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2016年5月26日木曜日

ナラテボーの「影」と「大笑い」




話:プラユキ・ナラテボー





最後に「意」、すなわち心についてだが、人間の心の闇、とりわけシャドウ(影)への取り組みを重要視するようになった。

影(シャドウ)とは、自我構造内部に組み込みきれずに疎外された自身の一部である。人は通常、意識において、固定した自己イメージを選択している。そのイメージに対立し、意識によって許容されない部分は無意識に抑圧され、生理的に受けつけられない人物として夢に登場してきたり、現実の人物に投影されたりする。すなわち、自己イメージと合わないがゆえに、「私ではないもの」として、二人称化、三人称化されてしまったものが影(シャドウ)である。

たとえば、「怒り」が内部に生じてきたとき、それを自身の「怒り」と自覚できれば、その時点で私に組み込めたので「影」化することはない。しかしこの時点で「怒り」を無視したり、抑圧したりすると、その瞬間に怒りは「影」化し、たとえば、親や上司など、自分にたいして怒りを向けてくると思われる人に投影され、その(実際はみずからの)「怒り」の攻撃を受けて、憂鬱になる。あるいは、他者に投影されずに、自己の内部で引き受け、それを自覚できなければ、「おまえは何やってるんだ!」「おまえはダメだ!」といったような内部の声の攻撃にさらされ続けることになる。

これは心を病む人だけでなく、瞑想に取り組む人もよく陥りがちな陥穽(かんせい)である。一般的に瞑想修行において、影の問題に無頓着なまま、「我を捨てよ」「怒りを捨てよ」といったことがことのほか強調されがちである。そのため、「我」や「怒り」を否定しながら瞑想修行を進めていった結果、独善的になり、みずからが否定し、抑圧した怒りを他者に投影し、他者から攻撃を受けているとの妄想に襲われる。あるいは、投影する他者を見つけられずに、自己の内部に無自覚のうちに影を引き受けた場合、その影に自己同一化し、自傷行為に走るか、あるいは、その影からの攻撃にさらされ、鬱になるといったことがしばしば見受けられる。これは、もともとわれ知らずに抑圧し影化させてしまった怒りを、いったん「私」のなかに組み込むという作業を怠った結果である。

ヴィパッサナー系の瞑想を行うことによって、「今、ここに怒りが生じている」と観察することはできる。しかし、じつはその客観的な対象として見つめているその怒りという症状自体が、そもそも影化して分離してしまった自身の一部なのである。したがって、それを「私」のなかに組み込まずに、ただ客観的な観察をしているだけでは、問題を棚上げし、さらなる影の安定化に寄与するだけになってしまうのである。

私自身も影の問題にまだ着目していなかった頃には、やはりこの問題に引っかかっていた。そういった意味で、フロイトが言った「イド(es = it)をエゴ(ich = I)にあらしめよ」という影の統合作業は、心を病む人だけでなく、瞑想修行に取り組む人にとっても、とても重要な意味合いをもっていると思う。






瞑想時の「影」との取り組み方



影との具体的な取り組みとしては、瞑想時に心身に生じてくるさまざまなイメージや気分、感情などを、みずからのエネルギーとして認め、体験し、親しみ、そこから学ぶというスタンスを取る。そのような作業を通して、かつて疎外され、敵対してきていた影(シャドウ)と和解し、平和的な関係を築けるようになっていくのである。

この作業において、私が大事にしていることは、心身に生じてくるあらゆる現象を明確に自覚し、感じ尽くし、洞察し、慈しむことである。このときのポイントは、心を大きく開いておくことである。すなわち、最初から「考えてはいけない」「感じてはいけない」「怒ってはいけない」などといった価値判断による構えを作らないということが大事である。

たとえば、ヴィパッサナー瞑想のやり方のひとつとして、「音が聞こえてきたら、音、音、音と唱えなさい」といった指導のされ方がある。しかし、これは一歩間違えると、人間の自然な感受作用を否定してしまうことにもなりかねない。なぜなら、音が聞こえてきたら、それにしたがった快や不快の感覚や、イメージ、想念といったものが生じてくるのは人間の自然なあり方だからである。そうあるものを強引に「音、音、音」とラベリングしてしまうと、実際は生じてきている快や不快の感覚やイメージを、知らず知らずのうちに否定、抑圧し、影化させてしまいかねない。

さらに、指導者によってはそういった快や不快の感覚が生じてくることさえも否定し、また、イメージや思考すべてを一緒くたに「妄想」、さらには「汚物」などとレッテルを貼ったりすることさえある。そういった指導を受けているうちに、自然と人間的な感情や思考を否定する姿勢が生まれ、さらには、そのような感情や思考が生じてくる自分自身を非難したり、あるいは世間一般にたいして否定的になったり、あるいは、影化した自身の拒絶感や怒りによって、攻撃されることにもなる。

このような無理が長期間つづくと、いわゆる「リバウンド」現象のようなものが生じ、食事のところで言及した「触食(パッサ・アハーン)」や「意思食(マノーサンチェータナー・アハーン)」といったものを猛烈に欲する気持ちに襲われたりすることにもなる。このときに感覚や思考を吸収する機能が働かなくなってしまっていると、自然と現実の食事への渇望となり、結果的に過食に走ったりして、摂食障害などの症状に至ることもある。とりわけ、女性の場合、男性よりも生理的に肉体性と緊密なゆえに、食事にしろ、喜びなどの感情にしろ、この世にある豊かさをなんらかの強い思い込みにより拒否した場合に、心身にいろいろな症状が出てきやすいようだ。

そんな意味で、ブッダの「中道」にしたがって、極端な拒否の姿勢は避けることが大事である。そして、オープンマインド、オープンハートな自然体で、適度な量の外部、そして内部からの情報を取り込み、しっかりと受容し、自覚的な意識をもって感じ取り、慈悲をもって洞察していくのがよい。これが感情やイメージ、思考といった情報を適切に消化し、心身の栄養に変えていく秘訣である。そうすれば、いったん影化したみずからのネガティブな感情やイメージとも仲直りができる。影は理解と慈しみをもって「仲間」として迎え入れられ、統合されたとき、ネガティブだった敵対的なエネルギーがポジティブな力やイメージへと転換するのである。






このような注意と理解をもって自身の修行に取り組みはじめてから少しして、自身の肉体感覚や気分、感情といったものと親しみ、理解を深めていく大きなきっかけとなる出来事が私に起こった。そしてそれはやがて、他者の気分や感情をあるがままに受け入れ、共感し、理解を深めることへとつながっていったのだった。



ある日のことだった。私は友人から借りていた南米のシャーマンの詠ずるチャンティング(詠唱歌)のテープを聴きながら、音に身体全身を浸すようにしていた。基本的に上座仏教の僧侶の戒律において歌舞演劇系に耽るのはすべて戒律違反ではあるのだが、ヒーリング・ミュージック系のものであればいいとか、その辺はフレキシブルなところもある。

その身体全体をくすぐってくるような数人のシャーマンたちの詠唱を集中して聞き入っていると、そのうちに身体全体になにやらこそばゆいような感覚が生じてきた。気分も非常に楽しくなった。そして、笑いが込み上げてくるのだった。一方で、笑ってはいけない。笑ってしまったら、こういった外部的な影響による身体感覚や気分に負けることになる。そう思う自分がいた。

じつを言えば、そのころはまだ私のなかでは「空」への志向性がだいぶ強かったのである。もちろん夢への関心や探求を通して、感覚的なもの、気分的なものを認めつつはあったが、それでもまだ、そういった類のものを低次なものとみなし、それらを良しとしない自分がいたのである。



だから、その込み上げてくる笑いを必死でこらえていた。そうしているうちにも、どんどんどんどんすのむずがゆい可笑しさは強く強くなってきた。やがてその可笑しさは胸の部分だけでなく、強烈にお腹の奥のほうを動かしてきた。

いけない、わ、笑ってしまう…。

しかし、このまま耐えれば、耐えきれそうにも思った。

ど、どうしよぅ…?

選択が迫られた。このままこの強烈な感覚に負けて笑ってしまうか、それとも意識をできるだけそらし、感覚に負けずに耐えきり、笑わずに済ますか…。



しかしそのときパッと閃いたのは第三の選択だった。

それは「意識的に明け渡してみよう」というものだった。それは勝ち負けではない、「受容」という選択だった。そして、可笑しさの感覚と楽しい気分にみずからを明け渡した。次の瞬間、

「ぐわっはっはっはー!」

腹の底をドドーンと突き抜けたような深く大きな笑いが起こった。生まれて初めて、お腹の底から、いや、お腹の底を突き抜けた笑いというものを体験した。これまでいかに胸で、あるいはお腹の浅いところで笑っていたかということに気づかされた。



その突き抜けた笑いはそのまま止まらなくなった。

シャーマンの詠唱テープが止まったあともなお、面白おかしい感覚が身体じゅうに充満し、そうなるともう何を見ても、何を聞いても、何を感じても、何を考えても、何をイメージしても、面白おかしくてたまらなくなったのだった。そうやって数時間笑い転げた。それはそれは愉しい時間だった。

これまでどれだけ身体を緊張させ、身体を閉じて過ごしていたのか…。この大笑い体験を終えると、身体が一気に緩まり、開いたのを感じた。同時に、これまでネガティブなもの、あるいは低次なものとみなしていた身体感覚やさまざまなイメージにたいして、それらがあるがままのエネルギーの一形態であり、中立のものであるということを理解し、慈しみを感じることができたのだった。









引用:「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語




2016年5月10日火曜日

ブッダの「念(サティ)」 [プラユキ・ナラテボー]



話:プラユキ・ナラテボー





「気づき(=念[Sati])

について、少し補足しておく。

日本で「気づき」こそがブッダが最も強調したポイントであり、経典のなかでブッダが発した言葉として、最も頻繁に登場してくる言葉の一つであるということを知っている人は少ないと思う。





「正念(サンマー・サティ)」というブッダの言葉は、本来含蓄されていた意味合いからは遠く隔たり、「祈り」や「信仰」的な要素が強くなってきてしまっているようだ。

ブッダが「念」という言葉にこめた意味、すなわち「思いをもつこと」でも「記憶すること」でも「信じること」でもなく、それらすべてを含めた

「今ここのありのままの心身現象、すなわち、その状態とプロセスについて油断なく気づく」

という元来の意味はほとんど消失するに至っている。

わたし自身、名僧指導のために師僧とともに渡ったアメリカで、半年間を中国系の寺ですごしたが、そこでは中華系の人たちの観音信仰、浄土信仰への熱心な信奉、そして「念仏」が最重視されている様子を日々、目の当たりにしてきた。



そのとき思ったのは、こういうことだった。

元来「念(Sati)」という言葉が宿していたエッセンスは、おそらく中国経由で仏教が日本に伝来するうちに大きな変容がとげられていったのではないか。

文字の構成においては「念」、すなわち

「今」の「心」

というように、オリジナルのニュアンスの名残がとどめられてはいるものの、その意味合いは、思考や信念をメタレベルで「気づく」という認知意識から、思考や信念そのものへと、いわば俗化させてしまったのではないだろうか。







とりわけ、日本でもよく知られている、ブッダが臨終前、弟子たちに残した最後の言葉、

「諸行は無常なり(すべては移ろいゆくもの)。怠らず努めるがよい」

とうい遺言メッセージに関して、よくこんな質問を日本の人から受けることがある。

「お釈迦さまは『怠らず努めよ』と言っていますが、何を怠らずに努めたらいいのですか?」



たしかに、そのような質問が出てくるのもうなずける。

しかし、原語に基づいてこのメッセージを受け止められれば、おそらくそのような質問も出てこなくなるだろう。



「怠らず努めよ」

の部分、原語では

「Appamada(不放逸)」

という言葉が用いられている。



「不放逸」とは

ボンヤリしないこと

ボケッとしないこと

ウッカリしないこと

といった意味である。



すなわち

「念=気づき(Sati)」を失わないこと

を意味している。



したがって、ブッダの遺言メッセージを原語に忠実に訳すと、

「諸行はすべて滅しゆくのが自然の理(法)である。不放逸にして(=気づきを失わずに)その様子を観察し、成就に至れ」

となる。



すなわちブッダが示唆したことは、

何をしているときでも不放逸でありなさい

ボンヤリしないようにありなさい

気づきを失わないようにありなさい

ということである。



実際に何を行うかという「Do」のレベルについてではなく

「Be」のレベル

すなわち意識の正しい「ありよう」

を示していたのだ。



また、このメッセージを遺言として残されたということは、ブッダが成就(=涅槃)に至るための法の実践行の精髄として

「不放逸=気づき」

という法(タンマ)をピックアップしたと理解していいだろう。実際、生前の説法や幾多の弟子たちとの対話のなかにおいても、ブッダが「不放逸=気づき」をとりわけ重んじていたとみなされるフレーズが散見される。



たとえば、こんな言葉だ。

比丘たちよ、地上のいかなる生き物たちの足跡も、すべて象の足跡の中にはいる。

象の足跡がこれらの足跡の中、最大であるように、いかなる善法も不放逸を根本とし、すべて不放逸の中に集まる。

このように不放逸こそ、すべての法の最上なるものである。



また、弟子とブッダとのあいだに交わされた、こんな問答もある。

弟子「一法にして、現在の利益(Ditthadhammikattha)と未来の利益(Samparayikattha)の二種の利益を得られるものはありますか?」

ブッダ「ある」

弟子「その法とは何でしょうか?」

ブッダ「その法とは、不放逸である」











引用:「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語




2016年5月8日日曜日

タイの「死体博物館」 [プラユキ・ナラテボー]



話:プラユキ・ナラテボー



不浄観


広辞苑によれば、不浄観とは

「身体や外界の不浄を観じ、それによって執着を断ち切ろうとする観法。とくに死体が腐敗していく過程を心中に観ずる」

とある。



「大念処経」において「身随観(Kayanupassana)」として6つ挙げられている観察対象の4番目

「パティクーン・マナシガーン」
Patikula-manasikara = 厭逆作意)

と6番目の

「ナワ・シーワンティカ」
Nava-sivathika = 九墓地)

がこれにあたる。



「厭逆作意」は、別名「三十二身分観想」とも言われ、身体を三十二の要素に分解し、それぞれを繰りかえし観察していく方法である。

身体の三十二要素とは、当時の解剖学にのっとり、

「髪、毛、爪、歯、皮、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、胃、腸、胃の内容物、大便、脳髄、胆汁、痰、膿汁、血、汗、脂肪、涙、血清、唾液、鼻汁、関節滑液、小便」

の三十二である。



また、「九墓地」とは、死んだばかりの遺体の状況から、だんだんと変色、腐乱し、蛆(うじ)がわき、やがて骨や土になっていくまでの様子を九段階に分け、順々に瞑想していくものである。

タイでは「ドックマーイ・アリヤ(聖者の花)」などとも呼ばれ、寺によっては、それぞれの段階における死体の状況が、そのままズバリ写された写真集が僧侶に配られたり、スライド上映がおこなわれたりしている。また、墓場で寝起きをしながら瞑想することを勧められたりもする。

バンコクのシリラート病院では「死体博物館」があり、死者の写真やホルマリン漬けされた何体もの死体が展示されて一般公開されている。また僧侶には特別に検死解剖の見学も許され、写真やホルマリン漬けの死体では味わえない生々しい臓器の色や形、飛び交うハエの様子などを目にしたり、強烈に鼻を刺してくる死臭などともダイレクトに触れられる。



また、「エイズ寺」として知られ、多数のエイズ患者を看護する病棟もそなえたロッブリー県のプラバート・ナムプ寺では、「ホン・モラナサティ(死の瞑想部屋)」と表札のある部屋にはいると、エイズで亡くなった人のホルマリン漬けの遺体やミイラ状態になった人たちが展示されている。わたしが訪れたときにはちょうどエイズの人たちの運動会が催されたすぐ後だったようで、運動会の様子を撮影した写真なども貼られていた。そのなかには棺桶をバトン代わりにリレー競争するエイズ患者たちの姿もあった。

同行した日本のお坊さんたちには、「死の瞑想部屋」もエイズ患者の「棺桶リレー」も不評だったようで、嫌悪感をあらわにされていた。そのような気持ちは私自身、日本人のひとりとして分からないでもなかった。

しかし、タイで出家し、「身随観」の瞑想に親しみ、部屋に貼られた「聖者の花」を毎日のように眺め、キャンプファイアの焚き木のように重ねられた木組みの上で、衆目の見守るなか、燃えていく遺体を何度も目にする機会をもつにつれ、私のなかでは現代日本の斎場での火葬様式も、また、死化粧が丹念にほどこされた遺体も、あるがままの「死」という現実をできるだけ衆人の目からそらし、隠匿しようという意図が感じられるようにもなってきた。



そしてそれは、この世に生を受けた者すべてに確実にやってくる、きわめて自然な「死」という現象を、あるがままに受け止めるのとは反対に、むしろ忌避すべきものとして、忌み嫌うことの裏返しのように思えるのだった。

そう思うようになってきた時、なんだか「不浄観」という名称さえもが、どこか的を外しているようにも思えてきたのだった。あるがままの身体に、また死体という身体の自然な一状態に、「不浄」というレッテルを貼る必要がいったいあるのだろうか? それはあるがままの身体とそのプロセスについての「あるがままの観察」ではないだろうか?

そう思ったとき、あるがままに現象を観察するという方法論をとるヴィパッサナー系の「大念処経」のなかに、身体要素の観察や死体の観想がとりあげられていることに得心がいくようになった。







引用:「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語




タイの「4つの瞑想法」 [プラユキ・ナラテボー]



話:プラユキ・ナラテボー



ブッダの教えた瞑想


まず、ブッダの瞑想法について簡単に説明しておく。

ブッダは

「サマタ」
(Samatha = 止)

と称する「集中系」と

「ヴィパッサナー」
(Vipassana = 観)

と称する「気づき・洞察系」の2種類のタイプの瞑想法を弟子たちに教えた。



「サマタ」はマントラやイメージなどの対象に意識を繰り返し向けていくことで、安定した集中力を培うことを目指す。

一方、「ヴィパッサナー」は、対象をあらかじめひとつに限定することなく、その瞬間瞬間に生じてくるものごとをありのままに自覚化することを繰り返しながら、洞察を育んでいく方法だ。

この2つの瞑想法を合わせて

「サマタ・ヴィパッサナー」
(Samatha-Vipassana = 止観)

と称し、そのバランスが大切とされる。



仏伝によれば、ブッダは出家後、2人の師につきサマタ系瞑想を最高度に極めたが、なおも究極的な安らぎは得られず、その後みずからが試みたヴィパッサナー系瞑想によって、解脱・涅槃に至ったとされている。

ヴィパッサナー系の瞑想については、現存する仏典では

「マハーサティパッターナ・スッタ」
(Maha-Satipattana-Sutta = 大念処経)



「アーナーパーナサティ・スッタ」
(Anapanasati-Sutta = 出入息念経)

のなかで、その詳しい紹介がある。










タイの代表的な4つの瞑想


タイでは、この2つの瞑想法のうちどちらを強調するか、どの対象に主に意識を向けていくか、内言(ラベリング)を用いていくかいかないかなど、あるいは同系統の瞑想法であっても、指導者によるテクニックが若干加えられるなどして、さまざまな瞑想法が実践されている。

そのうち、よく知られている代表的な瞑想法は以下の4つである。


1 「アーナーパーナサティ(出入息念)」瞑想法

2 「プットー(ブッダ)」瞑想法

3 「ユップノー・ボーンノー(縮み・膨らみ)」瞑想法

4 「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」瞑想法






1 「アーナーバナサティ(出入息念)」瞑想法


ブッダ伝来の伝統的な瞑想法で、前述の『アーナーパーナサティ・スッタ(出入息念経)』に沿い、呼吸への気づきを手がかりにして、

身体(Kaya)
感受(Vedana)
(Cita)
(Dhamma)

という順序で徐々に精妙化する4つの対象領域を、それぞれ4つの視点で洞察していく形式で、全部で16段階の瞑想プロセスを経ていくやり方である。



具体的には、まず姿勢を正して座る。

そして呼吸をいちばん感じ取ることができる鼻の入り口あたりに意識を集中させ、ひと息ひと息ごと丁寧に

「気をつけて息を吸い、気をつけて息を吐く」
Sato va assasati, sato va passasati



ここを始点としてさらに、呼吸をコントロールすることなく、ありのままの呼吸に油断なく細心の注意をむけつづける。そうしているうちに、だんだんと精妙化していく呼吸の細かな様相を見つめ、実感しつづけていく。

やがて呼吸と連動する身体感覚のありようについても感じられてくるようになったら、そのまま今度は身体感覚に生ずる諸相をもありのままに見つめ、体感していく。それから身体感覚に付随して生じてくる心の動きについても明晰に観察をすすめていく。

最終的には、

無常(Anicca)
(Dukkha)
無我(Anattan)

といった真理の法則性の認識にいたるまで洞察を深めていくものである。

故プッタタート比丘が建立されたタイ南部の有名なお寺、スワンモーク寺ではこのアーナーパーナサティ瞑想法をもちいたリトリートを毎月10日間のコースを提供している。






2 「プットー(ブッダ)」瞑想法



「プットー」は、タイ語で「ブッダ」の意味である。

これはタイのサマタ系瞑想の代表的なものとして知られている。



方法としては、姿勢を正して座ったあと、

息を吸うときに「プッ」

吐くときに「トー」

と心のなかで唱えながら呼吸していくものである。



この瞑想法でも呼吸のコントロールはおこなわないが、しかしアーナーパーナサティとは異なって、呼吸の観察からはじまって身体の感覚、心の動きまで洞察していくといったこともしない。

ただひたすら「プットー」という言葉に意識を集中させ、くりかえし唱え、心を静め三昧にはいっていくことが目的である。



いくつかの寺では、ただじっと座って唱えるだけでなく、数珠を瞑想の小道具として併用し、呼吸に合わせて、吸うときに「プッ」、吐くときに「トー」と唱えつづける方法もとられてもいる。

また、呼吸は関係なしに、ただ「プットー」と言葉を唱えるごとに、ひとつずつ数珠をはじいていくところもある。






3 「ユップノー・ポーンノー(縮み・膨らみ)」瞑想法



ミャンマーのマハーシ長老由来の瞑想法。

タイにおいても広く知られ、多くの寺院で実践されている。とくにマハーニカイ派の代表寺院で、マハーチュラロンコン仏教大学が敷設されているマハータート寺では、この「ユップノー・ポーンノー」瞑想法が取り入れられている。







この瞑想法では、姿勢を正して座ったあと、呼吸に連動して縮み・膨らみを繰り返す腹部に意識をむけていく。そして

お腹が縮んでいくときには
「ユップノー(縮む)

お腹が膨らんでゆくときには
「ポーンノー(膨らむ)

と、ひとつひとつ言葉を貼りつけて(ラベリング)認知していく。

私が参加したこの瞑想法のリトリートでは、最初、参加者全員で一斉に声を出しながら行い、その後、ひとりひとりに分かれてからは心の中でラベリングした。



また歩行禅もあり、その際には、一歩一歩を非常にゆっくりとしたスローモーションともいえる速度でおこない、その足の上げ下ろしのプロセスを

「ヨックノー(上げる)

「ヤーンノー(はこぶ)

「ジアップノー(下ろす)

とラベリングしながら歩く。



それからさらに日常動作においても、

「立っている」

「座っている」

「触れている」

食事の際には、

「口を開ける」

「入れる」

「味わう」

「噛む」

「飲み込む」

などとラベリングしていく。



また、身体感覚や心の状態についても、それを感じた時点で、

「暑い」

「寒い」

「眠い」

「怒り」

「うんざりしている」

「わずらわしさ」

などなど、たえずラベリングしながら確認していく。



上述の『マハーサティパッターナ・スッタ(大念処経)』『アーナーパーナサティ・スッタ(出入息経)』においては、「ラベリングするように」とは記されていないが、今のあるがままの状態を仔細に観察、自覚するという意味で、これもヴィパッサナー系の瞑想のひとつと言っていいだろう。






4 「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」瞑想法



ワット・パクナム寺の故プラ・モンコン・テープムニー師によって編み出された瞑想法である。

伝統寺院のパクナム寺および、パクナム寺から分院したあと、現代テクノロジーなどもふんだんに取り入れ、近代的な装いでタイの都市新中間層の人気をあつめるバンコク郊外のタンマカーイ寺。そして、その末寺でこの瞑想法がおこなわれている。



この瞑想法では、姿勢を正して座ったあと、呼吸を整え、

「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)

と唱えていく。



そして「水晶玉」や「光の玉」をまず鼻孔のあたりにイメージし、そこから目頭の中心、のど、へその上へと「球」が安定するように繰りかえし

「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)

と唱える。

この球への精神集中が強まるにつれ、心はととのい、情緒の安定がはかられる。さらに、球から光が発するのが見えたり、さまざまな仏像の姿が見えてくるにつれ、心の境地が次第にすすんでいくとされる。

この瞑想法は、イメージトレーニングによって高度の集中力をはかっていくサマタ系の瞑想といえよう。



以上が、タイでよく知られているオーソドックスな体系だった瞑想法である。









引用:「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語




2016年5月7日土曜日

ブッダの四食 [プラユキ・ナラテボー]



話:プラユキ・ナラテボー





ブッダはその教えのなかで、外界に触れて生ずる感覚など、心身に取りこみ入れられるものをすべて「食」と総称し、それを4種類に分類し、それらを食す瞬間瞬間に明晰に気づき、観察することによって得られる功徳をそれぞれ説かれている。

このいちばん粗大な物質的な食を

「段食(カワリンカ・アハーン)

と称し、これに関しては次のように説いている。

「これに気づきをもって食することにより、五感に生ずる感覚的な愛欲の生滅についての理解が深まる」

物質食は、私たちの生命を養っていくうえで欠かせないものでありながら、通常は無自覚な状態で取り入れられている。



が、気づきと観察をともなって食してみると、たしかにそこには、色、形、音、香り、味、そして接触感など、私たちの五感を刺戟する強力な情報に満ち満ちていることに気づかされる。

そして、その五感への刺戟は瞬時に心の「食」へと変換され、「快」や「不快」といった感受となっていることに気づく。これをブッダは

「触食(パッサ・アハーン)

と称し、それら「快」「不快」の感覚に翻弄されることなく、心の滋養となるべく適度に取り入れるように勧める。



また、私たちはある感覚を得ると、それに伴いなんらかの行為をおこなおうとしたり、なにかを話そうとしたり、なにかを考えようとする「意思」が生じてくるが、ブッダはこれを

「意思食(マノーサンチェータナー・アハーン)

と称し、「快」感覚によって生ずる「もっともっと」と渇望する気持ちや、逆に「不快」な感覚にたいしてそれを遠ざけようとする衝動、あるいは無視してしまおうとする心の動きに注意深く気づくようにと促している。



そしてさらに、これら所縁を認識する作用を

「識食(ヴィンヤーン・アハーン)

と称し、「これに気づきをもって食することにより、名 色についての理解が深まる」と説く。これはどういうことかと言えば、心がなんあらかの所縁を認識する、たとえばあるものの味を味わう、あるものを見る、ある音を聞くということは、さまざまな「名色」、すなわち色や形、感覚、イメージ、概念といったものを認識することに他ならない。

このとき人にとって物が存在するということは、そのときその人の認識のなかに物がある、あるいはそのときの意識によって色・形が認識されたということになる。すなわち、目のまえの食べものの色や形、味は、脳内で加工・認識された情報ということになる。



このように、ひとつひとつの認識作用について気づき、洞察されることによって、物質と心というものが認識というものと分かちがたく結びついていることが理解されてくるわけである。

また十二因縁では

「行」の生起に縁りて「識」が生ず
「識」の生起に縁りて「名色」が生ず

と説かれている。

これは、その時々に無自覚に生ずる思いによって偏った認識が生じ、それによって、心身がその色合いに添ったものとなると解釈することができる。すなわち、怒りなどの悪心に染まっているときには悪い面や劣った部分の所縁の認識が生じ、顔色も曇り、心も濁ってうまく働かない。

そして引きつづき、そのようなネガティブな心身状態に即した態度や言動が表れてくるということである。その時々の認識がいかに世界の風景を、そして心模様に変化を与えるかということについて理解が深まる。

これが「識食」に気づきをもって食することの功徳である。



このように、ブッダは「食」として、私たちが普通に食として理解している物質的な食「段食」のみならず、感受や意思、認識作用をも「触食」「意思食」「識食」と称して、心の「食」と位置づけた。

そして、それら心の食をも物質食同様に、栄養のある良質なものを適量だけとり、しっかりと心の滋養としていくこと。そして、それら心の食をとるときもその味に翻弄されることなく、明晰に気づきを保ちながら食し、洞察につなげていくことを最重視したのである。

断食のような苦行を極めても苦の終滅には至らず、また、感覚の忌避や思念の停止といったサマタ系の集中修行によっても苦の終滅は起こり得なかった。そのような自身の体験により、究極的には極端を廃して「中道」を基本にすえ、気づきや観察を中心にしたヴィパッサナー系の修行により苦の終滅へといたったブッダならではの知見が、この四食の教えとアプローチにおいても如実にあらわれていると思う。

なにはともあれ、この四食をいちどきにとる食事という時間は、おろそかにするにはもったいない重要なひとときで、心身にかぎりない滋養を与えることのできる絶好の機会なのである。









引用:「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語




2016年5月5日木曜日

人の重荷、五蘊 [プラユキ・ナラテボー]



話:プラユキ・ナラテボー





「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし」

小さいころ、私の家にはこんな言葉が書かれた額が壁にかかっていた。戦国武将、徳川家康の残された言葉だった。

「急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし」

と続くこの言葉は名言とみなされ、わが家のような地方の一家庭にすら、額縁に飾られ後生大事に奉られていた。



いま思えば、たしかにその言葉は人の生の一面の真理をついており、世を生き抜くための箴言としても十分に活用できるものとわかる。だがしかし、当時のわたしはそれを目にするたびになんともやるせなく、重苦しい気持ちになった。

いや、人の一生がそんなものであるはずがない。もっと軽やかに、もっと自由に生きられるはずだ!

そう心のどこかで信じ、叫んでもいた。



後年、その信念がまんざら間違いでもないことを知る。


五蘊(色・受・想・行・識)にとらわれしこと、これ苦なり。

人この重荷を背負い行く。

これ負うて行くことよ、世の苦とは。

これ捨て去らば、幸生ず。

覚者、重荷を置き去りし、

再び負うことなかりけり。

あまたの煩悩根こそがれ、

欲する気持ちは消え去りぬ。


ブッダの言葉である。

そうだ。わざわざ重い荷を背負ってゆくからこそ、私たちの生は苦しみ多く、疲労をともなう。家康は「急がないこと」、「不自由を常に思う」ことにより、この苦しみ多き不自由な生も耐えてゆかれるとした。それは卓見に違いない。

しかし、家康にさかのぼること二千年。インドで生まれたひとりの覚者は、より根本的な解決策を提示していた。不自由を常と思い耐える道ではなく、自由を実現する道だった。



「背中の重荷に気づけ。荷を降ろせ。そうすれば誰でもが、軽やかに、自由に、そして幸せに生きられる」

インドの覚者、ブッダはこう言いきっていた。人生は苦しいものではない。不自由なものではない。ブッダの道を歩めば、幸せに、自由に生きられる。

長らく取り憑いていた重い言霊から、私はやっと開放された気がした。







誰の人生にも「転機」といわれるときがある。

それまでの人生がたちまちのうちに一転する、そんなときだ。

ある人のたった一言で、

たまたま目にした本のなかのワン・フレーズで、

人生が180度かわってしまうこともある。

すると突如、慣れ親しんだ世界が装いを新たにして現れる。





その後、縁あって私はタイという異国の地でブッダの道を歩みはじめることになる。

重荷の正体は次第に明らかとなり、ずっしり重かったそれは徐々に降ろされた。そのポイントは「遠き道をゆく」のではなく、「今ここ」に気づいて生きることだった。灯台下暗し。幸せの青い鳥は、たしかに一番身近なところにいた。








仏教はひたすら「苦」について説くペシミスティックな教えだと勘違いされたりもする。

否。苦はスタートでありゴールではない。

たしかに人間誰しもが泣き叫びながら生まれてくる。が、恐れや悲しみ、恨みや憎しみの形相で死にゆくか、安らぎに満ちた穏やかな表情で逝くかは、人それぞれ選択できる。





当初、3ヶ月のつもりだった出家修行は、予定どおりには終わらなかった。出家してから6年間、日本に帰ることもなく、異国の地でただひたすら自己の内側を見つめる日々を送った。

その結果、内側に育まれる幸せの妙味を知ることになった。しかし、それは自身のゴールとはならなかった。









引用:「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語