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2018年5月14日月曜日

タイの出家式【もっとも遅れてきたランナー】


From:
サンガジャパンVol.29
プラ・アキラ・アマロー(笹倉明)
『タイ上座仏教への道』





テーラワーダ(上座部)仏教では、僧になるのはさほど簡単ではありません。ひと昔前は、いまよりむずかしく、たくさんなパーリ語の経を憶えるのに少なくとも一年は要したそうです。

私が所属する寺の副住職(36歳)が20歳を迎えてサーマネーン(未成年僧)から正式な僧になるときは、やはりそれくらいの時間を訓練のために費やさねばならなかったといいます。近年は、必要な準備が緩められたとはいえ、それでも一定のバリアは設けられていて、伝統的な出家式(「ウパサンパダ」と呼ばれる受具足戒式)がなくなったわけではありません。

また、僧たるものはすべからく所属の寺院をもたねばならず(昔のカタチであった遊行僧〈自由に方々を旅して歩く〉は認められず)、プラユット政権になってからは、正式な得度を経ずして僧を名乗っている者(ニセ僧)がいないかどうか、寺の内外、巷の隅々まで警察がみてまわり、僧になりたてだった私もパスポートや出家証明書なるものを提出させられたものです。

これもいわゆる管理ストレス社会へ向かう時代の一面であり、経済が発展するにつれ同時にそういう窮屈さを強いられるというのは避けられないことのようです。したがって、僧になりたいという希望はあっても、所属寺院はどこにするのかを決めることからはじめて、いくつかのハードルを越えなければ出家(得度)式に臨むこともできません。

私の場合、それを教えてもらったのは、最初にチェンマイの寺院を打ち合わせに訪れたとき、一人の僧からでした。そこに至る経緯については後に述べることにして、いくつかの条件をクリアすれば受け入れるという住職の回答をメールでくれたのがその僧(仏教大学生)であり、はじめて訪れた私にさまざま指示を出してくれたのでした。

エーサーハン パンテー スチラパリニップタンピー タンパカワンタン サラナン ガッチャーミ タンマンチャ ピクサンカンチャ …(以下略)”

(尊師よ、般涅槃されてから久しいといえども、かの世尊と法とサンガ〈僧伽〉に私は帰依いたします。尊師よ、私は世尊の法と律のもとに出家したいのです)

出家式で唱えるパーリ語は、このような出家嘆願(最初は沙弥出家)に始まり、一連のプロセスを経ることになるのですが、それらをテープに吹き込んでくれたのも、その大学生僧(僧歴は12年〈未成年僧の時代も含め〉で27歳)でした。

最後まで通しで唱えると30分ほどかかる文言を、ぜんぶ空で憶えることが最初のハードルであり、バンコクに戻ってアパートを片付けるまでの一ヶ月と、チェンマイへ来てから出家式までの二ヶ月余り、計三ヶ月間をそれに当てることになります。

私にとってはまるで馴染みのない、生まれてはじめて耳にする言語であり、最初はガクゼンとしたものです。ゼツボウ的な気分に陥りながら、これをどうにかしなければ何も始まらない、いまさら後戻りはできないという思いから、実に久しぶりの本気でもって取り組んだものです。

これまでいかに弛んだ生活をしていたかを自覚しながら、ナマケ症になじんだ心身にムチを打ち、おさな子が言葉を覚えるときの精神に立ち返り、まさに一歩ずつ、くり返し唱えることで、やっと予定の日時に間に合ったような次第でした。

この出家式を待つ約二ヶ月が、その他の準備にも大事な期間で、私の場合、寺院にほど近い安宿(ゲストハウス)に宿泊しながらの日々――、朝は6時過ぎに托鉢に出る僧(世話人の大学生僧)につき従って街を歩き、それが休みの日は自分のお堀端(旧市街を取り囲む)を歩いて足裏を鍛えたものです。これもはじめのうちは、やわな皮膚が小石を踏むたびにヒメイを上げて、ときにふらつき、よろけながら、だんだんと皮が地面に馴染んできたのは、やはり慣れというものでしょう。

テーラワーダ仏教は、いわゆる苦行を強いることはなく、つまり、とくに肉体の試練を求めることはなく、この点で誤解している人もいるようです。釈尊自身がそれでは悟りをひらけなかったことが、テーラワーダ(「原始仏教〈第一結集での決定事項〉を守るサンガ(僧集団)の意)の方針として生きているといえます。

ただ、ゼイタクなるものを極限まで戒める、つまり何であれ(衣食住にわたり)必要最小限のものでよしとする、戒律や教戒におけるその徹底ぶりは他に類をみないといってよいかと思います。むろん、そうすることが民衆の信頼と尊敬を得、最終的に目指すところの悟り、解脱なるものに到達するための必要な条件であるからにほかならず、僧である以上は文句の一つも許されません。

私が出家を決意してから苦労したのは、先ほどのようなパーリ文の暗唱とは別にもう一つ、ほかでもない断酒でした。どれほど質素な暮らしようであっても、それだけは欠かしたことのなかった私が、テーラワーダ僧となる以上、断念しなければならないのはある意味で難行だったといえます。

これまた先のパーリ文と同様、少しずつ、一滴ずつ酒量を減らしていくしかないと心得て、きっちりと六ヶ月をかけ(これは出家を決心してからの月日)、出家式の前日に最後の飲みおさめを一週間ぶりに上等なビールひと瓶でやるまでに体質改善をなしたのでした。


出家(得度)式へ



そして翌日には、以降の断酒(その他)を本堂における出家式で誓うことになります。むろんその前には、いわゆる三帰依(仏、法、僧〈サンガ〉へ)の誓いがあり、ふだんの読経でも必ず冒頭に置かれる文言です。

まずは、独りで正しく悟りを開いて阿羅漢となった世尊への礼拝

ナモー タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプタッサ

に続いて、

ブッタン サラナン ガッチャーミ

(私は仏に帰依いたします)

から始まり、

タンマン(法)…

サンカン(サンガ)…

と順に「三宝」への帰依を唱えるもので、それも三度までくり返します。

再度(トゥティヤンピー)…

再々度(タティヤンピー)…

と、このような反復もまた、やはり三度の五体投地(ベンチャーン・カプラディット)の礼など、さまざまな場面で徹底しています。

パーナーティパーター ウェラマニー

(私は殺生から離れます)

から始まる十戒の唱えは、ほんの基本にすぎないとはいえ、戒全体のあり方を示すものといえます。盗み、嘘偽り、非梵行〈性交〉の禁、あらゆる種類の飲酒や麻薬類の禁、非時(午後)の食事の禁、等々。

これらは和尚の代理を務める式師(カンマワーチャーチャリヤ)の導きで唱えるものながら、まる暗記していなければとててもついてはいけません。

ナッチャキータワーティタ ウィスーカタッサナー

(演奏や舞踏など享楽的なものから離れる)

とか、

マーラーカンタ ウィレーパナ ターラナ マンダナ ウィプーサナッタナー

(香水や花輪などで身を飾ることから離れる)

などは最後まで舌がもつれそうになったものです。が、その発音は日本人に不可能なものが一つもなく、はじめは奇怪に聞こえた言語も、馴れてくると親近感をおぼえるところがあって、日本語がタミール語を起源にもつことを唱えた学者の説(大野晋『日本語はどこからきたのか』)は、その通りのように思います。


その日(午後3時より)の列席は、比丘がふつう10名以上(5名以上なら可)の規則に従い、わが寺院からは住職を含めて3名、他寺からは戒和尚、式師、教戒師役ほか7名、それぞれが縦二列に配置されます。

正面の戒和尚の前に私がいて、はじめは白衣(チュット・ブワットナーク)を着けて、先の出家嘆願を唱えます。これは、まだ沙弥出家の段階であり、人によっては別の日にすませていたり、未成年僧の場合は沙弥(サーマネーン)の名で呼ばれる通り、すでにその出家(これをパッパチャー〈タイ語ではバンパチャー〉といい7歳から可)時にすませているわけです。

このあたりの、正式な具足戒を受けた僧か、そうでないか(20歳を過ぎても沙弥のままでいることも可)は守るべき戒律の数からして相当な違い(僧は227戒律、サーマネーンは十戒のみ)があり、私の場合、前後して同時にやってしまう出家式であったことから、両者の境界が式次第に設けられていました。

ともあれ、先の沙弥出家の請願は、合唱した両腕にやがて着ることになる三種の衣(パー・トライ、この黄衣はふつうチーウォン〈三衣のうちの上衣のこと〉と呼称)を抱えて唱えます。

これがずっしりと重く、しかも足のつま先を反る形で床にひざまずいているため、そのプレッシャーから、カンペキを期したはずのパーリ文言がときに調子を乱し、二度目(トゥティヤー)と三度目(タティヤー)を逆にしてしまうなどして、そばの教戒師(アヌサーサナーチャリヤ)から援け舟を出されて事なきを得る始末でした。

一応の定年である60歳でもって念願の出家を果たすタイ人はいるけれども、それから7年も経ってからの出家は聞いたことがない(老いぼれて体力がない者は出家の資格外ゆえ)といわれたもので、まさに最後のもっとも遅れてきたランナーであることを初っ端から思い知らされたものです。


話は前後しますが、出家(この段階ではまだ沙弥出家)を嘆願して三衣を膝の前に置いた後、戒和尚から

タチャパンチャカ・カンマッターナ(皮五業処)」

というものが説かれます。これは、人体の各部分、つまり、頭髪(ケーサー)、体毛(ローマ)、爪(ナーカー)、歯(タンター)、皮膚(タチョー)の5ヵ所を指し、和尚について順に(二度目は順序を逆にして)唱えていきます。これは釈尊があみだした根本業処(ムーラ・カンマッターナ)と呼ばれる行法の一で、その意は、それぞれを不浄なものとしてよく観察するように、よく念じて心を静め揺るがさないように、というもの。

とりわけ出家する者に向けたもので、俗世を離れた当初は、残してきた人々や財産ほか物ごとに未だ縛られて心を乱しがちな者が少なからずいる(私自身もそうでしたが)ために、例えばとらわれる相手が人(愛憎こもごも)の場合、ただ対象を人体の5ヵ所のみとして観ることによって、考えすぎてしまう妄想や精神の錯綜から逃れ、心が静まり定(サマーディ)が得られる、というものです。

これは、さらに人体を諸々の内蔵を含めた三十二相として観る法「身至念(カヤーガターサティ)」や死についての「死念(マラナサティ)」などと共に、サマタ瞑想(ヴィパッサナー瞑想は次のステップ)なるものや、教理としての「無常」「無我」の法とも関わってきます。人はいずれ老いて滅び、こういう姿になるのだという、避け得ない理を認識することの大事につながるわけです。


そうしてやっと、戒和尚は、黄衣を着てよろしい。という許可を与えます。と、私は再び三衣を抱え、ひざまずいたまま後退して場の外へと出ていきます。

といっても、すぐの裏手(黄金の仏陀像の背後)で先輩僧ふたりに助けられて着替えをし、今度は白衣から黄衣姿になって座に戻ります。このときも、場の入口からは膝をつかって歩かねばならず、膝当てをしていなければとても耐えられない(用心してスポンジ布を当てていました)、またも老いを自覚させられる時間であったのです。





三帰依と十戒の唱えが終わると、戒和尚とのやりとりがつづきます。

「依止(えじ)」(新参比丘を教戒すること)を乞い求める文言につづき――

ウパチャヨーメー パンテー ホーヒ

(尊師よ、願わくば私の戒和尚になってください)

を私が三度まで、そしてそれを受けて戒和尚が――

パーサーティケーナ サンパテーヒ

(信を生じさせる努力をもって帰依しなさい)

と応えます。続いて、

アチャッタッケー ターニーテーロー マイハンパーロー アハンピ テーラッサ パーロー

(今日ただいまより、私は長老のお世話を致します。私もまた長老のお世話になります)

とやはり三度まで唱えます。これでもって、いわば師弟関係が成立したことになるわけです。僧の上下関係は、テーラワーダ(上座部)仏教の世界ではしっかりあって、一日でも一時間でも出家が早いほうが上にくる仕来りであり(法臘〈ほうろう〉の上下という)、年齢は関係ありません。

この師弟関係が成立した時点で、単なる沙弥から「仏教比丘」として認める段階に入ったことを戒和尚が告げます。そして、バート(鉢)を肩から吊るすように、という指示を出します。私が手元のそれを手にして肩に掛けると、式師がそれに手をふれて、

アヤンテー パットー

(これはあなたの鉢である)

と問いかけます。

アーマ パンテー

(はい、尊師よ)

と私が答えた後は、三衣(チーウォン他)にも順に手をふれて、同じ問いを口にしていきます。このような確認は、三衣をはじめとする僧の持ち物について必要とされるもので、新しいものを使用するときなどにも様々な戒律があり、その細かさは世尊時代の伝統を継いできた上座部の真骨頂といえそうです。

クッタン?

(あなたはハンセン病ですか)

ナッティ パンテー

(いいえ、尊師よ)

次に始まる「遮法試問」なる問答(本堂の最後部で式師と教戒師の両師が私を前にして問う)で、いきなりライ病か否かの問いが発せられるところも古来のままで、いまはそんな病が絶滅に近いことなど関係ありません。カンドー(腫瘍病)、キラーソー(天然痘)などの伝染病がないかどうか、かつて罹って完治していない場合も、出家の資格外となります。

マヌッソースィー?

(あなたは人間ですか)

アーマ パンテー

(はい、尊師よ)

それまでは、いいえ、と答えていたのが、ここからは肯定形になるので、いささか戸惑います。この問いの意味するところは浅からず、親を殺した者や僧(阿羅漢)殺しなど、最低限、出家資格者でないことを確かめるものといえそうです。また、人間(マヌット)が六道の基軸であり、これからニンゲンとしての資質が問われて死後に行く世界が決まることを示唆するものでもあるでしょう。

あとは、男性であること、自由者であること、が確かめられます。現代のサンガでは女性は認められておらず、黄門(同性愛者)も出家できません。自由な者というのは、雇われの身であるなら主人の許可を得ているかどうかの問いであると同時に、出家の束縛となるものから逃れられているかどうかの問いでもあります。

なかでも最大の束縛である配偶者(および家族)をもつ場合は、その了解を得ているかどうか(これは一時出家者の場合)、長期の出家であれば、子供はいても妻と正式に別れる(離婚に相当する)などして自由の身であるかどうかが問われるわけです。これは、家庭を捨ててまで強引に家を出ることは好ましくない(絶対に不可とはいえないまでも)という考えに基づくもので、私の場合、この点だけはタイへ移住するときの条件でもあって、皮肉な取り柄といえたでしょうか。

続いて、負債のない身であること、公務に関わっていない(その職務を忌避していない)こと、両親の許可を得ていること、20歳に達していること(未成年僧は7歳から可で正式な僧は成人してから)、鉢と衣が完備されていること、などが質(ただ)されます。



そして、最後に、名前の確認です。

キンナーモースィー
(あなたの名前は何ですか)

アハン パンテー アマロー〈ビク〉 ナーマ

(尊師よ、私の名前はアマロー〈比丘〉です)

加えて、戒和尚の名前も聞かれて、

ウパチャヨーメー スィリパットー ナーマ

(スィリパットー〈ビク〉です)

と答えます。あとは、冒頭に唱えた出家請願(今度は正式な僧としての出家で、セリフが少し変わる)を三度までくり返します。

サンカンパンテー ウパサンパタン ヤーチャーミ ウンルムパトゥ マンパンテー アヌカンパン ウパーターヤ

(サンガの諸尊師よ、私は具足戒を求めます。どうかサンガは慈悲心をもって私の出家を認めてください)

そこではじめて、戒和尚は、列席のサンガ衆に向かって、具足戒を求めているこの者(アマロー)を認めるかどうか、全員一致での決議(白四羯磨、ぴゃくしこんま)をするようにと告げます。そして、

それを受けて式師が、この者(アマロー)は所々の遮法(先の問答)から「清浄」であり、かつサンガに具足戒を求めているので、サンガ(衆)はスィリパットー様を和尚として具足戒を授けてほしい、と告げ(これを「白〈告知〉」と呼ぶ)、続いて、そのことを認める方は沈黙し、そうでない方はその旨を述べてほしい(これを「唱説〈確認〉」という)と告げます。

このような文言もすべてパーリ語であり、やはり三度まで同じセリフを一語の省略もなく、くり返し確認します。

そして最後に、アマロー・ビクは具足戒を授けられました、サンガはそれを容認していることから沈黙しています、と述べて結語とします。沈黙をもって肯定の法とするのは、これも世尊の採った方式であり、手間のない効率的な法といえます。

よほどの失敗がないかぎり、それは予定されていたことであり、出家証明書なるものもすでに用意されていました。ふつうの額縁に入れて飾っておける大きさ(タイ人はそのようにする)のもので、これにはすべてタイ語で記されています。私の本名と生年(仏暦2491)月日に加えて、日曜日(生まれた曜日)と両親の名前が書いてあるところ(これはいろんな公式の場で必要)が特徴的です。

アマローなる法名は、日曜日生まれにつく一群の名の一つで、天人(テーワダー)を意味します。死後にゆく世界の一つ、天界の入口にある領域ながら、不死の水(アマリット)を飲むことができ、最低でも天界齢で500年(人間界でいえば900万年)の命がある、といわれます。ほぼ永遠といっていいかもしれず、しかし、ついに尽きる日がくると、次にどこに生まれ変わるかは、命がある間の行いしだい、もっと上にいくこともあるし、奈落へ落ちる可能性もあるそうです。このテーラワーダ仏教における宇宙観は果てしなく壮大なもので、いずれそのチャートを描いてみたいものです。

儀式は、その後もしばらく続く「教戒」(ニサヤ4と呼ばれる「四依」〈僧生活の基本である衣食住薬〉と最低限の犯してはならない「四堕」〈殺、非梵行、盗、妄語の禁〉と呼ばれる戒律について、すべてパーリ語で告げられる)と一連の祝福の誦経の後、やっと終わります。

名も知らない幾人かの観客(「ヨーム」と呼ばれるお寺の信者)から、さっそくバートに小額の紙幣が入れられて、最初の喜捨となったのでした。





From:
サンガジャパンVol.29
プラ・アキラ・アマロー(笹倉明)
『タイ上座仏教への道』

2016年5月8日日曜日

タイの「死体博物館」 [プラユキ・ナラテボー]



話:プラユキ・ナラテボー



不浄観


広辞苑によれば、不浄観とは

「身体や外界の不浄を観じ、それによって執着を断ち切ろうとする観法。とくに死体が腐敗していく過程を心中に観ずる」

とある。



「大念処経」において「身随観(Kayanupassana)」として6つ挙げられている観察対象の4番目

「パティクーン・マナシガーン」
Patikula-manasikara = 厭逆作意)

と6番目の

「ナワ・シーワンティカ」
Nava-sivathika = 九墓地)

がこれにあたる。



「厭逆作意」は、別名「三十二身分観想」とも言われ、身体を三十二の要素に分解し、それぞれを繰りかえし観察していく方法である。

身体の三十二要素とは、当時の解剖学にのっとり、

「髪、毛、爪、歯、皮、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、胃、腸、胃の内容物、大便、脳髄、胆汁、痰、膿汁、血、汗、脂肪、涙、血清、唾液、鼻汁、関節滑液、小便」

の三十二である。



また、「九墓地」とは、死んだばかりの遺体の状況から、だんだんと変色、腐乱し、蛆(うじ)がわき、やがて骨や土になっていくまでの様子を九段階に分け、順々に瞑想していくものである。

タイでは「ドックマーイ・アリヤ(聖者の花)」などとも呼ばれ、寺によっては、それぞれの段階における死体の状況が、そのままズバリ写された写真集が僧侶に配られたり、スライド上映がおこなわれたりしている。また、墓場で寝起きをしながら瞑想することを勧められたりもする。

バンコクのシリラート病院では「死体博物館」があり、死者の写真やホルマリン漬けされた何体もの死体が展示されて一般公開されている。また僧侶には特別に検死解剖の見学も許され、写真やホルマリン漬けの死体では味わえない生々しい臓器の色や形、飛び交うハエの様子などを目にしたり、強烈に鼻を刺してくる死臭などともダイレクトに触れられる。



また、「エイズ寺」として知られ、多数のエイズ患者を看護する病棟もそなえたロッブリー県のプラバート・ナムプ寺では、「ホン・モラナサティ(死の瞑想部屋)」と表札のある部屋にはいると、エイズで亡くなった人のホルマリン漬けの遺体やミイラ状態になった人たちが展示されている。わたしが訪れたときにはちょうどエイズの人たちの運動会が催されたすぐ後だったようで、運動会の様子を撮影した写真なども貼られていた。そのなかには棺桶をバトン代わりにリレー競争するエイズ患者たちの姿もあった。

同行した日本のお坊さんたちには、「死の瞑想部屋」もエイズ患者の「棺桶リレー」も不評だったようで、嫌悪感をあらわにされていた。そのような気持ちは私自身、日本人のひとりとして分からないでもなかった。

しかし、タイで出家し、「身随観」の瞑想に親しみ、部屋に貼られた「聖者の花」を毎日のように眺め、キャンプファイアの焚き木のように重ねられた木組みの上で、衆目の見守るなか、燃えていく遺体を何度も目にする機会をもつにつれ、私のなかでは現代日本の斎場での火葬様式も、また、死化粧が丹念にほどこされた遺体も、あるがままの「死」という現実をできるだけ衆人の目からそらし、隠匿しようという意図が感じられるようにもなってきた。



そしてそれは、この世に生を受けた者すべてに確実にやってくる、きわめて自然な「死」という現象を、あるがままに受け止めるのとは反対に、むしろ忌避すべきものとして、忌み嫌うことの裏返しのように思えるのだった。

そう思うようになってきた時、なんだか「不浄観」という名称さえもが、どこか的を外しているようにも思えてきたのだった。あるがままの身体に、また死体という身体の自然な一状態に、「不浄」というレッテルを貼る必要がいったいあるのだろうか? それはあるがままの身体とそのプロセスについての「あるがままの観察」ではないだろうか?

そう思ったとき、あるがままに現象を観察するという方法論をとるヴィパッサナー系の「大念処経」のなかに、身体要素の観察や死体の観想がとりあげられていることに得心がいくようになった。







引用:「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語




タイの「4つの瞑想法」 [プラユキ・ナラテボー]



話:プラユキ・ナラテボー



ブッダの教えた瞑想


まず、ブッダの瞑想法について簡単に説明しておく。

ブッダは

「サマタ」
(Samatha = 止)

と称する「集中系」と

「ヴィパッサナー」
(Vipassana = 観)

と称する「気づき・洞察系」の2種類のタイプの瞑想法を弟子たちに教えた。



「サマタ」はマントラやイメージなどの対象に意識を繰り返し向けていくことで、安定した集中力を培うことを目指す。

一方、「ヴィパッサナー」は、対象をあらかじめひとつに限定することなく、その瞬間瞬間に生じてくるものごとをありのままに自覚化することを繰り返しながら、洞察を育んでいく方法だ。

この2つの瞑想法を合わせて

「サマタ・ヴィパッサナー」
(Samatha-Vipassana = 止観)

と称し、そのバランスが大切とされる。



仏伝によれば、ブッダは出家後、2人の師につきサマタ系瞑想を最高度に極めたが、なおも究極的な安らぎは得られず、その後みずからが試みたヴィパッサナー系瞑想によって、解脱・涅槃に至ったとされている。

ヴィパッサナー系の瞑想については、現存する仏典では

「マハーサティパッターナ・スッタ」
(Maha-Satipattana-Sutta = 大念処経)



「アーナーパーナサティ・スッタ」
(Anapanasati-Sutta = 出入息念経)

のなかで、その詳しい紹介がある。










タイの代表的な4つの瞑想


タイでは、この2つの瞑想法のうちどちらを強調するか、どの対象に主に意識を向けていくか、内言(ラベリング)を用いていくかいかないかなど、あるいは同系統の瞑想法であっても、指導者によるテクニックが若干加えられるなどして、さまざまな瞑想法が実践されている。

そのうち、よく知られている代表的な瞑想法は以下の4つである。


1 「アーナーパーナサティ(出入息念)」瞑想法

2 「プットー(ブッダ)」瞑想法

3 「ユップノー・ボーンノー(縮み・膨らみ)」瞑想法

4 「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」瞑想法






1 「アーナーバナサティ(出入息念)」瞑想法


ブッダ伝来の伝統的な瞑想法で、前述の『アーナーパーナサティ・スッタ(出入息念経)』に沿い、呼吸への気づきを手がかりにして、

身体(Kaya)
感受(Vedana)
(Cita)
(Dhamma)

という順序で徐々に精妙化する4つの対象領域を、それぞれ4つの視点で洞察していく形式で、全部で16段階の瞑想プロセスを経ていくやり方である。



具体的には、まず姿勢を正して座る。

そして呼吸をいちばん感じ取ることができる鼻の入り口あたりに意識を集中させ、ひと息ひと息ごと丁寧に

「気をつけて息を吸い、気をつけて息を吐く」
Sato va assasati, sato va passasati



ここを始点としてさらに、呼吸をコントロールすることなく、ありのままの呼吸に油断なく細心の注意をむけつづける。そうしているうちに、だんだんと精妙化していく呼吸の細かな様相を見つめ、実感しつづけていく。

やがて呼吸と連動する身体感覚のありようについても感じられてくるようになったら、そのまま今度は身体感覚に生ずる諸相をもありのままに見つめ、体感していく。それから身体感覚に付随して生じてくる心の動きについても明晰に観察をすすめていく。

最終的には、

無常(Anicca)
(Dukkha)
無我(Anattan)

といった真理の法則性の認識にいたるまで洞察を深めていくものである。

故プッタタート比丘が建立されたタイ南部の有名なお寺、スワンモーク寺ではこのアーナーパーナサティ瞑想法をもちいたリトリートを毎月10日間のコースを提供している。






2 「プットー(ブッダ)」瞑想法



「プットー」は、タイ語で「ブッダ」の意味である。

これはタイのサマタ系瞑想の代表的なものとして知られている。



方法としては、姿勢を正して座ったあと、

息を吸うときに「プッ」

吐くときに「トー」

と心のなかで唱えながら呼吸していくものである。



この瞑想法でも呼吸のコントロールはおこなわないが、しかしアーナーパーナサティとは異なって、呼吸の観察からはじまって身体の感覚、心の動きまで洞察していくといったこともしない。

ただひたすら「プットー」という言葉に意識を集中させ、くりかえし唱え、心を静め三昧にはいっていくことが目的である。



いくつかの寺では、ただじっと座って唱えるだけでなく、数珠を瞑想の小道具として併用し、呼吸に合わせて、吸うときに「プッ」、吐くときに「トー」と唱えつづける方法もとられてもいる。

また、呼吸は関係なしに、ただ「プットー」と言葉を唱えるごとに、ひとつずつ数珠をはじいていくところもある。






3 「ユップノー・ポーンノー(縮み・膨らみ)」瞑想法



ミャンマーのマハーシ長老由来の瞑想法。

タイにおいても広く知られ、多くの寺院で実践されている。とくにマハーニカイ派の代表寺院で、マハーチュラロンコン仏教大学が敷設されているマハータート寺では、この「ユップノー・ポーンノー」瞑想法が取り入れられている。







この瞑想法では、姿勢を正して座ったあと、呼吸に連動して縮み・膨らみを繰り返す腹部に意識をむけていく。そして

お腹が縮んでいくときには
「ユップノー(縮む)

お腹が膨らんでゆくときには
「ポーンノー(膨らむ)

と、ひとつひとつ言葉を貼りつけて(ラベリング)認知していく。

私が参加したこの瞑想法のリトリートでは、最初、参加者全員で一斉に声を出しながら行い、その後、ひとりひとりに分かれてからは心の中でラベリングした。



また歩行禅もあり、その際には、一歩一歩を非常にゆっくりとしたスローモーションともいえる速度でおこない、その足の上げ下ろしのプロセスを

「ヨックノー(上げる)

「ヤーンノー(はこぶ)

「ジアップノー(下ろす)

とラベリングしながら歩く。



それからさらに日常動作においても、

「立っている」

「座っている」

「触れている」

食事の際には、

「口を開ける」

「入れる」

「味わう」

「噛む」

「飲み込む」

などとラベリングしていく。



また、身体感覚や心の状態についても、それを感じた時点で、

「暑い」

「寒い」

「眠い」

「怒り」

「うんざりしている」

「わずらわしさ」

などなど、たえずラベリングしながら確認していく。



上述の『マハーサティパッターナ・スッタ(大念処経)』『アーナーパーナサティ・スッタ(出入息経)』においては、「ラベリングするように」とは記されていないが、今のあるがままの状態を仔細に観察、自覚するという意味で、これもヴィパッサナー系の瞑想のひとつと言っていいだろう。






4 「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」瞑想法



ワット・パクナム寺の故プラ・モンコン・テープムニー師によって編み出された瞑想法である。

伝統寺院のパクナム寺および、パクナム寺から分院したあと、現代テクノロジーなどもふんだんに取り入れ、近代的な装いでタイの都市新中間層の人気をあつめるバンコク郊外のタンマカーイ寺。そして、その末寺でこの瞑想法がおこなわれている。



この瞑想法では、姿勢を正して座ったあと、呼吸を整え、

「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)

と唱えていく。



そして「水晶玉」や「光の玉」をまず鼻孔のあたりにイメージし、そこから目頭の中心、のど、へその上へと「球」が安定するように繰りかえし

「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)

と唱える。

この球への精神集中が強まるにつれ、心はととのい、情緒の安定がはかられる。さらに、球から光が発するのが見えたり、さまざまな仏像の姿が見えてくるにつれ、心の境地が次第にすすんでいくとされる。

この瞑想法は、イメージトレーニングによって高度の集中力をはかっていくサマタ系の瞑想といえよう。



以上が、タイでよく知られているオーソドックスな体系だった瞑想法である。









引用:「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語




2016年5月5日木曜日

人の重荷、五蘊 [プラユキ・ナラテボー]



話:プラユキ・ナラテボー





「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし」

小さいころ、私の家にはこんな言葉が書かれた額が壁にかかっていた。戦国武将、徳川家康の残された言葉だった。

「急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし」

と続くこの言葉は名言とみなされ、わが家のような地方の一家庭にすら、額縁に飾られ後生大事に奉られていた。



いま思えば、たしかにその言葉は人の生の一面の真理をついており、世を生き抜くための箴言としても十分に活用できるものとわかる。だがしかし、当時のわたしはそれを目にするたびになんともやるせなく、重苦しい気持ちになった。

いや、人の一生がそんなものであるはずがない。もっと軽やかに、もっと自由に生きられるはずだ!

そう心のどこかで信じ、叫んでもいた。



後年、その信念がまんざら間違いでもないことを知る。


五蘊(色・受・想・行・識)にとらわれしこと、これ苦なり。

人この重荷を背負い行く。

これ負うて行くことよ、世の苦とは。

これ捨て去らば、幸生ず。

覚者、重荷を置き去りし、

再び負うことなかりけり。

あまたの煩悩根こそがれ、

欲する気持ちは消え去りぬ。


ブッダの言葉である。

そうだ。わざわざ重い荷を背負ってゆくからこそ、私たちの生は苦しみ多く、疲労をともなう。家康は「急がないこと」、「不自由を常に思う」ことにより、この苦しみ多き不自由な生も耐えてゆかれるとした。それは卓見に違いない。

しかし、家康にさかのぼること二千年。インドで生まれたひとりの覚者は、より根本的な解決策を提示していた。不自由を常と思い耐える道ではなく、自由を実現する道だった。



「背中の重荷に気づけ。荷を降ろせ。そうすれば誰でもが、軽やかに、自由に、そして幸せに生きられる」

インドの覚者、ブッダはこう言いきっていた。人生は苦しいものではない。不自由なものではない。ブッダの道を歩めば、幸せに、自由に生きられる。

長らく取り憑いていた重い言霊から、私はやっと開放された気がした。







誰の人生にも「転機」といわれるときがある。

それまでの人生がたちまちのうちに一転する、そんなときだ。

ある人のたった一言で、

たまたま目にした本のなかのワン・フレーズで、

人生が180度かわってしまうこともある。

すると突如、慣れ親しんだ世界が装いを新たにして現れる。





その後、縁あって私はタイという異国の地でブッダの道を歩みはじめることになる。

重荷の正体は次第に明らかとなり、ずっしり重かったそれは徐々に降ろされた。そのポイントは「遠き道をゆく」のではなく、「今ここ」に気づいて生きることだった。灯台下暗し。幸せの青い鳥は、たしかに一番身近なところにいた。








仏教はひたすら「苦」について説くペシミスティックな教えだと勘違いされたりもする。

否。苦はスタートでありゴールではない。

たしかに人間誰しもが泣き叫びながら生まれてくる。が、恐れや悲しみ、恨みや憎しみの形相で死にゆくか、安らぎに満ちた穏やかな表情で逝くかは、人それぞれ選択できる。





当初、3ヶ月のつもりだった出家修行は、予定どおりには終わらなかった。出家してから6年間、日本に帰ることもなく、異国の地でただひたすら自己の内側を見つめる日々を送った。

その結果、内側に育まれる幸せの妙味を知ることになった。しかし、それは自身のゴールとはならなかった。









引用:「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語




2016年4月20日水曜日

ミャンマー仏教とタイ仏教の違い [魚川祐司]



話:魚川祐司


ミャンマー仏教とタイ仏教

最後に、この個々の仏教者による「本来性」と「現実性」との関係のとり方の差異について、もう一つ面白い例を挙げておこう。それは、ミャンマー仏教とタイ仏教の性質の違いである。

ミャンマーとタイは、ともに上座部圏に属する国であり、多くの国民がテーラワーダ仏教徒であるが、それぞれの国で実践されている仏教の性質には、やはり微妙な差異がある。そして、なかでも顕著な相違であると考えられるのが、その涅槃に対する把握の仕方だ。

総じて言えば、ミャンマーの仏教徒たちにとって、涅槃とは本書で述べたような瞑想による無為の領域の覚知のことであり、タイの仏教徒たちにとって、涅槃とは瞑想時に限らず、行住坐臥のすべてにおいて実現されている、人格の一定の状態を指すように思われる。



ミャンマーの仏教は基本的に聖典のテクストを遵守する保守的な性格のものであるから、それが第6章で詳述したような「テーラワーダ的な」涅槃の解釈にしたがって実践を行うのは当然であるが、ここで興味深いのはタイ仏教のほうである。

もちろん彼らもテーラワーダ仏教徒であるから、無為の涅槃の領域を否定はしない。だが、かの地の瞑想指導者たちの著作や、そこで実践を行う人々の語るところによれば、タイの仏教徒たちにとって、涅槃という事態は瞑想における特定の状態というよりは、むしろ日常において意識が「いま・ここ」への気づきを保っていて、そこに貪瞋痴の煩悩が混入していない状態のこととして、認識されていることがしばしばであるように思われる。



たとえば、世界的に著名なタイの瞑想指導者であり、このほど法話の邦訳も出版されたアーチャン・チャーは、それらの著作のなかで、ミャンマーの瞑想関係の書籍であれば必ず語られる涅槃の覚知の瞑想経験について、ほとんど口にすることがない。彼が語るのは、ただ気づきを保って日常を過ごし、そうすることで無常・苦・無我という現象の性質をありのままに知って、執著から離れることだけである。






あるいは、日本人タイ僧侶として人々に瞑想の指導や仏教の解説などを行っているブラユキ・ナラテボーも、涅槃の覚知のような瞑想における特定の経験を修道上の目標として語ることがほとんどなく、ただ「いま・ここに開かれてあり続けること」を基本として、その指導を行っているようである。






両者に共通しているのは、瞑想上の特殊な経験を目標あるいはブレイクスルーとして捉えることを、基本的にはしないことだ。



このように涅槃観の相違は、僧院での生活の仕方にも表れており、たとえばミャンマーの瞑想寺院では、修行者にいわゆる作務をやらせることをほとんどしない。「余計なことはせずに、ただ瞑想だけに集中せよ」というわけで、これは真剣に取り組んでいるところほどそうである。

他方、タイでは瞑想者にも、掃除や居住小屋(クティ)の修理といった作務を、積極的にやらせる寺院が多い。これは瞑想や涅槃というものを、通常の暮らしも含めた生の全体性のなかにおいて実践・実現されるものとして捉えていることの表れであると思われる。

ミャンマー仏教とタイ仏教の、瞑想や涅槃に関するこのような態度の相違は、日本における臨済禅と曹洞禅の差異ともパラレルに理解できるところがあって、たいへん興味深いものがある。



両者にこうした相違が生じるのは、記述の「世間 諦」と「出世間諦」の内実把握と、それぞれを重視する仕方に違いがあるからであろうが、いずれにせよ、個々の仏教者による「本来性」と「現実性」との関係のとり方の差異は、テーラワーダの内部にさえも、実は存在しているということである。







引用:仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か
第8章 「本来性」と「現実性」の狭間で その後の話