話:潮田 洋一郎
室町時代に流行した猿楽
(さるがく)、連歌
(れんが)、茶の湯、お香等に共通する感覚とは、切れ目なく続く世事、日常を意識的に中断して、気持ちをリフレッシュすることのように思える。
目的を記述するための散文を綴
(つづ)るのをしばし止め、叙述そのものが目的である詩歌を頭に浮かべて書き留めるのに似ている。
日常が散文ならば、茶事は詩歌である。
坐禅瞑想をすれば痛感するが、人は無心にいまを感じていられない。
心ここにない。
頭はすぐに過去を悔い、未来を憂う。
これを雑念という。
いまの自分に心を引き戻すには、意思と一種のきっかけが必要である。
白隠禅師の軟酥
(なんそ)の法もその一つであり、ティク・ナット・ハンの勧めるように、信号が赤に変わったときに息を見つめながら深呼吸を三回するのもよい。
改まって茶を点
(た)てるのも、また戻るきっかけになる。
…
引用:潮田 洋一郎『
数寄語り』
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