話:OSHO(和尚)
…
一休の詩がある。
釈迦といふ
いたずらものが 世にいでて
おほくの人を まよはするかな
釈迦とは、ゴータマ仏陀の姓だ。
一休は言っている。
「彼は、なんというイタズラ者だろう、これほど多くの人々を迷わせるとは」
と。
それはほんとうだ。
25世紀ものあいだ、ゴータマ仏陀は絶えず人々を悩ませつづけてきた。
一休はそれを愛ゆえに言っているのであって、それは誹謗中傷ではない。かれは単に、こう言っている。
「なんというイタズラ者だろう!」
ゴータマ仏陀から25世紀もたつのに、人々はいまだに「いかにしてブッダになろうか」と頭を悩ませている。この地上に人間が存在するかぎり、これは人を当惑させる問題でありつづけるだろう。
なぜなら、意識の広大な大空のなかにあって、これほど人類を惑わせてきた者は、ゴータマ仏陀よりほかにはいないからだ。
彼はオリジナリティ(独自性)を主張し、あなたがたが真正な存在であることを主張し、あなたがたが全面的に自由であることを望んだ。
人類をこれほど愛した人はほかにいない。ゴータマ仏陀よりほかに、人間にこれほどの尊厳をあたえた人はいない。彼は、あなたがたに追従者になるのではなく、「ひとりのブッダ」になることを望んだ。
…
引用:空っぽの鏡・馬祖
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