2016年5月25日水曜日

考えてはいけない「業(カルマ)」




話:アルボムッレ・スマナサーラ







考えてはいけない四つのこと


ブッダは業(カルマ)について誰よりも詳しく理解して語っていました。しかしそのブッダが、

「業について考えてはいけない」

と説かれているのです。それはどういうことでしょうか? ブッダは「考えても終わらないもの」、つまり「考えてはいけない四つのこと」を示します。その一つに業が含まれるのです。



1.

Buddhānaṃ, bhikkhave, buddhavisayo acinteyyo, na cintetabbo; 
yaṃ cintento ummādassa vighātassabhāgī assa.

ブッダたちの、ブッダとは何ですかという領域・境域のこと(ブッダとはこういうものだというブッダに対するすべてのこと)は、考えても考えても終わりません。考える人の心は狂気になります。



2.

Jhāyissa, bhikkhave, jhānavisayo acinteyyo, na cintetaboo; 
yaṃ cintento ummādassa vighātassa bhāgī assa.

禅定の経験に入っている修行者の禅定とは何かということは、人間には考えることが不可能です。考えてはならない、考える人の心は狂気になります。



3.

Kammavipāko, bhikkhave, acinteyyo, na cintetaboo; 
yaṃ cintento ummādassa vighātassa bhāgī assa.

業と過去は考えても終わりがない。考える人の心は狂気に陥ってしまいます。



4.

Lokacintā, bhikkhave, acinteyyā, na cintetabā; 
yaṃ cintento ummādassa vighātassa bhāgī assa.

世間の考察も思考し尽くせるものではありません。思考する人の心は狂気に陥ってしまいます。



つまり、考えてはいけない四つのこととは、

「ブッダの境地」
「禅定」
「業」
「世間」

なのです。



ブッダの境地も、禅定も、一般的な人間の領域を超えています。言葉で考えたり説明したりできる範囲のことではないのです。時空を超えていますから、考えても考えきれないのです。

また、4番目の「世間」というのは、現代の一般的な世間とは少し言葉の意味合いが違っていて、「生命」「宇宙」と同義です。



仏教は「宇宙論はやめたほうがいい」という立場をとっています。人間が宇宙について思考しても思考しても終わりがないんだよ、ということです。なぜなら、宇宙は広大で、しかも直接体験できる世界ではないからです。

見える物質、経験できる物質にしても『4%の宇宙 』(リチャード・パネク著)という本は日本語訳もされていますが、たった4%にすぎないといわれています。現代科学知識で宇宙を知ったところで、たった4%ですから、ろくに知っていることにはなりません。







残りの物質にはダークマター(暗黒物質)という名前を付けたりしていますが、そのダークマターにしても、本当にあるのかすら、よくわかっていません。考えてもきりがなく、すごく時間が無駄になりますから、お釈迦様は「考えないでください」とおっしゃっているのです。



なぜ、お釈迦様は3番目の「業」について考えてはいけないとおっしゃったのでしょうか?

それは簡単です。業というのは、もう過去のことだからです。過去というのは人間には考えきれない項目なのです。人間の脳の処理能力範囲を超えています。まったく理解不可能なのです。考えるならば頭がいかれますよ、だから考えてはいけません、ということです。

そういうわけで、「お釈迦様が考えるなとおっしゃったから、業の話はここで終了します」と言ってもいいのですが、頭がいかれない程度に、経典にある仏教の業論のポイントを解説しようと思います。










引用:ブッダが教えた「業(カルマ)」の真実 初期仏教の本




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