2019年12月6日金曜日

【原文】正法眼蔵_弁道話_04


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道元

辦道話(べんどうわ) [弁道話]04

とうていはく、この坐禅(ざぜん)をもはらせん人、かならず戒律を厳浄(ごんじょう)すべしや。

しめしていはく、持戒梵行(ぼんぎょう)は、すなはち禅門の規矩なり、仏祖の家風なり。いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その(ぶん)なきにあらず。



とうていはく、この坐禅(ざぜん)をつとめん人、さらに真言(しんごん)止観(しかん)の行をかね(しゅ)せん、さまたげあるべからずや。

しめしていはく、在唐(ざいとう)のとき、宗師(しゅうし)真訣(しんけつ)をきゝしちなみに、西天(さいてん)東地(とうち)の古今に、仏印(ぶっちん)を正伝せし諸祖、いづれもいまだしかのごときの(ぎょう)をかね(しゅ)すときかずといひき。まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし。



とうていはく、この(ぎょう)は、在俗の男女(なんにょ)もつとむべしや、ひとり出家人(しゅっけにん)のみ(しゅ)するか。

しめしていはく、祖師のいはく、仏法を()すること、男女(なんにょ)貴賤(きせん)をえらぶべからずときこゆ。



とうていはく、出家人(しゅっけにん)は、諸縁すみやかにはなれて、坐禅(ざぜん)辦道にさはりなし。在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して、無為の仏道にかなはむ。

しめしていはく、おほよそ、仏祖あはれみのあまり、広大の慈門をひらきおけり。これ一切衆生を証入せしめんがためなり、人天(にんでん)たれかいらざらむものや。こゝをもて、むかしいまをたづぬるに、その(しょう)これおほし。しばらく代宗・順宗の、帝位にして万機(ばんき)いとしげかりし、坐禅(ざぜん)辦道して仏祖の大道(だいどう)会通(えづう)す。李相国(りしょうこく)防相国(ぼうしょうこく)、ともに輔佐(ふさ)の臣位にはんべりて、一天の股肱(ここう)たりし、坐禅(ざぜん)辦道して仏祖の大道(だいどう)に証入す。たゞこれ、こゝろざしのありなしによるべし、身の在家出家にはかゝはらじ。又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのづから信ずることあり。いはむや世務は仏法をさふとおもへるものは、たゞ世中に仏法なしとのみしりて、仏中に世法なき事をいまだしらざるなり。

ちかごろ大宋に、馮相公(ひんしょうこう)といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりて、みづからをいふに、いはく、



公事之余喜坐禅、少曾将脇到床眠。
雖然現出宰官相、長老之名四海伝。

公事(くうじ)(ひま)に坐禅を(この)む、
(かつ)(わき)()(ゆか)(いた)して(ねぶ)ること()し。
(しか)宰官相(さいかんしょう)現出(げんしゅつ)せりと(いえど)も、
長老の名、四海に伝はる。



これは、官務にひまなかりし身なれども、仏道にこゝろざしふかければ、得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかゞみるべし。

大宋国(だいそうこく)には、いまのよの国王大臣、士俗男女(なんにょ)、ともに心を祖道にとゞめずといふことなし。武門文家(ぶんけ)、いづれも参禅学道をこゝろざせり。こゝろざすもの、かならず心地(しんじ)開明(かいみょう)することおほし。これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり。

国家(こくけ)に真実の仏法弘通(ぐづう)すれば、諸仏諸天ひまなく衛護(えいご)するがゆゑに、王化(おうか)太平(たいへい)なり。聖化(せいか)太平(たいへい)なれば、仏法そのちからをうるものなり。

又、釈尊の在世には、逆人(ぎゃくにん)邪見みちをえき。祖師の会下(えか)には、獦者(りょうしゃ)樵翁(しょうおう)さとりをひらく。いはむやそのほかの人をや。たゞ正師の教道をたづぬべし。



とうていはく、この行は、いま末代悪世にも、修行せば(しょう)をうべしや。

しめしていはく、教家に名相(みょうしょう)をこととせるに、なほ大乗実教には、正像末法をわくことなし、(しゅ)すればみな得道すといふ。いはむやこの単伝の正法には、入法(にっぽう)出身(しゅっしん)、おなじく自家(じけ)の財珍を受用(じゅよう)するなり。証の得否(とくふ)は、(しゅ)せむもの、おのづからしらむこと、用水(ようすい)の人の冷煖(れいだん)をみづからわきまふるがごとし。



とうていはく、あるがいはく、「仏法には、即心是仏のむねを了達(りょうだつ)しぬるがごときは、くちに経典(きょうでん)(じゅ)せず、身に仏道を行ぜざれども、あへて仏法にかけたるところなし。たゞ仏法はもとより自己にありとしる、これを得道の全円とす。このほかさらに他人にむかひてもとむべきにあらず。いはむや坐禅(ざぜん)辦道をわづらはしくせんや」。

しめしていはく、このことば、もともはかなし。もしなんぢがいふごとくならば、こゝろあらむもの、たれかこのむねををしへんに、しることなからむ。

しるべし、仏法は、まさに自他の(けん)をやめて学するなり。もし自己即仏としるをもて得道とせば、釈尊むかし化道(けどう)にわづらはじ。しばらく古徳の妙則をもてこれを証すべし。

むかし、則公監院といふ僧、法眼禅師の会中(えちゅう)にありしに、法眼禅師とうていはく、「則監寺(そくかんす)、なんぢわが()にありていくばくのときぞ」。

則公がいはく、「われ師の()にはむべりて、すでに三年をへたり」。

禅師のいはく、「なんぢはこれ後生(こうせい)なり、なんぞつねにわれに仏法をとはざる」。

則公がいはく、「それがし、和尚をあざむくべからず。かつて青峰の禅師のところにありしとき、仏法におきて安楽のところを了達(りょうだつ)せり」。

禅師のいはく、「なんぢいかなることばによりてか、いることをえし」。

則公がいはく、「それがし、かつて青峰にとひき、『いかなるかこれ学人(がくにん)の自己なる』。青峰のいはく、『丙丁(ひょうちょう)童子(どうじ)(きたって)求火(ひをもとむ)』」。

法眼のいはく、「よきことばなり。たゞし、おそらくはなんぢ()せざらむことを」。

則公がいはく、「丙丁(ひょうちょう)は火に属す。火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと()せり」。

禅師のいはく、「まことにしりぬ、なんぢ()せざりけり。仏法もしかくのごとくならば、けふまでにつたはれじ」。

ここに則公、懆悶(そうもん)してすなはちたちぬ。中路(ちゅうろ)にいたりておもひき、禅師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり、わが非をいさむる、さだめて長処あらむ。禅師のみもとにかへりて懺悔(ざんげ)礼謝(れいしゃ)してとうていはく、「いかなるかこれ学人(がくにん)の自己なる。」

禅師のいはく、「丙丁(ひょうちょう)童子(どうじ)(らい)求火(きゅうか)」と。

則公、このことばのしたに、おほきに仏法をさとりき。

あきらかにしりぬ、自己即仏の領解(りょうげ)をもて、仏法をしれりといふにはあらずといふことを。もし自己即仏の領解(りょうげ)を仏法とせば、禅師さきのことばをもてみちびかじ、又しかのごとくいましむべからず。たゞまさに、はじめ善知識をみむより、修行の儀則を咨問(しもん)して、一向に坐禅(ざぜん)辦道して、一知半解(はんげ)を心にとゞむることなかれ。仏法の妙術、それむなしからじ。






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