2016年5月9日月曜日

吉田鷹村と大森曹玄



話:吉田鷹村



−−禅はどのようなキッカケではじめられたのですか?



たとえば、字を書くにあたって緊張感がともなう。それはいいことなのですが、そのためには自由なハナタキが失われてしまう。

古人は

「無縄自縛(むじょうじばく)

といいました。自分で自分を拘束する。この状態から脱却する手だてが、禅のなかにあるような気がしてならない。







そんな矢先、松本洪先生から「大森曹玄」老師をご紹介いただきました。老師が花園大学学長に迎えられる前でした。正式に相見(しょうけん)の礼をへて参禅を許され、それから長い苦闘の日々がつづきました。

ご承知のように、臨済宗は「公案」により修行してゆく。わたしの場合、第一関として与えられたのが、

「趙州(じょうしゅう)の無」

でした。







「無になり切ってこい」

「死に切ってみよ」

「全身心を挙げ熱鉄丸になってブチ当たれ」

などと厳しく指導されました。



鐘を鳴らし、礼拝をして、師の室にはいり、膝下に参ず。

一対一の真剣勝負。

見所を呈し、鈴の音にしたがって退く。



まったく特殊な時間、空間に身をおく、じつに貴重な体験でした。

のちのち公案を重ね、師の前に言上する見解(けんげ)が伝統の見所に合致したときは、号泣せんばかりの感動をおぼえました。







30代のころでした。ある友人が

「断食をすると自分の本質がわかる」

と言うんですね。



即、飛び込んだ。

3週間。

それだけ長くやる人は珍しいそうですが、この間は、水だけを飲んで、滝に打たれつづけた。



終わり頃は、寝まきに死臭がしみついてきます。古い細胞が死滅するのでしょう。

それで岩の上に立って滝に打たれていると、ちかくを散歩する人の周りを「チュッチュッチュッ」と虫みたいに飛び回っているものが見える。

「ああ、これが人間の気というものなのか」

と直感的に思いました。それだけ感性が鋭敏になっているんです。徹底した心身のクリーニングになったことは確かでした。







「釈迦も達磨も修行中」

といいます。道は無限。

到達点はありません。



慈悲行について、鎌倉時代の大燈国師は

「失銭遭罪(しっせんそうざい)

と言われています。



金を盗まれたうえに罪を負わされる。

そういう境遇に陥ってもなお、慈悲の気もちを持ってゆくという意味です。







引用:致知2016年6月号
吉田鷹村「94歳、まだ前進せねば」




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