取り柄といえたでしょうか。

続いて、負債のない身であること、公務に関わっていない(その職務を忌避していない)こと、両親の許可を得ていること、20歳に達していること(未成年僧は7歳から可で正式な僧は成人してから)、鉢と衣が完備されていること、などが質(ただ)されます。



そして、最後に、名前の確認です。

キンナーモースィー
(あなたの名前は何ですか)

アハン パンテー アマロー〈ビク〉 ナーマ

(尊師よ、私の名前はアマロー〈比丘〉です)

加えて、戒和尚の名前も聞かれて、

ウパチャヨーメー スィリパットー ナーマ

(スィリパットー〈ビク〉です)

と答えます。あとは、冒頭に唱えた出家請願(今度は正式な僧としての出家で、セリフが少し変わる)を三度までくり返します。

サンカンパンテー ウパサンパタン ヤーチャーミ ウンルムパトゥ マンパンテー アヌカンパン ウパーターヤ

(サンガの諸尊師よ、私は具足戒を求めます。どうかサンガは慈悲心をもって私の出家を認めてください)

そこではじめて、戒和尚は、列席のサンガ衆に向かって、具足戒を求めているこの者(アマロー)を認めるかどうか、全員一致での決議(白四羯磨、ぴゃくしこんま)をするようにと告げます。そして、

それを受けて式師が、この者(アマロー)は所々の遮法(先の問答)から「清浄」であり、かつサンガに具足戒を求めているので、サンガ(衆)はスィリパットー様を和尚として具足戒を授けてほしい、と告げ(これを「白〈告知〉」と呼ぶ)、続いて、そのことを認める方は沈黙し、そうでない方はその旨を述べてほしい(これを「唱説〈確認〉」という)と告げます。

このような文言もすべてパーリ語であり、やはり三度まで同じセリフを一語の省略もなく、くり返し確認します。

そして最後に、アマロー・ビクは具足戒を授けられました、サンガはそれを容認していることから沈黙しています、と述べて結語とします。沈黙をもって肯定の法とするのは、これも世尊の採った方式であり、手間のない効率的な法といえます。

よほどの失敗がないかぎり、それは予定されていたことであり、出家証明書なるものもすでに用意されていました。ふつうの額縁に入れて飾っておける大きさ(タイ人はそのようにする)のもので、これにはすべてタイ語で記されています。私の本名と生年(仏暦2491)月日に加えて、日曜日(生まれた曜日)と両親の名前が書いてあるところ(これはいろんな公式の場で必要)が特徴的です。

アマローなる法名は、日曜日生まれにつく一群の名の一つで、天人(テーワダー)を意味します。死後にゆく世界の一つ、天界の入口にある領域ながら、不死の水(アマリット)を飲むことができ、最低でも天界齢で500年(人間界でいえば900万年)の命がある、といわれます。ほぼ永遠といっていいかもしれず、しかし、ついに尽きる日がくると、次にどこに生まれ変わるかは、命がある間の行いしだい、もっと上にいくこともあるし、奈落へ落ちる可能性もあるそうです。このテーラワーダ仏教における宇宙観は果てしなく壮大なもので、いずれそのチャートを描いてみたいものです。

儀式は、その後もしばらく続く「教戒」(ニサヤ4と呼ばれる「四依」〈僧生活の基本である衣食住薬〉と最低限の犯してはならない「四堕」〈殺、非梵行、盗、妄語の禁〉と呼ばれる戒律について、すべてパーリ語で告げられる)と一連の祝福の誦経の後、やっと終わります。

名も知らない幾人かの観客(「ヨーム」と呼ばれるお寺の信者)から、さっそくバートに小額の紙幣が入れられて、最初の喜捨となったのでした。





From:
サンガジャパンVol.29
プラ・アキラ・アマロー(笹倉明)
『タイ上座仏教への道』

2016年4月13日水曜日

お園の空念仏 [柳宗悦]



話:柳宗悦





幕末の頃、三州の田原というところにお園(その)という妙好人があった。何につけても南無阿弥陀と口づさんで日々を暮した。

ある日いつものごとく念仏を称えながら歩いていると、行きずりの女が、

「ああ、また空(から)念仏か」

と嘲(あざけ)った。

お園は踵(きびす)を返して女の後を追った。これを知った女、

「そんなに怒らんでもよいが」

というと、お園

「いやいや、怒るどころではありませぬ。お礼が申したくて後を追いました。空(から)念仏とはよくも言ってくだされた。もしも私の如き愚かな者の申す念仏が功(てがら)になるならどう致しましょう。何も残らぬ空念仏ということをお教え下されました。どこに善知識(ぜんちしき)があることやら。まとこにもったいなくて、一言お礼を申させて下さいませ」

そういって厚い礼を述べた。





念仏の意味を示す忘れ難い対話である。ここに他力の他力がある。念仏の念仏がある。

禅語を借りて「只麼(しも)の念仏」とでもいおうか。只麼(しも)とは「ただ」である。少しでも何かが混ってはならぬ。さもなくば念仏はその光芒を十二分に輝かすことはないであろう。

一遍上人はこれを「独一なる名号」といわれた。また「名号の位、すなわち往生なり」ともいわれた。

一遍上人の法語に、

「名号は義によらず、心によらざる法なれば、称すれば必ず往生するぞと信じたるなり。


たとへば火を物につけんに、心には、な焼きそ(焼けるな)と思ひ、口には、な焼きそ(焼けるな)といふとも、この詞(ことば)にもよらず、念力にもよらず、ただ火のおのれなりの徳として物を焼くなり。


水の物をぬらすも同じ事なり。


さのごとく名号も、おのれなりと往生の功徳をもちたれば、義にもよらず、心にもよらず、詞にもよらず、称ふれば往生するを、他力不思議の行と信ずるなり」


(『一遍上人語録』下巻)








引用:南無阿弥陀仏―付・心偈 (岩波文庫)



2016年4月8日金曜日

至道無難 【僧粲】


至道無難

至道は無難なり

唯嫌揀択

ただ揀択を嫌う

但莫憎愛

ただ憎愛なくんば

洞然明白

洞然として明白なり





話:魚川祐司



六世紀の中国に、僧粲(そうさん)という禅僧がいた。禅宗第三祖といわれる人だが、彼の著作である『信心銘』の冒頭に、「至道無難、唯嫌揀択、但莫憎愛、洞然明白」という有名な言葉がある。

「最高の道は難しいものじゃない。ただ、よくないのは選り好みだ。あれが好い、これが嫌だというのをやめさえすれば、じつにハッキリしたものだ」





孟子いわく

道は近きに在り
しかるにこれを遠くに求む



2016年1月19日火曜日

『ミリンダ王の問い』 中村元[原始仏教]より



話:中村元







第7章

ギリシア思想との対決
「ミリンダ王の問い」


一、『ミリンダ王の問い』の成立とその意義


ミリンダ王登場の背景


本章では、「ギリシア思想との対決」という問題をとり上げます。具体的には『ミリンダ王の問い』という書物が、パーリ語で伝えられています。

東の思想と西の思想が対決をしたその記録という意味では、おそらくこれほど重要な典籍はまたとないのではないかと思われます。ここでは、インドに発した仏教の思想とギリシアの思想とが対決し、交流しているのです。



インドとギリシアとの文化交流ということは、相当古い時代からたどれるのですが、そのきっかけとなったのは、紀元前327年にアレクサンドロス大王がベルシアの方を征服しました。その余威をかってインダス河流域に侵入してきたその時代から始まるのです。

その後、インドのチャンドラグプタが、ギリシア人の勢力を一掃してマウリヤ王朝を建設し、ここにインド全体がインド史上では初めての空前の大国家を建設したのです。

前章で触れましたが、チャンドラグプタ王の孫のアショーカ王は、紀元前三世紀にさらに領土を広げ、マウリヤ王朝が栄えました。仏教が急激に広がったのもこの時からです。



このころからギリシアとの交流は非常に盛んになって、ギリシア人のことが仏典にもよく出てきます。いろいろな交渉がありましたが、インドへ入ってきたギリシア人の支配者たち、あるいは商人たちの間にも、いつのまにか仏教の信仰がだんだんと広がるようになり、仏教の霊場、寺院に、いろいろなものを寄進するようになりました。たとえば立派な彫刻の施されている窟院、あるいは貯水池をそこにつくるとか、ストゥーパの部分を寄進するとか、そういうことをヤヴァナ、すなわちギリシア人が行ったということが多くの碑文に出ています。

マウリヤ王朝は、アショーカ王没後はしだいに衰え、紀元前180年ごろにプシヤミトラという将軍に滅ぼされました。するとインド全体はまた以前と同様に分裂状態に陥ったのです。勢力が弱まったところにつけこんで、インドの西北の地方(現在のパキスタン北部)から北インドにかけてギリシア人の諸王(主としてバクトリアの方から)が相次いで侵入してきました。そしていくつかの王朝を成立させたのです。

多数のギリシア人国王の系譜はよくわかりませんが、かれらはそれぞれ貨幣をつくって発行しました。また碑文にもかれらの名前が載せられているので、それらを合わせると、少なくとも40人以上の王たちがパキスタン北部(いわゆるガンダーラとよばれる地方)からインドの北部に向かって、それぞれ王朝を確立し、支配していました。



ミリンダ王と仏教


これら多くのギリシア人の王たちの中で最も有名だったのが、ギリシア人なる国王メンドロス(Menandros、パーリ語でミリンダ = Milinda)です。だいたい紀元前160年から140年ごろに、バクトリアからカブールの地方を統治していたと考えられています。彼はそこからインドへ侵入してきたわけです。

この王が最も有力で、アフガニスタンから中部インドまでも支配しました。つまり、ギリシア人諸国王のうちで彼の領土が最も広く、そして彼のつくって発行した貨幣が今日多数残っています。なかには遥か海を越え、イギリスのウェールズ地方でも見つかったものもあります。その貨幣の表には彼の肖像が刻され、ギリシア文字で彼の名前が印されています。時期によって彼の肖像は多少異なりますが、なかなか精悍な、そして英知に輝く人物であったと思われます。

またその貨幣にはギリシアの神々の像が刻せられていることもあります。だから公にはギリシアの昔ながらの民族的な神々を、インド、あるいはアフガニスタンに居ながらも奉じていたわけですが、内心では仏教を信じていたらしいのです。というのは彼が奉納した旨を刻んだ舎利器(遺骨を納める器)が近年発見されました。また彼が亡くなった時に、インドの諸地方の八つの都市が、彼の徳を慕うあまり、その遺骨を互いに貰い受けて八つに分け、八都市が彼の遺骨を祀り記念碑を建てたということが記されています。これは釈尊の涅槃のときの伝説にならったものであろうと思われます。

彼はパキスタン北部のシャーカラという所に首都を構えインドを統治して、ガンジス河の流域にまでその勢力は及んだのです。



『ミリンダ王の問い』の成立


ミリンダ王はシャーカラ(パーリ語ではサーガラ)で仏教の長老であるナーガセーナ(Nagasena)という人と対談をしました。その対談がパーリ語で記し伝えられ、『ミリンダ王の問い(ミリンダパンハー)』という名前の書物として、今日南アジアの国々に伝えられています。

またそのうちの初めの3分の1ほどは、『那先比丘経(なせんびくきょう)』というお経として漢訳でも伝えられています。那先(なせん)というのは、ここに登場するナーガセーナというお坊さんの名前の音写、比丘(びく)というのは仏教の修行僧のことです。漢訳では「経」と名付けられていても、厳密にいうと経典ではありません。というのは釈尊が亡くなって以後につくられたものだからです。

ですから、スリランカなどに伝えられているパーリ語聖典(三蔵)においては、『ミリンダ王の問い』は「経(sutra)」のうちには含められていません。しかしビルマでは『クッダヤ・ニカーヤ』の中に収められ、経典としての権威が付されています。



『那先比丘経(なせんびくきょう)』には、二巻本と三巻本があります。どちらも翻訳者の名前はわかりませんが、東晋の時代、だいたい4世紀から5世紀の初めごろに訳されたと思いますが、原典はもっと早くて、おそらくその原形は紀元前2世紀後半にできたものでしょう。さらに、この『那先比丘経』の主要な部分が、現存のパーリ文『ミリンダ王の問い』の中に含まれていますが、この、パーリ文と漢訳の対応する部分が特に古くて、紀元前1世紀から後1世紀にわたってつくられたと思います。その後パーリ語でつけ足されて、430年ごろまでにはパーリ文の原形ができ上がったとみられています。

次節では、この書の両者符合する部分を主題としてとりあげます。

この書物には、二人が対談した内容が、対話の形式で述べられていますが、この対談というのが、たいへんおもしろいのです。それはインド人同士でしたら何の疑問もいだかないような当たり前のことが、ギリシア人の眼から見ると奇妙で信じられない、そういうところを衝いているからです。それに触発されて仏教の修行層であるナーガセーナが応えるというわけで、これは東西の思想交流を示す非常に重要な古典です。

ガンダーラ美術はギリシア美術の影響が多分に見られますが、それと同じように思想の面でも必ず何か影響があったに違いありません。多くの書物は消えてなくなっていますが、この『ミリンダ王の問い』という書物は正にその思想交流、あるいは対決を示す貴重な文献なのです。



二、ナーガセーナとの対話


霊魂観


ミリンダ王とナーガセーナとの対話の中身について、みていきましょう。

議論の本筋に入る前に、最初はいきなりミリンダ王が出てこないで、王に従ってきた廷臣、アナンタカーヤとナーガセーナが対話をするという場面が出てきます。これも考えようによってはなかなかおもしろい対話だと思います。


「尊者ナーガセーナよ、私が『ナーガセーナ』と言ったとき、そこにおける『ナーガセーナ』とは何なのですか」

「では、そこにおける『ナーガセーナ』とは何なのだと、あなたは考えますか」

「身体の内部にあって、風(=呼吸)として出入りする霊魂を私はナーガセーナであると思います」

「しからば、もしもこの風が外に出たまま入って来ないか、また内に入ったまま外に出て行かないならば、いったいその人は生きていることができるでしょうか」

「生きていることはできません」

「しからば、人が法螺貝を吹く場合に、風が彼らのもとにふたたび入って来るでしょうか」

「入って来ません」

「また人が竹を吹く場合に、風が彼らのもとにふたたび入って来るでしょうか」

「入っては来ません」

「しからば、何ゆえに彼らは死なないのですか」

「さあ、尊者よ、このわけを話してください」

「風は霊魂ではありません。これらの出入りする風は、身体のなかにひそむ力なのです」

(第一篇 第一章 第四)


ギリシア人の霊魂観からみると、霊魂は出入りする空気だが、インドの仏教者は、それを認めないのです。

ナーガセーナが相手にしているのは、パーリ文ではアナンタカーヤという名前になっていますが、これは学者の推定によると、アンティオコスだろうといいます。彼はミリンダ王についてきた宮廷の地位の高い廷臣、官僚です。ですから、ギリシア的な見解をもっています。

その議論はなにか非常にギリシア的なような気がするのです。それをナーガセーナ長老は衝いているのです。

『ミリンダ王の問い』の中では、総じて議論は多岐にわたっていますが、だいたいインド人の間ではあたりまえだと思っていても、ギリシア人の立場からみると、どうも納得がいかないというようなことは、片っ端から取り上げて論じて質問を発するわけなのです。とくに主な論点としては、ここに出ている霊魂の問題、それからそれに付随する輪廻の観念です。つまり生まれ変わりです。ギリシア人はギリシア人独特の霊魂観をもっており、その立場から論ずるのです。仏教の無我説、それから無我説の立場に立ちながら、しかも人間が迷って輪廻するというその理(ことわり)が、ギリシア人にはどうもわかりにくかったらしい。それがまず出発点になっています。



名前の問い


この仏典の「前世物語」のようなものが、はじめに含まれているのですが、実際の対談はミリンダ王がナーガセーナ長老を訪ねていって、議論を開始するところから始まります。


ときに、ミリンダ王は尊者ナーガセーナのいる所に近づいて行った。近づいて、尊者ナーガセーナに会釈し、親愛にみちた礼儀正しい言葉を交わして一方に坐った。

尊者ナーガセーナもまた答礼して、ミリンダ王の心を喜ばせた。そこで、ミリンダ王は尊者ナーガセーナにこう言った。


インドやスリランカの古来の礼法としては、宗教者が非常に尊ばれているので、たとえ国王といえども宗教家を訪ねて行き、礼儀正しい挨拶をしてから会話を始めるのが通例でした。ミリンダ王はギリシア人ですが、インドの礼法に従って、自分のほうから出ていって恭しく挨拶し対談を始めたというわけです。その挨拶に対して、出家修行者であるナーガセーナも同じように答礼をしたという次第です。


「いかにして、あなたは尊師として〈世に〉知られているのですか? 尊者よ、あなたはなんという名なのですか?」

「大王よ、わたくしはナーガセーナとして知られています。大王よ、同胞である修行者たちはわたくしをナーガセーナと呼んでいます。また父母はナーガセーナとか、スーラセーナとか、ヴィーラセーナとか、或いはシーハセーナとかいう名をつけています。しかしながら、大王よ、この『ナーガセーナ』というのは、実は名称・呼称・仮名・通称・名前のみにすぎないのです。そこに人格的個体は認められないのであります」


一人の個人というものが、実体として永久に存在するものではないということ、個人存在というものはつねに移り変わってゆくものである。日本人に知られている表現によると「無常なるものである」、これが仏教説です。だから実体としての人格的個体は認められない、そうはっきりと断言したのです。

ギリシア人であるミリンダ王はびっくりして、こう言いました。


「五百人のヨーナカ人(ギリシア人)諸君と八万の比丘はわが言を聞いてくれ。このナーガセーナはこう言ったぞ、『ここに人格的個体は認められない』と。それを信じ得るだろうか?」


五百人というのは、ある程度人数が多いのを示す呼称です。また、八万というのは、非常に多い数をいうのです。ギリシアの哲学では、魂というものをだいたい認めます。それに基づいて個体があると考えているので、ナーガセーナの言うことはとんでもないことだというわけです。

インドでは、仏教以外にもいろいろの哲学学派、あるいは宗教体系があり、それらはみな霊魂という実体があって、それがわれわれの存在の中心にあり支配して行動を起こす、とそう説いていたのです。ところが仏教では、そのような形而上学的な前提というものは取り除いて、現象に即して考える。そうすると、われわれが生きて働いているというのも、結局いろいろな原因と副次的な条件、因縁といいますが、この因と縁が集まって、そしてわれわれを生かし、活動させている。だから、なにも万能で絶対的な霊魂とか神とか、そういうものを考える必要がないという立場なのです。それがこの対話のなかにはっきりと出ていると思うのです。

仏教では霊魂を、肯定も否定もしません。ただ、世間にそういう信仰があるとしてそれを認めるという立場です。


ミリンダ王は、それで、尊者ナーガセーナにこう質問した、(中簡略)

「『大王よ、同朋である修行者たちはわたくしをナーガセーナと呼んでいます』とあなたはいいました。その場合、『ナーガセーナ』と呼ばれるところのものは、いったい何ものですか? 尊者ナーガセーナよ、髪がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「身毛がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「爪がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」


〈以下、身体の各部分について同様の質問・返答が繰り返される。すなわち、〉


「歯・皮膚・肉・筋・骨・骨髄・腎臓・心臓・肝臓・肋膜・脾臓・肺臓・腸・腸間膜・胃・糞・胆汁・痰・膿・血・汗・脂肪・涙・膏・唾・はなじる・関節滑液・尿・頭脳など、〈これらのいずれか一つ〉がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」


当時、すでにインド医学はある程度進歩していて、解剖も行われていました。当時のインド医学では解剖を禁止してはいませんでしたから、死体を解剖してこういう臓器があることは知られていました。そのどれも「ナーガセーナではない」というのです。

今度は少しく哲学的なことばを使って言います。


「尊者よ、〈物質的な〉かたちがナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「感受作用がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「表象作用がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「形成作用がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「識別作用がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」


ここの五つ、物質的なかたち、感受作用、表象作用、形成作用、識別作用を、漢訳仏典では「五蘊(ごうん)」といいます。つまりわれわれの個人存在を構成している要素ですが、これを現代的にわかり易く訳してみました。


「尊者よ、しからば、かたち・感受作用・表象作用・形成作用・識別作用〈の合したもの〉がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「尊者よ、しからば、かたち・感受作用・表象作用・形成作用・識別作用の外に、ナーガセーナがあるのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「尊者よ、わたくしはあなたに幾度も問うてみたのに、ナーガセーナを見出し得ない。尊者よ、ナーガセーナとは実はことばのことにすぎないのですか? しからば、そこに存するナーガセーナとは何ものなのですか? 尊者よ、あなたは、『ナーガセーナは存在しない』といって、真実ならざる虚言を語ったのです」

そこで、尊者ナーガセーナはミリンダ王にこう〈反問して〉言った、

「大王よ、あなたはクシャトリヤの華奢な〈生まれ〉であり、はなはだ贅沢に育っておられる。大王よ、あなたが真昼どき暑い地面をやけた砂地のうえを、そしてごろごろした砂礫をふみつけて歩いてきたとすれば、足は痛むことでしょう。また、身体は疲労し心は乱れ、身体の苦痛感が生じることでしょう。いったいあなたは、歩いてやってきたのですか、それとも乗り物ですか?」

「尊者よ、わたくしは歩いてやってきたのではありません。わたくしは車でやってきたのです」


日本でも地面を裸足で歩くと、歩きつけない人は痛みます。ましてインドでは、昼間は猛烈に太陽が照りつけるので、痛いだけでなく暑いのです。

暑さにも耐えられない。ところが修行している修行者は裸足で歩くのは慣れているので、足の裏が厚くなって、歩いてもそれほど響きません。ところが華奢な育てられ方をした人は、そうではなく、身体の苦痛感が生じるであろう、というのです。だから修行者のように歩いてきたわけではないでしょう、というのです。



車のたとえ


ここで車に関する部分の一つ一つを取りあげていいます。


「大王よ、もしもあなたが車でやってきたのであるなら、〈何が〉車であるかをわたくしに告げてください。大王よ、轅(ながえ)が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「軸が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「輪が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「車体が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「車棒が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「軛(くびき)が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「 輻(や)が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「鞭(むち)が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「しからば、大王よ、轅・軸・輪・車体・車棒・軛・輻・鞭〈の合したもの〉が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「しからば、大王よ、轅・軸・輪・車体・車棒・軛・輻・鞭の外に車があるのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「大王よ、わたくしはあたなに幾度も問うてみましたが、車を見出し得ませんでした。大王よ、車とはことばにすぎないのでしょうか? しからば、そこに存する車は何ものなのですか? 大王よ、あなたは『車は存在しない』といって、真実ならざる虚言を語ったのです」(中簡略)


こう言って、ナーガセーナはミリンダ王をやりこめたわけです。


そこで、ミリンダ王は尊者ナーガセーナにこう言った、

「尊者ナーガセーナよ。わたくしは虚言を語っているのではありません。轅に縁(よ)って、軸に縁って、輪に縁って、車体に縁って、車棒に縁って、『車』という名称・呼称・仮名・通称・名前が起こるのです」


つまり部分部分がバラバラにあったり、ただ積み重なってあるだけでは車にはならないのです。それぞれ適当な位置を占めて相互に連結することにより、そこで仮に車という名前ができ上るのです。縁って起こるということです。「縁って起こる」というのを仏教では「縁起」といいます。すなわちいろいろなものがより集まって個物ができるというわけなのです。

そこで、ナーガセーナがいいます。


「大王よ、あなたは車を正しく理解されました。大王よ、それと同様に、わたくしにとっても、髪に縁って、身毛に縁って……乃至……脳に縁って、かたちに縁って、感受作用に縁って、表象作用に縁って、形成作用に縁って、識別作用に縁って、『ナーガセーナ』という名称・呼称・仮名・通称・単なる名が起こるのであります。

しかしながら勝義においては、ここに人格的個体は存在しないのです。大王よ、ヴァジラー比丘尼が、尊き師(ブッダ)の面前でこの〈詩句〉をとなえました」


体の部分や、体の中で働いているいろいろな精神的作用によって、「ナーガセーナ」個人という仮の名前がつけられている。けれども究極的な立場からみると、人格的な個体は存在しない、というのです。

ここでヴァジラーという尼さんの詠じた詩の文句を引用しています。すでに最初期の仏教の時代から女性の尼さんは男子に伍して重要な位置を占めていました。ここにみられるような哲学的な論議をする人もいたのです。その詩の文句ですが、


「『たとえば、部分の集まりによって

”車”という言葉があるように、

そのように〈五つの〉構成要素の存在するとき、

”生けるもの”という呼称がある』と」


いろいろな部分が集まって車というものができる。それと同様に、われわれの存在を構成する五つの要素(五蘊)が集まって、生きている存在と名づけられるものがあります。これを漢訳仏典では「衆生(しゅじょう)」と呼ぶこともあります。あるいは唐代以後の漢訳では、「有情」と訳し、「有情」の「情」は情けではなく、むしろ「心の働き」という意味で、「人の働きのあるもの」、ですから生きもののことをいうわけで、人間のみならず、高等の動物はそこに含めますが、そういうものはみな五つの働きが集まっているものだ、というのです。

それを聞いて、ミリンダ王がいいました。


「すばらしい、尊者ナーガセーナよ。立派です。尊者ナーガセーナよ。〈わたくしの〉質問はいとも見事に解答されました。もしもブッダがご在世であるなら、賞賛のことばを与えられるでしょう。もっともです。もっともなことです、ナーガセーナよ。〈わたくしの〉質問はいとも見事に解答されました。

(以上、第一篇 第一章 第一)


この対談をみると、ギリシア人の王は、いつも「ブッダ」とよんでいます。ところが長老のほうは「世尊(尊き師)」ということばを使っています。ここに同じく釈尊に言及するにしても、若干の立場の違いがあるのです。



実体の否定


右にあげた車のたとえというのは、この本の中では非常に有名なものです。ナーガセーナ長老とミリンダ王との対談の最初に出てくるというので、よけい重要な意味をもっているかと思いますが、同時に仏教思想の理解のためにも重要なものです。このような説き方をのちの教義の学問では 析空 観(しゃっくうがん)といいますが、つまり分析によって空なることを知るというのです。われわれの個人存在はここにあり、これにいろいろ部分があると考えられる。その部分部分に分けてみて、そしてどこにも個人としての実体はない、あるいは霊魂というものはないということから、個人存在の空を説くわけです。

そこで、世の中の人は、我とよばれる実体にとらわれている。けれども、そういうものがあるわけではないといって、客観的に見えるわれわれの存在の一部分にとらわれることをなくさせる。つまり我執をなくさせるというのがその趣旨なのです。それで我執をなくさせるためのたとえですから、自己がないということをいうのではなく、本来の自己というものはそういう部分部分の中には認められない。けれども、人が人間としての理(ことわり)、理法に従って実践するところにほんとうの自己がある。そういうことは他の面の教えとして説かれています。だから、その場面の自己というのは、霊魂のようなフワフワしているものでもなく、実体でもないというのです。そうではなく、人間が人間として生きるところに、ほんとうの自己が存する。それは決して物体みたいなものではないというのです。それが背後に秘められている趣旨なのです。そこへ連れて行くために、まず非常に印象的なこの車のたとえを述べているわけです。ただこういう説明だけで、問題がじゅうぶんに解決できたということはいえないようです。

もしも輪廻の主体というものを、なにか実体みたいなものに考えると、無我の輪廻ということは、説明しにくくなるでしょう。そこで何か霊魂の代用品みたいなものを教義学者はいろいろ考えて、非常に複雑な論争が後にはなされるようになるのです。そして後代には、仏教哲学が展開することになりました。

ただ霊魂に関する議論が、仏教にとって必要な本質的なものであったかどうかというと、私としてはそうは思いません。むしろ実践的な要請が先にあったと思うのです。人間はなにゆえに迷って争っているか、これはやはり我執があるからです。なにゆえ我執にとらわれるかというと、何ものかが絶対のものといいますか、あるいは不変のもので、恒久的なものだと思っているから、それを大事にするために争いも起こるわけです。その我執を離れさせる、そしてもっと高いところへ目を向かせる、そこが出発点だと思うのです。

若い人は合理的に考えますから、実体を想定しなければ説明がつかないという議論もあるようで、それも確かに一つの問題だと思いますが、しかしいったい実体という概念は何かというと、それはつねに変化するものである作用とか、現象とか、運動とか、そういうものに対立した概念なのです。だから、それは感覚の世界においてのみ成立するものです。ところが、感覚を超えた世界へそれを導き入れるということに論理的な誤解がある。つまり適用範囲を逸脱しているわけです。ところが、世のいわゆる合理主義者というのは、その合理主義の限界というものを知らないということがいえるのではないでしょうか。



仏教における「無我」


ところで、この対談にあるような考え方によって「無我説」を理解するということは、私たちの祖先の間でも行われていたことであり、昔の歌にもあります。


引き寄せて結べば柴の庵となり

解くればもとの野原なりけり


いろいろな木片とか草とかそういうものを集めてきて結ぶと柴の庵となる。そこにわれわれは住んでいる。われわれの身体もそのようなものである。ところが解けてしまうとまたもとの野原である。われわれの身体も命がなくなると、またもとにかえるわけです。すなわちここに「無我説」の根拠を認めているのです。

「無我説」というのは、「実体としての我が無い」という意味で、自己を否定したのではありません。自己というものはことばではとらえることができず、五つの構成要素の外にあるものです。ただわれわれが人間の理法、理(ことわり)に従って実践をするその中に、ほんとうの自己が現れるということをこれまでみてきたように、原始仏教では説いていますし、さらに大乗仏教になると、この点を強調するのです。だから仏教は単なる虚無論ではなく、実体としての「我」が無い(これはいつかは消えてなくなるものですから)、その奥にある真実の自己というものは、人間の理(ことわり)、法を実現するものとして不滅の意義を有するというのが仏教の教えです。



対話の成立する基盤


続いて、いろいろな議論が述べられていきます。


「尊者ナーガセーナよ、わたくしとともに〈再び〉対論しましょう」

と王は問う。

「大王よ、もしもあなたが賢者の論を以て対論なさるのであるならば、わたくしはあなたと対論するでしょう。しかし、〈大王よ〉、もしもあなたが王者の論を以て対論なさるのであるならば、わたくしはあなたと対論しないでしょう」

「尊者ナーガセーナよ、賢者はどのようにして対論するのですか?」

「大王よ、賢者の対論においては解明がなされ、解説がなされ、批判がなされ、修正がなされ、区別がなされ、細かな区別がなされるけれども、賢者はそれによって怒ることがありません。大王よ、賢者は実にこのように対論するのです」


反対論が出されても、賢者は怒ることなく、じっと道理を考えて議論します。これが賢者の対論なのです。


「尊王よ、また王者はどのようにして対論するのですか?」

「大王よ、しかるに、実にもろもろの王者は対論において、一つの事のみを主張する。もしその事に従わないものがあるならば、『この者に罰を加えよ』といって、その者に対する処罰を命令する。大王よ、実にもろもろの王者はこのように対論するのです」


どちらをとるのですか、というわけです。ミリンダ王は答えざるをえません。


「尊者よ、わたくしは賢者の論を以て対論しましょう。王者の論を以ては対論しますまい。尊者は安心し、うちとけて対論なさい。たとえば、尊者が比丘あるいは沙弥(しゃみ)あるいは在俗信者あるいは園丁と対論するように、安心してうちとけて対論なさい。恐れなさるな」

「大王よ、よろしい」

といって、長老は同意した。

(以上、第一篇 第一章 第三)


右のように、あなたがそういう態度で対論なさるなら、これから始めましょうと長老は言いました。ナーガセーナ長老がミリンダ王に対して一本釘をさしたわけです。

つまり対論する場合には、力をもって圧迫するようなことがあってはならず、どこまでも道理を追求すべきであるという精神が、ここにはっきり出ているのです。今日のわれわれでもまず第一に心がけるべきことではないでしょうか。



究極の理想の境地


この他、いろいろのことが論ぜられています。たとえば「涅槃に入る」とはいったいどういうことなのか、ということが論議されます。


「尊者ナーガセーナよ、涅槃とは止滅のことなのですか?」

「大王よ、そうです。涅槃とは止滅のことです」

「どうして涅槃が止滅なのですか?」

「すべての愚かなる凡夫は、生まれ・老い死ぬこと・憂い・悲しみ・苦痛・悩み・悶えから解脱せず、苦しみから解脱していません。大王よ、教えを聞いた聖なる弟子は、何ごとにも歓喜せず、執著していません。このとき、彼には愛執が滅び、愛執が滅びるがゆえに執著が滅び、執著が滅びるがゆえに生存一般が滅び、生存一般が滅びるがゆえに生まれが滅び、生まれが滅びるがゆえに老い死ぬこと・憂い・悲しみ・苦痛・悩み・悶えが滅びる。このようにしてこの全き苦の集まりが滅びるのである。大王よ、こういうわけで涅槃とは止滅のことなのです」

(第一篇 第四章 第七)


「涅槃(ニルヴァーナ)」というのは、これまでにもたびたび出てきましたが、仏教が興った時代にどの宗教でも使っていたことばなのです。つまり理想の境地をいうわけです。理想の境地はどういうものかということを追求して、ある人々は、快楽を追求するのが理想だと思い、またある人々は、いっさいの人間の感情や欲望を鎮めてなくするのが理想だと思いました。後者の傾向のほうがインドの宗教一般としては強かったわけです。

そしてもとの語義から見ると、否定的な意味が強かったと言えるでしょう。ニルヴァーナ(nirvana)の nir は否定的な意味です。vana はよくわからないのです。いろいろ解釈されますが、やはり、われわれは束縛されている存在で、そこから出て行くということを意味するのです。

次に「すべての人が涅槃を得ることができるか」という問いを王は発します。


「尊者ナーガセーナよ、すべての人が涅槃を得るのですか?」


するとナーガセーナは、次のように答えます。


「大王よ、すべての人が涅槃を得るのではありません。しかしながら、大王よ、正しく道を行い、熟知すべき法を熟知し、完全に知るべき法を完全に知り、断ずべき法を断じ、修すべき法を修し、現証すべき法を現 証する人は、涅槃を得るのです」

「もっともです、尊者ナーガセーナよ」

(以上、同・第八)


ここではもし真剣に仏道の実践をするならば、いかなる人でも救われる。救われないはずの人はいないという根本的な立場が表明されています。

されに王は鋭く衝いていきます。


王は問う、

「尊者ナーガセーナよ、まだ涅槃を得ていない者が、『涅槃は安楽である』ということを知っているでしょうか?」

「大王よ、そうです。まだ涅槃を得ていない者が『涅槃は安楽である』ということを知っているのです」

「尊者ナーガセーナよ、どうして、まだ涅槃を得ていない者が『涅槃は安楽である』ということを知っているのですか?」


ナーガセーナは逆に王に問います。


「大王よ、あなたはどうお考えになりますか? 手足をまだ切断されたことのない人々が、『手足を切断することは苦である』ということを知っているでしょうか?」

「尊者よ、そうです。かれらは知っているでしょう」

「どうして、知っているのですか?」

「尊者よ、他人が手足を切断されたときの悲痛な声を聞いて、『手足を切断されることは苦である』ということを知るのです」

「大王よ、それと同様に、(まだ涅槃を得ない人々でも)、涅槃を体得した人々の声を聞いて、『涅槃は安楽である』ということを知るのです」

「もっともです、尊者ナーガセーナよ」

(以上、同・第九)


つまり、その境地に達していなくても、心の落ち着いたすがすがしい境地に達した人に会えば、自ずから「あの人の心境はまことに慕わしいものだ」とわれわれでも思うように、それによって究極の境地が願わしいものだということを知ることができるというのです。

これは今のわれわれにも非常に訴えるところがあると思います。ことにまだ涅槃を得ていない人でも、涅槃を体得した人々の声を聞いて、涅槃は安楽であるということを知る。現代の生活でも、宗教的実践に徹している方にお会いしていますと、何かしらそこに感ずるものがあります。こちらでは得ていなくても、あの方はそういう境地を得ておられると思って、非常に慕わしくなりますね。それからべつに宗教的実践というほど難しいことでなくても、ごく平生お会いしている方々の中に、それぞれその人の人柄といいますか、持ち味というものがあります。あの人のああいう気持ちはいいなということを感じます。それをここでは宗教的な形で述べているのではないかと思うのです。



解脱


解脱の状態については、さらにつっこんで議論されています。


「尊者ナーガセーナよ、涅槃を得た人は、なんらかの苦しみを感じますか?」

「ある種の苦しみを感じ、またある種の苦しみを感じません」

「何を感じ、何を感じないのですか?」

「大王よ、肉体的な苦しみを感じ、心の苦しみを感じないのです」

「尊者よ、どうして肉体的な苦しみを感じるのですか。またどうして心の苦しみを感じないのですか?」

「肉体的な苦しみを感じるための因と縁とがなくならないかぎり、肉体的な苦しみを感じ、また心の苦しみを感じるための因と縁とがなくなるがゆえに、心の苦しみを感じないのです。大王よ、世尊はこのことを説かれました。『彼はただ一種の苦しみのみを感じる。すなわち肉体的な苦しみのみを感じ、心の苦しみを感じない』と」

「尊者ナーガセーナよ、苦しみを感じるその人が、なにゆえ完全な涅槃に入らないのですか?」

「大王よ、聖者(阿羅漢)には愛好もなく、嫌悪もない、聖者は未熟なる〈果実すなわち身体〉を落とすことがない、賢者は〈それが〉成熟して〈脱落するのを〉待つのである」


業の成熟する因縁を待つというのです。

ここでナーガセーナ長老は、経典のうちの古い詩の文句を引用します。


「大王よ、サーリプッタ長老によってこれが説かれました。


われは死を喜ばず、われは生を喜ばず。
あたかも雇われ人が賃金を待つがごとくに、われは時の来たるを待つ。
われは死を喜ばず、われは生を喜ばず。
正しく意識し、心に念じて、われは時の来たるを待つ。

と」

「もっともです、尊者ナーガセーナよ」

(以上、第一篇 第二章 第四)


いま読んだパッセージの内容に付随して説かれていることですが、さとった人はなぜ完全な涅槃にすぐ入らないか、あるいは何もかも苦しみがなくなれば、存在も消えてしまうのじゃないか、そういう疑問を向けられたわけなのです。それに対する答えは、われわれの、ことに修行を完成した人の生存というものは、果実のようなものだというのです。果実が出てくるのは、いろいろの因縁があって、そして実がなるわけでしょう。

それと同じように、われわれがこの世でこうして生きているのは、過去から、あるいは目に見えないいろいろの因縁が織りなされて、そしてここにわれわれは現れているわけです。因縁の続いている限りは、われわれは生存している。因縁がやがて解きほごされると、われわれの存在も消えてなくなる。それに対して決して無理はしない。因縁の存する限り生き永らえる。生を願わず、死を願わず、与えられたものを与えられたものとして生をいただいて楽しんでいく。そういう気持ちなのです。無理して早く自殺するというようなこともしない。また不老長寿のことばかりやたらに求めて長生きをはかろうともしない。水が流れるようなサッとした気持ちで生きていく。それをめざしているのだろうと思います。

「生を喜ばず、死を喜ばず、生を悲しまず、死を悲しまず」

という淡々たる気持ち、それが解脱である、ということになるのだと思います。



そこで右の議論をつきつめていって、解脱においては心の悩みはないけれども、体の悩みはべつになくなるわけではないということをいっています。

これは非常に合理的な徹底した説明です。つまり初期の仏典を見ると、涅槃、ニルヴァーナの説明はあるのです。そこでは、苦しみがなくなるとか、すがすがしいとか、涼しいとか、清らかだとか、安楽の楽しい境地であるとか、そういうようなことをいうわけです。けれども、具体的にどういうことかということを深くは追究していない。それでインド人は非常に空想してものごとを考えて、遠くに思いを馳せるわけです。だから、あまり分析的に論議をすることをしなかったわけです。

ところが、ギリシア人の合理的思惟によって質問を向けられた。そこで考えてみると、なるほどさとった人だって、棘が刺さればやはり体は痛い。だから、身体の苦痛は残る。しかし精神の苦しみはなくなっているのだ、と、そこをはっきり指すわけです。つまり、問答、ダイアローグによってその点がはっきりさせられたということになるのではないでしょうか。これはつまり対話によって異質的な考え方をぶつけられたために、こういうことがはっきりしたのではないでしょうか。

つまりさとりを開いても、あるいは解脱をしても、生きている限りは、少なくとも肉体的な感覚はちゃんとある、痛いものは痛い、と。

こうはっきりいったのは、仏典ではここが最初ではないかと思います。それは古い仏典を見ると、さとった修行者の生活とか感想などがいろいろ出ていますから、それを論理的に分析すればこういうことになりましょうけれども、インド人はあまりそういうことを分析しないで、現実と空想の世界がなにか続いていたように考えて楽しんでいたという面があるのです。ところが、この対話においては、考え方が非常に現実的になっています。



念仏


このようにいろいろなことが議論されていますが、日本人にとって興味あることの一つは、念仏が論議されていることです。

念仏によって救われるとは、どうしていえるのか。王はききます。


「尊者ナーガセーナよ。あなたがたはこのようにいわれます。−−『たとい百年間も悪を行っても、臨終に一たび仏を念ずることを得たならば、その人は天上に生ずることができるであろう』と」(しかし私はそんなことは信じません)。

「またあなたがたはこのようにいわれます。−−『ひとたび殺生を行ったならば、地獄に生まれるであろう』と」(こんなことも信じません)。


これに対してナーガセーナは反論します。


「石を水の中に投げこんだら石は水の中に沈むでしょう。しかし石を舟の上に乗せてごらんなさい。すると石は浮ぶじゃありませんか。大きな牛でも舟に乗せると浮ぶ。それと同じように念仏の行いというのは功徳のあるものであって、不思議な力を持っているのです。だから過去に悪を行った人でも、仏さまを念ずるというその行いによって人は救われるのです」と。

(以上、第一篇 第七章 第二)


仏さまを念ずるということは、仏教で最初から説くことです。そしてそれは功徳があると考えられています。それで念仏によって罪が救われるという考え方もだんだん出てきたわけです。けれども、念仏によって救われるということがギリシア人には理解しがたかったのではないでしょうか。

この議論はずっと続くのですが、彼は善業の力というものは、悪業の力より強いと考えていました。ここにインド人の楽観的な見解が認められるのです。

悪人は確かにいることは認めますが、どんな悪人でもやがて救われる可能性があり、それを救ってくれるのが仏の慈悲であると考えているのです。そういう見解がここにも反映しています。



ミリンダ王がナーガセーナと議論をした論題は、まだこの他にいろいろあります。ことに仏典の記述には、インド人一般の宗教聖典も同様ですが、非常に誇張した表現があります。それから空想的な説き方があります。これをミリンダ王は、「わしには信じられん」というのです。またミリンダ王は、三十二相が信じられないと言っています。仏さまに三十二のいろいろ立派な特徴があるという、あの信仰をどうしても信じられないというので質問するところが、この書物の中に出てきます。

これらの対話を、今日の問題として考えてみますと、宗教伝統の確立しているところでしたら、経典に説かれているからということで、それだけですべて受け入れられるわけです。ところが、今日のようにいろいろ異質的な人が対立して争っているときには、ただお経に書いてあるからというだけではだめなのです。どこまでも合理的に考えて、自分で納得しなければ人は受け入れないわけでしょう。納得してもらうように説くためには、この『ミリンダ王の問い』というのは、実に教えるところの多い経典だと思います。







引用:原始仏典 (ちくま学芸文庫)




2015年11月19日木曜日

スッタニパータ 蛇の章「蛇」 対訳[中村元・正田大観]



suttanipātapāḷi
スッタニパータ

namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa
[中村元訳]かの尊き師、尊き人、覚った人に礼したてまつる。
[正田大観訳]阿羅漢にして 正自覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る





第一 蛇の章 uragavagga

一、蛇の経 uragasutta 17偈)

※主たる訳文は中村元氏に拠る。



1

※1.1の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)※1.2は、
yo uppatitaṁ vineti kodhaṁ, visaṭaṁ sappavisaṁv a osadhehi; 

この世とかの世※1.3とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、広がった蛇の毒を諸々の薬で〔除き去る〕ように、沸き起こった忿激〔の思い〕(忿)を取り除くなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


中村註1.1:蛇
この聖典の最初に蛇のことばかり出てくるので、日本人は異様な感じを受けるであろう。しかしインドないし南アジアでは、どこへ行っても蛇が多い。従ってインド人にはむしろ親しく感ぜられるのである。こういう風土的背景があるために、仏像やヒンドゥー教の神像には、光背が五頭とか七頭とかの蛇になっている場合が少くない。蛇が霊力を以て神々を、また人々を護ってくれるのである。仏伝にも竜(つまり蛇)がしばしば登場する。

中村註1.2:修行者
bhikkhu. 「乞う者」の意。漢訳では「比丘(びく)」と音写する。当時インドの諸宗教ではすべて家を出た修行者は托鉢によって食物を得ていたので、このようにいう。それのサンスクリット形 bhiksu という語は、インドのどの宗教でも用いられる。在家の人々は修行者に最上の敬意を示して食物を捧げるが、修行者は平然としてこれを受け、挨拶を返さない。

中村註1.3:この世とかの世
orapāraṁ. 註釈には種々の解釈が挙げられている。pāra を「岸」の意味に解すると、orapāraṁ は「此岸」すなわち「下界」の意味になる。



2

池に生える蓮華※2.1を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、
yo rāgamudacc hidā asesaṁ, bhisapuppha ṁva saroruhaṁ vigayha;

この世とかの世とをともに捨てる。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、池に生えている蓮の花を〔水に〕入って〔折り取る〕ように、貪欲〔の思い〕(貪)を残りなく断ち切ったなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


中村註2.1:蓮華
蛇が南アジアでよく見かける動物であるのに対して、インドの代表的な花は「蓮華」である。そこで蓮華の例をもち出したのである。



3

奔り流れる妄執(もうしゅう)の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、
yo taṇhamudacc hidā asesaṁ, saritaṁ sīghasaraṁ visosayitvā;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、激しく流れる〔渇愛の〕流れを干上がらせて、渇愛〔の思い〕(愛)を残りなく断ち切ったなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。



4

激流が弱々しい葦※4.1の橋※4.2を壊すように、すっかり驕慢を滅し尽した修行者は、
yo mānamudab badhī asesaṁ, naḷasetuṁva sudubbalaṁ mahogho;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、極めて力の弱い葦の橋を大激流が〔押し流す〕ように、〔我想の〕思量(慢:自他を比較し価値づける心)を残りなく壊し去ったなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


中村註4.1:葦
裂かれた葦(naḍa)と激流の譬喩は『リグ・ヴェーダ』第一編第三二詩篇の八に出てくる。

中村註4.2:橋
setu. この語を「堤」「堤防」と解することが行われているが、パーリ語では専ら「橋」を意味する、と、スリランカの学僧がわたくしに語った。「堤」はサンスクリットでも、パーリ語でも tīra である。



5

無花果(いちじく)の樹の林の中に花を探し求めても得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なもの※5.1を見出さない修行者は、
yo nājjhagamā bhavesu sāraṁ, vicinaṁ pupphamivā udumbaresu;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、〔花なき〕無花果〔の木々〕に花を尋ね求める者のように、諸々の〔迷いの〕生存(有)において真髄(実:真実・本質)に到達しなかったなら(迷いの生存を真実と誤認しなかったなら)、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


中村註5.1:堅固なもの
原語は sāra であるが、註釈は「常住性または本性」と解する。事物のうちに堅固なものを見出さない、というのは、つまり〈空〉であるということである。〈空〉の思想は、最初期にまでたどることができるのである。



6

内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した※6.1修行者は、
yassantarato na santi kopā, itibhavābhav atañca vītivatto;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼に、諸々の〔心の〕動乱が、〔心の〕内から存在しないなら、しかして、かく有り〔かく〕無し〔の思い〕を超克した者であり、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


中村註6.1:世の栄枯盛衰を超越した
原語の意義は、恐らく「〈このようになりたい 、あのようになりたい〉ということを超越した」の意。



7

想念※7.1を焼き尽して余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、
yassa vitakkā vidhūpitā, ajjhattaṁ suvikappitā asesā;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼の、諸々の思考(尋)が破砕され、内に残りなく善く整えられたなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


中村註7.1:想念
ここで「想念」(vitakkā 複数)というのは、思慮し思考することである。心の静まった修行者には、思慮分別はいらない、というのである。



8

走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく※8.1
すべてこの妄想※8.2をのり超えた修行者は、
yo nāccasārī na paccasārī, sabbaṁ accagamā imaṁ papañcaṁ;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、行き過ぎず、戻り過ぎず、この戯論(分別妄想)の一切を超え行ったなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


中村註8.1:走っても…遅れることもなく
註によると、努力精励しすぎることもなく、また怠けることもなくの意。つまり中道の思想を説いている。

中村註8.2:妄想
原語は papañca であり、この語は漢訳仏典ではよく「戯論」と訳される。ヴェーダーンタ哲学では、世界のひろがりの意味。しかし原始仏教聖典では「妄想」の意味か。



9

走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく、
「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、
yo nāccasārī na paccasārī, sabbaṁ vitathamidant i ñatva loke;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、行き過ぎず、戻り過ぎず、「これは、一切が真実を離れるものである」と知って、世にあるなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。



10

走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく、
「一切のものは虚妄である」と知って貪(むさぼ)りを離れた修行者は、
yo nāccasārī na paccasārī, sabbaṁ vitathamidant i vītalobho;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、行き過ぎず、戻り過ぎず、「これは、一切が真実を離れるものである」と、貪欲を離れた者となるなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。



11

走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく、
「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、
yo nāccasārī na paccasārī, sabbaṁ vitathamidant i vītarāgo;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、行き過ぎず、戻り過ぎず、「これは、一切が真実を離れるものである」と、貪り(貪)を離れた者となるなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。



12

走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく、
「一切のものは虚妄である」と知って憎悪(ぞうお)を離れた修行者は、
yo nāccasārī na paccasārī, sabbaṁ vitathamidant i vītadoso;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、行き過ぎず、戻り過ぎず、「これは、一切が真実を離れるものである」と、怒り(瞋)を離れた者となるなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。



13

走っても疾(はや)過ぎることなく、また遅れることもなく、
「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者※13.1は、
yo nāccasārī na paccasārī, sabbaṁ vitathamidant i vītamoho;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、行き過ぎず、戻り過ぎず、「これは、一切が真実を離れるものである」と、迷い(痴)を離れた者となるなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


中村註13.1:迷妄を離れた修行者
以上の四つの詩句においては、それぞれ貪り(lobha)または愛欲(rāga)、憎悪(dosa)、迷妄(moha, 愚癡)という三つの煩悩は、人間にとって根本的なものであるから、古来の仏教の学問では「 貪(とん)(じん)(ち)の三毒」という。rāga は、愛し、むさぼり、執著すること、dosa は(1)嫌悪し、次に(2)憎悪し、さらに(3)打ちのめし害すること、moha とは、真実のすがたを知らず、迷ってぼうとしていること。



14

悪い習性※14.1がいささかも存することなく、悪の根を抜き取った修行者は、
yassānusayā na santi keci, mūlā ca akusalā samūhatāse;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼に、何であれ、諸々の悪習(随眠)が存在せず、しかして、諸々の善ならざる根元(不善根:貪・瞋・痴の三毒)が完破されたなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


中村註14.1:悪い習性
anussaya. 潜在的に潜んでいる性向である。



15

この世に還(かえ)り来る縁となる〈煩悩から生ずるもの〉をいささかももたない修行者は、
yassa darathajā na santi keci, ora"m āgamanāya paccayāse;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観]
彼に、何であれ、諸々の懊悩から生じるものが存在せず、〔迷いの〕此岸に帰り来るための諸々の縁が〔存在しないなら〕、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。



16

ひとを生存に縛りつける原因となる〈妄執(もうしゅう)から生ずるもの〉をいささかももたない修行者は、
yassa vanathajā na santi keci, vinibandhāya hetukappā;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼に、何であれ、諸々の〔欲の〕林の下生えから生じるものが存在せず、〔迷いの〕生存の結縛のための諸々の因となる妄想が〔存在しないなら〕、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。



17

五つの蓋(おお)※17.1を捨て、悩みなく、疑惑を超え、苦悩の矢※17.2を抜き去られた修行者は、
yo nīvaraṇe pahāya pañca, anigho tiṇṇakathaṁk atho visallo;

この世とかの世とをともに捨て去る。
so bhikkhu jahāti orapāraṁ,
−−蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
urago jiṇṇamivattac aṁ purāṇaṁ.

[正田大観訳]
彼が、五つの〔修行の〕妨害(五蓋:欲の思い・加害の思い・心の沈滞と眠気・心の高揚と悔恨・疑惑の思い)を捨棄して、煩悶なく、懐疑を超え、矢を抜いた者となるなら、その比丘は、此岸と彼岸を捨棄する。−−蛇が、老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


中村註17.1:五つの蓋(おお)
その原語(nīvaraṇā pañca)は漢訳仏典では「五蓋」と訳される。貪欲と、いかりと、こころのしずむことと、こころのそわそわすることと、疑いとをいう。

中村註17.1:苦悩の矢
欲情(rāga)、嫌悪(dosa)、迷妄(moha)、高慢(māna)、悪い見解(diṭṭhi)の五つを言う。







[日本語訳に関する考察]

中村元訳と正田大観訳を比較してみると、正田大観訳『小部経典 第一巻』の方が、原文(パーリ語)に忠実に、ほぼ逐語訳しているのが分かる。

また、中村元氏ができるだけ仏教用語を避けているのに対して、正田大観氏は正統な仏教用語を適宜用いている。それゆえ、この仏典から初期仏教(テーラワーダ)を学ぼうとされる方にとっては、正田大観訳の方が有益であろう。一方、素朴な仏教を感じたい方には、宗教家ではなく学者であった中村元訳が肌に合うかもしれない。

中村元氏いわく、

「この『ブッダのことば(スッタニパータ)』の主要部分はもともと詩よりなり、読まれるものではなくて、吟詠されたものであった。インドの詩としては簡潔なものであるが、頭韻を踏んだり、押韻や語呂合わせさえも見られる。もとの詩の美しさを伝えることは不可能であるから、むしろ意味を伝えるほうに重点を置いて、全体を散文の口語文で訳出した。… 特に訳文は、かりに耳で聞いても理解しうるものであるように心がけた。もともとインドでは耳で聞いて口づてに伝承されていたものであるから、この性格をやはり保持したいと思った。耳で聞いても解らぬような漢訳語を使うことは、およそ原典の精神から逸脱している。インドの原語を漢字で音写することは、原則として廃止した。この翻訳は簡潔で解りやすいものであるようにと目ざした。世のいわゆる多くの仏典翻訳とは色調の異なることに読者は気づかれるであろう。… 仏教特有の単語は絶無といって差し支えない(中村元『ブッダのことば―スッタニパータ』解説より引用)

正田大観氏いわく、

「そもそも、翻訳なるものは、いかなる天才碩学の手によるものであれ、完全無欠のものとして提供されることはありません。言葉そのものの限界もあります。ましてや、一切知者たる釈尊が残された言葉です。それをそのまま原意を損なわず、他の言語に移し替えるためには、まさに、釈尊と同じレベルの力量が求められるからです。… 訳し手としては、おのれの限界をわきまえ、常に最善を尽くす姿勢を貫くしかなく、読む側としては、書いてあることを鵜呑みにせず、その正邪を自らの頭で吟味し、腑に落ち納得するまで、文字との格闘を続けるしかありません。である以上、パーリ三蔵の和訳テキストは、一つに限らず、できるだけ多くの翻訳が世に提供され、学びのための資糧となるべきなのです。複数のテキストを比較考量することで、より原典に肉薄した理解が得られるからです(正田大観『小部経典 第一巻』序文より)