山田仁平『奇人奇話』より
桃水和尚
六
乞食の死骸
折から、日は西山に没して、野にも山にも夕霧がたちこめ、四顧の光景、暗澹としてもの凄い。新米乞食の琛洲(ちんしゅう)は、冥路(よみじ)をたどる思いをしながら、ただただ、師の後につづいた。
桃水(とうすい)は、委細かまわず林間にわけいり、やがて、一小祠(しょうし)の前へくると、
「さあ、今宵はここで一宿じゃ」
と、祠(ほこら)の前に菰(こも)をしき、ごろり、と身を横たえた。かかる際、世の常の人ならば、来(こ)し方(かた)のこと、何くれと問いもし語りもするのであろう。
けれど桃水(とうすい)は、かたわら琛洲(ちんしゅう)あるを知らないもののごとくに、ただひとり微吟(びぎん)するのを、耳をすましてよくよく聞けば、それは偈(げ)で、
如是生涯如是寛
弊衣破椀也閑々
飢餐渇飲只我識
世上是非総不干
如是(にょぜ)生涯、如是(にょぜ)寛(ひろ)し
弊衣(へいい)破椀(はわん)、また閑々(かんかん)
飢餐(きさん)渇飲(かついん)をただ吾(われ)識る
世上の是非、すべて干(あずか)らず
翌朝は、坂本の町を袖(そで)乞いしながら一過(いっか)して、堅田(かただ)のほうへ出ると、ひとりの老乞食が行きたおれて、醜い死骸を路上にさらしていた。
桃水(とうすい)は琛洲(ちんしゅう)をかえりみて、
「お前、ひと走り、向こうの村の入り口の小屋へいって、鍬(くわ)を借りてこい」
「はい」とばかり、鍬(くわ)を借りてくると、桃水(とうすい)は手ずから穴を掘り、琛洲(ちんしゅう)に手伝わせて、その死骸を葬(ほうむ)った。
ときに琛洲(ちんしゅう)が、
「あヽ、不憫なことぢゃ」
と、われ知らず嘆息すると、桃水(とうすい)は聞き咎(とが)めて、
「お前は、この死人ばかりをなぜ不憫というのぢゃ。
上(かみ)は天子将軍より、下(しも)は非人乞食にいたるまで、生まれるときに、糸一筋(すじ)、米一粒、もってきたわけでないから、死ぬときも丸の赤裸(あかはだか)で飢死(うえじに)をとげるのが、これ元(もと)取り商(あきな)いではないか。
たとえ百万石の米を貯(たくわ)えても、時節がくれば、割りの粥(かゆ)も咽(のど)をとおらぬ。蔵にいっぱいの衣装があっても、ついには経帷子(きょうかたびら)一枚ぢゃ。ここに気のつかぬ者は、富貴(ふうき)の人の死ぬのをのみ格別のことのように思いなす。
愚かぢゃ、愚かぢゃ」
と諭(さと)し、さて、死人の枕もとに、食い余(あま)しの雑炊のようなものがあるのを取って、「旨々(うまうま)」と半分ばかりを食い、残る半分を琛洲(ちんしゅう)に与えて、
「お前も、これを食え」
と命じた。琛洲(ちんしゅう)は受けて、一口、二口、口にしてみたが、穢(きたな)さ、臭さに、とうてい食いきれるものではない。
桃水(とうすい)は、その進まぬ顔をみて、
「厭(いや)か、厭(いや)か。では、こちらへ返せ」
と取り戻し、たちまちにして食いつくした。
ややあって、琛洲(ちんしゅう)は心もちが悪くなった。胸をおさえて地上にうずくまると、食べたものを吐いてしまい、色を変じ目を眩(まわ)し、そのまま路傍(ろぼう)に依(よ)り伏した。
桃水(とうすい)は、それを見て、
「それぢゃによって、随伴(ずいはん)はならぬぞと、最初から言っておる。お前はこの境界(きょうがい)に堪ええぬのぢゃ。さあ、これから帰るがよい。袈裟や袋はきのうの家に預けてある。十日ばかりのうちには必ず小僧を取りによこす、といっておいたから、すぐに行って受けとるがよい。
そして、智傳(ちでん)を捜しだし、ともども仏国寺の高泉(こうせん)方へ行け。雲渓(うんけい)の弟子でござる。師匠の指図で参ったと断り、永く彼(か)の師に随時(ずいじ)せよ。そこでこそ、たとえ一命を終わるほどの鉗鎚(かんつい)に遭(あ)うとも、けっして二の足を踏まぬよう、根(こん)かぎりに勤めるのぢゃ。
俺のことなどは夢にも思いださず、せっかく勉強すれば、それがすなわち俺への孝順(こうじゅん)じゃ。では別れるぞ」
と懇(ねんご)ろに諭(さと)しておいて、急ぎ足に湖水のほうへと去った。
…
そもそも桃水(とうすい)は、何がために乞食の群れなどに投じたか。奇人の奇行とのみみるのは、おそらく桃水(とうすい)を知らないのである。知らず、桃水(とうすい)の真意いかん。
仏教の修行は、その要(よう)、解脱の二字にある。解脱道論に
解脱とは、束縛を離るる義なり
と見え、人の心は左右(とかく)名利の外物に束縛されがちである。それというのも欲のためである。桃水(とうすい)の師、圍巌(えがん)にも、彼のごとき教訓があった。
欲はやがて執著であり、執着中の執著は、わが身に執著するの執著である。人が名利(みょうり)に執著するのも、畢竟(ひっきょう)身に執著するからで、此(こ)れがあるから彼(か)れがあり、此(こ)れがなければ彼(か)れもない。
はたして然(しか)らば、身はこれ禍(わざわ)いの因(もと)である。身に依(よ)って外物すなわち束縛となる。衆苦、衆悪、みな身から起こる。
心地 観経(しんじかんぎょう)に
この身は、苦の本(もと)たり
余苦(よく)は枝葉なり
と見え、維摩(ゆいま)経に
この身は、災(わざわ)いなり
百一の病悩(びょうのう)あり
と見えるの類(たぐい)、疑うを要せぬ。
よって思うに、名利の束縛をはなれて解脱にいたるの第一道は、身についての執著を断じ去るにある。
一切衆生、身を思わぬものはない。犬しかり、猫しかり。いわんや人間においておやで、これを護(まも)るに美衣(びい)をもってし、これを置くに美屋(びおく)をもってし、これを養うに美食(びしょく)をもってするのは、おしなべての人情である。しかもこれ、禍(わざわ)いを護(まも)るのである。ないし、禍(わざわ)いを養うのである。
よろしく身を思うの心をなげうって、これを見ること仇讐(きゅうしつ)のごとくなるべく、身についての執著を断じて、これを苦しむること蛇蝎(だかつ)のごとくなるべきで、かくてこそ、名利の束縛をも離れえよう。解脱の域にも至られよう。仏教の修行、ここにおいてか、成就したものに近い。
桃水(とうすい)が、身を乞食の群れに投じた、その真意は、けだし、これらの辺(へん)にあったのである。畢竟(ひっきょう)、わが身を禍(わざわ)いとし、これを味噌糞(みそくそ)に取り扱うことによって、これが執著を断じ去るというもの、その真意であったのである。
これを奇行とのみ見てはならぬ。形こそ奇行であったれ、心はすなわち、最も厳粛なる正行(せいこう)であったのである。であるから桃水(とうすい)は、爾後(じご)も身を苦しむることにこれ努(つと)め、久しきにわたって懈怠(けたい)の色を示さなかった。
伊勢にあっては、内宮外宮のあたりを乞食とともに彷徨(ほうこう)し、奈良にあっては大仏の土持ちをし、草津にあっては人の家に奉公したり駕籠(かご)をかついだりし、京の粟田口(あわたぐち)にあっては馬士(まご)の仲間にはいるなど、かつて安楽の地につこうとはしなかった。
…
引用:近代デジタルライブラリー
山田仁平『奇人奇話』
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