from: 『剣と禅』大森曹玄
…
先師山田一徳斎先生が、まだ榊原鍵吉先生の門下生として修行中のこと、一日、大雪の降る中を先生のお伴をして九段坂上にさしかかったとき、どうしたハズミか榊原先生の足駄の鼻緒がプツリと切れた。
さすがの剣豪もこの不意打ちには身をかわす間もなく、横倒しにドッと投げ出された、と見えた一刹那、ヌッと片腕をのばして倒 んとする師の巨賑を支えたのが、お伴の山田次朗吉であった。
しかも一方の手ですばやく自分の下駄をとって、榊原先生の足の下にさしこんだ。有名な頑固者の榊原先生もこの石火のはたらきには辞する余裕もなく、ノメル足を弟子の下駄の上でふみこたえるほかはなかった。
このときの気合、間髪を容れざる動作、これこそ剣の至極であるとして、そのことがすぐれた剣技とともに、のちに山田先生が直心影流十五世の的伝者となる一因をなしたのである。
このように前後を際断して、絶対現在になりきり、そこに全生命力を最高度に発揮する剣境を、辻月丹の無外流では「玉簾不断」と呼んでいる。
玉簾とはいうまでもなく滝のことである。滝は一条の連続した水流のように見えるが、実は一滴一滴断絶した水滴の重なり合ったものである。その一滴一滴を充実することによって、はじめて連続不断の渥流が成り立つのである。
白隠和尚が正念相続とは、数珠王の一顆一顆になりきることで、それに通してある紐のようにのべつまくなしになることではない、という意味のことをいっているのも、思い合わされて興味深いものがある。
剣と禅とはここでも一致するようである。
…
0 件のコメント:
コメントを投稿