ラベル 天狗芸術論 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 天狗芸術論 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年9月6日金曜日

原文で読む『天狗芸術論』巻之四

天狗芸術論
巻之四


§1 2409字

【原文】

一、503字

問ふ。
槍に直槍、十文字、鎰、管等の伝あり。いづれか利あらん。

曰く。
何ぞ問ふ事の愚なるや。

槍は突くものなり。突くことの自在をなすは我にありて器にはあらず。然れども或いは鎌をつけ、柄に鎰を仕込み、或いは管をかけて用ふることは、其先人の得たる所より其利を工夫し、其うつはものの働を極めて、此れを用ひて自在をなしたるものなり。

今其流儀を学ぶ者は、初めより其器にて仕習ひたることなれば、他の器よりは手に熟したる器を以てはたらきたる方利あるべし。達して己に得るに至ては、棒をもちても槍となるべし。

今、後学其門弟をあつめて、横手物には此あひしらひにてかち、管、直槍には此通りにかかり、鎰にはかくの如くして勝つなどいふは、我が門弟に他の器に応ずることを教へ、我がうつはものの利を説くのみ。然らざれば其流儀の器をもちたる得なし。もし是を至極と心得て、十文字は入り込んで来り、鎰、槍は直槍の柄をからむものなりとのみ思はば、大いに相違あるべし。

然れども先師の教ふる所をもつぱらに習熟すべし。其上のことなり。あしく心得れば初学の迷ひを生ず。初学の取入るべきやうなき者のために、しばらく収気の術を記す。此れ小童に倣はすべきことなり。

【原文】  

一、 1906字

先づあふのけに寝て肩を落し、胸と肩とを左右へ開き、手足をこころのままに伸べ、手を臍の辺り虚欠の所に置き、悠々として万慮を忘れ、とやかくと心を用ふることなく、気の滞りを解き、気を引さげ、指の先までも気の往きわたるやうに気を総身に充たしめ、禅家の数息観のごとく呼吸の息を数へ居るに、初めの内は呼吸あらきものなり。漸々に呼吸平らかになる時、気を活して天地に充つるがごとくすべし。息をつめ気を張るにはあらず、気を内に充たしめて活するなり。

此時に積聚の病ある者は、胸腹の間其病のある所、必ずしだるく気味あしきものなり。此すなはちあつまり凝りたる気の融和せんと欲して動ずるなり。腹のうち鳴るもの也。此時多くは腹の内の気味あしきにおどろきて止むものなり。此時は猶初めの開きて充ちたる気を改めず、掌を以てやはらかに抑へ揉むべし。強く捫るときは彼動ずる邪気にさからひ、却つて鎮まらざるものなり。甚だ突上がる時は各別なり。

総じて腹の上一所に久しく手を置く時は、気其所へあつまるものなり。故に充ちたる所に手を置かずして、虚なる所に手を置くこと習ひなり。亦背に病ある者は必ずせなかしだるくなるものなり。只気のこらざるやうにすべし。

肩と胸とを開くこと習ひなり。両の肩をぬき出すやうにひらく時は気伸ぶるものなり。此れ形を以て気を開くの術なり。気滞る時は心滞る。心とどこほる時は気とどこほる。心気は一体なり。此術は先づ気の滞りを解きて、其倚る所を平らかにするの術なり。

譬へば総身に蟻などのたかりてせはしきを、払ひ落して身を清くし、其上にて新らしき衣類を着し、綺麗なる所に居るがごとし。

神道に内清浄外清浄といふことあり。内清浄は心を潔くして私念妄想の穢れを去り、無欲無我の本体にかへり、元来固有の天真をやしなふなり。外清浄は身をいさぎよくして衣服居所を改め、気を転じて外の邪気の内へ移らざるやうにして内清浄を助くるなり。内外本一なり。内清浄の外に外清浄あるにはあらず。

心気もと一体なり。気は形の内を運つて心の用をなす。心は霊なり。かたちなくして此気に主たるものなり。気を修する時は心おのづから安し。此気妄動する時は心困しむ。

たとへば船しづかなる時は乗者安く、波荒く船危ふき時は乗者安からざるが如し。故に初学の手を下す所、先づ気の滞りを解きて心を平らかにし、気を活して心の自在をなすべし。此迄は寝て散乱するの気を収め、倚る気を解きて平らかにするの術なり。

かくの如くすること五七日或は十日二十日のうちに修して、みづから快きことを覚ゆべし。快き時は猶々此術を行ふべし。気収まりたらば気を活すべし。惰気にひかるべからず。気総身にみつるが如くわづかに心を活すれば、気活するものなり。

又昼は起きて形を正しうし、気を活して総身にみたしめ、正三派の二王坐禅のごとく、しばらくの内坐して気を収むべし。必ずしも線香を立て時を定め、結跏趺坐するにも及ばず、常の如く坐して形を正しくし、気を活するのみ。しばらくのうちかくの如くして、一日に幾度も間暇の時に修すべし。

かくの如くすれば筋骨の束ね合ひ、血脈流行して滞りなく、気実して病おのづから生ぜず。形正しからざれば気倚る所あり。

立つて修するも同じ。人と向ひ坐し、或は物に対し、または事を務むる時も同じ。胸と肩とを開きて気のかたよることなく、滞ることなく、総身指の先までも気の充ち渡るやうに心を付くべし。

歌謡して声を発する時も、飯を喫し茶を飲む時も、路をありく時も、常にかくの如く心を付くる時は、後に不断の事に成つて、自然に気活するものなり。不断かくの如くなる時は、不意の変に応ずること速やかなり。惰する時は死気に成つて用に応ずること遅きものなり。落付きたると油断と似て異なるものなり。みづから試みてしるべし。

此れ文才なく初学幼童といへども、心を付くれば労する事をなくして成り易きことなり。小子輩の立廻り、茶の湯、蹴鞠、一切の小芸舞躍の類迄も、気かたよりて生活せざる時は、形の動静手足の続き美はしからず、応用の所作も滞るものなり。常には惰気になりて何の心もなく、器を執る事ある時ばかり俄かに思ひ出して修せんとする時は、気改まり形に心をとられ、所作に意を住むるゆゑに、気動揺して不意の用に応じがたし。

常に心を用ひて修する時は、事ある時に無心にして応ずる者なり。只常に気を生活して惰すべからず。惰気は死気なり。死気は霊なし。故に用をなさざるのみにあらず、物に驚き怖るること多し。気総身にみちて心とともに生活する時は、おどろくこともなく、おそるることもなく、不意の変にも応じやすし。但し浮気は根なし。生活にはあらず。似て異なり。






§2 974字

【原文】

一、122字

昔或る禅僧、小童に教へて曰く、怖ろしき所を通る時は腹をはりて往過ぐべし。おそろしき事はなきものなりといひし。

よき方便なり。腹をはる時は気を引下げて下にあつまり、暫くは気内にみちて強くなるものなり。気虚欠にして上にある故におどろき怖るることあり。

【原文】

一、852字

亦歩行する者を見るに、常人多くは上ずりなるが故に、頭とつり合つて歩行し、或は五体をもみてありく。善く歩行する者は腰より上は動くことなく、足を以て歩行する故に、体静かにして臓腑をもむことなく、形疲れざるものなり。駕輿丁の歩行するを見てしるべし。

剣戟を執つて行く者、気濁つてかたよる時は、足を以て行くことあたはず、頭につれて五体をもむときは形に損あり、気うごいて心しづかならず。刀は右を先にし、槍は左を先にす。立つ時は前足を活して立つものなり。

一切の事みな常に修すべし。路をゆきながらも、坐しても、ねても、人と対しても、工夫はなることなり。

猿楽の太夫共の足づかひを見るに、みな爪先をそらしてすすむ。足を活かし踵を蹈みてゆく。これ身の風流ばかりにあらず。すすむ足活きて、足を使ふに自由なり。又気我にかへりて向ふへ曳かるることなし。鞠を蹴る者の身づかひ足づかひも同じ。

上手の太夫の舞ふ所を後ろより突くに、躓き倒るることなし。これ気活して総身に充ち、下は定まつておもく、上は軽く動いて片よる所なく、臍下より呼吸して声を出すがゆゑなり。

下手の舞ふ所へは、少し礙りてもつまづき倒れるものなり。これ下軽くして定まらず、気かたよりて生活せず、胸より上にて呼吸し、上ずりに成つて下虚欠なる故なり。

亦上手の謡物は、声を呂へ落す時、臍下大いにふくるるものなり。是等の事は常に試みて知るべし。

故に人の歩行するに下軽く上ずりなる者は、早く疲るる者なり。此等の事に限らず、耳目の触るる所に心を付けて試みる時は、天地の間の物みな工夫の種となり、天下我が師にあらずといふ事なし。我れに主あつて是を求むるが故なり。一切の事我に求むる主なき時は、人より与ふることはなきものなり。

軍書に主人の供をして行くには、前後左右山川地利の益に心を付くべしといへり。古への名将は田夫野人の所作を見て心付き、謀術の種として功を立てたる人多し。

軍中には限るべからず。常にも万事に心を付くれば、益を得る事多かるべし。頑空なれば死人に同じ。得ることあれども取らず。





§3 1208字

【原文】

一、1208字

問ふ。
軍学は謀計を以て人を欺くの術なり。此道に習熟せば我が小知を助けて心術の害あらん歟。

曰く。
君子是を用ふる時は国家治平の器となり、小人これを用ふる時は己を害ひ人を傷ふの器となるべし。一切の事みな然り。志道にもつぱらにして、私心のまじはりなき時は、盗賊の術を学ぶといふとも、盗賊を防ぐの益となつて志の害をなすことなし。志情欲利害にもつぱらにして学ぶときは、聖賢の書といへども小知の助けと成るべし。

故に先づ正道の志を立て、是を変ぜずして後万事を学ぶべし。我に正道の主なくして軍術等を学ばば、功利の言を悦びて心此に動き、小知の巧を専らにして、是を以て士の道とするの誤りあるべし。剣術を学ぶ者も此芸に熟して、是を以て辻斬強盗をなして男道なりと思はば、芸術却つて身の害を招くべし。此芸術の罪にはあらず。志の違へるなり。

熊坂と弁慶と同じ打物の達者、勇謀兼備へたる大剛の者なり。弁慶は是を用ひて忠戦をなし、熊坂は是を用ひて盗賊をなす。故に謀計は士道にあらず。是を用ひて軍忠をなすを士道とす。加州安宅の関にて、弁慶が杖を以て義経を打ちたるは忠にはあらず、君の難を救ひたるを忠とす。迹を以て論じ、事を以て論ずるは不智なり。

夫軍法は人数を立てて備へを設け、敵のために我が陣を破られず、奇兵を用ひ謀を以て敵を破るの術なり。邪を以て正に敵する者は賊なり。備へを設けて謀を用ひず、無法に戦つて敵の謀に陥り、賊の為に我が忠義の士を傷つて可ならんや。我れ謀術を知るときは、予め其備へを設けて敵の謀におちいらず。其術をしらざる時は敵の擒となる。是をしらずして可ならんや。  

謀は其術多端なりといへども、畢竟人情に応じて用をなすものなり。人情に応ぜざるの謀は、其術を知るといへども用をなさず。医師の多く書を読み薬方はしりたれども、其病の因つて起る所をしらず、妄りに薬を施して却つて他の病を引出すがごとし。

人情をしることは将の知にあり。将信あり義あり仁あるにあらざれば、人情和せざるものなり。人情服せざる時は、其謀却つて禍となること古今明白なり。医師の妄りに薬を施して却って他の病を引出すがごとし。敵暴にして我に道あらば、人情の服する所金鉄のごとし。敵の謀何ぞ恐るるにたらん。

敵道あつて我が軍の人情服せずんば、我がはかりごとを用ふる所なし。故に将は人情を得るを以て要とす。今士の学ぶ所は名将謀術の迹のみ。

是古人の糟粕なり。其糟粕を学んで精汁を錬り出すは、其将の量なり。匹夫は其事を倣つて其事の中より、時に当るの働きをなすものは士の量なり。

物頭、物奉行、斥候、使番みなそれぞれの事あり。前備、脇備、卜備、遊軍皆それぞれの法あり。槍前、槍下、崩れ際のはたらき、皆しらずして叶はざることなり。或は城を攻め城を守り、伏奸、夜討、夜込等、軍は少しの誤りにて大崩れになる事おほし。各々其事をしらずして其場へ向ふは、水練をしらずして大河を渡らんとするよりもはなはだし。





§4 1364字

【原文】

一、1364字

問ふ。我が謀を以て敵を欺かむとせば、敵もまた謀を以て我をあざむくべし。豈われひとりしる事あつて天下みな愚ならんや。

曰く。然り。汝の言ふ所は押形の一通なり。

碁象戯の手の古来より倣ひありて、其理を尽しつくして此外に余術なきが如しといへども、又其上の上手出来ることあり。碁の定石を倣ひ、象戯の駒組詰物等をならふは、其押形を学ぶなり。我に自得する時は、其中より別に新しき手湧き出て勝負を決するなり。凡て世間一切の事みな押形の如くなることばかりはなきものなり。

謀もまたかくのごとし。将の器量によつて、古人の押形の中より、臨機応変のはたらき奇兵の謀術は、其時にあたりて将の胸臆より湧き出るものなり。古への良将は漁樵賤夫のしわざを見て直に取つて新しき術となし、軍中に用ひたることおほし。常に心を付ける時は、見ること聞くことみな謀術の助けとなるものなり。

然れどもまづ古人の押形を知らざれば、後学の因るべき所なし。学術も亦しかり。古人の迹によらざれば其跡なき道を悟ることあたはず、一切の事みな常に心を用ひて耳目のふるる所を以て修行の種とし、事ある時は其時の変に任すべし。

又軍中は敵味方ともに大勢なれば、独りばたらきの如く自由は成りがたきものなり。常に古人の跡を考へて法を出し、士卒を錬り、駈引きの自在なるやうに備へを立つるを以て要とす。

吾人父祖の陰徳によつて今日身に福ありといへども、一念わづかに差ふときは、其より種々の妄心生じて終に天狗界に入り、父祖の陰徳を削り、身に禍あること矢よりも疾し。汝等惧れ慎むべし。

天狗界といふは己が小知に慢じて人を侮り、人の騒動するを悦び、是を以て是非得失の境をなして無事を楽しむことをしらず、欲する所を必として己を省みることなし。只己に従ふ者を是とし、己にしたがはざる者を非とす。

世間の是非を己が我執のしがらみに留めて、彼を悪みこれを愛し、或いは怒り或いは困しむで、常に心のしづかなることなし。之を仏家に一日に三度熱湯を飲んで総身より火焰を生ずといふ。此煩熱の苦しみより種々転動して邪をなし人を害ふ。

汝等よく心を修し気を収め、魔界を去り、人間に出て道を求むべし。汝等鼻ながく、觜あり翅あるを以て、人に勝れりと思つて愚人を誑かす。汝の長き鼻、尖れる觜、軽き翅は、却つて心を苦しめ人を害ふの器なり。学術剣術ともに只己をしるを以て専務とす。己をしるときは内明らかにして能く慎しむ。故に来つて我に敵すべき者なし。たとひ知足らずして過ちありとも、我が罪にあらず。天に任するのみ。

己を知らざる者は人を知らず。私心を以て人を欺き勝ちを取らんと欲する者をば、人其私心の虚を討つ。欲を以て人を襲ふものをば、人其の欲を動かして其の動の虚を討つ。勢を以て人を圧す者をば、人其勢の衰ふる所を討つ。

学術、剣術みな同じ。只己を尽して無欲なる者は討つべきの虚なし。勢を以ても挫ぐべからず、欲を以ても動かすべからず、巧を以ても欺くべからず。吾此れを思つて常に慎しむといへども、凡情いまだ断ぜず。只熱湯を飲む事を少しく免かるるのみ。

猶天狗の列にあり、何れの日か人間に出て道を悟らん。しばらく我が聞く所を以て汝に示すのみといひ既つて、草木震動し、山鳴り谷応へ、風起つて面を撲つと見て夢悟めぬ。

山と見えしは屛風にてありし。寝所に遽々然として臥したり。






芸術論後

【原文】290字

客あり、此書を難じて曰く。子が論ずる所、理を開き情を尽し、気の所変を語つて未だ事の応用を審らかにせず。老人病身又は務め繁き者の志を養ふには可なり。芸術修行の者のためには足らざる所あり。

曰く。吾剣術者にあらず、何ぞ人を導くことをせんや。只弱冠より好むで芸術ある人に親炙し、其事の利を討ね、気の変化を試みて其病を治し、その理を聞きて心術を証せんことを求むる者なり。たまたま心に黙契することあれば、筆記して予が童蒙に示すのみ。

友人予が童蒙によつて頻りに請ふ。然れども多言にして識者の謗りを招かんことをおそる。已むことを得ずして天狗を傭ふて戯談せしむ。寝語の小冊予、豈みづから是とせんや。



享保十四歳次
己酉孟春

洛陽堀河錦上ル町
西村市郎右衛門
書肆
武陽本町三丁目
蔵版西村源六
豊島町
彫工栗原次郎兵衛




2019年7月14日日曜日

原文で読む『天狗芸術論』巻之三

『天狗芸術論』
佚斎樗山




巻之三

§1
1383

一、1042字

問ふ。

何をか動いてうごくことなく、静かにしてしづかなることなしといふ。

曰く。

人は動物なり。うごかざること能はず。日用人事の応用多端なりといへども、此心、物のために動かされず、無欲無我の心体は、泰然として自若たり。

剣術を以て語らば、多勢の中に取籠められ、右往左往にはたらく時も、生死に決して神定まり、多勢のために念を動ぜざる、是を動いて動くことなしといふ。

汝馬を乗る者を見ずや。よく乗る者は、馬東西に馳すれども、乗る者の心泰かにして忙しきことなく、形しづかにしてうごくことなし。外より見ては馬と人とつくり付けたるがごとし。ただかれが邪気をおさへたるのみにて馬の性に悖ふことなし。

故に人鞍の上に跨がつて馬に主たりといへども、馬是に従つて困しむことなく、自得して往く。馬は人をわすれ、人は馬をわすれて、精神一体にして相はなれず。是を鞍上に人なく鞍下に馬なしともいふべし。是動いてうごくことなきもの、かたちにあらはれて見易きものなり。

未熟なるものは馬の性に悖つて我もまた安からず、常に馬と我とはなれて、いさかふゆゑに、馬のはしるにしたがつて五体動き心忙しく、馬もまた疲れくるしむ。

或馬書に馬のよみたる歌なりとて、

打込みてゆかんとすれば引きとめて口にかかりてゆかれざるなり

是馬に代りて其情を知らせたるものなり。唯馬のみにあらず。人を使ふにも此心あるべし。一切の事物の情に悖ふて小知を先にする時は、我もいそがしく、人も困しむものなり。何をか静かにしてしづかなることなしといふ。

喜怒哀楽未発の時、心体空々として一物の蓄へなく、至静無欲の中より物来るにしたがつて応じて、其用きはまり、つくることなし。静かにして動かざるものは心の体なり。動いて物に応ずるものは心の用なり。体は静かにして衆理を具へて霊明なり。用は動いて天則に従ひて万事に応ず。体用は一源なり。是を動いてうごくことなく、静かにしてしづかなることなしといふ。

剣術を以て語らば、剣戟を執つて敵に向ふ。潭然として悪むこともなく、惧るることもなく、とやせん、かくやと思ふ念もなき中より、敵の来るに随つて応用無礙自在なり。形はうごくといへども心は静の体をうしなはず、しづかなりといへども動の用を欠かず、鏡体静かにして物なく、万象来り移るにまかせて其形をあらはすといへども、去る時は影を留むることなし。

水月のたとへに同じ。心体の霊明もまたかくのごとし。小人はうごく時は、うごくにひかれておのれを失ひ、静かなる時は頑空になりて用に応ずることなし。


一、341字

何をか水月といふ。

曰く。

流儀によりて色々義理を付けていへども、畢竟無心自然の応用を水と月と相うつる所にたとへたるものなり。広沢の池にて仙洞の御製に、

うつるとも月もおもはずうつすとも水もおもはぬ広沢の池

此御歌の心にて、無心自然の応用を悟るべし。又一輪の明月天にかかつて、万川各一月を具ふるがごとし。光を分けて水にあたふるにはあらず。水なければ影なし。亦水を得てはじめて月に影あるにあらず。万川にうつる時も一水に移らざるときも、月において加損なし。又水の大小をえらぶことなし。是を以て心体の妙用を悟るべし。

水の清濁を以て語るは末なり。然れども月は形色あり。心には形色なし。其形色あつて見やすきものをかりて形色なきものの譬へとす。一切のたとへみなしかり。譬へに執して心を鑿することなかれ。






§2
2016字

一、238字

問ふ。

諸流に残心といふ事あり。不審。何をか残心といふ。

曰く。

事にひかるることなく、心体不動の所をいふのみ。心体不動なるときは応用あきらかなり。日用人事もまた然り。打あげて奈落の底まで打込むといふとも、我はもとの我なり。故に前後左右無礙自在なり。

心を容て残すにはあらず。心を残すときは二念なり。又心体明らかならずして心を容ずといふばかりならば、盲打盲突といふものなり。

明は心体不動の所より生ず。只明らかにうち、あきらかに突くのみ。是等の所かたりがたし。あしく心得れば大に害あり。

一、385字

諸流に先といふことあり。此また初学のために鋭気を助け、惰気に笞打つの言なり。

実は心体不動にしておのれをうしなはず、浩気身体に充つるときは、毎も我に先あり。人より先へ打ちつけんと心を用ふるにはあらず。畢竟剣術は生気を養つて死気を去るを要とす。懸の中の待つ、待つの中の懸といふも、みな自然の応用なり。初学のためにしばらく名を付けたるのみ。動いてうごくことなく、静かにしてしづかなることなしといふの意也。

初学の者は、気の剛柔事の応用を以て語らざれば因るべき所なし。故に其所に就て名を付け、教ふるのみ。然れども名を付ける時は、名に執して其大本をあやまり、名を付けざれば空にして取認なし。兎にも角にも其大意を識得せざる者には語るべきやうなし。

一切の事みな然り。故に物の師をするもの、其人にあらざれば秘して妄りに語らざるも亦宜也。其大意を識得すれば、見ること聞くこと直に分るもの也。

一、579字

前に論ずる如く、一身の動静は凡て気の作用なり。しかふして心は気の霊なり。気は陰陽清濁のみ。気清きものは活して其用軽し。濁るものは滞りて其用重し。

形は気にしたがふものなり。故に剣術は気を修するを以て要とす。気活する時は事の応用かろくして疾く、濁るときは事の応用重くして遅し。気は剛健を貴ぶといへども、偏に剛を用ひて和なきときは、折けて其用行はれず。倚るものは其跡虚にして用をなさず。

用は和を貴ぶといへども、中に剛健の主なきときは流れて弱きに至る。弱と柔と異なり、柔は生気を含んで用をなし、弱は一向に力なくして用をなさず。休むと惰るとまた異なり、休は生気をはなれず、惰は死気に近し。

卜る者は気のよる所あつて解がたきもの也。念に因つて卜るあり。陰気みづからしまるあり。凡そ気の由る所あれば、用に応ずること速やかならざるものなり。故にしまる気は事の応用遅し。

気先だつて事の応用燥くものは、陽にして根なし。軽くして濡ひなきものなり。枯葉の風に散るがごとし。湿り滞るものは、濁気のみづからおもきにひかれて応用の遅きもの也。凝るものは気偏に聚まり、固く鎖して形をなし、止まつて動かざるもの也。故に其応用いよいよおそし。水の凍りて融和せざるがごとし。

是も亦念の凝り、気の凝りあり。念といふも気なり。しることあるを念といふ。しることなきを気といふ。みなみづから試みてしるべし。

一、287字

剛柔変化して自在なるものは応用無礙也。唯剣術のみにあらず、学術といへども気の剛柔変化自在なる所を修し得ば、心の妙用をあらはすべし。心体の妙用は迹なくして語るべからず。

故に剣術は気を以て修して、心体の照らす処をしる。学術は心を以て修して、気の変化妙用を知る。然れども只理を以て意識の間に知るのみにして、身に修し得ることなき時は、心気の噂にして其用をなさず。剣術者は気を修するといへども、只剣術応用の所にのみ修するがゆゑに、心の霊覚もまた其一方にのみ達して、日用常行に及ぶことなし。

心気もと一体なり。おのれに試みて其大意を識得せば、修行未熟なりといふとも、分に応じて益あるべし。

一、527字

諸流ともに其極則に及んでは一なり。流儀々々は其先覚の人の修錬して、吾が入りよきと思ふ門戸より導くのみ。然れども其道すがらの風景を愛し、此に住してみづから是とするもの多し。是を以て其末々の流儀多端にして、互いに是非を争ふと見えたり。

其極則は是非の争ふべきことなし。其中途の風景は皆意識の間の見のみ。其大本は二つもなく三つもなし。別るる時は善悪あり邪正あり、剛柔あり長短あり、其末々に至つては論じ尽すべからず。吾が知る所人はしるまじきと思ふは愚なり。我に霊明あれば、人もまた霊明あり。豈おのれ一人知あつて天下みな愚ならんや。故に隠すことはなきものなり。

学術といへども亦然り。老仏、荘列、巣父、許由が徒も無我無欲の心体を見ることは一なり。故に一毫の私念心頭を係縛するものなし。只其見る所の風景異なり、故にわかれて異学となるのみ。聖人の道は天を戴き地を履むで山河大地遺すことなし。夫婦の愚不肖も与りしるべく能く行ふべし。天下仁義に服せざる者なく、孝悌忠信を非る者なし。

天竺仏氏の徒といへども、聖人の沢を蒙りて仁義の中に浴せずといふことなし。異学の風景のよく及ぶ所にあらず。天地万物の大本上より見下すが故なり。異学の徒もみな聖人の別派なり。大道に背くことあたはず。





§3
1692字

一、878字

問ふ。
清濁は陰陽なり。
何ぞ唯清を用ひて濁を去るや。

曰く。
濁も用ふる所あり。然れども剣術は其用の速やかなるを貴ぶ。陰陽はなくて叶はず。只其清を用ひて濁の重きを用ひざるのみ。

物を乾かすには火を用ひて水を用ひず。各々其用によるのみ。心の聡明痴鈍も亦気の清濁のみ。気清きものは自性の霊覚遮るものなり。質おのづから聡明なり。

心体もと虚霊にして昧きことなし。唯濁気其霊明を掩ふが故に、愚をなし、痴をなし、鈍をなす。昏くして理に通ぜざる、是を愚といふ。滞りて遅き、是を鈍といふ。

濁気はなはだ重く、其渣滓にひかれ、念住つて暗中に迷妄し、思ふ所を捨つることあたはず、おのれにも決せず、人にも従がはず、常に苦しんで止まず、是を痴といふ。

凡人の生質千差万別なりといへども、みな濁気の浅深厚薄のみ。心は気の霊なり。此気の在るところ霊あらずといふことなし。此気なければ此霊なし。

又人の船に乗つて水を渡るが如し。風烈しく波あらき時は、舟、風にしたがひ波にひかれて其ゆく所をしらず。人、舟中にあつて安きことなし。濁気妄動して心の静かならざる象またかくのごとし。風やみ波しづかなる時は、始めにかへつて乗るものやすきことを得たり。

人心の邪をなし身を危ふする、みな濁気の妄動のみ。其大本は慾の巌穴より吹出だす所の大風なり。慾も亦濁気の偏なり。又偏屈にして情のこはきものは、陰気の凝り固まつて力あるなり。心騒がしく、とり認なきものは陽気の根なきなり。

惧るる者は気の餒ゑて体に充たざるなり。心の決せざる者は気の弱にして定まらざるなり。亦痴にちかし。是等はみな濁気の病なり。

又聡明にして篤実なる者は、陰陽和して欠闕なきものなり。知明敏にして行ひ篤実ならざる者は、清陽の気勝ちて陰精の薄きなり。行ひ篤実にして知明敏ならざる者は、陰精の勝ちて清陽の気薄き也。

陰中の陽、陽中の陰、其中の過不及浅深、厚薄、千差万別、論じ尽すべからず。類を推して細かに察する時は、みな陰陽清濁に漏るることなし。上は天地の大より下は蚤虱の微物までも、陰陽の気充たざれば、其形の用を成すことあたはず、今ここには其大略を語るのみ。

一、214字

何を以てか此気を修せん。

曰く。唯其濁を去るのみ。陰陽の気は生々変化して天地万物の大本たり。濁は陰気の渣滓なり。渣滓は止まつて活せず。陽の助けを得てうごくゆゑに、其用おもくしておそし。

清水に泥を加ふるときは忽ち濁水となるが如し。既に濁水となるときは物を浄むることあたはず。物に洒げば却つてものを垢す。

故に学術は良知の明を以て気の濁を去るのみ。濁気去るときは気生活し、心体ひとりあらはる。迷心直ちに本心となる。此心二つあるにあらず。

一、322字

陰陽もと一気なりといへども、すでに分るるときは、其用千差万別の異なるあり。其用の異なる所を見て其本の一なる所をしらざる時は、道明らかならず。其本の一なる所を知つて其用の異なる所をしらざれば、道行はれず。

唯心に試みて審らかに工夫すべし。言説の尽す所にあらず今木の葉天狗ども心体に通じて解せざる故に、有無の迹を以て論ずるのみ。

此心の気中に存ずる、魚の水中に游泳するがごとし。魚は水の深きによつて自在をなす。大魚は深淵にあらざれば游泳することあたはず。又水涸るる時は魚困しみ、水尽くる時は魚死す。

心は気の剛健によつて自在をなす。気乏しきときは心憔け、この気つくるときは心無に帰す。かるがゆゑに水うごく時には魚おどろき、気うごく時は心おだやかならず。

一、278字

勝負の事にかぎらず、一切の事、天にまかすると運にまかするとの異なることあり。

剣術は常に勝負の理を究め、人事は其当然の義理を尽してわたくしの巧を用ひず、為して恃まず思ふて執滞することなき、是を天にまかするといふ。人事を尽す所すなはち天にまかするなり。

百姓の農業をつとむるがごとく、耕し種まき芸つてその長ずべき道を尽し、洪水、旱魃、大風は我が力の及ばざる所、是を天に任するなり。

人事をも尽さずして天に任すといふ分にては、天道請取り給ふべからず。只自然に来る所を期つ、是を運に任するといふ。但し、さしあたり迷ふて決断せざる者には、運に任せよといふこともあるべし。






§4
1423字

一、520字

問ふ。
心体は形色声臭なし。妙用は神にして測り知るべからず。何を以てか心を修せん。

曰く。
心体は言を容るべからず。只七情のうごく所、意の知覚する所、応用の際において其過不及を制し、私念の妄動を去り、自性の天則にしたがはしむるのみ。其手を下す所は良知の発見による。

何をか良知といふ。
心体の霊明是非邪正を照らして、天地神明に通ずるもの、是を知るといふ。凡人は濁気の妄動に掩はれて、其照らし全からず。罅隙よりわづかに発見するもの、是を良知といふ。

一念頭に於て是をしり、非をしり、人の誠あるに感じ、みづから不善をなして内に快からざることをしるもの、是なり。其情にうごいては怵惕惻隠の心生じ、親を愛し子を慈しんで、兄弟相したしんで已むべからざるもの、是を良心といふ。

其良知を信じて此にしたがひ、其良心を養うて私念を以て害することなきときは、濁気の妄動おのづからしづまり、天理の霊明ひとりあらはるべし。

私念はおのれを利するの心より生ず。おのれを利するに専らなるときは、人に害あるをもかへりみず、終によこしまをなし、悪をなし、身を亡ぼすに至る。

心を修すると気を修すると二事にあらず。故に孟子浩然の気をやしなふの論、ただ志を持するにあつて、別に養気の工夫なし。

一、525字

問ふ。
仏家に意識を悪み去るは何ぞや。

曰く。
仏法の工夫は吾しらず。意識はもと知の用なり。にくむべきものにあらず。只情を助けて本体をはなれ、みづから専らにすることをにくむのみ。

意識は士卒のごとし。将、物のために掩はれ、暗弱にして勢なきときは、士卒将の下知を用ひず、みづから専らにして私の謀を用ひ、私のはたらきをなして陣中和せず、妄動して備へ騒ぎ、終に敗軍の禍を取るものなり。

此時にあたつては将如何ともすることあたはず。古へより大軍の騒ぎ立ちたるはしづむることあたはずといへり。意識みづから専らにして情欲を助け妄動する時は、みづから其非をしるといへども制しがたきものなり。是意識の罪にはあらず。

将、知勇あつて法令明らかなる時は、士卒、将の命を慎みて私のはたらきをなさず、下知にしたがつてよく敵を破り、備へをかたくして敵のために破らるることなし。是士卒のはたらきゆゑに将大功を立つるなり。

然らば意識も心体の霊明にしたがひ、自性の天則によつて知覚のはたらきをなし、みづから専らにするの私なくんば、知の用をなして国家の政をたすく。何ぞ意をにくむことをせん。

聖人毋意といふは、意みづから専らにすることなく、知覚みな自性の天則にしたがひて意の迹なし。故に毋意といふ。

一、378字

問ふ。
古へ中華にも剣術の伝ありや。

曰く。
吾いまだ其書を見ず。和漢共に古へは気の剛強活達を主として生死をかへりみず、力を以て角ふと見えたり。

荘子の説剣の篇等を見るにみな然り。只達生の篇に闘雞を養ふの論あり。全く是剣術の極則なり。然れども荘子剣術のために論ずるにあらず。只気を養ふの生熟を論ずるのみ。

理に二つなし。至人の言は万事に通ずるものなり。心を付くれば一切の事みな学問とも剣術ともなるべし。和朝の古き剣術の書を見るに、曾て高上の論なし。只軽業早業の術を習ふと見えたり。多くは天狗を以て祖とす。

惟ふに生得の勇はみな其身に備はつて語るべき所なし。只業を習ひ、気を修して、其内にて生得の勇をやしなふと見えたり。かるがゆゑに論ずべきことなし。

今世間文明になつて初学より玄妙の理を論ずといへども、預りものの如くにして、其実は古人に及ばざること遠し。学問も亦しかり。





§5
1406字

一、497字

問ふ。
剣術は心体の妙用なり。
何ぞ秘する事あるや。

曰く。
理は天地の理なり。我が知る所天下何ぞ知る者なからん。秘する者は初学のためなり。秘せざれば初学の者信あらず。是をしふる者一つの方便なり。故に秘することはみな事の末なり。極意にはあらず。

初学の者何の弁へもなく、みだりに聞き、あしく心得てみづから是とし、人にかたるときはかへつて害あり。かるがゆゑに其得心すべきものならでは教へずと見えたり。其極則に至つては同門にあらずといへども、広く語りてかくすことなし。

秘することは多くは兵法の方便なり。未熟の者に秘して教へ、一旦の勝ちを取る気然を助くる術もあるべし。又他より見て、其意をも知らず、浅間なることなりとて、妄りに評を付けることを厭ふて、かくすこともあるべし。一概には論ずべからず。

一切のこと正道にかくすことはなきものなりといへども、言の漏れて害になることあるをば、品によりて隠密することもあるべし。

剣術の事と世間応用の事と其理替ることなし。剣術のことにおいて心を用ひ、其邪正真偽を精しく弁へ知り、是を日用応接の間に試み、邪は正に勝つことあたはざる所をよく自得せば、是ばかりにても大なる益なるべし。

一、909字

心は明らかにして塞がることなきを要とす。気は剛健にして屈することなきを要とす。心気はもと一体なり。

分けていへば火と薪のごとし。火に大小なし。薪不足なれば火の勢ひ熾んならず。薪湿るときは火光明らかならず。

人身一切の用はみな気のなす所なり。故に気剛健なる者は病生ぜず。風寒暑湿にも感ずることなし。気柔弱なる者は病も生じ易く、邪気にも感じ易し。気病むときは心苦しみ、体疲る。

医書に曰く、百病は気より生ずと。気の所変を知らざる者は病の生ずる所をしらず。故に人は剛健活達の気を養ふを以て基本とす。気を養ふに道あり。

心あきらかならざれば、此気途を失ひて妄りに動く。気妄動するときは、剛健果断の主を失ひ、小知を以て却つて心の明を塞ぐ。心昧く気妄動するときは、血気盛んなりといへども事自在ならず。血気は一旦にして根なし。動いて其迹虚なり。

是等の事は剣術の事を以て試みてしるべし。故に初学の士は、先づ孝悌の人事を尽し、人欲を去るにあり。人欲妄動せざるときは気収まつて執滞せず。剛健果断にして能く心の明を助く。

気剛健ならざるときは事決せず、決せざる所より小知を用ひて心体の明をふさぐ。是を惑といふ。剣術も亦然り。神定まつて気和し、応用無心にして事自然にしたがふ者は其極則なり。

然れども其初めは先づ剛健活達の気を養つて、小知を捨て敵を脚下に敷き、鉄壁といふとも打砕く大丈夫の気象にあらざれば、熟して無心自然の極則にいたることあたはず。其無心と思ふものは頑空に成り、和と思ふものは惰気なり。

唯剣術のみにあらず、弓馬一切の芸術といへども、先づ大丈夫の志を立て、剛健活達の気をやしなはざれば事ならず。

此気はもと剛健活達にして生の原なり。人只やしなひを失ふのみにあらず、小知を以て害するが故に、怯弱にして用をなさず。世間一切の事みなしかり。

前に論ずるごとく、気は心を載せて一身の用をなす者なり。自身に試みてしるべし。只書を読み人の言を聞きたるのみにして自身にこころみざれば、道理のうはさになりて身の用をなさず。是をうはさ学問といふ。

学術芸術一切の事其理を聞いて、みな自身に試み心に証する時は、其事の邪正難易たしかにしらるるものなり。是を修行といふ。






2019年6月30日日曜日

原文で読む『天狗芸術論』巻之二


天狗芸術論
佚斎樗山




← 原文で読む『天狗芸術論』巻之一


巻之二

一、
一切の芸術、放下づかひ、茶碗廻しにいたるまで、事の修錬によつて上手をなすといへども、其奇妙をなすはみな気なり。

天地の大なる、日月の明らかなる、四時の運行寒暑の往来して万物の生殺をなすもの、みな陰陽の変化に過ぎず、其妙用は言説の尽す所にあらず。

万物其中にあつて、其気を以て其生を遂ぐ。気は生のみなもとなり。此気かたちをはなるる時は死す。生死の際は此気の変化のみ。生の原をしる時は死の終る所を知る。生死の道に明らかなるとき、幽明鬼神通じて一つなり。

かるがゆゑに今日身をおくところ、
生に在つても自在なり。
死にあつても自在なり。

仏家には再生流転の惧れあり。かるがゆゑに造化を以て幻妄とし、意を断ち識を去つて不去不来の空にかへるを以て成仏とす。

聖人の学は再生輪廻のおそれなし。化に乗じて尽るに帰するのみ。気を修するときはおのづから心をしる。

一、
生死の理はしりやすき所なれども、此生にしばらくの名残のみ。是を迷心といふ。この迷心妄動する故に、神くるしんで常に大負をとることをしらず。






一、
問ふ。
其極則においては、我得て聞くべからず。願はくは修行の大略を聞かむ。

曰く。
道は見るべからず、聞くべからず。其見るべく、聞くべきものは道の跡なり。其跡によつて、其跡なき所を悟る。是を自得といふ。学は自得にあらざれば用をなさず。

剣術小芸なりといへども、心体の妙用にして、其極則に及んでは道に合す。我いまだ自得にいたらずといへども、ひそかに聞くことあり。其聞所を以てしばらく汝に語らん。汝妄聴せよ。耳を以て聞くことなかれ。

夫心を載せて形を御するものは気なり。故に一身の用は全く気是を掌る。気の霊、是を心といふ。天理を具へて此気に主たるものなり。心体もと形声色臭なし。気に乗じて用をなすものなり。上下に通ずるものは気なり。僅かに思ふことあれば気にわたる。

心の物に触れて動く、是を情といふ。思惟往来する、是を念といふ。心感のままに動いて自性の天則に率ふときは、霊明始終を貫いて気の妄動なし。

たとへば舟の流れに従ひて下るが如し。動くといへども、舟静かにして動の跡なし。是を動而無動といふ。

凡人は生死の迷根いまだ断ぜず、常に隠伏して霊明の蓋となる。故に喜怒哀楽未発の時は、頑空にして濁水を湛へたるがごとし。一念僅かにうごく時は、かの隠伏の者起り、情欲妄動して我が良心に迫る。

洪水に逆上つて舟を棹さすがごとし。波あらく舟動いて内安きことなし。気妄動する時は応用自在ならず。

剣術は勝負の事なり。初学より生死の迷根を断つを以て要とす。然れども生死の迷根にはかには断ちがたし。

故に生死の理に於て心を尽し、気を錬り、勝負の事に試み、此間において工夫怠らず、殺身修行して事熟し気をさまり、其理心に徹して疑ふ事なく、惑ふことなく、此一路において霊明塞がる所なきときは、此念此に動ずることなし。

此念動ぜざる時は、気は霊明にしたがつて活達流行、心を載せて滞ることなく、否ることなく、其形を御すること無礙自在なり。

心の感に随つて応用の速やかなること、戸を開いて直に月のさし入るがごとく、物を拍つて直に声の応ずるがごとし。

勝負は応用の跡なり。我に此念なければ形に此相なし。相は念の影にして形にあらはるるものなり。形に相なければ向つて敵すべきものなし。是を敵もなく我もなしといふ。

我あれば敵あり。我なきが故に来る者の善悪邪正一念の微に至る迄、鑑にうつるが如し。我より是をうつすにはあらず。かれ来つて移るのみ。成徳の人には邪を以て向ふことあたはざるがごとし。自然の妙なり。

若し我より是を移さんとせば、これ念なり。此念我を塞ぐが故に気滞つて応用自在ならず。不測の妙用思はず為さずして、来往神のごとくなる者、是を剣術悟入の人といふ。





一、
然れども鼻高く觜あり、翅あり、故に他の事においては、霊明塞がる所ありて、心の応用自在をなすことあたはざるものは、始めより偏へに此一路に志して、心を修し、気を錬る事ここにあり。

其他のことは疾痛身に切なるをも忘れ、物耳目にふるれども眼を開いて見る事なし。況んや心を留めむや。故に此には修し得て明らかなれども、広く取つて他に用ふることあたはず。明の及ぶ所限りあればなり。

たとへば灯を箱の内に置いて一方を開くがごとし。其開きたる方は照らせども、其他は光およばず。少しく他に通ずることあるものは、其傍光の影なり。故に全き事あたはず。初めはわづかの穴を見付けて其穴を力を用ひてほりあくれば、修行の力にて次第に穴大きくなりて照らす所も大なり。

若し天地万物を以て打太刀として修行し、此箱を打破らば、四方八面明らかになり、心体の応用無礙自在にして、富貴貧賤患難困苦の大敵、前後左右より取巻くといへども一毫も動念なく、団扇を以て蠅を払ふがごとく、みな前に平伏して頭を出すものあるべからず。

此に至つて鼻も平らかになり、翅なくとも飛行自在をなすべし。

一、
凡て一芸に達したる者は常に心を用ふる故に、道理には暁きものなり。然れども志我が芸に専らなる故に、此に私して道には入りがたし。

偶々学術を好む者ありといへども、芸術を以て主とし、道学を以て客とする故に、聞く所の深理みな芸術の奴と成りて広く用をなすことあたはず。況んや心術を助くることあらんや。芸術を修するもの此所を自得せば、日々修する所の芸術我が心を助けて、其本然の妙用を証はすべし。是において芸術も亦自在を得べし。

然れども初めより執する所の一念捨てがたきものなり。学術芸術共に只此の私心をさへ去れば、天下我を動かす者なくして応用無礙自在なり。私心は金銀貨財情欲偽巧の類のみにあらず。不善にあらずといへども一念わづかに執する所あれば、即ち私心なり。

少しく執すれば少しく心体をふさぎ、大いに執すれば大いに心体をふさぐ。芸術に達する者は、其業の上においては私心の己を害すること明らかにしるといへども、広く心体応用の間に試みてしる事なし。

心術を修する者といへども、理は頓に知りやすく、一念隠微の間は修しがたきものなり。心術を修するものも我なり。芸術を修するものも我なり。此心二つあるにあらず。此ところまた熟思すべし。

一、
今事熟し、気和し、勝負の利を試みてうたがふことなく、惑ふことなく、神定まつて自在をなすものおほし。

其妙用神の如しといへども、いまだ恃む所あることを免れざるものは、舟人の舷を走り、瓦師の天守にのぼつて瓦をしくがごとし。

是を兵法の上手といふ。





一、

問ふ。
如何にして今芸術を以て道学を助けん。

答ふ。
心は性情のみ。性は心体の天理。寂然不動にして、色もなく、形もなし。

情の動く所に因つて邪あり正あり、善あり悪あり。情の変化によつて其心体の妙用を見て、天理人欲の分るる所をしる。是を学術といふ。

其是を知るは何物ぞや。すなはち自性の霊覚己に具はつて欺くべからず、誣ふべからざるの神明、是を知といふ。

世間の小知才覚をいふにはあらず。小知の才覚は意識の間に出づ。意は心の知覚なり。意識は本霊明に因るといへども、情の好悪にふれて発するが故に、意にもまた邪あり正あり、善あり悪あり。発して好悪の情をたすけて私のたくみをなす。是を小知といふ。

自性神明の知は情の好悪にかかはらず、純一にして其理の照らす所私なし。故に善もなく悪もなく、唯明らかなるのみ。意識是にしたがつて私の巧を用ひざるときは、よく情を制して執滞なく、心体の天則にしたがはしむ。

情心体にしたがつて好悪の執滞なく恐惧の動念なき時は、意識神明に和して知の用をなす。此に至つて意識の跡なし。是を毋意といふ。

もし情欲をたすけて是がために巧をなし、偽をなし、種々転変してやまざる時は、我が心体を係縛し、我が霊明を塞ぐ。是を妄心といふ。凡人は情欲心の主となるが故に、この妄心のために転動せられて、我が神を困しむることをしらず。

此ゆゑに学術は此妄心の惑ひを払ひ去り、我心体の天理を認めしり、其霊明を開き、其天則にしたがふて小知の作為を用ふることなく、物はものに任せて物のために役せられず、事は来るに任せて求むることもなく、厭ふこともなし。

故に終日思惟すれども、私なきが故に心を累はすことなく、終日事に労すれども、神を困しむることなし。命に委ね、義に決して、うたがふことなく、惑ふことなし。

我心の誠を立て、一毫も志を曲ぐることなく、害を避けんが為に偽巧を用ひず、利を得んと欲して小知を事とせず、生は生に任せて其道をつくし、死は死に任せて其帰を安んず。

天地変動すれども、此心をうばはるることなく、万物掩ひ来れども此心を乱さるることなく、思うて執滞せず、為してたのむことなし。心を存し、気を養ひ、決然として立つて屈することなく、おこたることなく、悠然として居て争ふことなく、迫ることなく、初学より此志を立て、応接の間耳目にふるる所のものを以て心を修するのうつはものとす。

理に大小なし。剣術の極則も亦此に過ぎず。故にその芸術に於て修する所の業を以て内に省み、日用常行の間に通じて心術を証せば、芸術もまた内に徹して相助け、相養ふて其益大なるべし。浅きより深きに入り、卑きを踏みて高きに登る、是古へ芸術を以て道学を助け、此を修して彼を得るの手段なり。

若し年五十以上、手足のはたらき自在ならず、或は病身又は公用に暇なくして其事を務むることあたはず、武士の職なれば心を用ひざるもおのれに快からず、たとひ手足は叶はずして頭べは二つになるとも、此心の二つにならざる所を修せんと思はば、前に論ずる所の志を立て、我が心の変ぜざる所を修して、生死一貫の理開け、天地万物我に礙るものなくば、床に臥しながらも、公用は勿論辻番火の廻りをつとめながらも、心に移る所、耳目にふるる所の物を以て打太刀として、心の修行はなるべきことなり。

間暇あらば、芸術に達したる人にあふて其事を習ひ、其理を聞いて心に証し、敵に向ふときは我がなるべき程のはたらきをなして、死を快くせんのみ。何の憂ふることかあらん。士たるもの唯志の折けざるを要とす。

形には老少あり、強弱あり、病身あり、公用しげきものあり。みな天のなす所にして、我が得て私する所にあらず。唯志は我にあつて、天地鬼神も是を奪ふことあたはず。かるが故に形は天の為る所に任せて、我は我がこころざしを行ふのみ。

小人は天の為す所を怨みて我がする所を努めず。天のする所は我が知力のおよばざる所なり。其知力の及ばざる所をうれひて、我と神を困しむる者は愚なり。






一、

問ふ。

我に多子あり。年いまだ長ぜず。剣術を修すること如何にして可ならむ。

曰く。

古へは洒掃応対より六芸に遊んで後、大学に入り以て心術をあらはす。孔門の諸賢もみな六芸に長じて道学を証する人多し。

年いまだ長ぜずして事理に通達する程の力なき者は、小知を先にせず、師にしたがつて差し当り用の足る所として、事を努め、手足のはたらきを習はし、筋骨を強ふし、其上にて気を錬り、心を修して、其極則を窺ふべし。是修行の次序なり。

二つ葉の木は柱に用ふべからず。ただ添木を立て曲らざる様にやしなふべし。

ただ幼年のはじめより志邪に往かしむべからず。志邪にゆかざれば、戯遊の事といふとも邪なきものなり。心邪なき時は正を害するものなし。天地の間用をなさざるもの稀なり。邪を以て害するが故に、其性を傷ふて用をなさず。人心もと不善なし。唯有生のはじめよりつねに邪を以て養ふ。故に薫習してしらず、自性を害して不善に陥る。邪は人欲是が根となる。

小人はただおのれを利するを以て心とする故に、己に利あれば邪なれども其邪をしらず、己に利あらざれば正なれども其正をしることなし。みづから其邪正をわきまへしらず。況んや其よつて分るる所をしらんや。故に学術は人欲の妄動を抑へ、心体天理の妙用を見て、邪正の由つてわかるる所を審らかにし、其妄心の邪をしりぞけ、自性の本体を害することなきのみ。天へ上ることにもあらず、地を潜ることにもあらず。

邪しりぞく時は、天理ひとりあらはる。邪少しくしりぞけば、天理少しくあらはれ、大いに退けば、大いにあらはる。みづから心に試みてしるべし。

剣術も亦然り。もし初学より何の弁へしる事もなく、無心にして事自然に応じ、柔を以て剛を制す、事は末なりといひて頑空惰気になりて、足もとのことをしらずんば、現世後生ともに取失ふべし。






天狗芸術論
巻之二
おわり


→ 原文で読む『天狗芸術論』巻之三


2019年6月28日金曜日

原文で読む『天狗芸術論』巻之一


天狗芸術論
佚斎樗山




巻之一


大意


人は動物なり。
善に動かざる時は
必ず不善にうごく。

この念ここに生ぜざれば
かの念かしこに生ず。
種々転変して止まざるものは人の心なり。

吾が心体を悟つて
直に自性の天則にしたがふことは、
心術に志深く学の熟せるにあらずんばあたはざる所なり。

故に聖人初学の士において、
専ら六芸を教へて先づその器物をなし、
ここより修して大道の心法に原(たず)ね入らむことをほつし給ふ。

幼年の時より六芸に遊ぶときは、心主とする所あつて、
自ら鄙倍の辞気に遠ざかり、
玩物戯遊の この心を淫するなく、
放僻邪侈の この身を危ふするなし。

外には筋骨の束(つか)ねを固くして
病を生ずる事なく、
内には国家の備へと成つて
その禄を徒(むな)しくせず。
達して心術を証する時は大道の助けとなる。

一芸小さきなりとして是を軽んずる事なかれ。
また芸を以て道とする誤りあることなかれ。



一、剣術者あり。

曾ておもへらく、
古へ源義経の牛若丸といひし時、鞍馬の奥に入つて大小の天狗と参会し剣術の奥意を極めて後、美濃の国赤坂の宿において熊坂といふ強盗に出合ひ、牛若一人にて大勢の悪盗どもを追払ひ、熊坂を討ち留め給ふといひ伝へたり。

我此道に志深く修行し、年ありといへ共未だその奥意を極めずして其こころ充たざる所あり。我も亦山中に入り天狗に逢つて此道の極則を伝へんと夜中ひとり深山の奥に入り石上に坐して観念し、天狗をよぶ事数声、毎夜かくのごとくすれ共答ふる者なし。

或夜山中風起つて物すさまじき折ふし、色赤く鼻高く、つばさ生じてけしからぬすがたなる者、幾人といふこともなく雲中にてたたき合ふ。其こゑおびただしく聞ゆ。

暫くあつてみな杉の梢に坐して、一人の曰く。

理に形なし、器によつて其用あらはる
器なければ其理見るべからず。

太極の妙用は陰陽の変化によつてあらはれ、人心の天理は四端の情によつてあらはる。剣術は勝負の事なりといへども、其極則に及んでは心体自然の妙用にあらずといふ事なし。

然れども初学の士にはかに此に至ることかたし。故に古人の教へは形の自然にしたがつて、縦横順逆のわざを尽し、易簡にして強ふることなく、筋骨の束ねを正し、手足のはたらきを習はし、用に当り変に応ずるのみ。

事に熟せざれば、心剛なりといへども其用に応ずることあたはず。事は気を以て修す。気は心を載せて形を使ふものなり。故に気は生活して滞ることなく、剛健にして屈せざるを要とす。

事の中に至理を含んで器の自然に叶ふ。事の熟するにしたがつて気融和し、其ふくむ所の理おのづからあらはれ、心に徹してうたがひなきときは、事理一致にして気収まり、神定まつて応用無礙なり。

是古への芸術修行の手段なり。故に芸術は修錬を要とす。事熟せざれば気融和せず、気融和せざれば形したがはず、心と形と二つに成りて自在をなすことあたはず。



一、亦一人曰く。

刀は切る物なり。鑓は突く物なり。此外何の所作をか用ひん。

夫形は気に従ひ気は心にしたがふ。心動ぜざる時は気動ずることなく、心平らかにして物なき時は気もまた和して之にしたがひ、事自然に応ず。

心にものあるときは気塞がつて手足其用に応ぜず。事に心を住むるときは気此に滞つて融和せず。心を容て強む時は其跡虚にして弱し。意を起して活するときは、火を吹き立て薪の尽くるがごとし。気先だつときは燥き、しまる時は凝る。

己を守り待つて応ぜんとすれば、見合せといふものになつて、みづから己を塞て一歩も進むことあたはず、却つて敵のために弄ぜらる。懸の中の待、待の中の懸などいふことあしく心得れば、意にわたりて大いに害あり。

ここを防ぎかしこに応ぜんとする中に、無手にして健なる者にあうて叩立てられ、請太刀になりて、打出す事あたはざる者多し。之みな意にわたるゆゑなり。

かの無手なる者は応用の所作をもしらず、爰を防ぎかしこを打たんとする心もなく、生れつきたるすくやか者ゆゑに、何の惧るることもなく、人を虫とも思はねば、心を容て強むこともなく、凝ることもなく、しまることもなく、待つこともなく、ひかふることもなく、うたがふ事もなければ動ずることもなく、向ひたるままにて思慮を用ふることなく、心気ともに滞ることなし。

是世間に称する所の大形の兵法者より気の位は勝れたる所あり。然れども是を以て善とするにはあらず。彼は大水の推し来る勢の如く滞りなしといへども、暗くして血気に任せて無心なるものなり。

剣術は心体自然の応用にして、往くに形なく来るに跡なし。形あり相あるものは自然の妙用にあらず。僅かに念にわたるときは気に形あり、敵其形ある所を打つ。

心頭ものなきときは気和して平らかなり。気和して平らかなる時は、活達流行して定まる形なく、剛を用ひずして自然に剛なり。心は明鏡止水のごとし。意念わづかに心頭に横たはる時は、霊明之がために塞がれて自在をなすことあたはず。

今の芸者、心体不動の応用無礙自在なる所をしらず。意識の巧を用ひて末の事に精神を費やし、是を以て自ら得たりと思へり。

故に他の芸術に通ずることあたはず。芸術は多端なり。曲々に是を修せば生涯を尽すとも得ること有るべからず。心能く一芸に徹せば、其他は習はずしてしるべき事なり。



一、亦一人曰く。

刀は切る物なり、鑓は突く物なりといふ、勿論の義なり。

然れどもこれ理に過ぎて事の用をしらざるものなり。切るに切る事あり。突くに突く事あり。事の用をしらざるときは物に応ずること偏なり。

心剛なりといへども形背くときは中るまじき所へあたり、事の理違へば達すべき所へ達せず。吾子が言の如きは択んで精しからず語つて詳ならずといふものなり。

心体開悟したりとて、禅僧に政を執らしめ、一方の大将として敵を攻むに、豈よく其功を立てんや。其心は塵労妄想の蓄へなしといへども、其事に熟せざるがゆゑに用をなさず。

且つ弓を引いて矢を放つことは誰もしりたる事なり。然れども、其道に由らず其事に熟せず、みだりに弓を引き矢を発つときは、能く的にあたり堅きを貫くことあたはず。

必ず其志正しくその形直く、気総身に充ちて生活し、弓の性に悖ふことなく、弓と我と一体に成り、精神天地に充つるがごとく、引いて彀にみつる時、神定まつて念を動ずることなく、無心にして発す。はなして後、猶本の我なり。物に中つて後、静かに弓ををさむ。此弓道の習ひなり。

かくの如くんば遠く矢を送り、よく堅きを貫く。弓矢は木竹を以て作りたるものなりといへども、我が精神かれと一体なるときは、弓に神ありて其妙かくのごとし。

是意識の才覚を以て得る所にあらず。其理はかねて知るべけれども、心に徹し、事に熟し、修錬の功を積むにあらざれば、其妙をうることあたはざる所なり。

内に志正しからず、外に体直からざれば、筋骨の束ね固からず、気総身に充たざれば、強きを引いてたもつ事あたはず、神定まり気生活することなく、私意の才覚を用ひて其道によらず、力を以て弓を押し弦を引くときは、弓の性にさかつて、弓と我と相争つて二つになり、精神相通ずることなく、却つて弓の力を妨げ、勢を脱く。ゆゑに遠く矢を送つてかたきを貫くことあたはず。

一、 日用人事もまたかくのごとし。

志正しからず、行ひ直からざれば、君に事へて忠なく、父母に事へて孝なく、親戚朋友に信なし。

人侮り、衆悪み、物とならび立つことあたはず。気身体に充たざるときは内に病を生じ、心乏しく、事に当つて惧るることあり、屈することあり、大義を立つることあたはず。

物の性に悖ふ時は人情に反く。物とはなれて和せざるときは争ひおこる。神定まらざる時はうたがひ多くして事決せず。念動ずる時は内おだやかならず、事を誤ること多し。



一、心動ぜざる時は、気動ずることなく、事自然にしたがふといふは、理体の本然より説き下して其標的を示すのみ。事を修することは無用の費えなりといふにはあらず。理は上より説き下し、修行は下より尋ね上ること物の常なり。

人心もと不善なし。
性に率つて情欲に牽かれざる時は、神困しむことなく、物に接つて応用無礙なり。故に大学の道は在明明徳といひ、中庸には率性之謂道といふは、其大本の上より説き下して、学者に其標的をしめすものなり。

然れども凡情妄心の惑ひ深く、気質を変化して直に自性の霊明にかへることあたはず。是を以て格物致知誠意正心の工夫を説き、自反慎独の受用を説いて修行の実地を踏ましむ。是事の熟せるをまつものなり。

剣術もまた然り。
敵に向つて生を忘れ、死をわすれ、敵をわすれ、我を忘れて、念の動ぜず、意を作さず、無心にして自然の感に任するときは、変化自在にして応用無礙なり。

多勢の敵の中にあつて前後左右より切りかけ突きかけて、此形は微塵になるとも、気収まり神さだまつて少しも変動することなく、子路の冠を正すがごとくならば、豈手を空しくして倒れんや。是剣術の極則なり。

然れ共此れ足代なくして直に登らるべき道にあらず。必ず事に試み、気を錬り、心を修し、困勉の功熟するにあらずんば、此に至る事あたはじ。

吾子が言を以て初学を導かば、頑空に成つて心頭無物と心得、惰気に成つて和と覚る誤りあるべし。

一、又吾子が剛健にして無手なるものといふは、諸流に破るといふ兵法に似て少しく異なり、彼は無方なり。

破といふは気剛健活達にして、敵を脚下に踏みしき、鋭気をも避けず、虚をも窺はず、一途に敵の本陣を志して大石の落ちかかるごとく切りこむをいふ。

然れども無法にして気溢るるときは、事の功者にあふて表裏に陥ることあり。形の損得をしらざる時はあやまちあり。故に形にも習ひあり。守つておのれをうしなはず、気こることもなく、しまることもなく、生死を忘れ、進んでうたがふ事なきものなり。

気を以て破るあり。
心を以て破るあり。
ともに一つなり。

心気一つならざれば破ることあたはず。これ剣術の初門初学の入りよき道筋なり。但し気怯弱なる所あつて僅かに疑惑する所あるときは、此術行はるべからず。気に修錬あり、心に疑惑を去るの工夫あり。

然れども只一偏の気象にして、心体応用無礙自在の妙術にはあらず。此所において詳かに工夫を用ひ、理明らかに功積みて鋭気平らかにならば、熟して本体に至るべし。初学より無物の工夫のみなさば、骨を失なひ、労して功なかるべし。



一、其中に大天狗と覚しくて、鼻もさして長からず、羽翼も甚だ見れず、衣冠正しく座上にありて、謂ひて曰く。

各々論ずる所みな理なきにあらず。古へは情篤く、志し親切にして、事を務むること健やかにして、屈することなく、怠ることなし。師の伝ふる所を信じて昼夜心に工夫し、事にこころみ、うたがはしきことをば友に討ね、修行熟して吾と其理を悟る。ゆゑに内に徹すること深し。

師は始め、事を伝へて其含むところを語らず、自ら開くるを待つのみ。是を引而不発といふ。吝て語らざるにはあらず。此間に心を用ひて修行熟せんことを欲するのみ。弟子心を尽して工夫し、自得する所あれば猶往きて師に問ふ。師其の心に叶ふときは是を許すのみ。師の方より発して教ふることなし。

唯芸術のみにあらず。孔子曰く、一隅を挙げて三の隅を以て反さふせざる者には復せずと。是古人の教法なり。故に学術芸術ともに慥かにして篤し。

今人情薄く、志切ならず。少壮より労を厭ひ、簡を好み、小利を見て速やかにならんことを欲するの所へ、古法の如く教へば、修行するものあるべからず。今は師の方より途を啓きて、初学の者にも其極則を説き聞かせ、其帰着する所をしめし、猶手を執つて是をひくのみ。

かくのごとくしてすら猶退屈して止む者多し。次第に理は高上に成つて古人を足らずとし、修行は薄く居ながら、天へも上る工夫をするのみ。これまた時の勢ひなり。

人を導くは馬を御するがごとし。其邪にゆくの気を抑へて、其みづからすすむの正気を助けるのみ。また強ふることなし。

一、事に心を住むるときは、気此に滞つて融和せず、末を逐つて本を忘るといふは可なり。一向に捨て修すべからずといはば不可なり。

事は剣術の用なり。其用を捨てば、体の理何によつてかあらはれんや。用を修するによつて体を悟ることあり。体を悟つて用の自在なることあり。体用一源顕微間なし。理は頓に悟るべけれども、事は習熟にあらざれば気こつて形自在ならず。

事は理に因つて生ず。形なきものは形あるものの主なり。故に気を以て事を修し、心を以て気を修するは物の序でなり。然れども事習熟して気をさまり、神さだまることあり。

舟人の棹を取つて舷を走ること、大路をはしるがごとし。かれ何の工夫をかなさんや。只水に習熟して大水に入りても死せざることをしる。ゆゑに神定まつて此自在をなす。

樵夫の重き薪を荷つて細きそば路を伝ひ、瓦師の天守に登つて瓦を敷く、皆其事に習熟してうたがふことなく惧るることなし。かるが故に神定まつて自在をなすものなり。

剣術もまたしかり。
此芸に習熟して心に徹し、事にこころみてうたがふことなく、おそるることなき時は、気活し神定まつて、変化応用無礙自在なり。

然れども此までは気の修錬にして自ら知ることなり。恃むことあつてしかり。故に言を以て論ずべし。

彼の無心にして自然に応じ、往くに形なく、来るに跡なく、妙用不測なる者は、心体の感通思ふて得べき所にあらず、聞いて知るべきものにあらず、師も伝ふることあらず。自修の功積みて自然に得るのみ。師は其道脈を伝ふるまでなり。容易に論ずべからず。故に世に稀なり。



一、問うて曰く。
然らば我ごとき者の修して得べからざるの道か。

曰く。
何ぞ得べからざらん。聖人にさへ学びて至るべし。況んや剣術の一小芸をや。

夫剣術は大体、気の修錬なり。故に初学には事を以て気を修せしむ。初学より事を離れて気を修する時は、空にしてこころむべき所なし。気を修すること熟して心に達すべし。

此間の遅速は生質の利鈍によるべし。心の妙用を知ることは易く、おのれに徹して変化自在をなすことは難し。

剣術は生死の際に用ふるの術なり。生を捨て死に赴くことはやすく、死生を以て二つにせざることはかたし。死生を以て二つにせざるものよく自在をなすべし。

問ふ。
然らば禅僧の生死を超脱したる者は剣術の自在をなすべき歟。

曰く。
修行の主意異なり、彼は輪廻を厭ひ寂滅を期して、初めより心を死地に投じて生死を脱却したる者なり。故に多勢の敵の中にあつて、此形は微塵になるとも、念を動ぜざることは善くすべし。

生の用はなすべからず。唯死を厭はざるのみ。聖人死生一貫といふは是に異なり、生は生に任せ、死は死にまかせて、此心を二つにせず、唯義の在る所に随つて其道を尽すのみ。是を以て自在をなすものなり。

一、問ふ。
生死に心なきことは一なり。然るにかれは生の用をなさず、此は自在をなすものは何んぞや。

曰く。
初めより心を用ふる所異なり、彼は寂滅を主として生の用に心なし。唯死をよくするのみ。故に生の用においては自在をなすことあたはず。

聖人の学は死生を以て二つにせず。生にあたつては生の道をつくし、死に当つては死の道をつくす。一毫も意を作し念を動ずることなし。故に生に於ても自在をなし、死においても自在をなす。

彼は造化を以て幻妄とし、人間世を以て夢幻泡影とす。故に生の道を尽すをば、生に着して此営みをなすと思へり。かれ平生の行相を以ても見るべし。父子を離れ君臣を廃し、爵禄を班ず、武備を設けず、聖人の礼楽刑政を見ること、嬰児の戯遊を見るが如く思へり。

平生捨てて用ひざるの剣戟何ぞ此に心あらん。只死にあたつて生を惜しまず、一切世間みな心の所変なることを知るのみ。

一、問ふ。
古来剣術者の禅僧に逢うて其極則を悟りたる者あるは何ぞや。

曰く。
禅僧の剣術の極則を伝へたるにはあらず。只心にものなきときはよく物に応ず。生を愛惜するゆゑにかへつて生を困しめ、三界窠窟のごとく一心顚動するときは、この生をあやまることをしめすのみ。

彼多年此芸術に志し、深く寝席を安んぜず、気を錬り事を尽し、勝負の間において心猶いまだ開けず、憤懣して年月を送る所へ、禅僧に逢うて生死の理を自得し、万法惟心の所変なる所を聞いて、心たちまちに開け、神さだまり、たのむ所をはなれて此自在をなすものなり。

これ多年気を修し事にこころみて、其器物をなしたるものなり。一旦にして得るにはあらず。禅の祖師の一棒の下に開悟したるといふもこれに同じ。倉卒の事にあらず。芸術未熟の者、名僧知識に逢ひたりとて開悟すべきにあらず。






天狗芸術論
巻之一
おわり


→ 原文で読む『天狗芸術論』巻之二