2022年9月1日木曜日

[テーラ・ガーター]チューラ・パンタカ


 

『テーラガーター』

仏弟子の告白

中村元


チューラパンタカ長老


557

わたしの進歩は遅かった。わたしは以前には軽蔑されていた。兄はわたしを追い出した。――「さあ、お前は家へ帰れ!」といった。


558

こうして、追い出されて、わたしは僧園の通路の小屋に、がっかりして、静かに立っていた。――なお教えのあることを期待して。


559

そこへ尊き師が来られて、わたしの頭を撫でて、わたしの手を執って、僧園のなかに連れて行かれた。


560

慈しみの念をもって師はわたしに足拭きの布を与えられた。――「この浄らかな物をひたすらに専念して、気をつけていなさい」といって。


561

わたしは師のことばを聞いて、教えを楽しみながら、最上の道理に到達するために、精神統一を実践した。


562

わたしは過去世の状態を知った。見通す眼(天眼・てんげん)は浄められた。三つの明知は体得された。ブッダの教えはなしとげられた。


563

パンタカは、千度も(神通力によって)千度も自分のすがたをつくり出し、楽しいマンゴーの林のなかで坐していた。――〔供養するための〕時が告げられるまで。


564

次いで、師は、時を告げる使者をわたしのところへ派遣された。時が告げられたときに、わたしは〔跳び上って〕空中を通って〔師のもとに〕近づいた。


565

師の御足(みあし)に敬礼して、わたしは一方の側(かたわら)に坐した。わたしが坐したのを知って、そこで師は〔わたしの帰依を〕受けた。


566

全世界の布施(尊敬)を受ける人、もろもろの献供を受ける人、人間どもの福田(福を生ずる田)は、供物を受けたもうた。


[増谷文雄]チューラ・パンタカの話


ブッダ・ゴータマの弟子たち

増谷文雄


16 愚かなる弟子たち



 もう一つ、愚かなる弟子といえば、どうしても思い出さざるをえない人物がある。それは、チューラ・パンタカ(周利槃特・しゅりはんどく)と称せられる人物である。


 「チューラ」とは「小」という意味のことばである。彼には一人の兄があって、その兄をマハー・パンタカ、すなわち「大なるパンタカ」と称するにたいして、これなる弟のパンタカをチューラ・パンタカ、すなわち「小なるパンタカ」と称するのである。さらにいえば、この兄弟二人のパンタカは、いずれも出家してブッダ・ゴータマにしたがう沙門となった。だが、その兄なるパンタカは、その頭脳すぶれ、はやくも阿羅漢すなわち尊敬すべき聖者の境地に達することをえたのに、これなる弟のパンタカは、稀代の物覚えのわるい人物であって、そのために、これから述べるようなあわれな物語の主人公となったのである。しかるところ、後代のわたくしどもは、かえって、この愚かなるチューラ・パンタカのうえに、万斛(ばんこく)の涙をそそぎながらも、ふかい親しみを感じる。まことに不思議な人のこころの動きというものではないか。


 では、『テーラ・ガーター(長老偈経)』や『ジャータカ(本生物語)』などが彼について記しのこすところによって、その物語をつづってみよう。


「わが進歩遅々たりしため

 われは人々に軽賤(けいせん)せられたり

 兄はわれを追い出していいぬ

『なんじ今は去りて家に帰れ』と」

(『テーラ・ガーター』557偈)


 兄弟二人のなかで、さきに出家したのは、兄なるマハー・パンタカであった。かれは、すでにいったように頭のよい生まれで、よくブッダの教えるところを理解し、すぐれた成果をあげることができた。「このすばらしい教えを弟にも味わわせてやりたい」。それが兄弟の情というものである。そこで、兄は、弟なるチューラ・パンタカをも、勧めて出家させたのであるが、彼はすっかり兄の期待を裏切ってしまった。さきにもいったように、稀なる物覚えのわるい頭の持ち主であったからである。


 ブッダ・ゴータマは、彼に四句の一偈を与えたもうた。だが、彼は、どうしてもそれを暗記することができない。一句を憶えようとすれば、もうさきの一句を忘れてしまうという有様であった。『ジャータカ』のいうところによると、四ヶ月かかっても、その偈を暗記できなかったという。人々は、彼を軽蔑した。それを見ていると、兄もたまらない思いにかられた。


「これでは、とても駄目だ。おまえは、もう家に帰ったほうがよい」


 たよりに思う兄からも見はなされて、精舎の門のあたりに、茫然と立ちすくんでいると、そこにブッダ・ゴータマが現れて、その頭を撫で、その手をとって、精舎に連れかえった。


「チューラ・パンタカよ、失望することはない。なんじはわたしによって出家したのであるから、わたしの許におればよいのだ」


 そして、師は、彼に布切れをあたえ、それで人々の履物(はきもの)をぬぐうことを命じたという。


「チューラ・パンタカよ、なんじは、なんにも憶えないでもよい。ただ、この布切れをもって、人々の履物を浄めることに専念するがよろしい」


 わたしは、当時の比丘たちが、どんな履物をはいていたかを知りたいと思うのであるが、どうしても、的確にしることができない。奈良・興福寺に蔵するところの十大弟子の像によると、その履物は、わた国の草履(ぞうり)や足駄(あしだ)に似ている。それが、かの時代のかの地の比丘たちの履物をうつしたものであるかどうかは知るよしもないのであるが、


ともあれ、履物というものは、靴にあれ、足駄にあれ、人間が身につけている物のなかでは、いちばん汚れやすい。きれいに磨きあげられた靴を履くのは気もちがよい。足駄の清らかなのもよい気もちである。だが、靴を磨くことはなかなかやれない。足駄の掃除もめったにしないのが、わたしどもの常である。磨いてもまたすぐ汚れるのだと思うと、いやになってしまうからである。だが、また汚れるからといって、磨き清めることを怠っていたら、どういうことになるのか。


 ブッダ・ゴータマが彼に「専念する」ことを命じたのは、そのような仕事であった。チューラ・パンタカは、師の仰せをかしこんで、そのわざに専念した。そのうちに、彼がふと気がついたことは、人間もまたそうであるということであった。人の心ほど汚れやすいものはない。それを浄めることは難しい。だが、だからこそ、人は、われとわが心を清めることに専念しなければならない。そのことに気がついた時、彼は一偈を諳んずることもなくして、ブッダの教えのなんたるかを会得することができたのであった。


 つまり、仏教とは、なによりもまず清浄な人生のたっとさを知ることであり、それにまさる人生はないと思いさだめて、力をつくしてそのような人生を生きる。それを他にして仏教はないのである。仏教とは所詮そのことに尽きるのである。そして、いま、かの愚かなるチューラ・パンタカは、智識によらず、理解によらずして、端的にそのことを把握しえたのである。


 そこで、もう一度さきの道元のことばを思い出していただきたい。そこには、この道は「有智高才を用いず」とあった。また、「霊利聡明によらぬは、まことの学道なり」とあった。それを、このチューラ・パンタカの生涯は、文字通りに実現しているのであり、みごとに証明しているのである。


 わたしが、ここに、あえて「愚かなる弟子たち」を語る所以もまた、そのことを証しせんがために他ならない。


チューラ・パンタカ

増谷文雄


2022年8月31日水曜日

[相応部]プンナ


原始仏典Ⅱ

相応部経典 第四巻


第2部 第二の50節

第4章 チャンナの章


第5節 プンナ


ある時、プンナ尊者が、世尊のいるところへ近づいた。近づいて、〔世尊に礼拝し、一方に坐った〕。一方に坐ったプンナ尊者は、世尊にこう申しあげた。


「尊き方よ、どうぞ、わたしに、簡略に教えをお説きください。その教えを聞いて、わたしは、独り遠くはなれたところで、怠けることなく、熱心に、自ら努力して暮らそうと思います」と。


「プンナよ、眼によって識別される色があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。


 プンナよ、耳によって識別される声があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。


 プンナよ、鼻によって識別される香があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。


 プンナよ、舌によって識別される味があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。


 プンナよ、身によって識別される触があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。


 プンナよ、意によって識別される法があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。


プンナよ、眼によって識別される色があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものであり。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜ばず、迎え入れず、執着することがないならば、それをおおいに喜ばず、迎え入れず、執着することのない彼に、喜びが滅する。プンナよ、喜びが滅することにより苦しみが滅する、とわたしは説く。


プンナよ、耳によって識別される声・鼻によって識別される香・舌によって識別される味・身によって識別される触があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものであり。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜ばず、迎え入れず、執着することがないならば、それをおおいに喜ばず、迎え入れず、執着することのない彼に、喜びが滅する。プンナよ、喜びが滅することにより苦しみが滅する、とわたしは説く。


プンナよ、意によって識別される法があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものであり。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜ばず、迎え入れず、執着することがないならば、それをおおいに喜ばず、迎え入れず、執着することのない彼に、喜びが滅する。プンナよ、喜びが滅することにより苦しみが滅する、とわたしは説く。


〔ところで〕プンナよ、あなたは、わたしから、この簡略な教えによって教戒を受けて、〔これから〕どこの地方に滞在しようとするのか」


「尊き方よ、スナーパランタという地方があります。わたしは、そこに滞在しようと思います」


「プンナよ、スナーパランタの人たちは粗暴である。スナーパランタの人たちは〔粗暴である〕。もし、スナーパランタの人たちがあなたを罵り、悪口をいうなら、プンナよ、そのとき、あなたはどうするのか」


「尊き方よ、もし、スナーパランタの人たちがわたしを罵り、悪口をいうなら、そのときには、わたしはこのように考えます。『このスナーパランタの人たちはじつに善い人たちだ、このスナーパランタの人たちはてても善い人たちだ、〔なぜなら〕彼らはわたしを手で打ったりしないから』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人(善逝)よ、このように考えます」


「では、プンナよ、もし、スナーパランタの人たちが、あなたを手で打ったならば、そのときは、あなたはどうするのか」


「尊き方よ、もし、スナーパランタの人たちが、わたしを手で打ったならば、そのときには、わたしはこのように考えます。『このスナーパランタの人たちはじつに善い人たちだ、このスナーパランタの人たちはとても善い人たちだ、〔なぜなら〕彼らはわたしに土塊を投げたりしないから』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人よ、このように考えます」


「では、プンナよ、もし、スナーパランタの人たちが、あなたに土塊を投げたならば、そのときは、あなたはどうするのか」


「尊き方よ、もし、スナーパランタの人たちが、わたしに土塊を投げたならば、そのときには、わたしはこのように考えます。『このスナーパランタの人たちはじつに善い人たちだ、このスナーパランタの人たちはとても善い人たちだ、〔なぜなら〕彼らはわたしを棒でたたいたりしないから』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人よ、このように考えます」


「では、プンナよ、もし、スナーパランタの人たちがあなたを棒でたたいたならば、そのときは、あなたはどうするのか」


「もしスナーパランタの人たちが、わたしを棒でたたいたならば、そのときには、わたしはこのように考えます。『このスナーパランタの人たちは善い人たちだ、このスナーパランタの人たちはとても善い人たちだ、〔なぜなら〕彼らはわたしを刀で打ったり(斬りつけたり)しないから』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人よ、このように考えます」


「では、プンナよ、もし、スナーパランタの人たちがあなたを刀で打ったならば、そのときは、あなたはどうするのか」


「尊き方よ、もし、スナーパランタの人たちがわたしを刀で打ったならば、そのときには、わたしはこのように考えます。『このスナーパランタの人たちは善い人たちだ、このスナーパランタの人たちはとても善い人たちだ、なぜなら、彼らはわたしを、鋭利な刃物で殺したりしないから』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人よ、このように考えます」


「では、プンナよ、もし、スナーパランタの人たちが、鋭利な刃物であなたを殺したならば、そのときは、あなたはどうするのかね」


「尊い方よ、もし、スナーパランタの人たちが鋭利な刃物でわたしを殺したならば、そのときには、わたしはこのように考えます。『尊師の弟子たちには、身体や生命に悩み、恥じて、厭い、自分を殺してくれる人を求める人さえいる。それなのに、わたしは求めることなく、まさにその自分を殺してくれる人を得た』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人よ、このように考えます」


「プンナよ、よろしい。みごとである。それほどの自制と忍耐をそなえるあなたなら、スナーパランタの地方に住むことができるだろう。プンナよ、あなたがちょうどよい時だとおもうなら〔出かけなさい〕」


そこで、プンナ尊者は、世尊の説かれたことにおおいに喜び、感謝し、座より立ちあがって、世尊を礼拝し、右回りの礼をおこなって、臥坐具を収め、外衣と鉢を取って、スナーパランタの地方へと遊行に出発した。順次に遊行をしながら、スナーパランタの地方へ入った。そこで、プンナ尊者は、まさにそのスナーパランタの地方に滞在した。


そして、プンナ尊者は、その年の雨期の安居のあいだに、五○○人の在家信者(優婆塞)と五○○人の在家信女(優婆夷)を仏の教えに導き実践させた。また、その年の雨期の安居のあいだに、三つの明知をさとった。そして、その雨期の安居のあいだに完全な安らぎ(般涅槃)に入った。


さて、多くの比丘たちは、世尊のいるところへ近づいた。〔近づいて、世尊に礼拝し、一方に坐った〕。一方に坐ったかれら比丘たちは、世尊にこう申しあげた。


「尊い方よ、プンナという名の立派な人(良家の子)は、世尊によって、簡潔な教えにより教戒されましたが、その彼は亡くなりました。彼の赴くところはどのようなところでしょうか、彼の未来の運命はどのようなものでしょうか」


「比丘たちよ、プンナという立派な人は賢者であった。教えにしたがって〔正しく〕実践し、教えに関しての議論で、わたしを悩ましたことはない。比丘たちよ、立派な人であるプンナ比丘は完全なる安らぎに入ったのである」


原始仏典Ⅱ

相応部経典 第四巻


第2部 第二の50節

第4章 チャンナの章

第5節 プンナ


2022年8月29日月曜日

[増谷文雄]プンナの話


ブッダ・ゴータマの弟子たち


1プンナ(富楼那)



ともあれ、それらの資料によって、わたしは、いまここに、幾十人かの仏弟子たちについて語ってみたいと思う。その第一にとりあげるものは、仏弟子の一人として、今日なお知る人もすくなくなプンナ(サンスクリットではプールナ、漢訳では富楼那[ふるな])である。



 彼の出身はスナーパランタ(輸那鉢羅説迦)のスッパーラカ(首波羅・しゅはら)であるという。といっただけでは、見当もつかないのであるが、検(しら)べてみると、それはインドの西海岸に面した海港であって、いまのボンベイ(編集部注:ムンバイ)の北方およそ150kmのあたり、のちのソパーラーがそれであると知られる。そのことからすぐに連想されることであるが、彼の前半生の活動の舞台は海であった。


 彼の父もまた、当時のいわゆる長者であったという。おそらくは、海洋貿易を業とする大商人であったのであろうが、彼はその第四子として生まれた。ただ彼は、父とその婢とのあいだに生まれた子であったがために、父の死にあたっても、まったく遺産の分与にあずかることをえず、兄たちと争って、無一物のままにして家を出た。


しかるに、彼には父ゆずりの商才がそなわっていたのであろうか、たまたま薪売りから手に入れた牛頭栴檀(ごずせんだん)を元手にして、大いなる資産をなし、父とおなじように大商人となって海洋貿易に従事した。それが計らずも彼をしてブッダ・ゴータマの教えを聞かしめる縁となった。


一つの文献(有部薬事、三)によれば、彼はそれまでに、すでに六度海洋を渡って貿易し、しかも、つねに事なくして大利をあげてきていたので、その噂は遠くサーヴァッティーにまで聞こえていた。それを伝え聞いたサーヴァッティーの商人たちは、財貨をスッパーラカの港にまで運んできて、彼の船によって海外貿易のルートに乗せんことを懇請した。そう頼まれてみると、プンナも満更ではない。心よく承諾して、七度目の航海に出発した。


しかるに彼はその航海中に、彼らが不思議なことをするのを見た。彼らは、毎日朝夕、一緒に集まって、なにか一心に誦(とな)えているのである。


「あんたがたは、なにを歌ってござるのか」


と問うと、


「これは歌ではありませんよ」


という。


「では、いったい、なんですか」


と問うと、


「これはブッダのおしえられたことばです」


という。


 だが、中インドから遠くはなれたインドの西海岸に住むプンナは、まだ「ブッダ」という名さえも聞いたこともない。漢訳の経典のことばをもっていえば「何者かこれ仏」――「ブッダとはいったい何ですか」と問うよりほかはなかった。


「沙門ゴータマという方があって、サキャ(釈迦)族から出家され、山林に処して、ついに最高のさとりを得られた。その方をたたえてブッダと申し上げるのです…」


 サーヴァッティーの商人たちがかの師について語るのを聞いておるうちに、プンナはなにか身のひきしまり、心に沁みるものを感じた。


「その方は、いま、どこにおられますか」


「サーヴァッティーの南郊のジェータ林に、アナータピンディカ長者が造営したてまつった精舎にあられます」


 その時、プンナとサーヴァッティーの商人たちを乗せた船は、いったい、どこの港をゆびさしていたか。経の記述は、そんなことには、一向に無関心であるらしい。だが、『ジャータカ(本生物語)』その他の文献によると、当時の大商人たちは、すでにバベルすなわちバビロンまで渡って、巨利を博していたという。いま、プンナの航海の行先は知られていないが、それもまた、遠く海を渡っての貿易であったらしい。経のことばに「渉海労倦(しょうかいろうけん)」とあるのが、そのことをほのめかしている。


 その航海も事なく了(お)えて、ふたたびスッパーラカに帰ってくると、彼は、席のあたたまる暇もなく、今度は陸路サーヴァッティーに向って出発した。かのアナータピンディカ長者を訪ね、その紹介によってブッダ・ゴータマにまみえようがためである。


「貴殿には、とおく海をこえての御商用ときいておりましたが、今度はここまで陸路の御旅行で。さぞお疲れのことでありましょう。いったい、いかなる御商用でございますか」


「いや、今度は商用ではありません。ブッダ・ゴータマの教えをうけ、その許(もと)において出家いたしたく、ついては、御紹介を得たいと思って参上いたしました。


 かくして、二人の長者は、相連れだって祇園精舎を訪れ、ブッダを拝して、まもなく、スッパーラカの長者の出家が実現した。




 ここまでプンナの生涯のあゆみを辿ってみると、すでに、おおよそ彼の人となりの輪郭をつかむことができる。苦労を積んできた人であったこともわかる。すこぶる商才にとみ、つねに積極的であった人柄もはっきりする。おそらく、一たび決意すれば、断乎としてそれに邁進する人であったにちがいない。それに、ながい海外貿易のあいだに習得した話術は、一挙にして人の復中に飛びこむ底のものであって、それが、やがて、説法第一のプンナを成す重要な由因であったとする理由は充分である。


 その人柄とその話術をもって、やがて彼は、一箇の伝道者として、ふたたび西の方スナーパランタに帰ってゆく、その出発をまえにして、彼は、師のブッダ・ゴータマを拝していった。


「大徳よ、願わくはわがために簡略の法を説きたまえ。わたしは、その法を聞きて、しばし一人して遠くにいたり、放逸ならずして住したいと思います」


 それは、経のことばがしばしば繰り返す慣用句であって、たとえば、比丘が森林や山岳に独住して修行にいそしもうとする時など、それに先立ってまず師をおとずれ、簡単なおしえを頂いて出発するというのがつねであった。


 ブッダは、彼の乞うままに簡単におしえを語ったのち、問うていった。


「プンナよ、なんじは、いったい、何処にゆこうとするのか」


「大徳よ、スナーパランタという地方がございます。わたしはそこに参りたいと思います」


 それは、彼の生まれた海港スッパーラカのある地方である。彼がその地に帰って、この師のおしえを弘めようとしていることも、ブッダ・ゴータマはよく知っている。だがブッダはまだその地方には行ったことがない。ブッダの伝道の舞台である中インドからは、はるか西の方に離れた土地だからである。ただ噂にきくと、民度もひくく、荒々しい気風のところであるという。ブッダ・ゴータマには、それが気になるのである。


「プンナよ、スナーパランタの人々は気が荒いということであるが、プンナよ、もし、彼らがなんじを嘲ったり、罵ったりしたら、なんじはどうするか」


「大徳よ、もしそのようなことがあらば、わたしはかように考えます。――まったくスナーパランタの人たちはいい。彼らは掌(て)をもってわたしを打擲(ちょうちゃく)するにはいたらないから――と。わたしは、そう考えたいと思います」


「ではプンナよ、もし彼らが掌をもってなんじを打ったなら、なんじはどうするか」


「大徳よ、その時には、わたしはかく考えます。――まったくスナーパランタの人たちはいい。彼らは土塊(つちくれ)をもってわたしを打擲するにいたらないから――と。わたしはそう考えたいと思います」


「ではプンナよ、もしも彼らが土塊をなんじに投ずるにいたったなら…」


「大徳よ、その時には、わたしはかく考えます。――まったくスナーパランタの人々はいい。彼らはいまだ杖(つえ)をもってわたしを打つにいたらない――と。わたしはそう考えたいと思います」


「ではプンナよ、もしも杖をもってなんじを打ったら…」


「大徳よ、その時には、わたしはかく考えます。――まったくスナーパランタの人々はいい。彼らはいまだ刀剣をもってするにいたらず――と。わたしはそう考えたいと思います」


「だが、プンナよ、もしも彼らが刀剣をもってなんじの生命をうばいなば…」


「大徳よ、世尊の弟子中には、その身をいとい、その命になやみ、みずから剣をとろうとしたものもあったやに聞いております。しかるに、もしそのようなことあらば、わたしは、みずから求めずして、そのことを成就しうるのであります。大徳よ、わたしはそのように考えたいと思います」


「善いかなプンナ、なんじにその覚悟がある。いまは、安んじて、行かんと欲するところに行くがよい」


 さきにも言うがごとく、初期の経典には、プンナに関する言及は比較的すくない。この一経(相応部経典、三五、八八「富楼那」)のしるすところは、その稀なる言及の一つである。しかも、この烈々たる対話は、初期の全経典のなかにおいても、もっとも輝かしい章節の一つをなしているといって、誰も異論を挿(さしはさ)むものはないであろう。


 ともあれ、かくしてスナーパランタにいたったプンナは、その第一年にして早くもブッダの教法に帰依するもの五百人を得たという。しかるに、何たることぞ、そのおなじ年の雨期のおわり、彼はなお年壮(としさか)んにして、かの地において没した。まことに惜しみてもあまりあることであった。



プンナ(富楼那)


[阿含経典]プンナ

 


23 プンナ(富楼那)


南伝 相応部経典 三五、八八、富楼那

漢訳 雜阿含経 一三、八、富楼那


 かようにわたしは聞いた。

 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータピンディカ(給孤独)の園にましました。

 その時、長老プンナ(富楼那)は、世尊のましますところに到り、世尊を礼拝して、その傍らに坐した。

 傍らに坐した長老プンナは、世尊に申しあげた。

「大徳よ、願わくは、わがために簡略に法を説きたまわんことを。わたしは、世尊よりその法を聞いて、ただひとり静処にいたって、放逸ならず、熱心に、専念して住したいと思います」

「プンナよ、眼は色(物体)を見る。その色は、心地よく、愛すべく、心を浮きたたせ、その形もうるわしくして、魅惑的である。もし比丘が、それを喜び、それに心を奪われて、執著していると、やがて彼には、喜悦する心がおこる。そして、喜悦する心がおこると、プンナよ、苦が生起するのだ、とわたしはいう。

 プンナよ、また、耳は声を聞く。……鼻は香を嗅ぐ。………舌は味をあじわう。……身は接触を感ずる。……

 さらに、プンナよ、意は法(観念)を感知する。その法には、心地よく、愛すべく、心を浮きたたせ、その形もうるわしくして、魅惑的なものがある。だが、もし比丘が、それを喜び、それに心を奪われて、執著していると、やがて彼には、喜悦する心が生ずる。そして、喜悦する心が生ずると、プンナよ、苦が生ずるのだ、とわたしはいう。

 だが、プンナよ、眼をもって色を見る。その色は、心地よく、愛すべく、心を浮きたたせ、その形もうるわしくして、魅惑的であるが、もし比丘が、それを喜ばず、それに心を奪われず、執著することがなければ、いつしか彼には、喜悦する心が滅する。そして、喜悦する心が滅すると、プンナよ、苦は滅する、とわたしはいう。

 また、プンナよ、耳は声を聞く。……鼻は香を嗅ぐ。……舌は味をあじわう。……身は接触を感ずる。……

 さらに、プンナよ、意は法を感知する。その法には、心地よく、愛すべく、心を浮きたたせ、その形もうるわしくして、魅惑的なものがある。だが、もし比丘が、それを喜ばず、それに心を奪われず、執著することがなければ、いつしか彼には、喜悦する心が滅する。そして、喜悦する心が滅すると、プンナよ、苦もまた滅する、とわたしはいう。

 ところで、プンナよ、そなたは、わたしのこの簡略な法を聞いて、いったい、いずれの処に行こうとするのであるか」

「大徳よ、スナーパランタ(輸那鉢羅得迦)というところがございます。わたしは、そこに参りたいと思います」

「プンナよ、スナーパランタの人々は激しやすい。プンナよ、スナーパランタの人々は荒々しい。プンナよ、もし、スナーパランタの人が、そなたを嘲りののしったならば、プンナよ、そなたはどうするか」

「大徳よ、もしスナーパランタの人が、わたしを嘲りののしったならば、それを、わたしは、こう考えましょう。〈まったく、このスナーパランタの人は善良である。まったく、このスナーパランタの人は素晴らしい。彼は、わたしを拳をもって打つにいたらない〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取ります」

「だが、プンナよ、もし、スナーパランクの人が、その拳をもってそなたを打ったならば、プンナよ、そなたはどうするか」

「大徳よ、もしスナーパランタの人が、その拳をもってわたしを打ったならば、それを、わたしは、こう考えましょう。〈まったく、このスナーパランタの人は善良である。まったく、このスナーパランタの人は素晴らしい。彼は、わたしを土塊をもって打つにいたらない〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取ります」

「だが、プンナよ、もしスナーパランタの人が、土塊をもってそなたを打ったならば、プンナよ、そなたはどうするであろうか」

「大徳よ、もしスナーパランタの人が、土塊をもってわたしを打ったならば、それを、わたしは、こう考えましょう。〈まったく。このスナーパランタの人は善良である。まったく、このスナーパランタの人は素晴らしい。彼は、わたしを杖をもって打つにいたらない〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取ります」

「だが、プンナよ、もしスナーパランタの人が、その杖をもってそなたを打ったならば、プンナよ、そなたは、どうするであろうか」

「大徳よ、もしスナーパランタの人が、杖をもってわたしを打ったならば、それを、わたしは、こう考えましょう。〈まったく、このスナーパランタの人は善良である。まったく。このスナーパランタの人は素晴らしい。彼は、わたしを刀剣をもって打つにはいたらない〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取ります」

「だが、プンナよ、もしステーパランタの人が、刀剣をもってそなたを打ったならば、プンナよ、そなたは、どう考えるであろうか」

「大徳よ、もしスナーパランタの人が、刀剣をもってわたしを打ったならば、それを、わたしは、こう考えましょう。〈まったく、このスナーパランタの人は善良である。まったく、このスナーパランタの人は素晴らしい。彼は、いまだ、鋭き刃をもってわたしの生命を奪うにはいたらない〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取ります」

「だが、プンナよ、もしスナーパランタの人が、鋭き刃をもってそなたの生命を奪うにいたったならば、プンナよ、そなたは、それをどう考えるであろうか」

「大徳よ。もしスナーパランタの人が、鋭き刃をもってわたしの生命を奪ったならば、それを、わたしは、かように考えるでありましょう。〈かの世尊の弟子たちのなかには、その身、その命について、悩み、恥じ、厭うて、みすがら刃をとらんとするものさえあるのに、いま、わたしは、求めずしてその刃をうるのである〉と。世尊よ、その時には、そのように考えます。善逝よ、その時には、そのように受け取るでありましょう」

「善いかな、善いかな、プンナよ。汝はすでにかくのごとき自己調御を具有せり。汝は、よくスナーパランタの地に住することをうるであろう。プンナよ、いまは、汝の思うままになすがよろしい」

 その時、長老プンナは、世尊のことばを歓び受け、心に喜びをいだいて、座より起ち、世尊を礼拝して右繞し、坐具をおさめ、衣鉢をたずさえて、スナーパランタの地にむかって出発した。しだいに旅をかさねて、スナーパランタの地につくと、長老プンナはその地に住した。

 そして、長老プンナは、そこで、その年のあいたに、五百の在家信者を法に導き、また、その年のあいだに三明を実現し、また、そのおなじ年に完全なる涅槃に入った。

 そこで、おおくの比丘たちは、世尊のましますところに到り、世尊を礼拝して、その傍らに坐した。

 傍らに坐したそれらの比丘たちは、世尊に申しあげた。

「大徳よ、かのプンナと名づける良家の子は、世尊より簡略なる法を説きあたえられましたが、彼は、ついにその生を終りました。彼が趣くところは、いずこでございましょうか。また、彼のうくる来世はいかがなものでありましょうか」

「比丘たちよ、良家の子なるプンナは聡明であった。彼は法にあらがって、わたしを傷つけるようなことはなかった。比丘たちよ。良家の子なるプンナは、完全なる涅槃に入ったのである」


注解

この経題は「プンナ」(富楼那)である。彼は、後世、仏十大弟子の一人として、説法第一と称せられる。彼もまた、釈尊を拝して、簡略の法を賜わらんことを乞うた。彼が、スナーパランタヘ趣く覚悟として師のまえに披瀝したことばは、まことに感銘ふかいものであった。


*完全なる涅槃 漢訳では「般涅槃」と音写した。入滅すなわち死を意味する。だが、この用法は初期の経にはすくない。


2022年8月28日日曜日

[中部経典86]アングリマーラ

原始仏典 第6巻

中部経典Ⅲ



第86経

残忍な盗賊アングリマーラの帰依

央掘摩経


わたしはこのように聞いた。あるとき、世尊はサーヴァッティーにあるジェータ林のアナータピンディカの森に住んでおられた。その頃、パセーナディコーサラ王の国には、アングリマーラという名の盗賊がいた。かれは残忍で、手は血塗られており、人を殺すことに固執しており、生きとし生けるものに対してあわれみをもたずにいた。それゆえに村々も村ではなくなり、多くの町も町ではなくなり、国々も国ではなくなった。その男は、人々を殺しに殺して〔その人たちの〕指で作った首飾りを身につけていた。


そのとき世尊は、朝早く内衣を着て鉢を手にもち、上衣を着てサーヴァッティーに托鉢に入った。サーヴァッティーで托鉢にまわった後、臥座所をたたんで鉢を手にとり、上衣を着て盗賊アングリマーラがいる道に進んだ。そのとき、牛飼いや山羊飼いや農夫や走っている人々が、盗賊アングリマーラがいる道に進んで行く世尊を見た。世尊を見て、こういった。


「沙門よ、この道を行かない方がいい。沙門よ、この道には、アングリマーラという名の盗賊がいます。かれは残忍で手は血塗られており、人を殺すことに夢中になり、生きとし生けるものにあわれみをもたずにいました。だから村々も村ではなくなり、多くの町も町ではなくなり、国々も国ではなくなりました。その男は、人々を殺しに殺して指で作った首飾りを身につけているのです。


 じつに沙門よ。この道を十人の人々も、二十人の人々も、三十人の人々も、四十人の人々も集まって進みました。かれらもまた、盗賊アングリマーラの手中におちたのです」


 こういったとき世尊は、沈黙されて行った。二度目にも、牛飼いや山羊飼いや農夫や走っている人々は世尊にこういった。


「沙門よ、この道を行かない方がいい。沙門よ、この道には、アングリマーラという名の盗賊がいます。かれは残忍で手は血塗られており、人を殺すことに夢中になり、生きとし生けるものにあわれみをもたずにいました。だから村々も村ではなくなり、多くの町も町ではなくなり、国々も国ではなくなりました。その男は、人々を殺しに殺して指で作った首飾りを身につけているのです。


 じつに沙門よ。この道を十人の人々も、二十人の人々も、三十人の人々も、四十人の人々も集まって進みました。かれらもまた、盗賊アングリマーラの手中におちたのです」


 二度目もまた世尊は、沈黙されて行った。三度目にも、牛飼いや山羊飼いや農夫や走っている人々は世尊にこういった。


「沙門よ、この道を行かない方がいい。沙門よ、この道には、アングリマーラという名の盗賊がいます。かれは残忍で手は血塗られており、人を殺すことに夢中になり、生きとし生けるものにあわれみをもたずにいました。だから村々も村ではなくなり、多くの町も町ではなくなり、国々も国ではなくなりました。その男は、人々を殺しに殺して指で作った首飾りを身につけているのです。


 じつに沙門よ。この道を十人の人々も、二十人の人々も、三十人の人々も、四十人の人々も集まって進みました。かれらもまた、盗賊アングリマーラの手中におちたのです」


 そこで世尊は、沈黙されて行った。


 盗賊アングリマーラは、世尊が遠くからやって来るのを見た。見てかれはこう思った。


「じつに不思議なことだ。じつに未曾有のことだ。じつにこの道を十人の人々も、二十人の人々も、三十人の人々も、四十人の人々も五十人の人々も集まりに集まって進んだ。かれらもまたわたしの手中におちた。ところがこの沙門は、一人で連れもなく無理やりやって来ているように思う。一体わたしは、この沙門の命を奪うげきかどうか」と。


 そのとき盗賊アングリマーラは、刀と盾を取って弓矢をつけて、世尊を背後から追いかけた。すると世尊は、盗賊アングリマーラが自然に歩いている世尊を、全力で追いかけても追いつくことができないように、神通の行為をはした。そのとき盗賊アングリマーラにはこの思いが起こった。


「じつに不思議なことだ。じつに未曾有のことだ。なぜならわたしは、昔、走っている象をも追いかけてつかまえた。走っている馬をも追いかけてつかまえた。走っている車をも追いかけてつかまえた。走っている鹿をも追いかけてつかまえた。ところがわたしは自然に歩いているこの沙門を、全速力で追いかけても追いつくことができないのだ」


 立ちどまって世尊にこういった。


「沙門よ、止まれ。沙門よ、止まれ」


「アングリマーラよ、わたしは立ち止まっている。汝こそ止まれ」


 すると盗賊アングリマーラには、この思いが起こった。


「シャカ族の息子であるこれらの沙門たちは、真実を語り、真実の誓いをもっている。ところがこの沙門は歩いているのに、『アングリマーラよ、わたしは立ち止まっている。汝こそ止まれ』といった。よし、わたしは、この沙門に尋ねてやろう」と。


 そこで盗賊アングリマーラは、世尊に偈文をもって話しかけた。


「沙門よ、お前は、歩いているのに立ち止まっている、といっている。

そして、わたしが立ち止まっているのに立ち止まっていないとお前はいう。

お前にわたしはこの意味を尋ねる。

どうしてお前は立ち止まっていて、わたしは立ち止まっていないのか」


「アングリマーラよ、わたしは立ち止まっている。

 つねに一切の生きとし生けるものに対して害心を捨てて。

 ところが汝は、生きものに対して抑制をもっていない。

 だから、わたしは立ち止まっているが、汝は立ち止まっていないのだ」


「じつに、久しくして、わたしが尊敬する大仙人である、

 この沙門が森に現れた。

 わたしは、長いあいだ悪を捨てましょう。

 心理にかなったあなたの偈文を聞いて」


こういって盗賊は、刀と武器とを、

深い山あいや崖や岩の割れ目に投げ捨てた。

盗賊は、如来の足元にひれ伏した。

そこでかれに出家を願い出た。

また、慈しみ深い仏、大仙人、

天人を含む世間の師は、

かれに、「来れ、比丘よ」とそのときいった。

このことばは、じつにかれが比丘となることであった。


 ときに世尊は、長老アングリマーラ随従沙門とともに、サーヴァッティーに向かって遊行にいった。次々と遊行を行いつつサーヴァッティーに至った。そこでまさに世尊は、ジェータ林のアナータピンディカ園に止まった。


 ところがその頃、パセーナディコーサラ王の王宮の入口に多くの人々が集まって、高声、大声を立てていた。


「王様、あなたの国には、アングリマーラという名の盗賊がいます。かれは残忍で、手は血塗られており、人を殺すことに夢中になり、生きとし生けるものに対してあわれみをもたずにいます。それゆえに村々も村ではなくなり、多くの町も町ではなくなり、国々も国ではなくなってしまったのです。その男は、人々を殺しに殺して指でつくった首飾りを身につけているのです。王様、その男を防いで下さいますように」と。


 そこでパセーナディコーサラ王は、五百頭の馬とともにサーヴァッティーから出て、早朝に森に向かって出発した。乗り物のための道があるかぎり乗り物で行ったあと、乗り物から下りて歩兵のごとく世尊のもとに近づいた。近づいて世尊を礼拝して一隅に座った。ときに一隅に座ったパセーナディコーサラ王に世尊はこういった。


「大王よ、あなたはマガダ国のセーニヤビンビサーラ王を攻めようとしているのですか。あるいはヴェーサーリーのリッチャヴィー族をですか。あるいは他の敵王たちをですか」


「尊者よ。わたしはマガダ国のセーニヤビンビサーラ王を攻めようとしているのではありません。あるいはヴェーサーリーのリッチャヴィー族をでもありません。あるいは他の敵王たちをでもありません。

 尊者よ、わたしの国にアングリマーラという名の盗賊がいます。かれは残忍で、手は血塗られており、人を殺すことに夢中になり、生きとし生けるものに対してあわれみをもたずにいます。それゆえに村々も村ではなくなり、多くの町も町ではなくなり、国々も国ではなくなってしまったのです。その男は、人々を殺しに殺して指でつくった首飾りを身につけているのです。わたしは逃しません」と。


「大王よ、でも、もしもあなたが、髪と髭を剃って袈裟衣をまとい、家ある状態から家なき状態に出家し、生きものを傷つけることをやめ、与えられないものを盗むことをやめ、うそをつくことをやめ、一日に一回だけの食事をし、梵行を行じ、つつしみをもち、善い性質をもっているアングリマーラを見たなら、あなたはどうしますか」


「わたしは敬礼いたしましょう。尊者よ、立って迎えましょう。座をすすめて招待しましょう。また、法衣と托鉢食と臥坐具と病人の資具である薬と必需品をかれに供養しましょう。かれのためにふさわしい保護と覆いと警護を用意しましょう。しかし、いましめを守らず、悪い性質のかれに、このようなつつしみ深い抑制がどうしてできるでしょうか」


 そのとき、長老アングリマーラは、世尊から遠くないところに座っていた。そこで世尊は、右手を差し出してパセーナディコーサラ王にこういった。


「大王よ、これがアングリマーラです」


 すると、パセーナディコーサラ王には、恐れが生じた。体が硬直するような状態になった。身の毛がよだった。そこで世尊は、パセーナディコーサラ王が恐れ、身の毛がよだつほど驚いているのを知って、パセーナディコーサラ王にこういった。


「恐れることはないのです。大王よ、恐れなくてもよいのです。大王よ。あなたにはかれからの恐れはないのです」


 そのとき、パセーナディコーサラ王にとっての、恐れであり。体が硬直することであり、身の毛のよだつことであるものは静まった。


 そのとき、パセーナディコーサラ王は、長老アングリマーラのもとに近づいた。近づいて長老アングリマーラにこういった。


「尊者よ、長老アングリマーラですか」


「その通りです。大王よ」


「尊者よ、長老の父上は、なんという姓ですか。母上は、なんという姓ですか」


「大王よ、父は、ガッガといいます。母はマンターニーです」


「尊者よ、聖者ガッガマンターニーの子息は、お喜びください。わたしは、聖者ガッガマンターニーの子息のために、法衣と托鉢食と臥坐具と病人の資具である薬と必需品のための努力をしましょう」


 ところでそのとき、長老アングリマーラは、林住者であり、乞食者であり、糞掃衣者であり、三衣者となっていた。長老アングリマーラは、パセーナディコーサラ王にこういった。


「大王よ、十分です。わたしにとっては三衣で十分です」


 それから、パセーナディコーサラ王は、世尊のもとに近づいた。近づいて世尊を礼拝して一隅に座った。時に一隅に座ったパセーナディコーサラ王は世尊にこういった。


「不思議なことです、尊者よ。未曾有のことです、尊者よ。これはそれほどのことです。尊者よ。世尊は、調御されない人々を調御する人であり、静まっていないものたちを静める人であり、涅槃に入っていない人々を涅槃に入らせる人です。なぜなら尊者よ、わたしたちが罰則でも刀でも調御できなかった人が、世尊によって罰則も与えられず、刀も与えられずに調御されたのですから」


「尊者よ、いまや、わたしたちは参ります。わたしたちには多くのなさねばならない仕事があります」


「いまそのときだと、あなたはお考えなのですね。大王よ」


そのとき、パセーナディコーサラ王は、座から立ち上がって世尊に挨拶をして右遶して立ち去った。


 時に、長老アングリマーラは、早朝に衣をつけて鉢を手にもち上衣を着てサーヴァッティーに托鉢に入った。時に、アングリマーラは、サーヴァッティーで順次に托鉢のために歩いていくうち、異常妊娠で、難産の一人の婦人を見た。見て、かれにはこういう思いが起こった。


「ああじつに、人々は苦しんでいる。ああじつに、人々は苦しんでいる」と。


 長老アングリマーラは、サーヴァッティーで托鉢にまわった後、食後に托鉢から戻って世尊のもとに近づいた。近づいて世尊を礼拝して一隅に座った。一隅に座った長老アングリマーラは世尊にこういった。


「尊師よ、いま、わたしは、早朝に衣をつけて鉢を手にもち上衣を着てサーヴァッティーに托鉢に入りました。そのとき、わたしは、サーヴァッティーで順次に托鉢に歩いているうち、異常妊娠で、難産の一人の婦人を見ました。見て、わたしにはこういう思いが起こりました。


『ああじつに、人々は苦しんでいる。ああじつに、人々は苦しんでいる』と」


「それでは、アングリマーラよ、汝はサーヴァッティーに近づきなさい。近づいてその婦人にこういいなさい。『姉妹よ、わたしは生まれてこのかた、故意に生きものの命を奪ったということを認めません。その真実にかけてあなたに幸せがあるように。胎児に幸せがあるように』と」


「尊師よ、それでは、わたしが意識的にうそをついたことになるのではないですか。尊師よ、なぜなら、わたしによって、故意に多くの生きものの生命が奪われているのですから」


「それでは、アングリマーラよ、汝はサーヴァッティーに近づきなさい。近づいてその婦人にこういいなさい。『姉妹よ、わたしは聖なる生まれに生まれてこのかた、故意に生きものの命を奪ったということを認めません。その真実にかけてあなたに幸せがあるように』と」


「そのようにいたします。尊師よ」


と、そのとき、長老アングリマーラは同意して、サーヴァッティーに近づいた。近づいてその婦人にこういった。


「姉妹よ、わたしは、聖なる生まれに生まれてこのかた、故意に生きものの命を奪ったということを認めません。その真実にかけてあなたに幸せがあるように。胎児に幸せがあるように」と。


 すると、婦人は安楽になった。胎児も安楽になった。


そのとき、長老アングリマーラは、一人離れて精進し、努力し、専念して住していた。まもなく、そのために良家の息子たちが正しく家から家なき状態に出家する、その無上なる梵行の究極を、現実世界において自ら証知し、体験し、会得して住していた。「生は尽きた、梵行は完成した。なさるべきことは、なされた。さらにこの状態には戻らない」と、証知した。


 そのとき、長老アングリマーラは、朝早く衣を着て鉢をもってサーヴァッティーに托鉢のため入った。


 しかし、そのとき、他の人が投げた土塊が、長老アングリマーラの体にあたった。また他の人が投げた棒が、長老アングリマーラの体にあたった。他の人が投げた小石が、長老アングリマーラの体にあたった。そのとき、長老アングリマーラは、頭が傷つき、血が流れ落ち、鉢が壊れ、大衣がびりびりになって世尊のもとに近づいた。そのとき世尊は、長老アングリマーラが遠くから戻って来るのをご覧になった。御覧になって、長老アングリマーラにこういった。


「婆羅門よ、そなたは忍受せよ。婆羅門よ、そなたは忍受せよ。そなたがその行為の果報として何年、何百年、何千年、地獄で苦しむであろう、その行為の果報を現在に受けているのだよ」


 そこで、独りいて、独り定に入り、解脱の楽しみを受けていた長老アングリマーラは、そのときこの感興の偈をとなえた。


以前には放逸であったが、その人が不放逸になり、

かれはこの世を照らす。雲を離れた月のように。

なされた悪い行為も、その人の善によってつぐなわれるなら、

かれはこの世を照らす。雲を離れた月のように。

じつに若い比丘で、仏の教えに努力している者、

かれはこの世を照らす。雲を離れた月のように。

わたしの敵たちは、法話を聞け。

わたしの敵たちは、仏の教えのもとで努めよ。

わたしの敵たちは、善き人たちが方に導いているが、

その人たちに親近せよ。

わたしの敵たちは、忍耐を説く人々の、慈悲を称賛する人々の法を聞くがよい。

ときどき法を聞け、そしてそれを遵奉せよ。

かれは疑いなくわたしを傷つけない。しかも他の誰をも傷つけない。

最高の寂静に到って動くものも動かないものをも守るであろう。

水の導き手は、水を導き、矢の作り手は、矢を矯正する。

大工は、木材を矯正し、賢者は、自己を調える。

ある人々は、杖や鉤やむちで調練する。

杖ももたず、剣ももたないそのような人によって、わたしは調練された。

以前に傷害者であったのにわたしの名前は、アヒンサカ(不傷害者)であった。

いまはわたしは、名前の通りである。わたしはどんな人をも傷つけない。

わたしは以前に盗賊であり、アングリマーラとして有名であった。

大洪水によって運ばれて仏に帰依した。

わたしは以前には手が血塗られ、アングリマーラとして有名であった。

帰依するところを見よ。生存に導く絆は根絶やしにされた。

そのような多くの悪しき世界に導く行為を行った後、

業果によって影響され、わたしは負債なく、食を享受する。

明知なき愚かな人々は放逸にふける。

しかし聡明な人々は、つとめはげむことを護る。最上の財産を守るように。

放逸にふけってはならない。愛欲と喜びに親しんではならぬ。

不放逸で禅定に入るものは、広大なる楽しみに至る。

よく来て、離れない、これは、わたしにとって悪く考えられたことではない。

詳説された教えの中で、すぐれたもの、それにわたしは到達した。

よく来て、離れない、これは、わたしにとって悪く考えられたことではない。

三明が体得された。仏の教えが成しとげられた。



原始仏典 第六巻

訳:田辺和子


[増谷文雄]アングリマーラの話

 


20 盗賊とブッダ



ブッダ・ゴータマの説法、伝道の生涯は、すでにいうがごとく、四十五年のながきにわたった。そのながい伝道活動のなかにも、ドラマティックな物語はあまりおおくはない。それも道理である。なんとなれば、この師はいつも静かな平和をもたらす人として振舞い、激情に身をまかせて行動するということの、いたってすくない人であったからである。


それにもかかわらず、わたしどもはなお、いくつかの、この師をめぐる劇的な物語を知っている。その一つに、わが国では、指鬘外道(しまんげどう)の名をもってよく知られている一人の盗賊を教化する物語があって、今日もなお、それを読む人々のこころを揺り動かしてやまない。一つの経典(中部経典、八六、鴦掘魔(おうくつま)経。漢訳同本、雑阿含経、三一、一六、「盗賊」)は、その物語をおおよそつぎのように叙している。


それは、ブッダ・ゴータマが、サーヴァッティー(舎衛城)の郊外の、かのジェータヴァナ(祇陀林)の精舎に止(とど)まり住しているときのことであった。そのころ、その国コーサラ(拘薩羅)にはアングリマーラ(鴦掘魔)と呼ばれる盗賊が横行して、人々を戦慄せしめていた。人々の伝聞するところによると、かの賊は、その性(しょう)はなはだ残忍にして、人々を殺すと、その指を切り、それを糸でつないで首飾りとしていたという。それがアングリマーラすなわち指鬘外道の名のいづるいわれであった。


しかるに、ある朝のこと、ブッダ・ゴータマは、衣鉢(えはつ)をととのえてサーヴァッティー(舎衛城)に入り、托鉢をおえると、かのアングリマーラが住むという方向にむかって大道(だいどう)をあるいていった。サーヴァッティーの都門をでると、城外に市場がある。野菜や魚などがそこで売られている。もっとすすむと、ひろびろとした耕地や牧場がある。そこではたらく農夫や牛飼いなどは、ブッダ・ゴータマのすがたをみると、おどろいて呼びかけていった。


「ご出家よ、その道はゆかれぬがよろしい。このむこうには、アングリマーラと呼ばれるおそろしい盗賊が住んでおります。ひどいやつで、人を殺すと、その指をとり、糸につないで首にかけているということです。その道だけは、ご出家よ、いってはなりませんぞ」


 だが、ブッダ・ゴータマは、それが聞こえたのか聞こえないのか、あいかわらず黙然として、ゆっっくりとその道をすすんでいった。



経の叙述は、そこで舞台を一転して、アングリマーラ(鴦掘魔)のがわを描きはじめる。


 彼は、はるか彼方(かなた)に、一人の沙門がやってくる姿をみつける。だが彼は、しきりに首をひねって考えている。どうもおかしいというのである。そのころでは、もう彼のことがひろく知れわたっていたので、その道をたった一人でやってくるなどというものはまったくない。商用やなにかで、どうしてもその道をゆかねばならないものは、十人も二十人もが、武器をたずさえ、団体を組んで通ろうとする。それでも、やっぱり、アングリマーラの餌食(えじき)になったものもすくなくない。


「それなのに、あの沙門は、たったひとりで供(とも)もなく、悠然としてやってくる」


 それが彼にはふしぎに思えて仕方がなかったのである。だが、ここのところしばらく獲物(えもの)がなかったのでもあろうか、彼は、やっぱり、「あの沙門のいのちを貰おうか」と決心する。そこで彼は、剣と盾、弓と矢をとって、沙門をやりすごすと、そのうしろから尾行した。


 その辺りから、経典の描写は、すこし不思議をまじえてくる。悠然とあるいている沙門のあとをつけるアングリマーラが、どうしても近づくことができないのである。速力をはやめ、全力をあげて追うけれども、二人の距離はいつまでたっても同じである。その時、アングリマーラが心のなかで考えたことを、経のことばはこんなふうに記している。


「まったく不思議だ。こんなことってないぞ。これまでわたしは、馳(か)ける馬をおうて捉えたこともある。また、はしる車においついたこともある。それなのに、いまわたしは、悠然とあるくあの沙門に、どうしても追いつくことができない。こりゃどうしたことだ」


 そこで彼は、とうとう立ちどまって、呼びかけていった。


「とまれ、沙門。沙門よ、とまれ」


すると、かの沙門からも、間髪いれぬ答えがあった。


「わたしはとまっている。アングリマーラよ、なんじもとまるがよい」


 ここでは、ちょっと注釈をさしはさんでおかねばならない。それは「とまる」ということばのことであるが、わたしどもの日本語では、「とまる」と「やめる」とは別のことばであるが、彼らのことばでは、それはおなじである。それは、たとえば英語で「ストップ(stop)」といえば、「とまる」ことであるとともに、また「やめる」ことでもあるのとおなじである。そして、いまアングリマーラは、ブッダ・ゴータマに歩行の停止を要求したのにたいして、ブッダは彼に悪事の停止を忠告したのである。


 だが、アングリマーラは、それに気づかなかったので、また折り返していった。そこが大事なところなので、経典のことばは、それを韻文をもって綴っている。


「沙門よ、なんじは歩きながら、われはとまれりという

 われはとまれるに、なんじはなおわれにとまれという

 沙門よ、われはいまその意味をとわんと欲す

 いかなれば、なんじはとまり、われはとまらずとなすや」


 それにたいするブッダ・ゴータマのことばもまた、韻文をもって綴られてある。


「アングリマーラよ、われはまことにとどまりてあるなり

 生きとし生ける者のうえに害心(がいしん)をはすることなし

 しかるに、なんじはいまだ生ける者にたいして自制することなし

 されば、われはとどまれり、なんじはいまだとどまらずという」


それが彼の決定的瞬間であった。彼は、ただちに凶器を深き谷間に投じ、ひざまずいてブッダ・ゴータマの足を拝して、その場において出家のゆるしを乞うた。



ブッダ・ゴータマは、アングリマーラ(鴦掘魔)をしたがえて、サーヴァッティー(舎衛城)にかえり、その郊外のジェータヴァナ(祇陀林)の精舎に入った。その姿を見かけた人々の気もちは、はなはだ複雑であった。きのうまで人々におそれられていた盗賊が、きょうは羊のようにおとなしくなって、かの師のあとについてゆく。それは人々の心中に感動を催さしめるに足るものであった。だが、考えてみると、彼はけっして、きのうまで残忍の悪事をかさねてきたあのアングリマーラとまったく別人ではない。それを思いおこすと、やっぱり、ぞっと背筋に冷たいものを感じるのである。あの男をあのままにしておいてよいものか。そう思うのもまた人の心というものである。


コーサラ(拘薩羅)の王パセーナディ(波斯匿・はしのく)の宮殿の門前には、いつの間にか、おおぜいの人々が集まっていた。彼らは声をはりあげて、口々に王に訴えていった。


「大王よ、領内にアングリマーラという盗賊があって、残忍にして殺戮をこととし、人々を殺しては、その指をとって首飾りとした。彼のために村や町の平和はかきみだされてすでに久しい。彼はいまだジェータヴァナ(祇陀林)にある。大王よ、かの盗賊を捕まえたまえ」


 王のしごとは、民をまもり、領内の平和と秩序を維持することをもって第一とする。そこで、パセーナディは五百騎をしたがえてかの林園におもむき、まずブッダ・ゴータマに会見した。いつもとちがう王のこわばった顔をみながら、かの師は、いささかユーモアをまじえて、語りかけた。


「大王よ、おんみはマガダ(魔掲陀)をでも攻めようというのですか。それともヴェーサーリ(毘舎離)をでも撃たんとせられるのか。あるいは、さらに他の王とでも戦わんとするのか」


「大徳よ、そうではない。大徳よ、わが領内にアングリマーラという凶悪な盗賊があり、残忍にして殺戮をこととしているという。わたしはその凶賊を捕えようとして来たのである」


 彼奴(かやつ)があなたのところにかくまわれているそうだが、お出しねがいたいという訳である。王もきょうは必死である。その時、かの師が王に問うていったことばを、経のことばは、つぎのように綴っている。


「大王よ、もし彼がいま、鬚髪(しゅはつ)をそりおとし、袈裟の衣をまとい、出家せる沙門となって、生けるものを害することをやめ、他人の財貨を盗ることもせず、いつわりを語ることもない持戒者(じかいしゃ)となっているとしたならば、おんみは彼をいかがされるぞ」


 この王が熱心な仏教者であったことは、すでにしばしば述べたところである。そして、いまこの師の問いは、あきらかに、仏教者の精神をもってこの事件を処理すべきことを、パセーナディに要請しているのであった。


「大徳よ、もしそのようなことであれば、わたしは彼を尊敬し、彼を供養し、彼を保護しなければならぬ。だが、あの極悪無道の盗賊が、どうしてそのような持戒者となる道理があろうか」


 その時、ブッダ・ゴータマはやおら右手をあげて、かたわらに居並ぶ随待(ずいじ)の比丘たちのなかの一人をゆびさしていった。


「大王よ、この比丘がアングリマーラである」


 はっとした思いが、王の全身をかけめぐった。その顔はみるみる蒼白となり、そのはだえには粟を生じ、その手と足はわなわなと震えた。かの師はそれをみて、静かに王にいった。


「大王よ、恐れることはない。恐れる道理はない」


 なんとなれば、そこに坐するものは、もはやかの極悪無道の盗賊ではなくして、ブッダ・ゴータマにしたがう新参の比丘であったからである。それによって、王はようやく平静をとりもどし、彼に語りかけていった。


「尊者よ、なんじがアングリマーラであったか」


「大王よ、さようであります」


「尊者よ、どうぞもう安心してください。わたしはこれから、なんじに衣料や飲食(おんじき)などを供養するであろう」


「大王よ、わたしには三衣(さんえ)があります。わたしはそれで満足であります」


 それは、なんとも不思議な光景であった。兵をひきいて、極悪無道の盗賊を逮捕しようとやってきた王は、いまやその当人としたしげに語り、その供養者となろうといっている。それも、彼がまったく新しき人としてよく生まれかわることをえたからに他ならない。そして、そのような新生を可能にするのが、真の宗教というものである。


 やがて王は、ブッダ・ゴータマのまえに深々と頭をさげて、申していった。


「大徳よ、まことに稀有のことである。世尊は、調伏(ちょうぶく)しがたいものをよく調伏したまい、荒れくるうものをよく静めたもう。大徳よ、われらが武器をもって降伏(ごうぶく)しえざるものを、世尊は武器なくしてよく降伏したもう」


 それが、その時、この王のいつわりない感慨であったにちがいあるまい。




だが、アングリマーラ(鴦掘魔)にとっては、それからが苦しい試練の日々であった。なんとなれば、彼が今日まで犯しつづけけてきた悪業はあまりにも大きかったからである。


ある日、朝はやく、アングリマーラは、衣鉢をととのえ、サーヴァッティー(舎衛城)の町に入って、托鉢を行じた。その時、あるものの投じた土くれに彼はあたった。また、あるもののなげた石は彼をうち、あるものの投じた棒は彼をきずつけた。サーヴァッティーの人々は、いつまで経っても、彼がおかした過去の悪業をわすれないのである。


彼の頭からは血がながれていた。彼の鉢はこわされ、彼の衣はひきさかれていた。それはまったくみじめな姿であった。そんな姿をして帰ってきたアングリマーラをみて、ブッダ・ゴータマは彼をはげましていった。


「比丘よ、忍べ。忍んで受けるがよい。なんじは、なんじの行為によって、いくとせも、いくとせも、他生(たしょう)にわたって受けねばならぬであろう業果(ごうか)を、いま現在において受けているのである。比丘よ、忍べ。忍んで受けるがよい」


 彼は、師の激励を謝して、退いてひとり坐していた。その心は、とうぜんみじめであったにちがいない。だが、彼は挫けなかった。師の激励が彼をささえてくれた。そのとき、彼の口からは、おのずからにして、つぎのような独語がたれたという。それを、この経のことばは、例によって、また韻文をもって記しのこしている。それがこの経の最後のクライマックスをなしているからなのであろう。


さきには放逸(ほういつ)であったけれども

のちには放逸ならざる人は

雲を離れた月のごとく

この世を照らすであろう


もし人よく善をもって

そのなせる悪業を覆わば

その人は、この世を照らすこと

雲を離れた月のごとくであろう。


さきにわれは凶賊にして

アングリマーラとして知られた

いまや、おおいなる流れにながされ


ブッダに帰依するものとなった


さきにわれは手を血塗(ちぬ)らし

指鬘外道(しまんげどう)として恐れられた

いまは、ブッダに帰依したれば

さらに悪業をかさぬることなし


水を導くものは水路をつくり

箭(や)づくる工は箭柄(やがら)を矯(た)め

木工をいとなむものは木をただす

智ある者はおのれを調(ととの)える


ある者は杖をもって調伏(ちょうぶく)する

またある者は鞭(むち)をもって調伏する

されど、かかる杖、鞭をもちいずして

われはかく調伏せられた


さきには殺害者であったわれは

いまは不害(ふがい)者なりと称せられる

われはいま真実の名を得て

もはや何びとをも害せじ


 この最後の一偈については、またすこし注釈を附しておかねばならない。それは、そこに見える「殺害者」および「不害者」という、一対(いっつい)をなすことばについてである。


 彼ははじめ凶悪な盗賊として、おそるべき「殺害者」であった。しかるに彼は、ブッダ・ゴータマによって教化をうけてより以後は、生きとし生けるものに害意をもたぬ仏教者となった。その時、かの「殺害者」は一転して「不害者」となったのである。彼のほんとうの名は「アヒムサカ(不害者の意)」であって、「アングリマーラ(指鬘の魔の意)」とは、世の人々が、彼の所行によって彼に与えた名であった。しかるにいま彼は、ブッダ・ゴータマによって、「アングリマーラ」たることをやめ、「アヒムサカ」となることを得た。それが「われはいま真実の名を得て」という所以である。そこにも、彼があたらしい自分の生き方によせる感慨を読みとることができるというものである。



増谷文雄名著選

「この人を見よ ブッダ・ゴータマの生涯」より