原始仏典Ⅱ
相応部経典 第四巻
第2部 第二の50節
第4章 チャンナの章
第5節 プンナ
ある時、プンナ尊者が、世尊のいるところへ近づいた。近づいて、〔世尊に礼拝し、一方に坐った〕。一方に坐ったプンナ尊者は、世尊にこう申しあげた。
「尊き方よ、どうぞ、わたしに、簡略に教えをお説きください。その教えを聞いて、わたしは、独り遠くはなれたところで、怠けることなく、熱心に、自ら努力して暮らそうと思います」と。
「プンナよ、眼によって識別される色があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。
プンナよ、耳によって識別される声があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。
プンナよ、鼻によって識別される香があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。
プンナよ、舌によって識別される味があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。
プンナよ、身によって識別される触があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。
プンナよ、意によって識別される法があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものである。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜び、迎え入れて、執着するならば、それをおおいに喜び、迎え入れ執着するところの彼に、喜びが生じる。プンナよ、喜びが生じることにより苦しみが生じる、とわたしは説く。
プンナよ、眼によって識別される色があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものであり。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜ばず、迎え入れず、執着することがないならば、それをおおいに喜ばず、迎え入れず、執着することのない彼に、喜びが滅する。プンナよ、喜びが滅することにより苦しみが滅する、とわたしは説く。
プンナよ、耳によって識別される声・鼻によって識別される香・舌によって識別される味・身によって識別される触があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものであり。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜ばず、迎え入れず、執着することがないならば、それをおおいに喜ばず、迎え入れず、執着することのない彼に、喜びが滅する。プンナよ、喜びが滅することにより苦しみが滅する、とわたしは説く。
プンナよ、意によって識別される法があり、〔それらは〕望ましく、欲しがられ、好みにあい、愛らしく、欲をともない、魅力的なものであり。もし、比丘がこれに対して、おおいに喜ばず、迎え入れず、執着することがないならば、それをおおいに喜ばず、迎え入れず、執着することのない彼に、喜びが滅する。プンナよ、喜びが滅することにより苦しみが滅する、とわたしは説く。
〔ところで〕プンナよ、あなたは、わたしから、この簡略な教えによって教戒を受けて、〔これから〕どこの地方に滞在しようとするのか」
「尊き方よ、スナーパランタという地方があります。わたしは、そこに滞在しようと思います」
「プンナよ、スナーパランタの人たちは粗暴である。スナーパランタの人たちは〔粗暴である〕。もし、スナーパランタの人たちがあなたを罵り、悪口をいうなら、プンナよ、そのとき、あなたはどうするのか」
「尊き方よ、もし、スナーパランタの人たちがわたしを罵り、悪口をいうなら、そのときには、わたしはこのように考えます。『このスナーパランタの人たちはじつに善い人たちだ、このスナーパランタの人たちはてても善い人たちだ、〔なぜなら〕彼らはわたしを手で打ったりしないから』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人(善逝)よ、このように考えます」
「では、プンナよ、もし、スナーパランタの人たちが、あなたを手で打ったならば、そのときは、あなたはどうするのか」
「尊き方よ、もし、スナーパランタの人たちが、わたしを手で打ったならば、そのときには、わたしはこのように考えます。『このスナーパランタの人たちはじつに善い人たちだ、このスナーパランタの人たちはとても善い人たちだ、〔なぜなら〕彼らはわたしに土塊を投げたりしないから』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人よ、このように考えます」
「では、プンナよ、もし、スナーパランタの人たちが、あなたに土塊を投げたならば、そのときは、あなたはどうするのか」
「尊き方よ、もし、スナーパランタの人たちが、わたしに土塊を投げたならば、そのときには、わたしはこのように考えます。『このスナーパランタの人たちはじつに善い人たちだ、このスナーパランタの人たちはとても善い人たちだ、〔なぜなら〕彼らはわたしを棒でたたいたりしないから』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人よ、このように考えます」
「では、プンナよ、もし、スナーパランタの人たちがあなたを棒でたたいたならば、そのときは、あなたはどうするのか」
「もしスナーパランタの人たちが、わたしを棒でたたいたならば、そのときには、わたしはこのように考えます。『このスナーパランタの人たちは善い人たちだ、このスナーパランタの人たちはとても善い人たちだ、〔なぜなら〕彼らはわたしを刀で打ったり(斬りつけたり)しないから』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人よ、このように考えます」
「では、プンナよ、もし、スナーパランタの人たちがあなたを刀で打ったならば、そのときは、あなたはどうするのか」
「尊き方よ、もし、スナーパランタの人たちがわたしを刀で打ったならば、そのときには、わたしはこのように考えます。『このスナーパランタの人たちは善い人たちだ、このスナーパランタの人たちはとても善い人たちだ、なぜなら、彼らはわたしを、鋭利な刃物で殺したりしないから』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人よ、このように考えます」
「では、プンナよ、もし、スナーパランタの人たちが、鋭利な刃物であなたを殺したならば、そのときは、あなたはどうするのかね」
「尊い方よ、もし、スナーパランタの人たちが鋭利な刃物でわたしを殺したならば、そのときには、わたしはこのように考えます。『尊師の弟子たちには、身体や生命に悩み、恥じて、厭い、自分を殺してくれる人を求める人さえいる。それなのに、わたしは求めることなく、まさにその自分を殺してくれる人を得た』と。そのときには、世尊よ、このように考えます。そのときには、幸いな人よ、このように考えます」
「プンナよ、よろしい。みごとである。それほどの自制と忍耐をそなえるあなたなら、スナーパランタの地方に住むことができるだろう。プンナよ、あなたがちょうどよい時だとおもうなら〔出かけなさい〕」
そこで、プンナ尊者は、世尊の説かれたことにおおいに喜び、感謝し、座より立ちあがって、世尊を礼拝し、右回りの礼をおこなって、臥坐具を収め、外衣と鉢を取って、スナーパランタの地方へと遊行に出発した。順次に遊行をしながら、スナーパランタの地方へ入った。そこで、プンナ尊者は、まさにそのスナーパランタの地方に滞在した。
そして、プンナ尊者は、その年の雨期の安居のあいだに、五○○人の在家信者(優婆塞)と五○○人の在家信女(優婆夷)を仏の教えに導き実践させた。また、その年の雨期の安居のあいだに、三つの明知をさとった。そして、その雨期の安居のあいだに完全な安らぎ(般涅槃)に入った。
さて、多くの比丘たちは、世尊のいるところへ近づいた。〔近づいて、世尊に礼拝し、一方に坐った〕。一方に坐ったかれら比丘たちは、世尊にこう申しあげた。
「尊い方よ、プンナという名の立派な人(良家の子)は、世尊によって、簡潔な教えにより教戒されましたが、その彼は亡くなりました。彼の赴くところはどのようなところでしょうか、彼の未来の運命はどのようなものでしょうか」
「比丘たちよ、プンナという立派な人は賢者であった。教えにしたがって〔正しく〕実践し、教えに関しての議論で、わたしを悩ましたことはない。比丘たちよ、立派な人であるプンナ比丘は完全なる安らぎに入ったのである」
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第2部 第二の50節
第4章 チャンナの章
第5節 プンナ