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2016年5月17日火曜日

「雪いとど深し 花いよよ近し」 [柳宗悦]



雪 イトド深シ

花 イヨヨ近シ


柳宗悦『心偈』第60



雪が烈しく寒さが厳しい時こそは、花の季節がいよいよ近附いたと思え。

この世のことは、ただ暗さのみではあるまい。丁度陰が濃ければ濃いほど、反面に光も強いことを証拠立てているようなものである。暗は明に裏附けられる。

雪の頃ともなれば、花は既に吾々を待っているのである。そのしんしんと降り積もる雪の中から、花の季節は刻々に近づいてくるのである。苦難の大は、希望の大を約束する。






引用:南無阿弥陀仏―付・心偈 (岩波文庫)



2016年5月10日火曜日

「古し泉は 新し水は」 [柳宗悦]



古シ 泉ハ

新シ 水ハ

柳宗悦『心偈』第55



古い古い泉ではあるが、湧き出る水に、いつだとて、古さがあったことはない。

古さと新しさとは、とかく相争うが、新しさも、やがて古くなる新しさなら、本当の新しさとはいえまい。古さを過去のものというが、本当の新しいものには古今を貫く新しさがあろう。古くして、しかも新しいものにこそ、本当の新しさがあろう。

古人はこれを「永遠の今」といったが、この「永遠の今」には、古今の別はなくなる。新しさに対する古さ、古さに対する新しさ、そんなものに、どれほどの値打ちがあろう。永劫の値打ちがあるものは、時間の差別を許さぬ。だから古くして、しかも新しいのである。古からずして、新しいようなものは、未だ新しいとはいえぬ。

流行と新しさとは、本質においては、全く違う。流行の生命は短い。真に新しいものは、時間に流されることはない。一時忘れられても、また新しく甦ってこよう。死がないからである。






引用:南無阿弥陀仏―付・心偈 (岩波文庫)




2016年5月8日日曜日

「月は映りき 水を染めで」 [柳宗悦]



月ハ映(うつ)リキ

水ヲ染メデ


柳宗悦『心偈』第40



『心経』に「不生不滅、不垢不浄、不増不減」という言葉がでてくる。仏教が示す一大真理だといえる。西洋では不滅を説くが、不生はめったに説かぬ。

縁があると、月は水にその姿を映す。だがどんなに明らかに映ったとて、水は染まらぬ。また縁で雲に覆われると、何も残らぬ。水に宿る月は映像で、ものを生じもせず、また滅しもせぬ。映ったとて、水にものは加わらず、去ったとて、水からものは減ぜぬ。水に映っても、水は汚れもせず、また浄くもならぬ。

ここを「空(くう)」と仏者はいうのである。映るものは縁に従う。縁であるから、映る姿に自性(じしょう)はない。経はこれを「無我」という。これが分かると、凡ての二元は、そのままで、吾々を縛る力を失う。縛られずば「不二」に生きる。

仏者はよくこの真理を語るのに鏡の譬(たと)えを用いた。不二を見つめたいためである。「色即是空、空即是色」という言葉も、ここを見てのことである。



引用:南無阿弥陀仏―付・心偈 (岩波文庫)




2016年5月6日金曜日

「まず見よ、かくて知れ」 [柳宗悦]



見テ 知リソ

知リテ ナ見ソ

柳宗悦『心偈』第43



「ナ見ソ」とは「見るな」という否定語。ここで「見(けん)」というのは、直観の意味である。「知」というのは概念のことである。まず直観を働かせて得たものを、後から概念で整理せよというのである。だからこれを逆にして、概念から直観を得ようとしても、無駄だというのである。

「知るより前に見よ」

「知ることを先にして、見ることを後にしてはいけない」

と警告するのである。



「見る」とは直下に見ることである。「知る」とは、外から眺めて知ることである。見(けん)からは知が出るが、知から「見」は出ぬ。仮に出たところで「知の範囲を出ない見」というにすぎぬ。

直観は凡てを解放するが、知識は凡てを限定する。だから

「まず見よ、かくて知れ」

というのである。知ってから見ると、見方は「知」に邪魔されて、純に見られなくなる。「見」を「知」でさまたげてはならない。「知」を「見」からのみ出せ。



「信」と「知」との関係もまた同じである。知識から信心は出て来ぬ。知る前に信ぜずして、何を知り 得、どれだけを知り得よう。






引用:南無阿弥陀仏―付・心偈 (岩波文庫)



2016年4月30日土曜日

「急げど水は 流れじ月は」 [柳宗悦]



急ゲド 水ハ

流レジ 月ハ

柳宗悦『心偈』39則


激しく水が流れている。皓々(こうこう)として月が水面に映っている。だが、水は急いで流れはするが、月はその急流の中に、美しくその姿を止めている。

昔、禅の坊さんたちは、こういう場面を見て、はたと思い当るものがあって、よく詩偈(しげ)を作った。激流はこの世にまつわる葛藤の姿と見てもよい。諸行無常で、一時も同じ姿には止らぬ。その流れに姿を映しながら、少しも流されない月こそは、無碍(むげ)の心そのものの姿ではないか。

世に交わって、交わらないもの、有に棹(さお)さして、有に沈まないもの、「碍(さわ)りなき」その姿こそ、この月の面影ではないか。その月に、解脱の姿を見つめるのである。



引用:南無阿弥陀仏―付・心偈 (岩波文庫)



2016年4月28日木曜日

心偈 [柳宗悦・棟方志功]



心偈
こころうた

柳宗悦





跋文

日本には三十一字の短歌があるし、十七字の俳句があるが、私にはもっと煮つめた短いものが望ましく思えた。もとより詩には長さの制約はないのだが、長いものよりも、短くて含みがある方が、何か東洋的な心を伝えるのによい。実際そういう心の傾向が、日本で短歌を実らせ、更に俳句へと熟させたのだと思える。

私が更に短いものを求めるに至ったのは、もともと品物の箱書をたのまれたのが縁で、それを初めは物偈(ぶつげ、ものうた)と名付けた。それはやがて心偈(こころうた)でもあるべきなのだが、段々品物の箱書とは別に、新たに自由に短い句を作って、自分の心境を述べるに至った。

もっとも十七字をなすものがニ、三はあるし、多少の例外もあるが一番短いのが六、七字、多くは十字前後である。別に一定の長さは決めないし、七五調にも限られていない。それに必ずしも季節によってはいない。むしろ時間を越えた世界に心が惹かれた。今までこういう短句を書いた人があるかどうか知らぬが、私はこれを偈(げ)と呼び、また和風に小偈(さうた)とも呼ぶことにしている。









(一)仏偈



1

今日(きょう)モアリ
オホケナクモ



2

御仏(みほとけ)イヅチ
汝レハ イヅコ



3

都イヅチ
問ヒノ サ中



4

(さ)スヤ都(みやこ)
見シヤ茲(ここ)



5

(さ)スヤ 西ヲ
ドコトテ 西ナル



6

開カレツルニ
(たた)クトハ



7

追フヤ 仏(ほとけ)
追ハレツルニ



8

想へ誰(た)
御仏(みほとけ)ノ マラウドト



9

見初(みそ)ムトナ
弥陀(みだ) コノ吾レヲ



10

弥陀(みだ)
六字ノ 捨艸(すてぐさ)



11

トマレ 六字



12

(うれ)シ 悲シノ
六字カナ


嬉シ 悲シノ 六字カナ



13

六字六字ノ
捨場(すてば)カナ



14

六字トナ
無字ナルニ



15

ドコトテ 御手(みて)
真中(まなか)ナル



16

真向(まむ)ケヨト
(い)ヒ給フ



17

南無阿弥陀
イトシヅカ



18

(ひじり)云ヒツル
棄テヨト



19

便(たよ)リアリ
(ほとけ)イト忙(いそが)シト



20

仏トナ
名ナキモノノ
御名(みな)なるに



21

沙門(しゃもん)法蔵(ほうぞう)
捨テ身ナル



22

アナフシギ
御仏(みほとけ) 吾ガヨハヒ



23

持ツヤ ヒネモス
オロガム幸(さち)






仏法三意

一 今ヨリ ナキニ

二 茲(ここ)ニゾ アルニ

三 只(ただ)コソ ヨキニ






跋文(つづき)



今度右の偈を六十首ほど選んで、棟方が板絵(いたえ)にしてくれたのをしおに、自註(じちゅう)をつけて上梓することになった。

上梓するに際し、巻末にこの自註自解を添えたが、実は註など要らずもがなである。誠に蛇足でもあるので、もとより読者は己れなりに、自由に解して下さってよいのだが、句の意味を余り度々尋ねられるので、かくかくの気持を偈にしたのだということを記すことにしたのである。

それに東洋的なものの考え方をせぬ近頃の人たちには、あるいは通じ難い点もあるかと思われ、幾許(いくばく)かの説明も何かの手助けになるかもしれぬ。自分としては、この集は、私の長い心の遍歴(宗教的真理への思索)の覚え書きだともいえる。

だから同じような問題に想いあぐむ人々に、多少の示唆ともなれば有難い。もとよりここに盛られた想いは、幾許かの真理への私の領 解(りょうげ)ではあっても、何も説法ではなく、むしろ自分を練磨するための自省自戒のために、時折記し始めたのがその発端であった。









(二)茶偈



24

一フクメセ
茶衣(さぎぬ) メサデ



25

一フク イカガ
茶モ忘レテ



26

茶ニテアレ
茶ニテナカレ



27

茶ノミ
茶カハ



28

茶モ道
棄ツル道



29

(た)ツヤ茶ヲ
(さま)ナキ様ニ



30

サバクヤ心
袱紗(ふくさ)サバキツ



31

如何ナルカ 是(こ)レ茶
陀羅尼(だらに)






跋文(つづき)



私がここで比較的純な古語を多くとり入れたのは、なるべく個人の言葉を離れたいという意向によったのである。偈であるからには、誰にも共有の言葉でありたい。私の声などでない方がよい。それには伝統のある和語が、相応(ふさわ)しいと思える。

それに古語は一種の風韻をかもし出すので、詩の性格としては適当だと思われた。凡てに東洋的色彩が濃いのは東洋の心を輝かすことこそ、吾々の悦ばしい任務だと思われるからである。








(三)道偈



32

今ヨリ ナキニ


今ヨリ ナキニ



33

ナ 云ヒソ
明日(あす)



34

捨テ身ナレ
(く)イジ ヨモ



35

(さち)イトド
ムクイ 待タネバ



36

(あや)エガケ
文ナキマデニ



37

(あや)アリテ 文ナキ
(これ)ナン文



38

何ヲカ払フ
払フガ塵(ちり) 払ハヌガ塵



39

急ゲド 水ハ
流レジ 月ハ



40

月ハ映(うつ)リキ
水ヲ染メデ



41

魚ハ游(およ)ゲド
水ハ跡ナキ



42

今 見ヨ
イツ 見ルモ



43

見テ 知リソ
知リテ ナ 見ソ



44

ナ タジロギソ
一人(ひとり) ヒトリカハ



45

ナドテユタケシ
貧シサ ナクバ



46

到リ得バ
事モナシ



47

糸ノ道
(のり)ノ道



48

色ソメツ
心ソメツ



49

行キナン
行クヘ知ラデモ


行キナン 行クヘ知ラデモ



50

打テヤ
モロ手ヲ



51

母ヨトナ
声ヲ待タジナ
(な)ガ母ハ



52

歩キナン
大道(おおみち)



53

(とびら)アリ
入ルヤ 出(い)ヅルヤ






踏マレツモ

路ヲ残スヤ

花ソエテ






跋文(つづき)



終りにいう。かつてこれらの心偈の一部は、自ら書いて、自ら装案して表具に仕立て、展観し、大勢の方々の志に委(ゆだ)ねたが、各地に離散してしまったので、偈集としてここに一冊に纏(まと)めておくのもよいかと思えた。たまたま浜田の示唆もあって、棟方がこれらの偈の大部分を板絵にしてくれた。

当時棟方は国際展等あって多忙を極めていたのであるが、早朝に起床して毎朝数種ずつを刻んでくれたという。それが十種ほどになる毎(ごと)に、奥さんが私の病床に届けてくれた。棟方の作としては、大変静かで、色も穏やかで有難い出来栄(できば)えであった。

原品はいずれ数双(すうそう)の小屏風(こびょうぶ)に仕立てて民藝館に納める。その後更に十首ほど追加され、これを棟方板画集としても出版したい志を起こした。しかし長い病中とて、何事も私自身ではなすことが出来ず、原稿の清書整理その他一切の事務を、例により浅川園絵(あさかわ・そのえ)さんの懇切な助けに委ねて、一冊に纏(まと)める事が出来、ついに上梓するを得たのである。

製版はこれもいつもの如く西鳥羽泰治(にしとば・たいじ)氏に、本文印刷は葛生勘一(くずう・かんいち)氏のお世話になった。また何かと、この出版について心を配ってくれた浜田庄司、棟方志功のニ友にも厚い感謝を捧げたい。甲種の表紙は紅柄(べんがら)染めの葛布(くずふ)で、外村吉之介(そとむら・きちのすけ)の往年の製作にかかる。乙種の方は雲州の布目紙。安部栄四郎君の技。













(四)法偈



54

今日(きょう)(そら)
晴レヌ


今日 空 晴レヌ



55

古シ泉ハ
(あたら)シ 水ハ


古シ泉ハ 新シ 水ハ



56

泉タバシル
トハニ 新(あらた)



57

冬ナクバ
春ナキニ


冬ナクバ 春ナキニ



58

冬 キビシ
春ヲ含(ふく)ミテ



59

カヲルヤ 梅 ケ香(か)
雪ヲ エニシニ



60

雪 イトド深シ
花 イヨヨ近シ


雪 イトド深シ 花 イヨヨ近シ



61

(ふき)ノタウ ホヽエム
雪ニモ メゲデ



62

吉野山
コロビテモ亦(また) 花ノ中


吉野山 コロビテモ亦 花ノ中



63

秋サブ
夏ヲ経テ


秋サブ 夏ヲ経テ



64

月一つ
水面(みのも)ニ宿(やど)
百千月(ももちづき)



65

(一)
春 花ニエミ
夏 日ヲアホギ
(ニ)
秋 月ニスミ
冬 雪トヤスム


春 花ニエミ 夏 日ヲアフギ

秋 月ニスミ 冬 雪トヤスム



66

(一)
松 根強シ 枝聳(そび)
(ニ)
竹 幹直シ 陰清シ
(三)
梅 香リミツ 雪フルモ


梅 香リミツ 雪フルモ



67

花 見事ニサキヌ
誇リモセデ
ヤガテ ウツロヒヌ
ツブヤキモセズ



67’

花散リヌ
(ただ)散リヌ
事モナシ



68

見ルヤ君
問ヒモ 答(こた)ヘモ
絶ユル世ノ 輝キヲ



69

之モ亦(また)
之モ サンゲノ
仕事カナ






川流ル
(のり)ゾ流ル


桜散ル
舞ヒヲ手向(たむ)ケツ
仇風(あだかぜ)






跋文(つづき)



(ちなみ)にいう。収めた七十首ほどの偈は、別に一貫した順次はない。ただ内容によって「仏」と「茶」と「道」と「法」とに類別したに過ぎない。

それ故読者は、どの頁(ページ)を繰って下さってもよい。飽きたら閉じ、気が向いたら随所を開いて下さってよいのである。句はいずれも極く短いから、さして読者の時間を障(さまた)げることもないかと考える。



昭和三十四年春

宗悦

病床にて



柳カナ

ユガミナガラニ

風ニマカセツ













2016年4月25日月曜日

柳宗悦『南無阿弥陀仏』口絵



柳宗悦『南無阿弥陀仏―付・心偈 (岩波文庫)』より









口絵略註



聖衆(しょうじゅ)来迎図(らいごうず)


聖衆来迎図


阿弥陀如来が二十五菩薩を従え、来り迎える図である。

来迎の思想は『無量寿経 』上、第十九願にもとづく。

経にいう、

「設(たと)ひ我れ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発(おこ)し、諸々の功徳を修し、至心にしてその人の前に現ぜずんば、正覚を取らじ」

この図で最も著名なのは慧心僧都(えしんそうず)筆と伝える大幅二十五菩薩来迎図である。同じ題材であるこの一枚は、扇面地紙に刷られた版画の上に、手彩色を施したものである。洛陽称名寺とあるから、京都にある浄土宗の称名寺と呼ぶ寺から信徒たちに摺って贈られたものと思える。

左には建物、前には蓮華の池、空には日。今し雲に乗って阿弥陀如来が、二十五の聖衆を従えて降り来り、妙音を奏でつつ、迎接しようとする場面である。小幅であるが構図極めて美しく、色調もまた浄く深い。最も和風に熟し切った来迎図の一つといえよう。

時代は足利に遡ろう。宗教画として、美しく、誰からも讃えられる一枚であろう。人間の宗教的情操が生んだ最も美しい光景の描写だといえる。










金剛 阿弥陀如来


金剛 阿弥陀如来


阿弥陀仏の彫像も画像も無数にあろうが、私はその中から最も質素な一体を選んでここに掲げる。北国の産というが、それも田舎の名もない仏師が作ったものと思える。

阿弥陀仏は慈悲の仏であるから、優しさを連想し、その表現はややもすると甘く柔らかすぎる嫌いが見える。しかしこの一像には、そんな甘さはなく、もっと真摯で素朴である。田舎の人の信心をまる出しにしたような感じを受ける。それがためか下根(げこん)の人間には、一層親しさが湧くのを覚えるであろう。

黄金の光もなく、今は黒々として、さながら鉄仏の如く見える。丈はわずか七寸ほどで、持仏としたい心をそそる。民間の貧しい仏体ではあるが、かえって彫刻の正脈がここに活き活きしているのを感じる。

時代は鎌倉期にも遡るであろう。そうなら法然、親鸞、一遍の諸上人が在世の頃である。






大津絵(おおつえ)阿弥陀如来


大津絵 阿弥陀如来


寛文のころ桃水(とうすい)和尚が大津で乞食僧となって、軒下に仮りの宿をしていた時、馬子(まご)が来て、坊さんのいる所に仏がないのは、キリシタンと間違えられるからといって、一枚の粗末な仏画を持ってきて掛けた。

和尚はそれに賛(さん)をして、


狭けれど 宿を貸すぞや 阿弥陀どの

後世(ごせい)をたのむと 思召(おぼしめ)すなよ


この一軸は、その当時の、大津絵「阿弥陀如来」を示すものである。今日稀により残らぬ初期の作で、一番貧乏な者たちが、家の仏壇に掛けた画像である。何も名だたる名画ではないが、名画以上に信心が素朴にまともに示されているともいえよう。

おそらく真宗系の阿弥陀如来で、いわゆる「お真向(まむ)き様」であろう。元来は安もの故、描表装(かきびょうそう)であった。半紙を縦に二枚つぎした大きさである。私はこの図を見るごとに、西洋中世時代の聖画が、如何にこれに近いものであるかを想い起す。










版画 阿弥陀如来


版画 阿弥陀如来


念仏宗は民衆の仏教であるから、私はなるべく貧しい庶民の手に渡った如来像を選ぶことにした。それ故必然版画を加えるべきであろう。一番安い仏画の一つだからである。

六字は文字のみならず、絵名号(えみょうごう)と呼ぶものがあって、文字の中に念仏の教えを絵説きしたり、また名号で仏体を組み立てたりしたのがある。この一枚もそのよい一例であろう。それに如来の顔が柔和で親しみが濃く、こんな画像も庶民の信心には交わりが深かったことを思うと、おろそかには出来ぬ。

原図は丈二尺ばかりの小幅で、香や蝋燭の烟(けむり)にくすぶって既に黒ずむ。色も何もない墨摺(すみずり)である。江戸中期の作品だと思えるが、版画として、むしろこういう簡素なものを正脈に考えたい。






六字名号 その一


六字名号


今日まで阿弥陀仏の六字が碑に刻まれた数は大変な量に上るであろう。随分古い時代から現在にも及ぶ。興味深いことには、それが実に様々な書体となって現れ、中から選べば充分に見事な書帖(しょじょう)を編むことが出来よう。書道の上からも特筆すべきことで、日本でのみ発達を見た書風に沢山会える。

ここに揚げる一枚は、手許(てもと)にあった材料から選んだものだが、幸い寛文十二年(1672)の年記があるので、その時代を偲(しの)べる。かつて鳥取市観音院(かんのんいん)を訪れたみぎり、半(なかば)土中に埋(うず)もれていたのを、掘り起こして拓(たく)に取ったのである。「南」の頭字を欠くが、蓮弁(れんべん)の下には更に「法界」の二字が刻んであった。見事に模様化した書体ではないか。何か信心の暮しにも豊かなもののあったことを想わせる。

名号の石碑は時代が遡るにつれ、古格があって見事な書体を見るが、これが最も盛んに建立されたのは、やはり江戸時代であろう。これも仏法が民間に厚く親しまれた証拠である。






六字名号 その二


六字名号


この一軸は信州松本市外の玄向寺(げんこうじ)に建っている碑からとった拓本である。側面に天保十一年(1840)の年記銘があり、また表には播隆(ばんりゅう)の二字があるから凡ては明らかである。

播隆上人は浄土宗の徳僧で、かつて槍ヶ嶽(やりがたけ)に登山の道を開き、そこで苦行をした人である。実に信州の日本連峯登昇の開拓者であった。







見ると文字に一種の模様化があって、公の美しさに熟したものといえよう。この種の様式化は他にも見かける。かかる名号碑として就中(なかんずく)有名でありかつ数の多いものに徳本(とくほん)上人(1789-1819)の筆跡がある。遍歴のみぎり有縁の地に、名号の碑を建立して、衆生に仏縁を結ばしめた。彼もまた浄土宗の徳僧であった。

(ちなみ)にいう、六字の名号は何も石碑のみではなく、金工にも陶器にも染物にも木工にも、あるいは刻まれ、あるいは描かれ、あるいは染められ、深く民衆の日々の暮らしに結ばれていたのである。






法然上人 彫像


法然上人 彫像


これは鎌倉期のもので、法然上人の肖像としては現存するもののうち最古のものだといわれている。画像では京都二尊院(にそんいん)のものが有名であるが、既に古(ふ)りて鮮明ではない。

この彫像は陸前国加美郡(かみぐん)にある往生寺の本尊として祀られているものである。上人が七十一歳の折の寿像というから、七百余年を経たものである。寺伝では同寺の開基金光(こんこう)上人が将来せられたものだという。寺は今臨済宗に属するが、昔は浄土宗であったことは言うを俟(ま)たぬ。

後年の上人像とは多少は異なるが、いずれにしても円満な上人の風貌をよく示すものといえよう。丈二尺三寸七分の木彫、座像。明石無量光寺の小川竜彦氏より写真を借りることが出来た。










親鸞上人 彫像


親鸞上人 彫像


画像で有名なものは京都本山にある「銀の御影(みえい)」や「安城の御影」やまた三州桑子(さんしゅうくわご)の妙源寺にある一図であるが、彫像は、古いものは少ないようである。

中で越中東礪波郡(ひがしとなみぐん)平村大島の称名寺に安置されている一体がある。庄川(しょうかわ)の対岸で淋しい田舎であるから、今まで知る人も多くはなかった。しかし彫刻としてなかなか優れ、将来その値打ちはもっと評判を得るであろう。

寺伝では蓮如上人の刻むところというが、何も証拠はない。もっとも上人の足跡の及んだ地方であって、この彫像が同じ足利期のものであることは疑いを容れぬ。

丈二尺ほどの木彫座像である。










一遍上人 彫像


一遍上人 彫像


昔から伝わった一遍上人の像は、有名なものが二体あった。

一つは兵庫の真光寺の本尊となっていたが、惜しくも戦災の犠牲となって烏有(うゆう)に帰した。他の一つは伊予国道後町(どうごまち)の宝厳寺(ほうごんじ)にある木彫で、等身に近い。遊行しつつある念仏の姿である。ここに掲げたものはその上半身である。

上人の画像は藤沢の清浄光寺のと京都の歓喜光寺に伝わるものとが最も有名である。前者は寿像かと思われるが、画像がくすぶり落剝(らくはく)があって、甚だ惜しい。しかし彫像画像二つともに共通する相貌は、苦難の遍歴による痩せたる頬、鋭き眼、突き出たる顎、凡て鋭利な孤高の性格を示すものといえよう。この写真はかつて宮崎安右衛門氏により贈られたものである。

(ちなみ)にいう、有名な『一遍聖絵(ひじりえ)』(六条縁起)に描写された幾つかの上人の姿も、小図ではあるが凡てよく上人の相貌を表現したものといえよう。










すなほなる 柳の枝を 見るにつけ

ゆがみながらに 南無阿弥陀仏

貞信尼(ていしんに)








引用:南無阿弥陀仏 付 心偈 (ワイド版 岩波文庫)