話:フィリップ・カプロー
Philip Kapleau
…
有名な禅匠のひとりである趙州は、しばしばこういう問いを受けた。
Chao-Chou (Joshu in Japanese), a famous Zen master, was frequently asked,
「犬にさえ仏性があるというのは本当ですか」
"Is it true that even a dog has the Buddha-nature?"
これは、人間のように高貴な存在は、純粋ですべてを包含する仏性というすばらしいものをもっているが、犬のように低級な存在が、それと同じ仏性をもつことがどうしてできるかを問う質問である。
the implication of the question being that if such an exalted being as man has the pure, all-embracing Buddha-nature, how can such a lowly creature as a dog also have it?
この問いに対して、趙州はあるときには
To this question Chao-Chou sometimes answered,
「無(いや、無い)」
"No, it hasn't."
と答え、あるときには
and at other times,
「有(そのとおり、有る)」
"Yes, it has."
と答えた。
質問者たちは経典のなかにある「すべての存在は仏性を有する(悉有仏性)」という言葉に本当に困惑していたのかもしれないし、
あるいは趙州がどう応答するかをみるために、知らないふりをして問いを発したのかもしれない。
or they may have been feigning ignorance in order to see how Chao-Chou would respond.
仏性はすべての存在に共通しているのだから、論理的にいえば、どちらの答えも意味をなさないはずだ。
Since Buddha-nature is common to all existence, logically either answer makes no sense.
しかし、ここには論理以上の何かがあるのだ。
But more than logic is involved here.
では趙州は何をやろうとしたのだろうか。
So what is Chao-Chou up to?
彼は僧たちに、絶対的な真理は肯定や否定を越えたところにあることを示そうとして、言語の論理を愚弄してみせたのだろうか。
Is he flouting the logic of language to show the monks that absolute truth lies beyond affirmation and negation,
それとも「有!」あるいは「無!」という言葉を発するその仕方でもって、質問者に仏性そのものを事実として突きつけたのだろうか。
or is he, by the manner in which he utters "Yes!" or "No!" actually thrusting this Buddha-nature at his questioners?
…
出典:禅への鍵 〈新装版〉
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