← 【原文】正法眼蔵_弁道話_04
道元
辦道話 [弁道話]05
といていはく、乾唐の古今をきくに、あるいはたけのこゑをきゝて道をさとり、あるいははなのいろをみてこゝろをあきらむる物あり。いはむや、釈迦大師は、明星をみしとき道を証し、阿難尊者は、刹竿のたふれしところに法をあきらめし。のみならず、六代よりのち、五家のあひだに、一言半句のしたに心地をあきらむるものおほし。かれらかならずしも、かつて坐禅辦道せるもののみならむや。
しめしていはく、古今に見色明心し、聞声悟道せし当人、ともに辦道に擬議量なく、直下に第二人なきことをしるべし。
とうていはく、西天および神丹国は、人もとより質直なり。中華のしからしむるによりて、仏法を教化するに、いとはやく会入す。我朝は、むかしより人に仁智すくなくして、正種つもりがたし。蕃夷のしからしむる、うらみざらむや。又このくにの出家人は、大国の在家人にもおとれり。挙世おろかにして、心量狭小なり。ふかく有為の功を執して、事相の善をこのむ。かくのごとくのやから、たとひ坐禅すといふとも、たちまちに仏法を証得せむや。
しめしていはく、いふがごとし。わがくにの人、いまだ仁智あまねからず、人また迂曲なり。たとひ正直の法をしめすとも、甘露かへりて毒となるぬべし。名利にはおもむきやすく、惑執とらけがたし。しかはあれども、仏法に証入すること、かならずしも人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず。仏在世にも、てまりによりて四果を証し、袈裟をかけて大道をあきらめし、ともに愚暗のやから、癡狂の畜類なり。たゞし、正信のたすくるところ、まどひをはなるゝみちあり。また、癡老の比丘黙坐せしをみて、設斎の信女さとりをひらきし、これ智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず、たゞしこれ正信にたすけられたり。
また釈教の三千界にひろまること、わづかに二千余年の前後なり。刹土のしなじななる、かならずしも仁智のくににあらず、人またかならずしも利智聡明のみあらむや。しかあれども、如来の正法、もとより不思議の大功徳力をそなへて、ときいたればその刹土にひろまる。人まさに正信修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり。わが朝は仁智のくににあらず、人に知解おろかなりとして、仏法を会すべからずとおもふことなかれ。いはむや、人みな般若の正種ゆたかなり。ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし。
さきの問答往来し、賓主相交することみだりがはし。いくばくか、はななきそらにはなをなさしむる。しかありとも、このくに、坐禅辦道におきて、いまだその宗旨つたはれず。しらむとこゝろざさむもの、かなしむべし。このゆゑに、いさゝか異域の見聞をあつめ、明師の真訣をしるしとゞめて、参学のねがはむにきこえむとす。このほか、叢林の規範および寺院の格式、いましめすにいとまあらず、又草々にすべからず。
おほよそ我朝は、龍海の以東にところして、雲煙はるかなれども、欽明・用明の前後より、秋方の仏法東漸する、これすなはち人のさいはひなり。しかあるを、名相事縁しげくみだれて、修行のところにわづらふ。いまは破衣綴盂を生涯として、青巌白石のほとりに茅をむすむで端坐修練するに、仏向上の事たちまちにあらはれて、一生参学の大事すみやかに究竟するものなり。これすなはち龍牙の誡勅なり、鶏足の遺風なり。その坐禅の儀則は、すぎぬる嘉禄のころ撰集せし「普勧坐禅儀」に依行すべし。
曾礼、仏法を国中に弘通すること、王勅をまつべしといへども、ふたたび霊山の遺嘱をおもへば、いま百万億刹に現出せる王公相将、みなともにかたじけなく仏勅をうけて、夙生に仏法を護持する素懐をわすれず、生来せるものなり。その化をしくさかひ、いづれのところか仏国土にあらざらむ。このゆゑに、仏祖の道を流通せむ、かならずしもところをえらび縁をまつべきにあらず、たゞ、けふをはじめとおもはむや。
しかあればすなはち、これをあつめて、仏法をねがはむ哲匠、あはせて道をとぶらひ雲遊萍寄せん参学の真流にのこす。ときに、
寛喜辛卯中秋日
入宋伝法沙門道元記
辦道話