2022年8月29日月曜日

[阿含経典]プンナ

 


23 プンナ(富楼那)


南伝 相応部経典 三五、八八、富楼那

漢訳 雜阿含経 一三、八、富楼那


 かようにわたしは聞いた。

 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータピンディカ(給孤独)の園にましました。

 その時、長老プンナ(富楼那)は、世尊のましますところに到り、世尊を礼拝して、その傍らに坐した。

 傍らに坐した長老プンナは、世尊に申しあげた。

「大徳よ、願わくは、わがために簡略に法を説きたまわんことを。わたしは、世尊よりその法を聞いて、ただひとり静処にいたって、放逸ならず、熱心に、専念して住したいと思います」

「プンナよ、眼は色(物体)を見る。その色は、心地よく、愛すべく、心を浮きたたせ、その形もうるわしくして、魅惑的である。もし比丘が、それを喜び、それに心を奪われて、執著していると、やがて彼には、喜悦する心がおこる。そして、喜悦する心がおこると、プンナよ、苦が生起するのだ、とわたしはいう。

 プンナよ、また、耳は声を聞く。……鼻は香を嗅ぐ。………舌は味をあじわう。……身は接触を感ずる。……

 さらに、プンナよ、意は法(観念)を感知する。その法には、心地よく、愛すべく、心を浮きたたせ、その形もうるわしくして、魅惑的なものがある。だが、もし比丘が、それを喜び、それに心を奪われて、執著していると、やがて彼には、喜悦する心が生ずる。そして、喜悦する心が生ずると、プンナよ、苦が生ずるのだ、とわたしはいう。

 だが、プンナよ、眼をもって色を見る。その色は、心地よく、愛すべく、心を浮きたたせ、その形もうるわしくして、魅惑的であるが、もし比丘が、それを喜ばず、それに心を奪われず、執著することがなければ、いつしか彼には、喜悦する心が滅する。そして、喜悦する心が滅すると、プンナよ、苦は滅する、とわたしはいう。

 また、プンナよ、耳は声を聞く。……鼻は香を嗅ぐ。……舌は味をあじわう。……身は接触を感ずる。……

 さらに、プンナよ、意は法を感知する。その法には、心地よく、愛すべく、心を浮きたたせ、その形もうるわしくして、魅惑的なものがある。だが、もし比丘が、それを喜ばず、それに心を奪われず、執著することがなければ、いつしか彼には、喜悦する心が滅する。そして、喜悦する心が滅すると、プンナよ、苦もまた滅する、とわたしはいう。

 ところで、プンナよ、そなたは、わたしのこの簡略な法を聞いて、いったい、いずれの処に行こうとするのであるか」

「大徳よ、スナーパランタ(輸那鉢羅得迦)というところがございます。わたしは、そこに参りたいと思います」

「プンナよ、スナーパランタの人々は激しやすい。プンナよ、スナーパランタの人々は荒々しい。プンナよ、もし、スナーパランタの人が、そなたを嘲りののしったならば、プンナよ、そなたはどうするか」

「大徳よ、もしスナーパランタの人が、わたしを嘲りののしったならば、それを、わたしは、こう考えましょう。〈まったく、このスナーパランタの人は善良である。まったく、このスナーパランタの人は素晴らしい。彼は、わたしを拳をもって打つにいたらない〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取ります」

「だが、プンナよ、もし、スナーパランクの人が、その拳をもってそなたを打ったならば、プンナよ、そなたはどうするか」

「大徳よ、もしスナーパランタの人が、その拳をもってわたしを打ったならば、それを、わたしは、こう考えましょう。〈まったく、このスナーパランタの人は善良である。まったく、このスナーパランタの人は素晴らしい。彼は、わたしを土塊をもって打つにいたらない〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取ります」

「だが、プンナよ、もしスナーパランタの人が、土塊をもってそなたを打ったならば、プンナよ、そなたはどうするであろうか」

「大徳よ、もしスナーパランタの人が、土塊をもってわたしを打ったならば、それを、わたしは、こう考えましょう。〈まったく。このスナーパランタの人は善良である。まったく、このスナーパランタの人は素晴らしい。彼は、わたしを杖をもって打つにいたらない〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取ります」

「だが、プンナよ、もしスナーパランタの人が、その杖をもってそなたを打ったならば、プンナよ、そなたは、どうするであろうか」

「大徳よ、もしスナーパランタの人が、杖をもってわたしを打ったならば、それを、わたしは、こう考えましょう。〈まったく、このスナーパランタの人は善良である。まったく。このスナーパランタの人は素晴らしい。彼は、わたしを刀剣をもって打つにはいたらない〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取ります」

「だが、プンナよ、もしステーパランタの人が、刀剣をもってそなたを打ったならば、プンナよ、そなたは、どう考えるであろうか」

「大徳よ、もしスナーパランタの人が、刀剣をもってわたしを打ったならば、それを、わたしは、こう考えましょう。〈まったく、このスナーパランタの人は善良である。まったく、このスナーパランタの人は素晴らしい。彼は、いまだ、鋭き刃をもってわたしの生命を奪うにはいたらない〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取ります」

「だが、プンナよ、もしスナーパランタの人が、鋭き刃をもってそなたの生命を奪うにいたったならば、プンナよ、そなたは、それをどう考えるであろうか」

「大徳よ。もしスナーパランタの人が、鋭き刃をもってわたしの生命を奪ったならば、それを、わたしは、かように考えるでありましょう。〈かの世尊の弟子たちのなかには、その身、その命について、悩み、恥じ、厭うて、みすがら刃をとらんとするものさえあるのに、いま、わたしは、求めずしてその刃をうるのである〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取るでありましょう」

「善いかな、善いかな、プンナよ。汝はすでにかくのごとき自己調御を具有せり。汝は、よくスナーパランタの地に住することをうるであろう。プンナよ、いまは、汝の思うままになすがよろしい」

 その時、長老プンナは、世尊のことばを歓び受け、心に喜びをいだいて、座より起ち、世尊を礼拝して右繞し、坐具をおさめ、衣鉢をたずさえて、スナーパランタの地にむかって出発した。しだいに旅をかさねて、スナーパランタの地につくと、長老プンナはその地に住した。

 そして、長老プンナは、そこで、その年のあいたに、五百の在家信者を法に導き、また、その年のあいだに三明を実現し、また、そのおなじ年に完全なる涅槃に入った。

 そこで、おおくの比丘たちは、世尊のましますところに到り、世尊を礼拝して、その傍らに坐した。

 傍らに坐したそれらの比丘たちは、世尊に申しあげた。

「大徳よ、かのプンナと名づける良家の子は、世尊より簡略なる法を説きあたえられましたが、彼は、ついにその生を終りました。彼が趣くところは、いずこでございましょうか。また、彼のうくる来世はいかがなものでありましょうか」

「比丘たちよ、良家の子なるプンナは聡明であった。彼は法にあらがって、わたしを傷つけるようなことはなかった。比丘たちよ。良家の子なるプンナは、完全なる涅槃に入ったのである」


注解

この経題は「プンナ」(富楼那)である。彼は、後世、仏十大弟子の一人として、説法第一と称せられる。彼もまた、釈尊を拝して、簡略の法を賜わらんことを乞うた。彼が、スナーパランタヘ趣く覚悟として師のまえに披瀝したことばは、まことに感銘ふかいものであった。


*完全なる涅槃 漢訳では「般涅槃」と音写した。入滅すなわち死を意味する。だが、この用法は初期の経にはすくない。


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