話:室謙二
…
アメリカ人にまざって座禅をすると、座禅のあとのサービス(仏像にむかってお経を唱える)のときに、英語で印刷されている紙がくばられて、それをみんなで唱える。
表には
The Maha Prajna Paramita Hrdaya Sutra
とあって、Sutra というのはお経だから、これは何かお経の英語訳であることがわかった。ところがその裏が不思議なもので、
MU MU MYO JIN NAI SHI MU RO SHI YAKU MU RO SHI JIN MU KU SYU METSU DO
と意味不明の言葉がならんでいる。それをまたアメリカ人がアメリカ語風発音とイントネーションで唱えるから、いよいよ何がなんだか分からない。
最初に気に入ったのは、その裏のページのわけの分からないやつではなく、表ページの英語のお経の次のようなところです。
No feelings,
no perceptions,
no impulses
no consciousness;
No eyes,
no ears,
no nose,
no tongue,
no body,
no mind;
No color,
no sound,
no smell,
no taste,
no touch,
no object of mind;
No realm of eyes
and so forth until
no realm of min consciousness;
No ignorance
and also no extinction of it,
and so forth until
no old-age and Death
and also no extinction of them;
No suffering,
no origination,
no stopping,
no path;
No cognition,
also no attainment.
これを木魚とときどき入るカネの音で、お経のリズムとイントネーションで唱えるときは気分が高揚した。
訳すと、こんな風になるんじゃないかな。
感覚はない。
No feelings,
知覚というものもない。
no perceptions,
衝動もない。
no impulses
意識さえもない。
no consciousness;
眼はない。
No eyes,
耳はない。
no ears,
鼻はない。
no nose,
舌もない。
no tongue,
体もない。
no body,
心もない。
no mind;
色はない。
No color,
音はない。
no sound,
においはない。
no smell,
味もない。
no taste,
感触もない。
no touch,
心の対象もない。
no object of mind;
眼の領域はなく、
No realm of eyes
意識の領域さえない。
and so forth until
no realm of min consciousness;
無知はない。
No ignorance
無知がなくなることもない。
and also no extinction of it,
また、老いも死もなく、
and so forth until
no old-age and Death
老いと死がなくなることもない。
and also no extinction of them;
苦しみはない。
No suffering,
苦しみのもとはない。
no origination,
苦しみがとまることもない。
no stopping,
苦しみを制する道はない。
no path;
知るということもなく、
No cognition,
得るということもない。
also no attainment.
何度読んでも、実に面白い。人は誰だって悩みや苦しみがあって、ぼくにもあります。でもこの英語のプレーズを、もうやけになって大声で唱えると、何かが分かったような気持になる。
ここがカリフォルニアで、まわりがアメリカ人で、畳の上にみんなで座り、ブッダのまえで、木魚とカネのリズムで、私という日本人が英語のお経を唱えるというのは、それはちょっと奇妙な環境ではあるが、ともかく
「感覚も知覚も、衝動も意識もなく、眼も耳も鼻も舌も、体も心もなく、色も音もにおいも味も感触も、心の対象もないし、また無知も老いも死もなく、無知と老いと死のなくなることもなく、苦しみもなく、苦しみがなくなることもなく、知ることもなく、得ることもない」
のだから、すべてが「ない」ので、どうやら「ないこともない」らしいので、そうするとつまり人間と宇宙の深いところで、このままでいいことになる。だから少々環境がおかしくても、そんなことは関係ないのである。
この英語のお経には大変なこと、何か根源的なことが書いてあるなあ、と感心した。
そして何回か唱えるうちに、裏のページにわけの分からないローマ字の羅列のなかから、
SHIKI SOKU ZE KU
KU SOKU ZE SHIKI
というのが読み取れて、なんだこれは
色即是空
空即是色
ではないかと漢字が浮かんできた。それなら知っている。
それでそのとき一緒に座って、英語と何語か分からないローマ字記述のお経を唱えていた日本人女性を選んで、
「アノー、これは有名な般若心経でしょうか」
と聞いて、そんなことも知らないで唱えていたのか、とあきれられた。
…
「アノー、これは有名な般若心経でしょうか」
と聞いて、そんなことも知らないで唱えていたのか、とあきれられた。
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引用:アメリカで仏教を学ぶ (平凡社新書)
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