宮崎安右衛門『聖乞食 桃水和尚』より
翁が沓
…
かつて桃水(とうすい)和尚が大津に徘徊していた時であった。
彼は馬の草鞋(わらじ)をこしらえて売っていた。ところが桃水(とうすい)のととのえる草鞋は「大津の翁が沓(くつ)」といって、たいそう評判になった。馬子(まご)どもは争うて「翁が沓」を買うのであった。
その時分、彼の住処は、ある商人の土蔵の庇(ひさし)に、二間(にけん)くらいの空き地があった。彼は其処(そこ)を借りて、泥や藁(わら)や木の枝をもって小鳥のような貧しい小屋をつくって。それはほんとに雨露をしのぐだけのものだ。臥床としては豚小屋のそれに比して劣っていたが、彼はその小鳥の巣のような小屋を愛して二年ほどいた。
小屋のなかは、べつに炊事の道具とて何ひとつ有ってはいない。彼は馬の沓や草鞋を買った代で、蕎麦(そば)や饅頭(まんじゅう)や餅などを買ってきて、飢えをしのいだ。
ある日、馬子(まご)たちが一杯機嫌で、桃水(とうすい)の小屋へやって来て言うことには、
「爺や、お前のところには仏壇がないようだ。仏壇がないと切支丹(きりしたん)邪宗門と間違えられるぜ。なぜお前のところでは仏壇を安置しないのか?」
すると桃水(とうすい)は微笑んで言った。
「飯(めし)を焚かぬところは、仏も厭(いや)がるからな!」
馬子(まご)たちは腹をかかえて笑った。
その翌日であった。
馬子(まご)の一人が、大津絵の阿弥陀様を一枚、彼のもとへ持ってきた。
「おい爺さん、この仏さんをあげるから、持仏として大切に拝みなさい」
「親切はありがたいが、まあ持ってお帰り」
「いらぬか、俺がくれるというのに…」
「わしのところじゃ、仏はいらない」
桃水(とうすい)は断った。
しかし馬子(まご)は無理矢理にそれを小屋へ投げこんで去った。桃水(とうすい)もやむをえず受けとって置いた。
ある日、彼が外出中、隣家の者が小屋へきて見ると、壁に阿弥陀の絵像がかかっている。そして、その傍(かたわ)らに消灰で狂歌が一首、書いてあった。
狭けれど 宿をかすぞや 阿弥陀どの
後生(ごしょう)たのむと おぼしめすなよ
隣家の者らは驚いた。
「これはどうも、尋常なお爺さんぢゃない」
と思った。
仏家人名辞典をみると、彼が大津在住時代に、ある人が彼に
「あなたはなぜ、こんな生活をしているのか?」
と訊いた。すると
「今どきの僧は『身を棄(す)てよ』と八釜(やかま)しゅう言うけれど、実際は身を棄(す)てはしない。自分はその実際をおこなってるまでのことだ」
と答えたそうである。
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引用:近代デジタルライブラリー
宮崎安右衛門『聖乞食 桃水和尚』
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