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2016年5月12日木曜日

「日常が散文ならば、茶事は詩歌である」[潮田洋一郎]



話:潮田 洋一郎





室町時代に流行した猿楽(さるがく)、連歌(れんが)、茶の湯、お香等に共通する感覚とは、切れ目なく続く世事、日常を意識的に中断して、気持ちをリフレッシュすることのように思える。

目的を記述するための散文を綴(つづ)るのをしばし止め、叙述そのものが目的である詩歌を頭に浮かべて書き留めるのに似ている。

日常が散文ならば、茶事は詩歌である。



坐禅瞑想をすれば痛感するが、人は無心にいまを感じていられない。

心ここにない。

頭はすぐに過去を悔い、未来を憂う。

これを雑念という。



いまの自分に心を引き戻すには、意思と一種のきっかけが必要である。

白隠禅師の軟酥(なんそ)の法もその一つであり、ティク・ナット・ハンの勧めるように、信号が赤に変わったときに息を見つめながら深呼吸を三回するのもよい。

改まって茶を点(た)てるのも、また戻るきっかけになる。









引用:潮田 洋一郎『数寄語り




2016年4月27日水曜日

「懈怠比丘、不期明日」 [裏千家]



話:土門拳


千利休の孫元伯宗旦は、正保五年(1648)71歳のとき、不審庵を嫡子江岑宗左(こうしんそうさ)に相続させて、自分はその北裏に隠居所用の茶室を建てた。一畳台目の閑寂そのものの如き会心の茶室ができた。

そこで、かねて師事する大徳寺の清 巌和尚に席名をたのんだ。さてその約束の朝、何時間待っても和尚は現れなかった。午後には他の約束があったので、

「もし和尚が来られたら、明日改めてお越し下さるように伝えよ」

と命じて、宗旦は出掛けた。



一足違いに清巌和尚は来たが、その伝言を聞くと、ツカツカと茶室へ入ったが、また直ぐ出て来ると、家人の引き留めるのを振り切って、帰ってしまった。

やがて帰って来た宗旦は、その話を聞いて、急いで茶室へ行って見た。

壁に墨の色も生々しく

「懈怠比丘、不期明日」

と書き残してあった。



宗旦は大徳寺へ飛んでいって、詫びた。

そして席名は、叱られた「不期明日」に因んで、今日庵(こんにちあん)と命名した。







その今日庵を、宗旦の第三子仙叟(せんそう)宗室が承けて、連綿として今日に続いているのが、すなわち裏千家である。

当代の宗室宗匠は、流祖利休十四代の後裔にあたる。

「君子の交、淡々として水の如し」

から取って、淡々斎と号していられるが、誠にこだわりのない気さくな人だった。

「さあ、どこがですかな。どこでもいいですよ」

と邸内を自分で案内して下すった。

露地を飛石伝いに、利休小袖の手水鉢(ちょうずばち)、宗旦手植えの公孫樹(いちょう)、光悦の灯篭、それに今日庵、又隠(ゆういん)、寒雲亭(かんうんてい)の茶室など、いずれも300百年の由緒ある遺跡だったが、僕は結局、一番広い書院造りの寒雲亭を選んだ。襖に点々と墨が飛び散ったようなのは、狩野探幽の「八仙人図」だった。



茶筌をあつかう作法を撮ったとき、宗匠の真上に配置した特大の閃光電球が爆発した。轟然とガラスの破片が座敷一面に飛び散った。近年に珍しい大爆発だった。

宗匠は破片を頭から浴びたが、茶筌を拭う姿勢のまま坐っていられた。顔色一つ変えず、そんな突発事故など、どこにもないみたいだった。

僕は「ウム、これはホンモノだ」と感動した。



宗匠は静かに破片を払い落としながら

「まだ写真は終わらないのでしょう?」

と僕に聞かれた。

「ハア、まだです」

と答えると、騒ぐ人々を皆座敷から退かせた。そして座敷の破片を丁寧に掃き取られた。宗匠が自分で箒を手にするなどということは、何年に一度もないことなのではないか、と僕は見ていた。

掃き終ると、宗匠は元の位置にキチンと坐り直して、撮影を待っていられた。










引用:土門拳全集〈9〉風貌「千宗室」