2014年5月21日水曜日
Mumon's Preface 無門慧開の自序 [無門関]
Buddhism makes mind its foundation and no-gate its gate.
仏語心為宗、無門為法門。
仏たちの説く清浄な心こそを要とし、入るべき門の無いのを法門とするのである。
Now, how do you pass through this no-gate?
既是無門、且作麽生透。
さて、入るべき門がないとすれば、そこをいかにして透過すべきであるか。
It is said that things coming in through the gate can never be your own treasures. What is gained from external circumstances will perish in the end.
豈不見道、従門入者不是家珍、従縁得者始終成壊。
「門を通って入ってきたようなものは家の宝とはいえないし、縁によって出来たものは始めと終わりがあって、成ったり壊れたりする」というではないか。
However, such a saying is already raising waves when there is no wind. It is cutting unblemished skin.
恁麼説話、大似無風起浪好肉剜瘡。
私がここに集めた仏祖の話にしても、風も無いのに波を起したり、綺麗な肌にわざわざ瘡を抉(えぐ)るようなもの。
As for those who try to understand through other people's words, they are striking at the moon with a stick; scratching a shoe, whereas it is the foot that itches. What concern have they with the truth?
何況滞言句覓解会。掉棒打月、隔靴爬痒、有甚交渉。
まして言葉尻に乗って何かを会得しようとするようなことなど、もってのほかであろう。棒を振り回して空の月を打とうとしたり、靴の上から痒みを掻くようなことで、どうして真実なるものと交わることができよう。
In the summer of the first year of Jotei, Ekai was in Ryusho Temple and as head monk worked with the monks, using the cases of the ancient masters as brickbats to batter the gate and lead them on according to their respective capacities.
慧開、紹定戊子夏、首衆于東嘉龍翔。因衲子請益、遂將古人公案作敲門瓦子、随機引導学者。
私は紹定元年(1228)の安居(あんご)を、東嘉の竜翔寺で過ごし、学人を指導する立場にあったが、学人たちがそれぞれ悟りの境地について個人的な指導を求めてきたので、思いついて古人の公案を示して法門を敲(たた)く瓦とし、それぞれ学人の力量に応じた指導をすることにしたのである。
The text was written down not according to any scheme, but just to make a collection of forty-eight cases. It is called Mumonkan, "The Gateless Gate."
竟爾抄録、不覚成集。初不以前後叙列、共成四十八則、通曰無門関。
それらの中のいくつかを選んで記録するうちに、思いがけなくも一つの纏(まと)まったものができあがった。もともと順序だてて並べたわけではないが、全体で四十八則になったので、これを『無門関』と名付けた。
A man of determination will unflinchingly push his way straight forward, regardless of all dangers.
若是箇漢、不顧危亡単刀直入。
もし本気で禅と取り組もうと決意した者ならば、身命を惜しむことなく、ずばりこの門に飛び込んでくることであろう。
Then even the eight-armed Nata cannot hinder him.
八臂哪吒、攔他不住。
その時は三面八臂の哪吒(なた)のような大力鬼王でさえ彼を遮(さえぎ)ることはできまい。
Even the four sevens of the West and the two threes of the East would beg for their lives.
縦使西天四七、東土二三、只得望風乞命。
インド二十八代の仏祖や中国六代の禅宗祖師でさえ、その勢いにかかっては命乞いをするばかりだ。
If one has no determination, then it will be like catching a glimpse of a horse galloping past the window: in the twinkling of an eye it will be gone.
設或躊躇、也似隔窓看馬騎、眨得眼来、早已蹉過。
しかし、もし少しでもこの門に入ることを躊躇するならば、まるで窓越しに走馬を見るように、瞬きのあいだに真実はすれ違い去ってしまうであろう。
頌曰
頌(うた)って言う
The Great Way is gateless,
大道無門
大道に入る門は無く、
Approached in a thousand ways.
千差有路
到るところが道なれば、
Once past this checkpoint
透得此関
無門の関を透過して、
You stride through the universe.
乾坤独歩
あとは天下の一人旅。
英語:Two Zen Classics: The Gateless Gate and The Blue Cliff Records
日本語:無門関 (岩波文庫)
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