2016年5月17日火曜日
舌の先まで出かかって… [OSHO]
話:OSHO(和尚)
…
仏性は達成ではない。それは単に思い出すことであり、まるで何かを忘れていたかのように、静かなリラックスした状態のなかで、突然、あなたはそれを思い出す。
あなた方もみな一度や二度は、そういった経験をしたことがあるだろう。自分では確かにそれを覚えていて、それはまさに舌の先まで出かかっているのだが、それを思い出すことができない。
そういった時は、実に奇妙で不思議な感覚がするものだ。あなたはその人の名前を知っている。自分がそれを知っていることは絶対に確かで、目を閉じればその人の顔も思い浮かぶ。その名前は、まさに舌の先まで出かかっているのだが、どうしても言葉になって出て来ない。
それは何とも不思議な感覚だ。
自分はそれを知っているし、自分が知っていることもわかっているのに、それでもそれを口に出すことができない。それはまさに舌の先にあるが、努力をすればするほど、いっそうそれは難しくなる。
それは、努力というものがすべて、あなたの心を緊張させてしまうからだ。緊張すればするほど、心はさらに閉じてしまう。
必要なのは…、
庭に行って土いじりをするとか、植物に水をやるとかして、思い出そうとしていることを、まさに舌の上に乗っかっているその人物のことを、きれいさっぱりと忘れてしまうことだ。それは唾と一緒に吐き出してしまうがいい。
なにか単純なことに没頭しなさい。
たとえばバラに水をやるとか。バラに水をやっているうちに、心はリラックスしてくる。閉じていたものが開きはじめ、そして突然、どこからともなくその名前が、心の表面に泡のように浮かび上がってくる。
努力をしているときは、それを捕まえることができなかった。
ところが、何もやろうとしていないとき、それを捕まえようという考えすらも落としてしまったとき、それは猛烈ないきおいで戻ってくる。
ブッダになることも、まったくそれと同じだ。
私があなた方に教えているすべてのことは、哲学ではないし、教えとすら呼べないものだ。わたしは単に、あなたが完璧に忘れ去っていたことを思い出せる地点まで、あなたが寛いでゆくのを助けているだけだ。
それを思い出せば、あなたは自分の仏性に目覚める。その思い出すことは達成ではない。なぜなら、ブッダはすでにあなたの中にあるからだ。「達成」という言葉が正しくないのはそのためだ。
…
引用:空っぽの鏡・馬祖
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