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道元
辦道話 [弁道話]04
とうていはく、この坐禅をもはらせん人、かならず戒律を厳浄すべしや。
しめしていはく、持戒梵行は、すなはち禅門の規矩なり、仏祖の家風なり。いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず。
とうていはく、この坐禅をつとめん人、さらに真言止観の行をかね修せん、さまたげあるべからずや。
しめしていはく、在唐のとき、宗師に真訣をきゝしちなみに、西天東地の古今に、仏印を正伝せし諸祖、いづれもいまだしかのごときの行をかね修すときかずといひき。まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし。
とうていはく、この行は、在俗の男女もつとむべしや、ひとり出家人のみ修するか。
しめしていはく、祖師のいはく、仏法を会すること、男女貴賤をえらぶべからずときこゆ。
とうていはく、出家人は、諸縁すみやかにはなれて、坐禅辦道にさはりなし。在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して、無為の仏道にかなはむ。
しめしていはく、おほよそ、仏祖あはれみのあまり、広大の慈門をひらきおけり。これ一切衆生を証入せしめんがためなり、人天たれかいらざらむものや。こゝをもて、むかしいまをたづぬるに、その証これおほし。しばらく代宗・順宗の、帝位にして万機いとしげかりし、坐禅辦道して仏祖の大道を会通す。李相国・防相国、ともに輔佐の臣位にはんべりて、一天の股肱たりし、坐禅辦道して仏祖の大道に証入す。たゞこれ、こゝろざしのありなしによるべし、身の在家出家にはかゝはらじ。又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのづから信ずることあり。いはむや世務は仏法をさふとおもへるものは、たゞ世中に仏法なしとのみしりて、仏中に世法なき事をいまだしらざるなり。
ちかごろ大宋に、馮相公といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりて、みづからをいふに、いはく、
公事之余喜坐禅、少曾将脇到床眠。
雖然現出宰官相、長老之名四海伝。
公事の余に坐禅を喜む、
曾て脇を将て床に到して眠ること少し。
然く宰官相と現出せりと雖も、
長老の名、四海に伝はる。
これは、官務にひまなかりし身なれども、仏道にこゝろざしふかければ、得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかゞみるべし。
大宋国には、いまのよの国王大臣、士俗男女、ともに心を祖道にとゞめずといふことなし。武門文家、いづれも参禅学道をこゝろざせり。こゝろざすもの、かならず心地を開明することおほし。これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり。
国家に真実の仏法弘通すれば、諸仏諸天ひまなく衛護するがゆゑに、王化太平なり。聖化太平なれば、仏法そのちからをうるものなり。
又、釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の会下には、獦者樵翁さとりをひらく。いはむやそのほかの人をや。たゞ正師の教道をたづぬべし。
とうていはく、この行は、いま末代悪世にも、修行せば証をうべしや。
しめしていはく、教家に名相をこととせるに、なほ大乗実教には、正像末法をわくことなし、修すればみな得道すといふ。いはむやこの単伝の正法には、入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり。証の得否は、修せむもの、おのづからしらむこと、用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし。
とうていはく、あるがいはく、「仏法には、即心是仏のむねを了達しぬるがごときは、くちに経典を誦せず、身に仏道を行ぜざれども、あへて仏法にかけたるところなし。たゞ仏法はもとより自己にありとしる、これを得道の全円とす。このほかさらに他人にむかひてもとむべきにあらず。いはむや坐禅辦道をわづらはしくせんや」。
しめしていはく、このことば、もともはかなし。もしなんぢがいふごとくならば、こゝろあらむもの、たれかこのむねををしへんに、しることなからむ。
しるべし、仏法は、まさに自他の見をやめて学するなり。もし自己即仏としるをもて得道とせば、釈尊むかし化道にわづらはじ。しばらく古徳の妙則をもてこれを証すべし。
むかし、則公監院といふ僧、法眼禅師の会中にありしに、法眼禅師とうていはく、「則監寺、なんぢわが会にありていくばくのときぞ」。
則公がいはく、「われ師の会にはむべりて、すでに三年をへたり」。
禅師のいはく、「なんぢはこれ後生なり、なんぞつねにわれに仏法をとはざる」。
則公がいはく、「それがし、和尚をあざむくべからず。かつて青峰の禅師のところにありしとき、仏法におきて安楽のところを了達せり」。
禅師のいはく、「なんぢいかなることばによりてか、いることをえし」。
則公がいはく、「それがし、かつて青峰にとひき、『いかなるかこれ学人の自己なる』。青峰のいはく、『丙丁童子来求火』」。
法眼のいはく、「よきことばなり。たゞし、おそらくはなんぢ会せざらむことを」。
則公がいはく、「丙丁は火に属す。火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと会せり」。
禅師のいはく、「まことにしりぬ、なんぢ会せざりけり。仏法もしかくのごとくならば、けふまでにつたはれじ」。
ここに則公、懆悶してすなはちたちぬ。中路にいたりておもひき、禅師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり、わが非をいさむる、さだめて長処あらむ。禅師のみもとにかへりて懺悔礼謝してとうていはく、「いかなるかこれ学人の自己なる。」
禅師のいはく、「丙丁童子来求火」と。
則公、このことばのしたに、おほきに仏法をさとりき。
あきらかにしりぬ、自己即仏の領解をもて、仏法をしれりといふにはあらずといふことを。もし自己即仏の領解を仏法とせば、禅師さきのことばをもてみちびかじ、又しかのごとくいましむべからず。たゞまさに、はじめ善知識をみむより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅辦道して、一知半解を心にとゞむることなかれ。仏法の妙術、それむなしからじ。
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