from:
相手に打たれるのは
自分の弱点を教えてもらうのだから
有り難いことだ
持田先生は相手から一本打たれると、二度目には決してそこを打たせなかった。
自分の非を教えてもらったのであるから、感謝してその欠点を直して、完全なものに近づいてゆくというのが先生の修行法である。
非を知ることを「ヒジリ」と言う。
漢字で書けば聖と書くのは聖人のことであって、自分の非を知って、その非をなおして完全な人になってゆくのが聖人である。
持田先生は三十歳以後は稽古相手に上がなかった。それにもかかわらず、あそこまで行かれたのは、打たれたところを反省して、「非知り」の稽古をされたから、八十四歳まで停滞することなく進歩されたのである。
単なる攻撃精神は相対なり。
勝負の念がある。
懸待一致は絶対なり。
勝敗の両頭を超越す。
0 件のコメント:
コメントを投稿