話:プラユキ・ナラテボー
…
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし」
小さいころ、私の家にはこんな言葉が書かれた額が壁にかかっていた。戦国武将、徳川家康の残された言葉だった。
「急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし」
と続くこの言葉は名言とみなされ、わが家のような地方の一家庭にすら、額縁に飾られ後生大事に奉られていた。
いま思えば、たしかにその言葉は人の生の一面の真理をついており、世を生き抜くための箴言としても十分に活用できるものとわかる。だがしかし、当時のわたしはそれを目にするたびになんともやるせなく、重苦しい気持ちになった。
いや、人の一生がそんなものであるはずがない。もっと軽やかに、もっと自由に生きられるはずだ!
そう心のどこかで信じ、叫んでもいた。
後年、その信念がまんざら間違いでもないことを知る。
五蘊(色・受・想・行・識)にとらわれしこと、これ苦なり。
人この重荷を背負い行く。
これ負うて行くことよ、世の苦とは。
これ捨て去らば、幸生ず。
覚者、重荷を置き去りし、
再び負うことなかりけり。
あまたの煩悩根こそがれ、
欲する気持ちは消え去りぬ。
ブッダの言葉である。
そうだ。わざわざ重い荷を背負ってゆくからこそ、私たちの生は苦しみ多く、疲労をともなう。家康は「急がないこと」、「不自由を常に思う」ことにより、この苦しみ多き不自由な生も耐えてゆかれるとした。それは卓見に違いない。
しかし、家康にさかのぼること二千年。インドで生まれたひとりの覚者は、より根本的な解決策を提示していた。不自由を常と思い耐える道ではなく、自由を実現する道だった。
「背中の重荷に気づけ。荷を降ろせ。そうすれば誰でもが、軽やかに、自由に、そして幸せに生きられる」
インドの覚者、ブッダはこう言いきっていた。人生は苦しいものではない。不自由なものではない。ブッダの道を歩めば、幸せに、自由に生きられる。
長らく取り憑いていた重い言霊から、私はやっと開放された気がした。
誰の人生にも「転機」といわれるときがある。
それまでの人生がたちまちのうちに一転する、そんなときだ。
ある人のたった一言で、
たまたま目にした本のなかのワン・フレーズで、
人生が180度かわってしまうこともある。
すると突如、慣れ親しんだ世界が装いを新たにして現れる。
…
その後、縁あって私はタイという異国の地でブッダの道を歩みはじめることになる。
重荷の正体は次第に明らかとなり、ずっしり重かったそれは徐々に降ろされた。そのポイントは「遠き道をゆく」のではなく、「今ここ」に気づいて生きることだった。灯台下暗し。幸せの青い鳥は、たしかに一番身近なところにいた。
仏教はひたすら「苦」について説くペシミスティックな教えだと勘違いされたりもする。
否。苦はスタートでありゴールではない。
たしかに人間誰しもが泣き叫びながら生まれてくる。が、恐れや悲しみ、恨みや憎しみの形相で死にゆくか、安らぎに満ちた穏やかな表情で逝くかは、人それぞれ選択できる。
…
当初、3ヶ月のつもりだった出家修行は、予定どおりには終わらなかった。出家してから6年間、日本に帰ることもなく、異国の地でただひたすら自己の内側を見つめる日々を送った。
その結果、内側に育まれる幸せの妙味を知ることになった。しかし、それは自身のゴールとはならなかった。
…
0 件のコメント:
コメントを投稿