話:ティク・ナット・ハン
Thich Nhat Hanh
「仏にあったら仏を殺せ!」
If you meet the Buddha, Kill him!
方便のもつすばらしい働きのひとつは、知識と偏見という牢獄から人を解放することです。
One of the greatest potentialities of skillful means is to free beings from their prisons of knowledge and prejudice.
われわれはしばしば、知識や習慣、偏見に執着しています。禅の言葉は、われわれをそこから解放する力を備えていなければなりません。
We are often attached to our knowledge, our habits, and our prejudices, and the language of Zen must be capable of liberating us from them.
仏教においては、単なる知識は目覚めにとって最大の障害になるとされています。
According to Buddhism, knowledge is the greatest obstacle to awakening.
それは
「所知障、あるいは知障」
と呼ばれ、概念に基づいた知識のことをさしています。
われわれがこうした知識にとらわれているならば、それを乗り越えて目覚めを実現することは不可能になります。
If we are trapped by our knowledge, we will not have the possibility of going beyond it and realizing awakening.
『百喩経』 には次のような話があります。
ある日、若い男やもめが家にもどると、家が焼け落ちており、五歳になる息子が行方不明になっていました。
The Sutra of One Hundred Parables tells the story of a young widower who returned home one day to find his house burned down and his five-year-old son lost.
焼け崩れた家のそばに黒こげになった子どもの死体がありました。男はそれが自分の息子だと思って、嘆き悲しみました。
Near the ruins of his house was the charred corpse of a child that he believed to be his son, and he wept and wept.
インドの慣習にのっとって子供の火葬をすませると、男はその灰を袋に入れ、仕事をするときも休むときも、昼も夜も、肌身離さずもっていました。
After the child's cremation, he kept the ashes in a bag and carried them with him day and night.
しかし実は、息子は火に焼けて死んだのではなかったのです。
But his son had not actually perished in the fire.
その子は山賊にさらわれていたのですが、ある日、逃げだして父親の家にもどってきました。
He had been taken off by bandits, and one day he escaped and returned to his father's house.
その子は真夜中に家にたどりつきました。父親は床につくところで、あいかわらず灰の入った袋をもっていました。
The boy arrived at midnight, when his father was about to go to bed, still carrying the bag of ashes.
息子は戸をたたきました。
The son knocked at the door.
「誰だ?」と父親が聞きました。
"Who are you?" asked the father.
「あなたの息子です」
"I am your son."
「嘘だ。俺の息子は三ヶ月以上も前に死んだんだ」
"You are lying. My son died more than three months ago."
父親は自分が信じていることをあくまで言い張り、戸を開けようとはしませんでした。
The father persisted in his belief and would not open the door.
結局、子どもはそこを立ち去らなければなりませんでした。
In the end the child had to leave,
こうして哀れな父親は、愛する息子を永久に失ってしまったのです。
and the poor father lost his son forever.
この喩え話は、何かが絶対の真理であると信じて固執しているときには、新しい考えを受け入れることができないということを教えています。
When we believe something to be the absolute truth and cling to it, we cannot be open to new ideas.
たとえ真理が戸をたたいても、戸を開けてなかに入れようとしないのです。
Even if truth itself is knocking at our door, we will not let it in.
禅を学ぶ者は、真理が入ってこれるように、知識へのとらわれから自由になり、こころの戸を開けることができるよう努めなければなりません。
The Zen student must strive to be free of attachments to knowledge and be open so that truth may enter.
師もまた弟子のこうした努力を援助しなくてはなりません。
The teacher must also help in these efforts.
臨済禅師はかつてこう言いました。
Zen master Lin Chi once said:
「仏にあったら仏を殺せ(逢仏殺仏)。
"If you meet the Buddha, kill the Buddha.
祖師にあったら祖師を殺せ(逢祖殺祖)」
If you meet the Patriarch, kill the Patriarch."
(『臨済録 』)
仏や祖師方に深く帰依している人がこの言葉を聞いたら、さぞかし困惑することでしょう。
For the one who only has devotion, this declaration is terribly confusing.
しかし、この言葉が有効にはたらくかどうかは、それを聞く者の精神状態と能力にかかっています。
But its effect depends on the mentality and capacity of the one who hears.
すぐれた弟子なら、この言葉に助けられて、あらゆる権威から自分を解き放ち、究極の真理をみずからのうちに実現することでしょう。
If the student is strong, she will have the capacity to liberate herself from all authority and realize ultimate reality in herself.
真理とは真実そのものなのであり、それについての概念ではないのです。
Truth is not a concept.
概念に固執して真実そのものとみなすなら、われわれは真実を見失います。
If we cling to our concepts, we lose reality.
ですから、真実が姿を現すためには、真実についての概念を「殺す」必要があるのです。
This is why it is necessary to "kill" our concepts so that reality can reveal itself.
仏を殺すことが仏を見るための唯一の方法なのです。
To kill the Buddha is the only way to see the Buddha.
われわれが仏に関してもっているすべての概念は、仏そのものを見ることを妨げることになるのです。
Any concept we have of the Buddha can impede us from seeing the Buddha in person.
引用:
Zen Keys: A Guide to Zen Practice
禅への鍵 〈新装版〉
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