話:室謙二
「縁起」は英語のほうが分かりやすい。
仏教の基本的な考えのひとつは「縁起」であって、唯一の神ではなくて、これが仏教の宇宙・世界認識の基本だ。でもこの縁起という中国語仏教用語は、日本語ではずいぶん違う意味をもってしまっているので(縁起が悪いとか)、ティク・ナット・ハンの英語の本で、この「縁起」を考えてみよう。
彼はある法話でこう言っている。
The Buddha taught
ブッダが教えるには
this is like this, because that is like that.
コレがコレであるのは、アレがアレだからである。
You see?
分かるかな?
Because you smile, I am happy.
あなたが微笑むので、私はうれしい。
This is like this, therefore that is like that.
コレはコレである、だからアレはアレである。
And that is like that because this is this.
そして、アレがアレなのは、コレがコレだからである。
This is called dependent co-arising.
これがいわゆる、万物はお互いに依存して、はじめてともに生ずるということである。
これが漢字仏教語の「縁起」の、英語の説明である。「縁起」なんていう漢字をつかうよりも、英語の "dependent co-arising" のほうが、分かりやすい。
こういう考え方からは、どうしたって、たった一人の絶対_永遠の神(唯一の価値)という考えはでてこない。神さんも dependent co-arising(お互いに依存して、はじめてともに生じる)ということなので、絶対唯一などではないのです。
別のところでティク・ナット・ハンは、仏教の教えを最も重要なこととして次のように書いている。
「仏教を含めて、いかなる教義、理論、イデオロギーも偶像視したり、それに縛られてはならない。あらゆる考えの体系は、私たちを導く手だてなのである(All systems of thought are guiding means)。そこには、絶対の真実はないのである」
これは「方便」の説明だけど、大変よろしい。
あらゆる思想・宗教が guiding means 、中国語仏教用語では「方便」であって、またそう考える仏教もまた方便(手だて)である、というような考えは、ユダヤ教とかキリスト教とかイスラム教のような、絶対的な一神教の人びとには認めにくいだろう。
唯一の神が dependent co-arising(縁起)だったり、guiding mean(方便)だったら困るに違いない。
引用:アメリカで仏教を学ぶ (平凡社新書)
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