2016年5月18日水曜日

釈迦という「いたずら者」 [一休]



話:OSHO(和尚)





一休の詩がある。


釈迦といふ

いたずらものが 世にいでて

おほくの人を まよはするかな






釈迦とは、ゴータマ仏陀の姓だ。

一休は言っている。

「彼は、なんというイタズラ者だろう、これほど多くの人々を迷わせるとは」

と。



それはほんとうだ。

25世紀ものあいだ、ゴータマ仏陀は絶えず人々を悩ませつづけてきた。

一休はそれを愛ゆえに言っているのであって、それは誹謗中傷ではない。かれは単に、こう言っている。

「なんというイタズラ者だろう!」

ゴータマ仏陀から25世紀もたつのに、人々はいまだに「いかにしてブッダになろうか」と頭を悩ませている。この地上に人間が存在するかぎり、これは人を当惑させる問題でありつづけるだろう。



なぜなら、意識の広大な大空のなかにあって、これほど人類を惑わせてきた者は、ゴータマ仏陀よりほかにはいないからだ。

彼はオリジナリティ(独自性)を主張し、あなたがたが真正な存在であることを主張し、あなたがたが全面的に自由であることを望んだ。

人類をこれほど愛した人はほかにいない。ゴータマ仏陀よりほかに、人間にこれほどの尊厳をあたえた人はいない。彼は、あなたがたに追従者になるのではなく、「ひとりのブッダ」になることを望んだ。










引用:空っぽの鏡・馬祖




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