2019年7月14日日曜日

原文で読む『天狗芸術論』巻之三

『天狗芸術論』
佚斎樗山




巻之三

§1
1383

一、1042字

問ふ。

何をか動いてうごくことなく、静かにしてしづかなることなしといふ。

曰く。

人は動物なり。うごかざること能はず。日用人事の応用多端なりといへども、此心、物のために動かされず、無欲無我の心体は、泰然として自若たり。

剣術を以て語らば、多勢の中に取籠められ、右往左往にはたらく時も、生死に決して神定まり、多勢のために念を動ぜざる、是を動いて動くことなしといふ。

汝馬を乗る者を見ずや。よく乗る者は、馬東西に馳すれども、乗る者の心泰かにして忙しきことなく、形しづかにしてうごくことなし。外より見ては馬と人とつくり付けたるがごとし。ただかれが邪気をおさへたるのみにて馬の性に悖ふことなし。

故に人鞍の上に跨がつて馬に主たりといへども、馬是に従つて困しむことなく、自得して往く。馬は人をわすれ、人は馬をわすれて、精神一体にして相はなれず。是を鞍上に人なく鞍下に馬なしともいふべし。是動いてうごくことなきもの、かたちにあらはれて見易きものなり。

未熟なるものは馬の性に悖つて我もまた安からず、常に馬と我とはなれて、いさかふゆゑに、馬のはしるにしたがつて五体動き心忙しく、馬もまた疲れくるしむ。

或馬書に馬のよみたる歌なりとて、

打込みてゆかんとすれば引きとめて口にかかりてゆかれざるなり

是馬に代りて其情を知らせたるものなり。唯馬のみにあらず。人を使ふにも此心あるべし。一切の事物の情に悖ふて小知を先にする時は、我もいそがしく、人も困しむものなり。何をか静かにしてしづかなることなしといふ。

喜怒哀楽未発の時、心体空々として一物の蓄へなく、至静無欲の中より物来るにしたがつて応じて、其用きはまり、つくることなし。静かにして動かざるものは心の体なり。動いて物に応ずるものは心の用なり。体は静かにして衆理を具へて霊明なり。用は動いて天則に従ひて万事に応ず。体用は一源なり。是を動いてうごくことなく、静かにしてしづかなることなしといふ。

剣術を以て語らば、剣戟を執つて敵に向ふ。潭然として悪むこともなく、惧るることもなく、とやせん、かくやと思ふ念もなき中より、敵の来るに随つて応用無礙自在なり。形はうごくといへども心は静の体をうしなはず、しづかなりといへども動の用を欠かず、鏡体静かにして物なく、万象来り移るにまかせて其形をあらはすといへども、去る時は影を留むることなし。

水月のたとへに同じ。心体の霊明もまたかくのごとし。小人はうごく時は、うごくにひかれておのれを失ひ、静かなる時は頑空になりて用に応ずることなし。


一、341字

何をか水月といふ。

曰く。

流儀によりて色々義理を付けていへども、畢竟無心自然の応用を水と月と相うつる所にたとへたるものなり。広沢の池にて仙洞の御製に、

うつるとも月もおもはずうつすとも水もおもはぬ広沢の池

此御歌の心にて、無心自然の応用を悟るべし。又一輪の明月天にかかつて、万川各一月を具ふるがごとし。光を分けて水にあたふるにはあらず。水なければ影なし。亦水を得てはじめて月に影あるにあらず。万川にうつる時も一水に移らざるときも、月において加損なし。又水の大小をえらぶことなし。是を以て心体の妙用を悟るべし。

水の清濁を以て語るは末なり。然れども月は形色あり。心には形色なし。其形色あつて見やすきものをかりて形色なきものの譬へとす。一切のたとへみなしかり。譬へに執して心を鑿することなかれ。






§2
2016字

一、238字

問ふ。

諸流に残心といふ事あり。不審。何をか残心といふ。

曰く。

事にひかるることなく、心体不動の所をいふのみ。心体不動なるときは応用あきらかなり。日用人事もまた然り。打あげて奈落の底まで打込むといふとも、我はもとの我なり。故に前後左右無礙自在なり。

心を容て残すにはあらず。心を残すときは二念なり。又心体明らかならずして心を容ずといふばかりならば、盲打盲突といふものなり。

明は心体不動の所より生ず。只明らかにうち、あきらかに突くのみ。是等の所かたりがたし。あしく心得れば大に害あり。

一、385字

諸流に先といふことあり。此また初学のために鋭気を助け、惰気に笞打つの言なり。

実は心体不動にしておのれをうしなはず、浩気身体に充つるときは、毎も我に先あり。人より先へ打ちつけんと心を用ふるにはあらず。畢竟剣術は生気を養つて死気を去るを要とす。懸の中の待つ、待つの中の懸といふも、みな自然の応用なり。初学のためにしばらく名を付けたるのみ。動いてうごくことなく、静かにしてしづかなることなしといふの意也。

初学の者は、気の剛柔事の応用を以て語らざれば因るべき所なし。故に其所に就て名を付け、教ふるのみ。然れども名を付ける時は、名に執して其大本をあやまり、名を付けざれば空にして取認なし。兎にも角にも其大意を識得せざる者には語るべきやうなし。

一切の事みな然り。故に物の師をするもの、其人にあらざれば秘して妄りに語らざるも亦宜也。其大意を識得すれば、見ること聞くこと直に分るもの也。

一、579字

前に論ずる如く、一身の動静は凡て気の作用なり。しかふして心は気の霊なり。気は陰陽清濁のみ。気清きものは活して其用軽し。濁るものは滞りて其用重し。

形は気にしたがふものなり。故に剣術は気を修するを以て要とす。気活する時は事の応用かろくして疾く、濁るときは事の応用重くして遅し。気は剛健を貴ぶといへども、偏に剛を用ひて和なきときは、折けて其用行はれず。倚るものは其跡虚にして用をなさず。

用は和を貴ぶといへども、中に剛健の主なきときは流れて弱きに至る。弱と柔と異なり、柔は生気を含んで用をなし、弱は一向に力なくして用をなさず。休むと惰るとまた異なり、休は生気をはなれず、惰は死気に近し。

卜る者は気のよる所あつて解がたきもの也。念に因つて卜るあり。陰気みづからしまるあり。凡そ気の由る所あれば、用に応ずること速やかならざるものなり。故にしまる気は事の応用遅し。

気先だつて事の応用燥くものは、陽にして根なし。軽くして濡ひなきものなり。枯葉の風に散るがごとし。湿り滞るものは、濁気のみづからおもきにひかれて応用の遅きもの也。凝るものは気偏に聚まり、固く鎖して形をなし、止まつて動かざるもの也。故に其応用いよいよおそし。水の凍りて融和せざるがごとし。

是も亦念の凝り、気の凝りあり。念といふも気なり。しることあるを念といふ。しることなきを気といふ。みなみづから試みてしるべし。

一、287字

剛柔変化して自在なるものは応用無礙也。唯剣術のみにあらず、学術といへども気の剛柔変化自在なる所を修し得ば、心の妙用をあらはすべし。心体の妙用は迹なくして語るべからず。

故に剣術は気を以て修して、心体の照らす処をしる。学術は心を以て修して、気の変化妙用を知る。然れども只理を以て意識の間に知るのみにして、身に修し得ることなき時は、心気の噂にして其用をなさず。剣術者は気を修するといへども、只剣術応用の所にのみ修するがゆゑに、心の霊覚もまた其一方にのみ達して、日用常行に及ぶことなし。

心気もと一体なり。おのれに試みて其大意を識得せば、修行未熟なりといふとも、分に応じて益あるべし。

一、527字

諸流ともに其極則に及んでは一なり。流儀々々は其先覚の人の修錬して、吾が入りよきと思ふ門戸より導くのみ。然れども其道すがらの風景を愛し、此に住してみづから是とするもの多し。是を以て其末々の流儀多端にして、互いに是非を争ふと見えたり。

其極則は是非の争ふべきことなし。其中途の風景は皆意識の間の見のみ。其大本は二つもなく三つもなし。別るる時は善悪あり邪正あり、剛柔あり長短あり、其末々に至つては論じ尽すべからず。吾が知る所人はしるまじきと思ふは愚なり。我に霊明あれば、人もまた霊明あり。豈おのれ一人知あつて天下みな愚ならんや。故に隠すことはなきものなり。

学術といへども亦然り。老仏、荘列、巣父、許由が徒も無我無欲の心体を見ることは一なり。故に一毫の私念心頭を係縛するものなし。只其見る所の風景異なり、故にわかれて異学となるのみ。聖人の道は天を戴き地を履むで山河大地遺すことなし。夫婦の愚不肖も与りしるべく能く行ふべし。天下仁義に服せざる者なく、孝悌忠信を非る者なし。

天竺仏氏の徒といへども、聖人の沢を蒙りて仁義の中に浴せずといふことなし。異学の風景のよく及ぶ所にあらず。天地万物の大本上より見下すが故なり。異学の徒もみな聖人の別派なり。大道に背くことあたはず。





§3
1692字

一、878字

問ふ。
清濁は陰陽なり。
何ぞ唯清を用ひて濁を去るや。

曰く。
濁も用ふる所あり。然れども剣術は其用の速やかなるを貴ぶ。陰陽はなくて叶はず。只其清を用ひて濁の重きを用ひざるのみ。

物を乾かすには火を用ひて水を用ひず。各々其用によるのみ。心の聡明痴鈍も亦気の清濁のみ。気清きものは自性の霊覚遮るものなり。質おのづから聡明なり。

心体もと虚霊にして昧きことなし。唯濁気其霊明を掩ふが故に、愚をなし、痴をなし、鈍をなす。昏くして理に通ぜざる、是を愚といふ。滞りて遅き、是を鈍といふ。

濁気はなはだ重く、其渣滓にひかれ、念住つて暗中に迷妄し、思ふ所を捨つることあたはず、おのれにも決せず、人にも従がはず、常に苦しんで止まず、是を痴といふ。

凡人の生質千差万別なりといへども、みな濁気の浅深厚薄のみ。心は気の霊なり。此気の在るところ霊あらずといふことなし。此気なければ此霊なし。

又人の船に乗つて水を渡るが如し。風烈しく波あらき時は、舟、風にしたがひ波にひかれて其ゆく所をしらず。人、舟中にあつて安きことなし。濁気妄動して心の静かならざる象またかくのごとし。風やみ波しづかなる時は、始めにかへつて乗るものやすきことを得たり。

人心の邪をなし身を危ふする、みな濁気の妄動のみ。其大本は慾の巌穴より吹出だす所の大風なり。慾も亦濁気の偏なり。又偏屈にして情のこはきものは、陰気の凝り固まつて力あるなり。心騒がしく、とり認なきものは陽気の根なきなり。

惧るる者は気の餒ゑて体に充たざるなり。心の決せざる者は気の弱にして定まらざるなり。亦痴にちかし。是等はみな濁気の病なり。

又聡明にして篤実なる者は、陰陽和して欠闕なきものなり。知明敏にして行ひ篤実ならざる者は、清陽の気勝ちて陰精の薄きなり。行ひ篤実にして知明敏ならざる者は、陰精の勝ちて清陽の気薄き也。

陰中の陽、陽中の陰、其中の過不及浅深、厚薄、千差万別、論じ尽すべからず。類を推して細かに察する時は、みな陰陽清濁に漏るることなし。上は天地の大より下は蚤虱の微物までも、陰陽の気充たざれば、其形の用を成すことあたはず、今ここには其大略を語るのみ。

一、214字

何を以てか此気を修せん。

曰く。唯其濁を去るのみ。陰陽の気は生々変化して天地万物の大本たり。濁は陰気の渣滓なり。渣滓は止まつて活せず。陽の助けを得てうごくゆゑに、其用おもくしておそし。

清水に泥を加ふるときは忽ち濁水となるが如し。既に濁水となるときは物を浄むることあたはず。物に洒げば却つてものを垢す。

故に学術は良知の明を以て気の濁を去るのみ。濁気去るときは気生活し、心体ひとりあらはる。迷心直ちに本心となる。此心二つあるにあらず。

一、322字

陰陽もと一気なりといへども、すでに分るるときは、其用千差万別の異なるあり。其用の異なる所を見て其本の一なる所をしらざる時は、道明らかならず。其本の一なる所を知つて其用の異なる所をしらざれば、道行はれず。

唯心に試みて審らかに工夫すべし。言説の尽す所にあらず今木の葉天狗ども心体に通じて解せざる故に、有無の迹を以て論ずるのみ。

此心の気中に存ずる、魚の水中に游泳するがごとし。魚は水の深きによつて自在をなす。大魚は深淵にあらざれば游泳することあたはず。又水涸るる時は魚困しみ、水尽くる時は魚死す。

心は気の剛健によつて自在をなす。気乏しきときは心憔け、この気つくるときは心無に帰す。かるがゆゑに水うごく時には魚おどろき、気うごく時は心おだやかならず。

一、278字

勝負の事にかぎらず、一切の事、天にまかすると運にまかするとの異なることあり。

剣術は常に勝負の理を究め、人事は其当然の義理を尽してわたくしの巧を用ひず、為して恃まず思ふて執滞することなき、是を天にまかするといふ。人事を尽す所すなはち天にまかするなり。

百姓の農業をつとむるがごとく、耕し種まき芸つてその長ずべき道を尽し、洪水、旱魃、大風は我が力の及ばざる所、是を天に任するなり。

人事をも尽さずして天に任すといふ分にては、天道請取り給ふべからず。只自然に来る所を期つ、是を運に任するといふ。但し、さしあたり迷ふて決断せざる者には、運に任せよといふこともあるべし。






§4
1423字

一、520字

問ふ。
心体は形色声臭なし。妙用は神にして測り知るべからず。何を以てか心を修せん。

曰く。
心体は言を容るべからず。只七情のうごく所、意の知覚する所、応用の際において其過不及を制し、私念の妄動を去り、自性の天則にしたがはしむるのみ。其手を下す所は良知の発見による。

何をか良知といふ。
心体の霊明是非邪正を照らして、天地神明に通ずるもの、是を知るといふ。凡人は濁気の妄動に掩はれて、其照らし全からず。罅隙よりわづかに発見するもの、是を良知といふ。

一念頭に於て是をしり、非をしり、人の誠あるに感じ、みづから不善をなして内に快からざることをしるもの、是なり。其情にうごいては怵惕惻隠の心生じ、親を愛し子を慈しんで、兄弟相したしんで已むべからざるもの、是を良心といふ。

其良知を信じて此にしたがひ、其良心を養うて私念を以て害することなきときは、濁気の妄動おのづからしづまり、天理の霊明ひとりあらはるべし。

私念はおのれを利するの心より生ず。おのれを利するに専らなるときは、人に害あるをもかへりみず、終によこしまをなし、悪をなし、身を亡ぼすに至る。

心を修すると気を修すると二事にあらず。故に孟子浩然の気をやしなふの論、ただ志を持するにあつて、別に養気の工夫なし。

一、525字

問ふ。
仏家に意識を悪み去るは何ぞや。

曰く。
仏法の工夫は吾しらず。意識はもと知の用なり。にくむべきものにあらず。只情を助けて本体をはなれ、みづから専らにすることをにくむのみ。

意識は士卒のごとし。将、物のために掩はれ、暗弱にして勢なきときは、士卒将の下知を用ひず、みづから専らにして私の謀を用ひ、私のはたらきをなして陣中和せず、妄動して備へ騒ぎ、終に敗軍の禍を取るものなり。

此時にあたつては将如何ともすることあたはず。古へより大軍の騒ぎ立ちたるはしづむることあたはずといへり。意識みづから専らにして情欲を助け妄動する時は、みづから其非をしるといへども制しがたきものなり。是意識の罪にはあらず。

将、知勇あつて法令明らかなる時は、士卒、将の命を慎みて私のはたらきをなさず、下知にしたがつてよく敵を破り、備へをかたくして敵のために破らるることなし。是士卒のはたらきゆゑに将大功を立つるなり。

然らば意識も心体の霊明にしたがひ、自性の天則によつて知覚のはたらきをなし、みづから専らにするの私なくんば、知の用をなして国家の政をたすく。何ぞ意をにくむことをせん。

聖人毋意といふは、意みづから専らにすることなく、知覚みな自性の天則にしたがひて意の迹なし。故に毋意といふ。

一、378字

問ふ。
古へ中華にも剣術の伝ありや。

曰く。
吾いまだ其書を見ず。和漢共に古へは気の剛強活達を主として生死をかへりみず、力を以て角ふと見えたり。

荘子の説剣の篇等を見るにみな然り。只達生の篇に闘雞を養ふの論あり。全く是剣術の極則なり。然れども荘子剣術のために論ずるにあらず。只気を養ふの生熟を論ずるのみ。

理に二つなし。至人の言は万事に通ずるものなり。心を付くれば一切の事みな学問とも剣術ともなるべし。和朝の古き剣術の書を見るに、曾て高上の論なし。只軽業早業の術を習ふと見えたり。多くは天狗を以て祖とす。

惟ふに生得の勇はみな其身に備はつて語るべき所なし。只業を習ひ、気を修して、其内にて生得の勇をやしなふと見えたり。かるがゆゑに論ずべきことなし。

今世間文明になつて初学より玄妙の理を論ずといへども、預りものの如くにして、其実は古人に及ばざること遠し。学問も亦しかり。





§5
1406字

一、497字

問ふ。
剣術は心体の妙用なり。
何ぞ秘する事あるや。

曰く。
理は天地の理なり。我が知る所天下何ぞ知る者なからん。秘する者は初学のためなり。秘せざれば初学の者信あらず。是をしふる者一つの方便なり。故に秘することはみな事の末なり。極意にはあらず。

初学の者何の弁へもなく、みだりに聞き、あしく心得てみづから是とし、人にかたるときはかへつて害あり。かるがゆゑに其得心すべきものならでは教へずと見えたり。其極則に至つては同門にあらずといへども、広く語りてかくすことなし。

秘することは多くは兵法の方便なり。未熟の者に秘して教へ、一旦の勝ちを取る気然を助くる術もあるべし。又他より見て、其意をも知らず、浅間なることなりとて、妄りに評を付けることを厭ふて、かくすこともあるべし。一概には論ずべからず。

一切のこと正道にかくすことはなきものなりといへども、言の漏れて害になることあるをば、品によりて隠密することもあるべし。

剣術の事と世間応用の事と其理替ることなし。剣術のことにおいて心を用ひ、其邪正真偽を精しく弁へ知り、是を日用応接の間に試み、邪は正に勝つことあたはざる所をよく自得せば、是ばかりにても大なる益なるべし。

一、909字

心は明らかにして塞がることなきを要とす。気は剛健にして屈することなきを要とす。心気はもと一体なり。

分けていへば火と薪のごとし。火に大小なし。薪不足なれば火の勢ひ熾んならず。薪湿るときは火光明らかならず。

人身一切の用はみな気のなす所なり。故に気剛健なる者は病生ぜず。風寒暑湿にも感ずることなし。気柔弱なる者は病も生じ易く、邪気にも感じ易し。気病むときは心苦しみ、体疲る。

医書に曰く、百病は気より生ずと。気の所変を知らざる者は病の生ずる所をしらず。故に人は剛健活達の気を養ふを以て基本とす。気を養ふに道あり。

心あきらかならざれば、此気途を失ひて妄りに動く。気妄動するときは、剛健果断の主を失ひ、小知を以て却つて心の明を塞ぐ。心昧く気妄動するときは、血気盛んなりといへども事自在ならず。血気は一旦にして根なし。動いて其迹虚なり。

是等の事は剣術の事を以て試みてしるべし。故に初学の士は、先づ孝悌の人事を尽し、人欲を去るにあり。人欲妄動せざるときは気収まつて執滞せず。剛健果断にして能く心の明を助く。

気剛健ならざるときは事決せず、決せざる所より小知を用ひて心体の明をふさぐ。是を惑といふ。剣術も亦然り。神定まつて気和し、応用無心にして事自然にしたがふ者は其極則なり。

然れども其初めは先づ剛健活達の気を養つて、小知を捨て敵を脚下に敷き、鉄壁といふとも打砕く大丈夫の気象にあらざれば、熟して無心自然の極則にいたることあたはず。其無心と思ふものは頑空に成り、和と思ふものは惰気なり。

唯剣術のみにあらず、弓馬一切の芸術といへども、先づ大丈夫の志を立て、剛健活達の気をやしなはざれば事ならず。

此気はもと剛健活達にして生の原なり。人只やしなひを失ふのみにあらず、小知を以て害するが故に、怯弱にして用をなさず。世間一切の事みなしかり。

前に論ずるごとく、気は心を載せて一身の用をなす者なり。自身に試みてしるべし。只書を読み人の言を聞きたるのみにして自身にこころみざれば、道理のうはさになりて身の用をなさず。是をうはさ学問といふ。

学術芸術一切の事其理を聞いて、みな自身に試み心に証する時は、其事の邪正難易たしかにしらるるものなり。是を修行といふ。