from: 『剣と禅』大森曹玄
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かれがまだ鬼夜叉と呼ばれた青年のころ、ある日、師の鐘捲自斎に向かってこういったものである。
「先生、わたくしは剣の妙機を自得しました」
これを聞いた自斎は大いに怒って「未熟者が何をいうか」とののしったが、かれは平然として、
「しかし先生、妙とは心の妙である以上、自分みずから悟る外はないではありませんか。決して、師から伝えられるものではないと思います」
と抗弁して一歩もゆずらなかった。
こんな押し問答がなんべんか繰り返されたのち、それではというので師弟の間で技をたたかわせることになった。ところが師の自斎は三度たたかって三度とも敗れてしまったので、大いに驚いてそのわけを聞くと、かれはいわく、
「人は睡っている間でも、足のかゆいのに頭をかく馬鹿はありません。人間には自然にそういうはたらきをする機能が具わっているのです。その機能を完全にはたらかせることが剣の妙機というものだと思います。先生が私を打とうとされるとき、先生の心は虚になっています。それに反し、わたくしはいま申したような自然の機能で危害をふせぎますから実です。実をもって虚に対すれば勝つのは当然でしょう」
そう説明されてみれば、いかにも当然の理窟なので、自斎もうなずくほかはなかった。
この「睡中かゆきをなづ」という言葉は、千葉周作の「剣法秘訣」の中にもあったと記憶するが
鏡が物体を写すような無心のはたらきを表わす言葉として、古来の剣客が好んで用いたものかもしれない。
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