2016年4月30日土曜日

紙でない要素 non-paper element [T.N.Hanh]



話:室謙二





それでは、このところワークショップに通っているベトナムの坊さん、ティク・ナット・ハンは「空(くう)」をなんて説明しているのか?

こちらは実に簡単なゆっくりとした口語英語で、分かりやすく「空(emptiness)」を説明している。彼は分厚いニューヨーク・タイムス紙を手にしながら、私たちのまえでこう語った。



この新聞には、さまざまな事件が書かれています。それではこの新聞の一ページを見ましょう。

文字を読むのではなくて、紙自体をみると、そう、もしあなたが詩人なら新聞が印刷されている紙に、「木」を見ることができる。なぜなら、紙はパルプから作られて、パルプは木から作られるから。

そしてまた、その木が生えていた、うっそうとした「森」を見ることもできます。いや木々のみではない。「太陽」がなくては、「雨」がなくては、「風」がなくては、木は育たなかったのです。



だからこのニューヨーク・タイムスの一ページの紙の向こうに、それらが、木が森が、太陽と雨と風が見えてくるはずです。

もう少し考えましょう。

木はパルプになるために、切り倒されなければならなかったのです。あなたが詩人なら、この新聞の紙のなかに、「キコリ」さえ見ることができるはずです。それらの要素がこの紙を作っているのです。



そう考えていけば、この紙は多くの「紙でない要素(non-paper element) 
によって作られていることが分かりますね。「太陽」も「雨」も「風」もそれに「木」も「キコリ」も、それは紙を作っている「紙でない要素」です。

つまり「紙という要素」は「紙でない要素(non-paper element)によって作られているといってよいのです。



それでは次に、その「紙でない要素(non-paper element)」を、紙から、もとの場所にもどしてやろうではないか。パルプは木にもどり、それを育てた太陽の光は太陽にもどろ、雨は空に、風も雲も、その元あったところに、キコリはその父親にもどしてあげよう。

つまり紙を形作っていた「紙でない要素」を、そのそれぞれの場所にもどしてやったとすると、あとには「紙そのもの」というものが、残るのであろうか?

「どう思うかな?」

とティク・ナット・ハンは私たちに聞いた。

何も残らない。



So we say, "A sheet of Paper is made of no-paper elements." 

A cloud is a no-paper element.

The forest is a non-paper element.

Sunshine is a non-paper element.



The paper is made of all the non-paper elements to the extent that if we return the non-paper elements to their sources, 

the cloud to the sky, 

the sunshine to the sun, 

the logger to his father, 

the paper is empty.



というわけで、ついに「空(くう)」、empty が出てきた。

紙そのものは「紙でない要素(non-paper elements)」によって成り立っている。その紙を作る「紙でない要素」を、元のところに戻したとしたら、紙は「からっぽ(空)」になる。ということで、

「それ自体が他と関係なく、独立して成り立っている存在などはない」

と空(くう)と縁起を説明した。



他から独立した自分自身(separate self)ということはない。

自分自身(self)は「自分自身以外の要素(non-self elements)」によって形作られている。

だから、独立した存在と感じられ、思われている自分自身(自我)は、本当は完全な空(くう)なのです。







ところでティク・ナット・ハンは、そういう話を子供たちと共にするのだった。

彼は子供たちをステージに呼び上げて、自分の隣に座らせる。そして、そのひとりひとりに「キミはいくつかな? 誕生日はいつかな?」と聞いていた。

それから

「誕生日のまえにキミはどこにいたのだろう?」

と質問をすすめた。カリフォルニアのカウンター・カルチャーの子供たちだから、みんなそれぞれに、

「お父さんとお母さんがメイク・ラブして、それからお母さんの体の中にいた」

とはっきり言う。



そこでティク・ナット・ハンは話をすすめて

「それじゃあ、お父さんとお母さんがメイク・ラブする前は、キミはどこにいたのかな?」

と聞くのである。子供たちは

「半分はお父さんの中で、半分はお母さんの中だ」

とは言うけど、すでに確信がない。



そこで彼はもうひとつ話を進める。

「お母さんが生まれる前には、キミはどこにいたのかな」

子供たちは答えられない。



このティク・ナット・ハンと子供たちの問答が、禅の公案(修行するものに与えられる課題)から来ていることに、ワークショップが終わって数日たってから気がついた。

それほどその会話は自然で、子供とそれをとりまく大人の聴衆を、不思議な愉快さとともに、公案ということを意識することなしに、仏教の核心的な疑問に連れて行くものだった。

その公案は

「父母(ふぼ)未生(みしょう)以前の本来の面目(めんもく)如何(いかん)
(父母が生まれる前に、おまえの顔かたちはどこにあったのか?)

である。



こうやって子供たちも、それを取り巻いている大人たちも、

「いったい自分たちはどこから来たのだろう? 今どこにいるのだろう? そして、どこへ行くのだろう?」

という大きな問いを与えられたのだった。







引用:アメリカで仏教を学ぶ (平凡社新書)



「急げど水は 流れじ月は」 [柳宗悦]



急ゲド 水ハ

流レジ 月ハ

柳宗悦『心偈』39則


激しく水が流れている。皓々(こうこう)として月が水面に映っている。だが、水は急いで流れはするが、月はその急流の中に、美しくその姿を止めている。

昔、禅の坊さんたちは、こういう場面を見て、はたと思い当るものがあって、よく詩偈(しげ)を作った。激流はこの世にまつわる葛藤の姿と見てもよい。諸行無常で、一時も同じ姿には止らぬ。その流れに姿を映しながら、少しも流されない月こそは、無碍(むげ)の心そのものの姿ではないか。

世に交わって、交わらないもの、有に棹(さお)さして、有に沈まないもの、「碍(さわ)りなき」その姿こそ、この月の面影ではないか。その月に、解脱の姿を見つめるのである。



引用:南無阿弥陀仏―付・心偈 (岩波文庫)



魚と亀と、ハチミツとヨーグルト [スマナサーラ]



話:アルボムッレ・スマナサーラ





ここで一言、申し上げておきたいことがあります。

お釈迦さまが体験した世界を聞きたいとのことですが、その前提からして、すでに乗り越えるべき壁があります。それは言語には関係ない世界といいますか、言語のすべて、一切の概念の終わったところのものですから、言葉で説明するのは大変むずかしいことです。

お釈迦さまは

「すべての言葉、すべての概念、すべての思考はここまでだ」

と、おっしゃっています。人間の頭で理解できるのは「ここまで」で、それ以上の言葉はない、と。お釈迦さまはそれを、「世間的」「出世間(しゅっせけん)的」という、2つの明確な言葉にわけて説明されています。

「世間的」という言葉がおよぶ範囲は、「すべての生命、一切の生命に関係がある」ところです。そこを超えたところ、つまり「出世間的」な世界が、解脱の境地なのです。







よく物語をつかって説明するのですが、ここにとても分かりやすい例があります。

あるところに、仲良しの魚と亀がいました。ずいぶん親しい友達で、毎日水の中で一緒に遊んでいました。けれどもある日、亀がいなくなってしまいました。それからずいぶん長いこと魚は亀を探しましたが、どこにも見あたりません。

あるとき、ふたたび亀が姿をあらわしたので、魚は聞きました。

「君、どこに行っていたの?」

「陸の上にいっていたんだ」

「えっ、陸ってなに?」

魚は理解できません。おたがい友達ですから、亀は一生懸命、魚に陸のことを説明し、魚もなんとか理解しようとしました。けれども、まったく話がかみあいません。魚は陸の話を、「水の中の常識」で理解しようとしていたからです。



「陸はとてもいいところだよ。こことは比較にならないほど大きいんだ」

「水はきれいなの?」

「いや、水はまったくない」

魚はびっくりします。

「水がないのにキレイでいいところなど、あるわけがない。おまえが言うことはおかしい」

波どころか水もない。あれもない、これもない。泳げもしない。「そうとう危険なところ」ではないか、あるいは「まったく存在しないところ」ではないかと、魚は結論せざるをえませんが、亀はあくまで「ある」「いいところだ」と言い張ります。







これはつまり、亀は2つの世界を経験していて、魚は世界を一つしか経験していない、ということに他なりません。大乗仏教でもこの物語はつかっていると思いますけれども、お釈迦さまが教えたかったこの「出世間の境地」は、「あなたが経験するしかない」ということです。

さらに私は、その物語のつづきをつくります。

「魚にも陸を知る方法がありあす。それは、魚が進化すればいい、ということです。最低でもカエルぐらいに進化すれば、きっとわかりますよ」と。







たとえば

「ハチミツの味を、言葉で説明してください」

と言われたれた、どのような説明をしますか?

自分はハチミツの味をたしかに知っています。ハチミツをなめたことがない人に、「ハチミツは甘い」と言った場合、その人は「甘い」というラベルが貼られた、「別のなにか」と比較することになります。







もっと面白い話があります。

生まれつき目が見えない人のところに、

「新鮮な牛乳でつくったヨーグルト、いかがですか。おいしい、おいしいヨーグルト、いかがですか?」

と叫びながら、ヨーグルト売りがやってきます。それを聞いて、目が見えない人は、

「ヨーグルトとは、どういうものですか?」

とヨーグルト売りにたずねます。

「まっ白いものです」

「『まっ白い』とは、どういうことですか?」

「まっ白を知らないのですか? 『シラサギ』っているでしょう? それの色です」



「シラサギとは、どんなものですか?」

「シラサギはこんな形をしています」

そう言って、手でシラサギの形をつくったところ、その人はそれを触ってみて、

「いや、おれはそれは食べない」

と結論づけるのです。このように人は、「自分のこれまでの経験」で理解しようとするのです。







お釈迦さまの言葉でいえば、

「経験しなくてはなりません」

われわれは基本的に、そういうやり方でやっています。

「とにかく何でもいいから、なめてみて」



経典というのは、言ってみれば「はしご」です。「はしご崇拝主義」ではだめで、はしごを使って、実際に昇れなくてはいけません。

お釈迦さまは「はしご」ではなくて、「いかだ」という喩えをつかっています。

「自分の教えは『いかだ』である。いかだで、この激流をわたれ」

と。そして、

「安全な境地に着いたら、いかだは捨てていきなさい。いかだを運んではいけないよ」

と、さらっと、こともなげに語るのです。結局、教えは「いかだ」なのです。用が済んだら捨てるのです。



もっとも、

「経典はどうでもいい」

と言ったら、ちょっと言い過ぎですね。

「経典はただの『はしご』ですから、要りません」

というわけにもいきません。はしごがなければ上へは行けないわけですから。でも、「はしごは、はしご」なのです。目的ではありません。はしごを拝んでも意味がない。使わなくてはいけないのです。





引用:仏教と脳科学: うつ病治療・セロトニンから呼吸法・坐禅、瞑想・解脱まで (サンガ新書)



「心の三原色」 [有田秀穂]



話:有田秀穂





わたしは坐禅をサイエンスで解く研究をはじめた。

心に関係する作業仮説として「心の三原色」説をとなえた。心に影響をあたえる3つの主要な神経系として、

ドーパミン神経

ノルアドレナリン神経

セロトニン神経

を取りあげ、その3つの神経系が相互に影響しあうことによって、あらゆる心の状態が説明できるという仮説をたてた。







具体的には

ドーパミン神経は報酬(成績・お金・地位・夢など)で駆動され、意欲や快情動を発現させる(赤い心)。

他方、ノルアドレナリン神経はストレスで駆動され、注意・集中や不快な情動(不安・緊張)を発生させる(青い心)。

セロトニン神経は坐禅やウォーキングなどで活性化され、ドーパミン神経(快)とノルアドレナリン神経(不快)を抑制し、平常心をつくりだす(緑の心)。







これまで得られている坐禅関連のデータは以下のとおりである。

坐禅の呼吸法をおこなうと、脳波に特別なα(アルファ)波があらわれて、大脳皮質の活動が鎮静し、心理的には緊張・不安、抑うつ、敵意などのネガティブな気分が改善し、元気な心の状態があらわれる。また、前頭前野(人間で一番進化・発達した脳部位)が活発に活動し、意欲、集中力、直感力が上昇する。

このような変化が起こるのは、脳内のセロトニン神経の活性化による、というエビデンスを明らかにし、「坐禅のセロトニン仮説」として体系化してきている。







セロトニンという特別な神経がわたしたちの脳のなかにあって、しかもその働きを強め活性化するのが、いろいろな瞑想法であり、坐禅だと考えています。

セロトニン神経のはたらきを考えれば、じつは坐禅とか瞑想法だけではなく、ヨーガでもいい。ちょっと変わったところでは、フラダンスでもそういう効果をもたらすのです。







引用:仏教と脳科学: うつ病治療・セロトニンから呼吸法・坐禅、瞑想・解脱まで (サンガ新書)



英語の「縁起」dependent co-arising



話:室謙二


「縁起」は英語のほうが分かりやすい。


仏教の基本的な考えのひとつは「縁起」であって、唯一の神ではなくて、これが仏教の宇宙・世界認識の基本だ。でもこの縁起という中国語仏教用語は、日本語ではずいぶん違う意味をもってしまっているので(縁起が悪いとか)、ティク・ナット・ハンの英語の本で、この「縁起」を考えてみよう。

彼はある法話でこう言っている。


The Buddha taught
ブッダが教えるには

this is like this, because that is like that.
コレがコレであるのは、アレがアレだからである。

You see?
分かるかな?

Because you smile, I am happy.
あなたが微笑むので、私はうれしい。

This is like this, therefore that is like that.
コレはコレである、だからアレはアレである。

And that is like that because this is this.
そして、アレがアレなのは、コレがコレだからである。

This is called dependent co-arising.
これがいわゆる、万物はお互いに依存して、はじめてともに生ずるということである。


これが漢字仏教語の「縁起」の、英語の説明である。「縁起」なんていう漢字をつかうよりも、英語の "dependent co-arising" のほうが、分かりやすい。

こういう考え方からは、どうしたって、たった一人の絶対_永遠の神(唯一の価値)という考えはでてこない。神さんも dependent co-arising(お互いに依存して、はじめてともに生じる)ということなので、絶対唯一などではないのです。







別のところでティク・ナット・ハンは、仏教の教えを最も重要なこととして次のように書いている。

「仏教を含めて、いかなる教義、理論、イデオロギーも偶像視したり、それに縛られてはならない。あらゆる考えの体系は、私たちを導く手だてなのである(All systems of thought are guiding means。そこには、絶対の真実はないのである」

これは「方便」の説明だけど、大変よろしい。

あらゆる思想・宗教が guiding means 、中国語仏教用語では「方便」であって、またそう考える仏教もまた方便(手だて)である、というような考えは、ユダヤ教とかキリスト教とかイスラム教のような、絶対的な一神教の人びとには認めにくいだろう。

唯一の神が dependent co-arising(縁起)だったり、guiding mean(方便)だったら困るに違いない。







引用:アメリカで仏教を学ぶ (平凡社新書)



2016年4月29日金曜日

呼吸は「Swinging door」 [鈴木俊隆]



話:室謙二





鈴木俊隆老師は著書 Zen Mind, Beginner's Mind のなかで、

「われわれが『私』と呼んでいるものは、息を吸うときと吐くときに動く、Swinging Door(スインギング・ドア)でしかない」

と言っている。はじめて読んだときに、「うまいこと言うなあ」と感心した。いま読んでもまた感心した。







「私、私」と、私たちは言うけど、あれは呼吸のたびにバタン、バタンと動いている西部劇の酒場の入り口のスインギング・ドアにしかすぎないので、大切なものは、吐く息と吸う息そのもの(空気)で、そしてその重要な吐く息と吸う息は、すでに「私」ではない、ということ。

それでは、読むだけではつまらないから、あなたにもちょっと座禅というものをやってみたらどうかしら。どこか静かなところに行って、お尻の下に小さなクッションでも入れて、足を組み、手を結び、目を半分つぶり、そう、呼吸に注意する。呼吸を意識する。

あなたは「スインギング・ドア」にしかすぎないので、それを通り過ぎる。吸う息と吐く息が、重要なのだ。まず20分ぐらい。だめなら10分。

どうかな?







ティク・ナット・ハンは、著書 Being Peace のなかで、こう言っている。

「瞑想というのは、社会の外に出てしまうことでも、社会から逃げ出すことでもない。もう一度、社会に入る準備をすることである」











引用:アメリカで仏教を学ぶ (平凡社新書)



2016年4月28日木曜日

アメリカ人の唱える「般若心経」



話:室謙二








アメリカ人にまざって座禅をすると、座禅のあとのサービス(仏像にむかってお経を唱える)のときに、英語で印刷されている紙がくばられて、それをみんなで唱える。

表には

The Maha Prajna Paramita Hrdaya Sutra

とあって、Sutra というのはお経だから、これは何かお経の英語訳であることがわかった。ところがその裏が不思議なもので、

MU MU MYO JIN NAI SHI MU RO SHI YAKU MU RO SHI JIN MU KU SYU METSU DO

と意味不明の言葉がならんでいる。それをまたアメリカ人がアメリカ語風発音とイントネーションで唱えるから、いよいよ何がなんだか分からない。



最初に気に入ったのは、その裏のページのわけの分からないやつではなく、表ページの英語のお経の次のようなところです。


No feelings,

no perceptions,

no impulses

no consciousness;



No eyes,

no ears,

no nose,

no tongue,

no body,

no mind;



No color,

no sound,

no smell,

no taste,

no touch,

no object of mind;



No realm of eyes

and so forth until

no realm of min consciousness;



No ignorance

and also no extinction of it,

and so forth until

no old-age and Death

and also no extinction of them;



No suffering,

no origination,

no stopping,

no path;



No cognition,

also no attainment.


これを木魚とときどき入るカネの音で、お経のリズムとイントネーションで唱えるときは気分が高揚した。



訳すと、こんな風になるんじゃないかな。


感覚はない。
No feelings,

知覚というものもない。
no perceptions,

衝動もない。
no impulses

意識さえもない。
no consciousness;



眼はない。
No eyes,

耳はない。
no ears,

鼻はない。
no nose,

舌もない。
no tongue,

体もない。
no body,

心もない。
no mind;



色はない。
No color,

音はない。
no sound,

においはない。
no smell,

味もない。
no taste,

感触もない。
no touch,

心の対象もない。
no object of mind;



眼の領域はなく、
No realm of eyes

意識の領域さえない。
and so forth until
no realm of min consciousness;




無知はない。
No ignorance

無知がなくなることもない。
and also no extinction of it,

また、老いも死もなく、
and so forth until
no old-age and Death


老いと死がなくなることもない。
and also no extinction of them;



苦しみはない。
No suffering,

苦しみのもとはない。
no origination,

苦しみがとまることもない。
no stopping,

苦しみを制する道はない。
no path;



知るということもなく、
No cognition,

得るということもない。
also no attainment.



何度読んでも、実に面白い。人は誰だって悩みや苦しみがあって、ぼくにもあります。でもこの英語のプレーズを、もうやけになって大声で唱えると、何かが分かったような気持になる。

ここがカリフォルニアで、まわりがアメリカ人で、畳の上にみんなで座り、ブッダのまえで、木魚とカネのリズムで、私という日本人が英語のお経を唱えるというのは、それはちょっと奇妙な環境ではあるが、ともかく

「感覚も知覚も、衝動も意識もなく、眼も耳も鼻も舌も、体も心もなく、色も音もにおいも味も感触も、心の対象もないし、また無知も老いも死もなく、無知と老いと死のなくなることもなく、苦しみもなく、苦しみがなくなることもなく、知ることもなく、得ることもない」

のだから、すべてが「ない」ので、どうやら「ないこともない」らしいので、そうするとつまり人間と宇宙の深いところで、このままでいいことになる。だから少々環境がおかしくても、そんなことは関係ないのである。

この英語のお経には大変なこと、何か根源的なことが書いてあるなあ、と感心した。



そして何回か唱えるうちに、裏のページにわけの分からないローマ字の羅列のなかから、

SHIKI SOKU ZE KU

KU SOKU ZE SHIKI

というのが読み取れて、なんだこれは

色即是空

空即是色

ではないかと漢字が浮かんできた。それなら知っている。



それでそのとき一緒に座って、英語と何語か分からないローマ字記述のお経を唱えていた日本人女性を選んで、

「アノー、これは有名な般若心経でしょうか」

と聞いて、そんなことも知らないで唱えていたのか、とあきれられた。









引用:アメリカで仏教を学ぶ (平凡社新書)



心偈 [柳宗悦・棟方志功]



心偈
こころうた

柳宗悦





跋文

日本には三十一字の短歌があるし、十七字の俳句があるが、私にはもっと煮つめた短いものが望ましく思えた。もとより詩には長さの制約はないのだが、長いものよりも、短くて含みがある方が、何か東洋的な心を伝えるのによい。実際そういう心の傾向が、日本で短歌を実らせ、更に俳句へと熟させたのだと思える。

私が更に短いものを求めるに至ったのは、もともと品物の箱書をたのまれたのが縁で、それを初めは物偈(ぶつげ、ものうた)と名付けた。それはやがて心偈(こころうた)でもあるべきなのだが、段々品物の箱書とは別に、新たに自由に短い句を作って、自分の心境を述べるに至った。

もっとも十七字をなすものがニ、三はあるし、多少の例外もあるが一番短いのが六、七字、多くは十字前後である。別に一定の長さは決めないし、七五調にも限られていない。それに必ずしも季節によってはいない。むしろ時間を越えた世界に心が惹かれた。今までこういう短句を書いた人があるかどうか知らぬが、私はこれを偈(げ)と呼び、また和風に小偈(さうた)とも呼ぶことにしている。









(一)仏偈



1

今日(きょう)モアリ
オホケナクモ



2

御仏(みほとけ)イヅチ
汝レハ イヅコ



3

都イヅチ
問ヒノ サ中



4

(さ)スヤ都(みやこ)
見シヤ茲(ここ)



5

(さ)スヤ 西ヲ
ドコトテ 西ナル



6

開カレツルニ
(たた)クトハ



7

追フヤ 仏(ほとけ)
追ハレツルニ



8

想へ誰(た)
御仏(みほとけ)ノ マラウドト



9

見初(みそ)ムトナ
弥陀(みだ) コノ吾レヲ



10

弥陀(みだ)
六字ノ 捨艸(すてぐさ)



11

トマレ 六字



12

(うれ)シ 悲シノ
六字カナ


嬉シ 悲シノ 六字カナ



13

六字六字ノ
捨場(すてば)カナ



14

六字トナ
無字ナルニ



15

ドコトテ 御手(みて)
真中(まなか)ナル



16

真向(まむ)ケヨト
(い)ヒ給フ



17

南無阿弥陀
イトシヅカ



18

(ひじり)云ヒツル
棄テヨト



19

便(たよ)リアリ
(ほとけ)イト忙(いそが)シト



20

仏トナ
名ナキモノノ
御名(みな)なるに



21

沙門(しゃもん)法蔵(ほうぞう)
捨テ身ナル



22

アナフシギ
御仏(みほとけ) 吾ガヨハヒ



23

持ツヤ ヒネモス
オロガム幸(さち)






仏法三意

一 今ヨリ ナキニ

二 茲(ここ)ニゾ アルニ

三 只(ただ)コソ ヨキニ






跋文(つづき)



今度右の偈を六十首ほど選んで、棟方が板絵(いたえ)にしてくれたのをしおに、自註(じちゅう)をつけて上梓することになった。

上梓するに際し、巻末にこの自註自解を添えたが、実は註など要らずもがなである。誠に蛇足でもあるので、もとより読者は己れなりに、自由に解して下さってよいのだが、句の意味を余り度々尋ねられるので、かくかくの気持を偈にしたのだということを記すことにしたのである。

それに東洋的なものの考え方をせぬ近頃の人たちには、あるいは通じ難い点もあるかと思われ、幾許(いくばく)かの説明も何かの手助けになるかもしれぬ。自分としては、この集は、私の長い心の遍歴(宗教的真理への思索)の覚え書きだともいえる。

だから同じような問題に想いあぐむ人々に、多少の示唆ともなれば有難い。もとよりここに盛られた想いは、幾許かの真理への私の領 解(りょうげ)ではあっても、何も説法ではなく、むしろ自分を練磨するための自省自戒のために、時折記し始めたのがその発端であった。









(二)茶偈



24

一フクメセ
茶衣(さぎぬ) メサデ



25

一フク イカガ
茶モ忘レテ



26

茶ニテアレ
茶ニテナカレ



27

茶ノミ
茶カハ



28

茶モ道
棄ツル道



29

(た)ツヤ茶ヲ
(さま)ナキ様ニ



30

サバクヤ心
袱紗(ふくさ)サバキツ



31

如何ナルカ 是(こ)レ茶
陀羅尼(だらに)






跋文(つづき)



私がここで比較的純な古語を多くとり入れたのは、なるべく個人の言葉を離れたいという意向によったのである。偈であるからには、誰にも共有の言葉でありたい。私の声などでない方がよい。それには伝統のある和語が、相応(ふさわ)しいと思える。

それに古語は一種の風韻をかもし出すので、詩の性格としては適当だと思われた。凡てに東洋的色彩が濃いのは東洋の心を輝かすことこそ、吾々の悦ばしい任務だと思われるからである。








(三)道偈



32

今ヨリ ナキニ


今ヨリ ナキニ



33

ナ 云ヒソ
明日(あす)



34

捨テ身ナレ
(く)イジ ヨモ



35

(さち)イトド
ムクイ 待タネバ



36

(あや)エガケ
文ナキマデニ



37

(あや)アリテ 文ナキ
(これ)ナン文



38

何ヲカ払フ
払フガ塵(ちり) 払ハヌガ塵



39

急ゲド 水ハ
流レジ 月ハ



40

月ハ映(うつ)リキ
水ヲ染メデ



41

魚ハ游(およ)ゲド
水ハ跡ナキ



42

今 見ヨ
イツ 見ルモ



43

見テ 知リソ
知リテ ナ 見ソ



44

ナ タジロギソ
一人(ひとり) ヒトリカハ



45

ナドテユタケシ
貧シサ ナクバ



46

到リ得バ
事モナシ



47

糸ノ道
(のり)ノ道



48

色ソメツ
心ソメツ



49

行キナン
行クヘ知ラデモ


行キナン 行クヘ知ラデモ



50

打テヤ
モロ手ヲ



51

母ヨトナ
声ヲ待タジナ
(な)ガ母ハ



52

歩キナン
大道(おおみち)



53

(とびら)アリ
入ルヤ 出(い)ヅルヤ






踏マレツモ

路ヲ残スヤ

花ソエテ






跋文(つづき)



終りにいう。かつてこれらの心偈の一部は、自ら書いて、自ら装案して表具に仕立て、展観し、大勢の方々の志に委(ゆだ)ねたが、各地に離散してしまったので、偈集としてここに一冊に纏(まと)めておくのもよいかと思えた。たまたま浜田の示唆もあって、棟方がこれらの偈の大部分を板絵にしてくれた。

当時棟方は国際展等あって多忙を極めていたのであるが、早朝に起床して毎朝数種ずつを刻んでくれたという。それが十種ほどになる毎(ごと)に、奥さんが私の病床に届けてくれた。棟方の作としては、大変静かで、色も穏やかで有難い出来栄(できば)えであった。

原品はいずれ数双(すうそう)の小屏風(こびょうぶ)に仕立てて民藝館に納める。その後更に十首ほど追加され、これを棟方板画集としても出版したい志を起こした。しかし長い病中とて、何事も私自身ではなすことが出来ず、原稿の清書整理その他一切の事務を、例により浅川園絵(あさかわ・そのえ)さんの懇切な助けに委ねて、一冊に纏(まと)める事が出来、ついに上梓するを得たのである。

製版はこれもいつもの如く西鳥羽泰治(にしとば・たいじ)氏に、本文印刷は葛生勘一(くずう・かんいち)氏のお世話になった。また何かと、この出版について心を配ってくれた浜田庄司、棟方志功のニ友にも厚い感謝を捧げたい。甲種の表紙は紅柄(べんがら)染めの葛布(くずふ)で、外村吉之介(そとむら・きちのすけ)の往年の製作にかかる。乙種の方は雲州の布目紙。安部栄四郎君の技。













(四)法偈



54

今日(きょう)(そら)
晴レヌ


今日 空 晴レヌ



55

古シ泉ハ
(あたら)シ 水ハ


古シ泉ハ 新シ 水ハ



56

泉タバシル
トハニ 新(あらた)



57

冬ナクバ
春ナキニ


冬ナクバ 春ナキニ



58

冬 キビシ
春ヲ含(ふく)ミテ



59

カヲルヤ 梅 ケ香(か)
雪ヲ エニシニ



60

雪 イトド深シ
花 イヨヨ近シ


雪 イトド深シ 花 イヨヨ近シ



61

(ふき)ノタウ ホヽエム
雪ニモ メゲデ



62

吉野山
コロビテモ亦(また) 花ノ中


吉野山 コロビテモ亦 花ノ中



63

秋サブ
夏ヲ経テ


秋サブ 夏ヲ経テ



64

月一つ
水面(みのも)ニ宿(やど)
百千月(ももちづき)



65

(一)
春 花ニエミ
夏 日ヲアホギ
(ニ)
秋 月ニスミ
冬 雪トヤスム


春 花ニエミ 夏 日ヲアフギ

秋 月ニスミ 冬 雪トヤスム



66

(一)
松 根強シ 枝聳(そび)
(ニ)
竹 幹直シ 陰清シ
(三)
梅 香リミツ 雪フルモ


梅 香リミツ 雪フルモ



67

花 見事ニサキヌ
誇リモセデ
ヤガテ ウツロヒヌ
ツブヤキモセズ



67’

花散リヌ
(ただ)散リヌ
事モナシ



68

見ルヤ君
問ヒモ 答(こた)ヘモ
絶ユル世ノ 輝キヲ



69

之モ亦(また)
之モ サンゲノ
仕事カナ






川流ル
(のり)ゾ流ル


桜散ル
舞ヒヲ手向(たむ)ケツ
仇風(あだかぜ)






跋文(つづき)



(ちなみ)にいう。収めた七十首ほどの偈は、別に一貫した順次はない。ただ内容によって「仏」と「茶」と「道」と「法」とに類別したに過ぎない。

それ故読者は、どの頁(ページ)を繰って下さってもよい。飽きたら閉じ、気が向いたら随所を開いて下さってよいのである。句はいずれも極く短いから、さして読者の時間を障(さまた)げることもないかと考える。



昭和三十四年春

宗悦

病床にて



柳カナ

ユガミナガラニ

風ニマカセツ