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2016年4月28日木曜日

アメリカ人の唱える「般若心経」



話:室謙二








アメリカ人にまざって座禅をすると、座禅のあとのサービス(仏像にむかってお経を唱える)のときに、英語で印刷されている紙がくばられて、それをみんなで唱える。

表には

The Maha Prajna Paramita Hrdaya Sutra

とあって、Sutra というのはお経だから、これは何かお経の英語訳であることがわかった。ところがその裏が不思議なもので、

MU MU MYO JIN NAI SHI MU RO SHI YAKU MU RO SHI JIN MU KU SYU METSU DO

と意味不明の言葉がならんでいる。それをまたアメリカ人がアメリカ語風発音とイントネーションで唱えるから、いよいよ何がなんだか分からない。



最初に気に入ったのは、その裏のページのわけの分からないやつではなく、表ページの英語のお経の次のようなところです。


No feelings,

no perceptions,

no impulses

no consciousness;



No eyes,

no ears,

no nose,

no tongue,

no body,

no mind;



No color,

no sound,

no smell,

no taste,

no touch,

no object of mind;



No realm of eyes

and so forth until

no realm of min consciousness;



No ignorance

and also no extinction of it,

and so forth until

no old-age and Death

and also no extinction of them;



No suffering,

no origination,

no stopping,

no path;



No cognition,

also no attainment.


これを木魚とときどき入るカネの音で、お経のリズムとイントネーションで唱えるときは気分が高揚した。



訳すと、こんな風になるんじゃないかな。


感覚はない。
No feelings,

知覚というものもない。
no perceptions,

衝動もない。
no impulses

意識さえもない。
no consciousness;



眼はない。
No eyes,

耳はない。
no ears,

鼻はない。
no nose,

舌もない。
no tongue,

体もない。
no body,

心もない。
no mind;



色はない。
No color,

音はない。
no sound,

においはない。
no smell,

味もない。
no taste,

感触もない。
no touch,

心の対象もない。
no object of mind;



眼の領域はなく、
No realm of eyes

意識の領域さえない。
and so forth until
no realm of min consciousness;




無知はない。
No ignorance

無知がなくなることもない。
and also no extinction of it,

また、老いも死もなく、
and so forth until
no old-age and Death


老いと死がなくなることもない。
and also no extinction of them;



苦しみはない。
No suffering,

苦しみのもとはない。
no origination,

苦しみがとまることもない。
no stopping,

苦しみを制する道はない。
no path;



知るということもなく、
No cognition,

得るということもない。
also no attainment.



何度読んでも、実に面白い。人は誰だって悩みや苦しみがあって、ぼくにもあります。でもこの英語のプレーズを、もうやけになって大声で唱えると、何かが分かったような気持になる。

ここがカリフォルニアで、まわりがアメリカ人で、畳の上にみんなで座り、ブッダのまえで、木魚とカネのリズムで、私という日本人が英語のお経を唱えるというのは、それはちょっと奇妙な環境ではあるが、ともかく

「感覚も知覚も、衝動も意識もなく、眼も耳も鼻も舌も、体も心もなく、色も音もにおいも味も感触も、心の対象もないし、また無知も老いも死もなく、無知と老いと死のなくなることもなく、苦しみもなく、苦しみがなくなることもなく、知ることもなく、得ることもない」

のだから、すべてが「ない」ので、どうやら「ないこともない」らしいので、そうするとつまり人間と宇宙の深いところで、このままでいいことになる。だから少々環境がおかしくても、そんなことは関係ないのである。

この英語のお経には大変なこと、何か根源的なことが書いてあるなあ、と感心した。



そして何回か唱えるうちに、裏のページにわけの分からないローマ字の羅列のなかから、

SHIKI SOKU ZE KU

KU SOKU ZE SHIKI

というのが読み取れて、なんだこれは

色即是空

空即是色

ではないかと漢字が浮かんできた。それなら知っている。



それでそのとき一緒に座って、英語と何語か分からないローマ字記述のお経を唱えていた日本人女性を選んで、

「アノー、これは有名な般若心経でしょうか」

と聞いて、そんなことも知らないで唱えていたのか、とあきれられた。









引用:アメリカで仏教を学ぶ (平凡社新書)



2014年10月22日水曜日

般若の心、人の心 [足立大進]



〜話:足立大進〜


般若心経のなかに

菩提薩埵(ぼーだいさったー)
依般若波羅蜜多故(えーはんにゃーはーらーみーたーこ)
心無罣礙(しんむーけーげー)
無罣礙故(むーけーげーこ)
無有恐怖(むーうーくーふー)

とあります。「菩提薩埵(ぼだいさった)」は仏教において成仏をもとめる修行者です。「般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)」は智慧の完成されたもの、お悟りを開いた人の智慧です。「無罣礙(むけいげ)」の罣の字の、冠の部分「罒」は「あみがしら」と言いまして、網を張った状態を示すことから、「引っかかる」ということです。

 ですから、この一文は「仏教の修行者は、真実の智慧によって、心に引っかかりが何もない。だから何も怖いことはない」と言っています。



 薬師寺にいらした故・高田好胤さんは、よく次のようにお説きになった。

「人間の心は、とらわれやすい心、こだわりやすい心、かたよりやすい心。般若心経の心は、とらわれない心、こだわらない心、かたよらない心」


 王陽明の有名な言葉に

山中の賊を破ることは易(やす)く
心中の賊を破ることは難(かた)し

とあります。山の中の賊を退治するにはいくつも方法があり易しい。ところが、心の中の賊を破ることはなかなか難しい、と。


 とらわれやすくて、こだわりやすくて、かたよりやすい心。

 人間の心というものは、そういうもの、と初めから諦めていたら、皆さんの「心に引っかかっているもの」も、少しは楽になる。「ま、そんなこともあるわいな」と、心の引っかかりを大目に見てやってください。



出典:足立大進「即今只今