20 盗賊とブッダ
1
ブッダ・ゴータマの説法、伝道の生涯は、すでにいうがごとく、四十五年のながきにわたった。そのながい伝道活動のなかにも、ドラマティックな物語はあまりおおくはない。それも道理である。なんとなれば、この師はいつも静かな平和をもたらす人として振舞い、激情に身をまかせて行動するということの、いたってすくない人であったからである。
それにもかかわらず、わたしどもはなお、いくつかの、この師をめぐる劇的な物語を知っている。その一つに、わが国では、指鬘外道(しまんげどう)の名をもってよく知られている一人の盗賊を教化する物語があって、今日もなお、それを読む人々のこころを揺り動かしてやまない。一つの経典(中部経典、八六、鴦掘魔(おうくつま)経。漢訳同本、雑阿含経、三一、一六、「盗賊」)は、その物語をおおよそつぎのように叙している。
それは、ブッダ・ゴータマが、サーヴァッティー(舎衛城)の郊外の、かのジェータヴァナ(祇陀林)の精舎に止(とど)まり住しているときのことであった。そのころ、その国コーサラ(拘薩羅)にはアングリマーラ(鴦掘魔)と呼ばれる盗賊が横行して、人々を戦慄せしめていた。人々の伝聞するところによると、かの賊は、その性(しょう)はなはだ残忍にして、人々を殺すと、その指を切り、それを糸でつないで首飾りとしていたという。それがアングリマーラすなわち指鬘外道の名のいづるいわれであった。
しかるに、ある朝のこと、ブッダ・ゴータマは、衣鉢(えはつ)をととのえてサーヴァッティー(舎衛城)に入り、托鉢をおえると、かのアングリマーラが住むという方向にむかって大道(だいどう)をあるいていった。サーヴァッティーの都門をでると、城外に市場がある。野菜や魚などがそこで売られている。もっとすすむと、ひろびろとした耕地や牧場がある。そこではたらく農夫や牛飼いなどは、ブッダ・ゴータマのすがたをみると、おどろいて呼びかけていった。
「ご出家よ、その道はゆかれぬがよろしい。このむこうには、アングリマーラと呼ばれるおそろしい盗賊が住んでおります。ひどいやつで、人を殺すと、その指をとり、糸につないで首にかけているということです。その道だけは、ご出家よ、いってはなりませんぞ」
だが、ブッダ・ゴータマは、それが聞こえたのか聞こえないのか、あいかわらず黙然として、ゆっっくりとその道をすすんでいった。
2
経の叙述は、そこで舞台を一転して、アングリマーラ(鴦掘魔)のがわを描きはじめる。
彼は、はるか彼方(かなた)に、一人の沙門がやってくる姿をみつける。だが彼は、しきりに首をひねって考えている。どうもおかしいというのである。そのころでは、もう彼のことがひろく知れわたっていたので、その道をたった一人でやってくるなどというものはまったくない。商用やなにかで、どうしてもその道をゆかねばならないものは、十人も二十人もが、武器をたずさえ、団体を組んで通ろうとする。それでも、やっぱり、アングリマーラの餌食(えじき)になったものもすくなくない。
「それなのに、あの沙門は、たったひとりで供(とも)もなく、悠然としてやってくる」
それが彼にはふしぎに思えて仕方がなかったのである。だが、ここのところしばらく獲物(えもの)がなかったのでもあろうか、彼は、やっぱり、「あの沙門のいのちを貰おうか」と決心する。そこで彼は、剣と盾、弓と矢をとって、沙門をやりすごすと、そのうしろから尾行した。
その辺りから、経典の描写は、すこし不思議をまじえてくる。悠然とあるいている沙門のあとをつけるアングリマーラが、どうしても近づくことができないのである。速力をはやめ、全力をあげて追うけれども、二人の距離はいつまでたっても同じである。その時、アングリマーラが心のなかで考えたことを、経のことばはこんなふうに記している。
「まったく不思議だ。こんなことってないぞ。これまでわたしは、馳(か)ける馬をおうて捉えたこともある。また、はしる車においついたこともある。それなのに、いまわたしは、悠然とあるくあの沙門に、どうしても追いつくことができない。こりゃどうしたことだ」
そこで彼は、とうとう立ちどまって、呼びかけていった。
「とまれ、沙門。沙門よ、とまれ」
すると、かの沙門からも、間髪いれぬ答えがあった。
「わたしはとまっている。アングリマーラよ、なんじもとまるがよい」
ここでは、ちょっと注釈をさしはさんでおかねばならない。それは「とまる」ということばのことであるが、わたしどもの日本語では、「とまる」と「やめる」とは別のことばであるが、彼らのことばでは、それはおなじである。それは、たとえば英語で「ストップ(stop)」といえば、「とまる」ことであるとともに、また「やめる」ことでもあるのとおなじである。そして、いまアングリマーラは、ブッダ・ゴータマに歩行の停止を要求したのにたいして、ブッダは彼に悪事の停止を忠告したのである。
だが、アングリマーラは、それに気づかなかったので、また折り返していった。そこが大事なところなので、経典のことばは、それを韻文をもって綴っている。
「沙門よ、なんじは歩きながら、われはとまれりという
われはとまれるに、なんじはなおわれにとまれという
沙門よ、われはいまその意味をとわんと欲す
いかなれば、なんじはとまり、われはとまらずとなすや」
それにたいするブッダ・ゴータマのことばもまた、韻文をもって綴られてある。
「アングリマーラよ、われはまことにとどまりてあるなり
生きとし生ける者のうえに害心(がいしん)をはすることなし
しかるに、なんじはいまだ生ける者にたいして自制することなし
されば、われはとどまれり、なんじはいまだとどまらずという」
それが彼の決定的瞬間であった。彼は、ただちに凶器を深き谷間に投じ、ひざまずいてブッダ・ゴータマの足を拝して、その場において出家のゆるしを乞うた。
3
ブッダ・ゴータマは、アングリマーラ(鴦掘魔)をしたがえて、サーヴァッティー(舎衛城)にかえり、その郊外のジェータヴァナ(祇陀林)の精舎に入った。その姿を見かけた人々の気もちは、はなはだ複雑であった。きのうまで人々におそれられていた盗賊が、きょうは羊のようにおとなしくなって、かの師のあとについてゆく。それは人々の心中に感動を催さしめるに足るものであった。だが、考えてみると、彼はけっして、きのうまで残忍の悪事をかさねてきたあのアングリマーラとまったく別人ではない。それを思いおこすと、やっぱり、ぞっと背筋に冷たいものを感じるのである。あの男をあのままにしておいてよいものか。そう思うのもまた人の心というものである。
コーサラ(拘薩羅)の王パセーナディ(波斯匿・はしのく)の宮殿の門前には、いつの間にか、おおぜいの人々が集まっていた。彼らは声をはりあげて、口々に王に訴えていった。
「大王よ、領内にアングリマーラという盗賊があって、残忍にして殺戮をこととし、人々を殺しては、その指をとって首飾りとした。彼のために村や町の平和はかきみだされてすでに久しい。彼はいまだジェータヴァナ(祇陀林)にある。大王よ、かの盗賊を捕まえたまえ」
王のしごとは、民をまもり、領内の平和と秩序を維持することをもって第一とする。そこで、パセーナディは五百騎をしたがえてかの林園におもむき、まずブッダ・ゴータマに会見した。いつもとちがう王のこわばった顔をみながら、かの師は、いささかユーモアをまじえて、語りかけた。
「大王よ、おんみはマガダ(魔掲陀)をでも攻めようというのですか。それともヴェーサーリ(毘舎離)をでも撃たんとせられるのか。あるいは、さらに他の王とでも戦わんとするのか」
「大徳よ、そうではない。大徳よ、わが領内にアングリマーラという凶悪な盗賊があり、残忍にして殺戮をこととしているという。わたしはその凶賊を捕えようとして来たのである」
彼奴(かやつ)があなたのところにかくまわれているそうだが、お出しねがいたいという訳である。王もきょうは必死である。その時、かの師が王に問うていったことばを、経のことばは、つぎのように綴っている。
「大王よ、もし彼がいま、鬚髪(しゅはつ)をそりおとし、袈裟の衣をまとい、出家せる沙門となって、生けるものを害することをやめ、他人の財貨を盗ることもせず、いつわりを語ることもない持戒者(じかいしゃ)となっているとしたならば、おんみは彼をいかがされるぞ」
この王が熱心な仏教者であったことは、すでにしばしば述べたところである。そして、いまこの師の問いは、あきらかに、仏教者の精神をもってこの事件を処理すべきことを、パセーナディに要請しているのであった。
「大徳よ、もしそのようなことであれば、わたしは彼を尊敬し、彼を供養し、彼を保護しなければならぬ。だが、あの極悪無道の盗賊が、どうしてそのような持戒者となる道理があろうか」
その時、ブッダ・ゴータマはやおら右手をあげて、かたわらに居並ぶ随待(ずいじ)の比丘たちのなかの一人をゆびさしていった。
「大王よ、この比丘がアングリマーラである」
はっとした思いが、王の全身をかけめぐった。その顔はみるみる蒼白となり、そのはだえには粟を生じ、その手と足はわなわなと震えた。かの師はそれをみて、静かに王にいった。
「大王よ、恐れることはない。恐れる道理はない」
なんとなれば、そこに坐するものは、もはやかの極悪無道の盗賊ではなくして、ブッダ・ゴータマにしたがう新参の比丘であったからである。それによって、王はようやく平静をとりもどし、彼に語りかけていった。
「尊者よ、なんじがアングリマーラであったか」
「大王よ、さようであります」
「尊者よ、どうぞもう安心してください。わたしはこれから、なんじに衣料や飲食(おんじき)などを供養するであろう」
「大王よ、わたしには三衣(さんえ)があります。わたしはそれで満足であります」
それは、なんとも不思議な光景であった。兵をひきいて、極悪無道の盗賊を逮捕しようとやってきた王は、いまやその当人としたしげに語り、その供養者となろうといっている。それも、彼がまったく新しき人としてよく生まれかわることをえたからに他ならない。そして、そのような新生を可能にするのが、真の宗教というものである。
やがて王は、ブッダ・ゴータマのまえに深々と頭をさげて、申していった。
「大徳よ、まことに稀有のことである。世尊は、調伏(ちょうぶく)しがたいものをよく調伏したまい、荒れくるうものをよく静めたもう。大徳よ、われらが武器をもって降伏(ごうぶく)しえざるものを、世尊は武器なくしてよく降伏したもう」
それが、その時、この王のいつわりない感慨であったにちがいあるまい。
4
だが、アングリマーラ(鴦掘魔)にとっては、それからが苦しい試練の日々であった。なんとなれば、彼が今日まで犯しつづけけてきた悪業はあまりにも大きかったからである。
ある日、朝はやく、アングリマーラは、衣鉢をととのえ、サーヴァッティー(舎衛城)の町に入って、托鉢を行じた。その時、あるものの投じた土くれに彼はあたった。また、あるもののなげた石は彼をうち、あるものの投じた棒は彼をきずつけた。サーヴァッティーの人々は、いつまで経っても、彼がおかした過去の悪業をわすれないのである。
彼の頭からは血がながれていた。彼の鉢はこわされ、彼の衣はひきさかれていた。それはまったくみじめな姿であった。そんな姿をして帰ってきたアングリマーラをみて、ブッダ・ゴータマは彼をはげましていった。
「比丘よ、忍べ。忍んで受けるがよい。なんじは、なんじの行為によって、いくとせも、いくとせも、他生(たしょう)にわたって受けねばならぬであろう業果(ごうか)を、いま現在において受けているのである。比丘よ、忍べ。忍んで受けるがよい」
彼は、師の激励を謝して、退いてひとり坐していた。その心は、とうぜんみじめであったにちがいない。だが、彼は挫けなかった。師の激励が彼をささえてくれた。そのとき、彼の口からは、おのずからにして、つぎのような独語がたれたという。それを、この経のことばは、例によって、また韻文をもって記しのこしている。それがこの経の最後のクライマックスをなしているからなのであろう。
さきには放逸(ほういつ)であったけれども
のちには放逸ならざる人は
雲を離れた月のごとく
この世を照らすであろう
もし人よく善をもって
そのなせる悪業を覆わば
その人は、この世を照らすこと
雲を離れた月のごとくであろう。
さきにわれは凶賊にして
アングリマーラとして知られた
いまや、おおいなる流れにながされ
ブッダに帰依するものとなった
さきにわれは手を血塗(ちぬ)らし
指鬘外道(しまんげどう)として恐れられた
いまは、ブッダに帰依したれば
さらに悪業をかさぬることなし
水を導くものは水路をつくり
箭(や)づくる工は箭柄(やがら)を矯(た)め
木工をいとなむものは木をただす
智ある者はおのれを調(ととの)える
ある者は杖をもって調伏(ちょうぶく)する
またある者は鞭(むち)をもって調伏する
されど、かかる杖、鞭をもちいずして
われはかく調伏せられた
さきには殺害者であったわれは
いまは不害(ふがい)者なりと称せられる
われはいま真実の名を得て
もはや何びとをも害せじ
この最後の一偈については、またすこし注釈を附しておかねばならない。それは、そこに見える「殺害者」および「不害者」という、一対(いっつい)をなすことばについてである。
彼ははじめ凶悪な盗賊として、おそるべき「殺害者」であった。しかるに彼は、ブッダ・ゴータマによって教化をうけてより以後は、生きとし生けるものに害意をもたぬ仏教者となった。その時、かの「殺害者」は一転して「不害者」となったのである。彼のほんとうの名は「アヒムサカ(不害者の意)」であって、「アングリマーラ(指鬘の魔の意)」とは、世の人々が、彼の所行によって彼に与えた名であった。しかるにいま彼は、ブッダ・ゴータマによって、「アングリマーラ」たることをやめ、「アヒムサカ」となることを得た。それが「われはいま真実の名を得て」という所以である。そこにも、彼があたらしい自分の生き方によせる感慨を読みとることができるというものである。
増谷文雄名著選
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