2019年6月30日日曜日

原文で読む『天狗芸術論』巻之二


天狗芸術論
佚斎樗山




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巻之二

一、
一切の芸術、放下づかひ、茶碗廻しにいたるまで、事の修錬によつて上手をなすといへども、其奇妙をなすはみな気なり。

天地の大なる、日月の明らかなる、四時の運行寒暑の往来して万物の生殺をなすもの、みな陰陽の変化に過ぎず、其妙用は言説の尽す所にあらず。

万物其中にあつて、其気を以て其生を遂ぐ。気は生のみなもとなり。此気かたちをはなるる時は死す。生死の際は此気の変化のみ。生の原をしる時は死の終る所を知る。生死の道に明らかなるとき、幽明鬼神通じて一つなり。

かるがゆゑに今日身をおくところ、
生に在つても自在なり。
死にあつても自在なり。

仏家には再生流転の惧れあり。かるがゆゑに造化を以て幻妄とし、意を断ち識を去つて不去不来の空にかへるを以て成仏とす。

聖人の学は再生輪廻のおそれなし。化に乗じて尽るに帰するのみ。気を修するときはおのづから心をしる。

一、
生死の理はしりやすき所なれども、此生にしばらくの名残のみ。是を迷心といふ。この迷心妄動する故に、神くるしんで常に大負をとることをしらず。






一、
問ふ。
其極則においては、我得て聞くべからず。願はくは修行の大略を聞かむ。

曰く。
道は見るべからず、聞くべからず。其見るべく、聞くべきものは道の跡なり。其跡によつて、其跡なき所を悟る。是を自得といふ。学は自得にあらざれば用をなさず。

剣術小芸なりといへども、心体の妙用にして、其極則に及んでは道に合す。我いまだ自得にいたらずといへども、ひそかに聞くことあり。其聞所を以てしばらく汝に語らん。汝妄聴せよ。耳を以て聞くことなかれ。

夫心を載せて形を御するものは気なり。故に一身の用は全く気是を掌る。気の霊、是を心といふ。天理を具へて此気に主たるものなり。心体もと形声色臭なし。気に乗じて用をなすものなり。上下に通ずるものは気なり。僅かに思ふことあれば気にわたる。

心の物に触れて動く、是を情といふ。思惟往来する、是を念といふ。心感のままに動いて自性の天則に率ふときは、霊明始終を貫いて気の妄動なし。

たとへば舟の流れに従ひて下るが如し。動くといへども、舟静かにして動の跡なし。是を動而無動といふ。

凡人は生死の迷根いまだ断ぜず、常に隠伏して霊明の蓋となる。故に喜怒哀楽未発の時は、頑空にして濁水を湛へたるがごとし。一念僅かにうごく時は、かの隠伏の者起り、情欲妄動して我が良心に迫る。

洪水に逆上つて舟を棹さすがごとし。波あらく舟動いて内安きことなし。気妄動する時は応用自在ならず。

剣術は勝負の事なり。初学より生死の迷根を断つを以て要とす。然れども生死の迷根にはかには断ちがたし。

故に生死の理に於て心を尽し、気を錬り、勝負の事に試み、此間において工夫怠らず、殺身修行して事熟し気をさまり、其理心に徹して疑ふ事なく、惑ふことなく、此一路において霊明塞がる所なきときは、此念此に動ずることなし。

此念動ぜざる時は、気は霊明にしたがつて活達流行、心を載せて滞ることなく、否ることなく、其形を御すること無礙自在なり。

心の感に随つて応用の速やかなること、戸を開いて直に月のさし入るがごとく、物を拍つて直に声の応ずるがごとし。

勝負は応用の跡なり。我に此念なければ形に此相なし。相は念の影にして形にあらはるるものなり。形に相なければ向つて敵すべきものなし。是を敵もなく我もなしといふ。

我あれば敵あり。我なきが故に来る者の善悪邪正一念の微に至る迄、鑑にうつるが如し。我より是をうつすにはあらず。かれ来つて移るのみ。成徳の人には邪を以て向ふことあたはざるがごとし。自然の妙なり。

若し我より是を移さんとせば、これ念なり。此念我を塞ぐが故に気滞つて応用自在ならず。不測の妙用思はず為さずして、来往神のごとくなる者、是を剣術悟入の人といふ。





一、
然れども鼻高く觜あり、翅あり、故に他の事においては、霊明塞がる所ありて、心の応用自在をなすことあたはざるものは、始めより偏へに此一路に志して、心を修し、気を錬る事ここにあり。

其他のことは疾痛身に切なるをも忘れ、物耳目にふるれども眼を開いて見る事なし。況んや心を留めむや。故に此には修し得て明らかなれども、広く取つて他に用ふることあたはず。明の及ぶ所限りあればなり。

たとへば灯を箱の内に置いて一方を開くがごとし。其開きたる方は照らせども、其他は光およばず。少しく他に通ずることあるものは、其傍光の影なり。故に全き事あたはず。初めはわづかの穴を見付けて其穴を力を用ひてほりあくれば、修行の力にて次第に穴大きくなりて照らす所も大なり。

若し天地万物を以て打太刀として修行し、此箱を打破らば、四方八面明らかになり、心体の応用無礙自在にして、富貴貧賤患難困苦の大敵、前後左右より取巻くといへども一毫も動念なく、団扇を以て蠅を払ふがごとく、みな前に平伏して頭を出すものあるべからず。

此に至つて鼻も平らかになり、翅なくとも飛行自在をなすべし。

一、
凡て一芸に達したる者は常に心を用ふる故に、道理には暁きものなり。然れども志我が芸に専らなる故に、此に私して道には入りがたし。

偶々学術を好む者ありといへども、芸術を以て主とし、道学を以て客とする故に、聞く所の深理みな芸術の奴と成りて広く用をなすことあたはず。況んや心術を助くることあらんや。芸術を修するもの此所を自得せば、日々修する所の芸術我が心を助けて、其本然の妙用を証はすべし。是において芸術も亦自在を得べし。

然れども初めより執する所の一念捨てがたきものなり。学術芸術共に只此の私心をさへ去れば、天下我を動かす者なくして応用無礙自在なり。私心は金銀貨財情欲偽巧の類のみにあらず。不善にあらずといへども一念わづかに執する所あれば、即ち私心なり。

少しく執すれば少しく心体をふさぎ、大いに執すれば大いに心体をふさぐ。芸術に達する者は、其業の上においては私心の己を害すること明らかにしるといへども、広く心体応用の間に試みてしる事なし。

心術を修する者といへども、理は頓に知りやすく、一念隠微の間は修しがたきものなり。心術を修するものも我なり。芸術を修するものも我なり。此心二つあるにあらず。此ところまた熟思すべし。

一、
今事熟し、気和し、勝負の利を試みてうたがふことなく、惑ふことなく、神定まつて自在をなすものおほし。

其妙用神の如しといへども、いまだ恃む所あることを免れざるものは、舟人の舷を走り、瓦師の天守にのぼつて瓦をしくがごとし。

是を兵法の上手といふ。





一、

問ふ。
如何にして今芸術を以て道学を助けん。

答ふ。
心は性情のみ。性は心体の天理。寂然不動にして、色もなく、形もなし。

情の動く所に因つて邪あり正あり、善あり悪あり。情の変化によつて其心体の妙用を見て、天理人欲の分るる所をしる。是を学術といふ。

其是を知るは何物ぞや。すなはち自性の霊覚己に具はつて欺くべからず、誣ふべからざるの神明、是を知といふ。

世間の小知才覚をいふにはあらず。小知の才覚は意識の間に出づ。意は心の知覚なり。意識は本霊明に因るといへども、情の好悪にふれて発するが故に、意にもまた邪あり正あり、善あり悪あり。発して好悪の情をたすけて私のたくみをなす。是を小知といふ。

自性神明の知は情の好悪にかかはらず、純一にして其理の照らす所私なし。故に善もなく悪もなく、唯明らかなるのみ。意識是にしたがつて私の巧を用ひざるときは、よく情を制して執滞なく、心体の天則にしたがはしむ。

情心体にしたがつて好悪の執滞なく恐惧の動念なき時は、意識神明に和して知の用をなす。此に至つて意識の跡なし。是を毋意といふ。

もし情欲をたすけて是がために巧をなし、偽をなし、種々転変してやまざる時は、我が心体を係縛し、我が霊明を塞ぐ。是を妄心といふ。凡人は情欲心の主となるが故に、この妄心のために転動せられて、我が神を困しむることをしらず。

此ゆゑに学術は此妄心の惑ひを払ひ去り、我心体の天理を認めしり、其霊明を開き、其天則にしたがふて小知の作為を用ふることなく、物はものに任せて物のために役せられず、事は来るに任せて求むることもなく、厭ふこともなし。

故に終日思惟すれども、私なきが故に心を累はすことなく、終日事に労すれども、神を困しむることなし。命に委ね、義に決して、うたがふことなく、惑ふことなし。

我心の誠を立て、一毫も志を曲ぐることなく、害を避けんが為に偽巧を用ひず、利を得んと欲して小知を事とせず、生は生に任せて其道をつくし、死は死に任せて其帰を安んず。

天地変動すれども、此心をうばはるることなく、万物掩ひ来れども此心を乱さるることなく、思うて執滞せず、為してたのむことなし。心を存し、気を養ひ、決然として立つて屈することなく、おこたることなく、悠然として居て争ふことなく、迫ることなく、初学より此志を立て、応接の間耳目にふるる所のものを以て心を修するのうつはものとす。

理に大小なし。剣術の極則も亦此に過ぎず。故にその芸術に於て修する所の業を以て内に省み、日用常行の間に通じて心術を証せば、芸術もまた内に徹して相助け、相養ふて其益大なるべし。浅きより深きに入り、卑きを踏みて高きに登る、是古へ芸術を以て道学を助け、此を修して彼を得るの手段なり。

若し年五十以上、手足のはたらき自在ならず、或は病身又は公用に暇なくして其事を務むることあたはず、武士の職なれば心を用ひざるもおのれに快からず、たとひ手足は叶はずして頭べは二つになるとも、此心の二つにならざる所を修せんと思はば、前に論ずる所の志を立て、我が心の変ぜざる所を修して、生死一貫の理開け、天地万物我に礙るものなくば、床に臥しながらも、公用は勿論辻番火の廻りをつとめながらも、心に移る所、耳目にふるる所の物を以て打太刀として、心の修行はなるべきことなり。

間暇あらば、芸術に達したる人にあふて其事を習ひ、其理を聞いて心に証し、敵に向ふときは我がなるべき程のはたらきをなして、死を快くせんのみ。何の憂ふることかあらん。士たるもの唯志の折けざるを要とす。

形には老少あり、強弱あり、病身あり、公用しげきものあり。みな天のなす所にして、我が得て私する所にあらず。唯志は我にあつて、天地鬼神も是を奪ふことあたはず。かるが故に形は天の為る所に任せて、我は我がこころざしを行ふのみ。

小人は天の為す所を怨みて我がする所を努めず。天のする所は我が知力のおよばざる所なり。其知力の及ばざる所をうれひて、我と神を困しむる者は愚なり。






一、

問ふ。

我に多子あり。年いまだ長ぜず。剣術を修すること如何にして可ならむ。

曰く。

古へは洒掃応対より六芸に遊んで後、大学に入り以て心術をあらはす。孔門の諸賢もみな六芸に長じて道学を証する人多し。

年いまだ長ぜずして事理に通達する程の力なき者は、小知を先にせず、師にしたがつて差し当り用の足る所として、事を努め、手足のはたらきを習はし、筋骨を強ふし、其上にて気を錬り、心を修して、其極則を窺ふべし。是修行の次序なり。

二つ葉の木は柱に用ふべからず。ただ添木を立て曲らざる様にやしなふべし。

ただ幼年のはじめより志邪に往かしむべからず。志邪にゆかざれば、戯遊の事といふとも邪なきものなり。心邪なき時は正を害するものなし。天地の間用をなさざるもの稀なり。邪を以て害するが故に、其性を傷ふて用をなさず。人心もと不善なし。唯有生のはじめよりつねに邪を以て養ふ。故に薫習してしらず、自性を害して不善に陥る。邪は人欲是が根となる。

小人はただおのれを利するを以て心とする故に、己に利あれば邪なれども其邪をしらず、己に利あらざれば正なれども其正をしることなし。みづから其邪正をわきまへしらず。況んや其よつて分るる所をしらんや。故に学術は人欲の妄動を抑へ、心体天理の妙用を見て、邪正の由つてわかるる所を審らかにし、其妄心の邪をしりぞけ、自性の本体を害することなきのみ。天へ上ることにもあらず、地を潜ることにもあらず。

邪しりぞく時は、天理ひとりあらはる。邪少しくしりぞけば、天理少しくあらはれ、大いに退けば、大いにあらはる。みづから心に試みてしるべし。

剣術も亦然り。もし初学より何の弁へしる事もなく、無心にして事自然に応じ、柔を以て剛を制す、事は末なりといひて頑空惰気になりて、足もとのことをしらずんば、現世後生ともに取失ふべし。






天狗芸術論
巻之二
おわり


→ 原文で読む『天狗芸術論』巻之三


2019年6月28日金曜日

原文で読む『天狗芸術論』巻之一


天狗芸術論
佚斎樗山




巻之一


大意


人は動物なり。
善に動かざる時は
必ず不善にうごく。

この念ここに生ぜざれば
かの念かしこに生ず。
種々転変して止まざるものは人の心なり。

吾が心体を悟つて
直に自性の天則にしたがふことは、
心術に志深く学の熟せるにあらずんばあたはざる所なり。

故に聖人初学の士において、
専ら六芸を教へて先づその器物をなし、
ここより修して大道の心法に原(たず)ね入らむことをほつし給ふ。

幼年の時より六芸に遊ぶときは、心主とする所あつて、
自ら鄙倍の辞気に遠ざかり、
玩物戯遊の この心を淫するなく、
放僻邪侈の この身を危ふするなし。

外には筋骨の束(つか)ねを固くして
病を生ずる事なく、
内には国家の備へと成つて
その禄を徒(むな)しくせず。
達して心術を証する時は大道の助けとなる。

一芸小さきなりとして是を軽んずる事なかれ。
また芸を以て道とする誤りあることなかれ。



一、剣術者あり。

曾ておもへらく、
古へ源義経の牛若丸といひし時、鞍馬の奥に入つて大小の天狗と参会し剣術の奥意を極めて後、美濃の国赤坂の宿において熊坂といふ強盗に出合ひ、牛若一人にて大勢の悪盗どもを追払ひ、熊坂を討ち留め給ふといひ伝へたり。

我此道に志深く修行し、年ありといへ共未だその奥意を極めずして其こころ充たざる所あり。我も亦山中に入り天狗に逢つて此道の極則を伝へんと夜中ひとり深山の奥に入り石上に坐して観念し、天狗をよぶ事数声、毎夜かくのごとくすれ共答ふる者なし。

或夜山中風起つて物すさまじき折ふし、色赤く鼻高く、つばさ生じてけしからぬすがたなる者、幾人といふこともなく雲中にてたたき合ふ。其こゑおびただしく聞ゆ。

暫くあつてみな杉の梢に坐して、一人の曰く。

理に形なし、器によつて其用あらはる
器なければ其理見るべからず。

太極の妙用は陰陽の変化によつてあらはれ、人心の天理は四端の情によつてあらはる。剣術は勝負の事なりといへども、其極則に及んでは心体自然の妙用にあらずといふ事なし。

然れども初学の士にはかに此に至ることかたし。故に古人の教へは形の自然にしたがつて、縦横順逆のわざを尽し、易簡にして強ふることなく、筋骨の束ねを正し、手足のはたらきを習はし、用に当り変に応ずるのみ。

事に熟せざれば、心剛なりといへども其用に応ずることあたはず。事は気を以て修す。気は心を載せて形を使ふものなり。故に気は生活して滞ることなく、剛健にして屈せざるを要とす。

事の中に至理を含んで器の自然に叶ふ。事の熟するにしたがつて気融和し、其ふくむ所の理おのづからあらはれ、心に徹してうたがひなきときは、事理一致にして気収まり、神定まつて応用無礙なり。

是古への芸術修行の手段なり。故に芸術は修錬を要とす。事熟せざれば気融和せず、気融和せざれば形したがはず、心と形と二つに成りて自在をなすことあたはず。



一、亦一人曰く。

刀は切る物なり。鑓は突く物なり。此外何の所作をか用ひん。

夫形は気に従ひ気は心にしたがふ。心動ぜざる時は気動ずることなく、心平らかにして物なき時は気もまた和して之にしたがひ、事自然に応ず。

心にものあるときは気塞がつて手足其用に応ぜず。事に心を住むるときは気此に滞つて融和せず。心を容て強む時は其跡虚にして弱し。意を起して活するときは、火を吹き立て薪の尽くるがごとし。気先だつときは燥き、しまる時は凝る。

己を守り待つて応ぜんとすれば、見合せといふものになつて、みづから己を塞て一歩も進むことあたはず、却つて敵のために弄ぜらる。懸の中の待、待の中の懸などいふことあしく心得れば、意にわたりて大いに害あり。

ここを防ぎかしこに応ぜんとする中に、無手にして健なる者にあうて叩立てられ、請太刀になりて、打出す事あたはざる者多し。之みな意にわたるゆゑなり。

かの無手なる者は応用の所作をもしらず、爰を防ぎかしこを打たんとする心もなく、生れつきたるすくやか者ゆゑに、何の惧るることもなく、人を虫とも思はねば、心を容て強むこともなく、凝ることもなく、しまることもなく、待つこともなく、ひかふることもなく、うたがふ事もなければ動ずることもなく、向ひたるままにて思慮を用ふることなく、心気ともに滞ることなし。

是世間に称する所の大形の兵法者より気の位は勝れたる所あり。然れども是を以て善とするにはあらず。彼は大水の推し来る勢の如く滞りなしといへども、暗くして血気に任せて無心なるものなり。

剣術は心体自然の応用にして、往くに形なく来るに跡なし。形あり相あるものは自然の妙用にあらず。僅かに念にわたるときは気に形あり、敵其形ある所を打つ。

心頭ものなきときは気和して平らかなり。気和して平らかなる時は、活達流行して定まる形なく、剛を用ひずして自然に剛なり。心は明鏡止水のごとし。意念わづかに心頭に横たはる時は、霊明之がために塞がれて自在をなすことあたはず。

今の芸者、心体不動の応用無礙自在なる所をしらず。意識の巧を用ひて末の事に精神を費やし、是を以て自ら得たりと思へり。

故に他の芸術に通ずることあたはず。芸術は多端なり。曲々に是を修せば生涯を尽すとも得ること有るべからず。心能く一芸に徹せば、其他は習はずしてしるべき事なり。



一、亦一人曰く。

刀は切る物なり、鑓は突く物なりといふ、勿論の義なり。

然れどもこれ理に過ぎて事の用をしらざるものなり。切るに切る事あり。突くに突く事あり。事の用をしらざるときは物に応ずること偏なり。

心剛なりといへども形背くときは中るまじき所へあたり、事の理違へば達すべき所へ達せず。吾子が言の如きは択んで精しからず語つて詳ならずといふものなり。

心体開悟したりとて、禅僧に政を執らしめ、一方の大将として敵を攻むに、豈よく其功を立てんや。其心は塵労妄想の蓄へなしといへども、其事に熟せざるがゆゑに用をなさず。

且つ弓を引いて矢を放つことは誰もしりたる事なり。然れども、其道に由らず其事に熟せず、みだりに弓を引き矢を発つときは、能く的にあたり堅きを貫くことあたはず。

必ず其志正しくその形直く、気総身に充ちて生活し、弓の性に悖ふことなく、弓と我と一体に成り、精神天地に充つるがごとく、引いて彀にみつる時、神定まつて念を動ずることなく、無心にして発す。はなして後、猶本の我なり。物に中つて後、静かに弓ををさむ。此弓道の習ひなり。

かくの如くんば遠く矢を送り、よく堅きを貫く。弓矢は木竹を以て作りたるものなりといへども、我が精神かれと一体なるときは、弓に神ありて其妙かくのごとし。

是意識の才覚を以て得る所にあらず。其理はかねて知るべけれども、心に徹し、事に熟し、修錬の功を積むにあらざれば、其妙をうることあたはざる所なり。

内に志正しからず、外に体直からざれば、筋骨の束ね固からず、気総身に充たざれば、強きを引いてたもつ事あたはず、神定まり気生活することなく、私意の才覚を用ひて其道によらず、力を以て弓を押し弦を引くときは、弓の性にさかつて、弓と我と相争つて二つになり、精神相通ずることなく、却つて弓の力を妨げ、勢を脱く。ゆゑに遠く矢を送つてかたきを貫くことあたはず。

一、 日用人事もまたかくのごとし。

志正しからず、行ひ直からざれば、君に事へて忠なく、父母に事へて孝なく、親戚朋友に信なし。

人侮り、衆悪み、物とならび立つことあたはず。気身体に充たざるときは内に病を生じ、心乏しく、事に当つて惧るることあり、屈することあり、大義を立つることあたはず。

物の性に悖ふ時は人情に反く。物とはなれて和せざるときは争ひおこる。神定まらざる時はうたがひ多くして事決せず。念動ずる時は内おだやかならず、事を誤ること多し。



一、心動ぜざる時は、気動ずることなく、事自然にしたがふといふは、理体の本然より説き下して其標的を示すのみ。事を修することは無用の費えなりといふにはあらず。理は上より説き下し、修行は下より尋ね上ること物の常なり。

人心もと不善なし。
性に率つて情欲に牽かれざる時は、神困しむことなく、物に接つて応用無礙なり。故に大学の道は在明明徳といひ、中庸には率性之謂道といふは、其大本の上より説き下して、学者に其標的をしめすものなり。

然れども凡情妄心の惑ひ深く、気質を変化して直に自性の霊明にかへることあたはず。是を以て格物致知誠意正心の工夫を説き、自反慎独の受用を説いて修行の実地を踏ましむ。是事の熟せるをまつものなり。

剣術もまた然り。
敵に向つて生を忘れ、死をわすれ、敵をわすれ、我を忘れて、念の動ぜず、意を作さず、無心にして自然の感に任するときは、変化自在にして応用無礙なり。

多勢の敵の中にあつて前後左右より切りかけ突きかけて、此形は微塵になるとも、気収まり神さだまつて少しも変動することなく、子路の冠を正すがごとくならば、豈手を空しくして倒れんや。是剣術の極則なり。

然れ共此れ足代なくして直に登らるべき道にあらず。必ず事に試み、気を錬り、心を修し、困勉の功熟するにあらずんば、此に至る事あたはじ。

吾子が言を以て初学を導かば、頑空に成つて心頭無物と心得、惰気に成つて和と覚る誤りあるべし。

一、又吾子が剛健にして無手なるものといふは、諸流に破るといふ兵法に似て少しく異なり、彼は無方なり。

破といふは気剛健活達にして、敵を脚下に踏みしき、鋭気をも避けず、虚をも窺はず、一途に敵の本陣を志して大石の落ちかかるごとく切りこむをいふ。

然れども無法にして気溢るるときは、事の功者にあふて表裏に陥ることあり。形の損得をしらざる時はあやまちあり。故に形にも習ひあり。守つておのれをうしなはず、気こることもなく、しまることもなく、生死を忘れ、進んでうたがふ事なきものなり。

気を以て破るあり。
心を以て破るあり。
ともに一つなり。

心気一つならざれば破ることあたはず。これ剣術の初門初学の入りよき道筋なり。但し気怯弱なる所あつて僅かに疑惑する所あるときは、此術行はるべからず。気に修錬あり、心に疑惑を去るの工夫あり。

然れども只一偏の気象にして、心体応用無礙自在の妙術にはあらず。此所において詳かに工夫を用ひ、理明らかに功積みて鋭気平らかにならば、熟して本体に至るべし。初学より無物の工夫のみなさば、骨を失なひ、労して功なかるべし。



一、其中に大天狗と覚しくて、鼻もさして長からず、羽翼も甚だ見れず、衣冠正しく座上にありて、謂ひて曰く。

各々論ずる所みな理なきにあらず。古へは情篤く、志し親切にして、事を務むること健やかにして、屈することなく、怠ることなし。師の伝ふる所を信じて昼夜心に工夫し、事にこころみ、うたがはしきことをば友に討ね、修行熟して吾と其理を悟る。ゆゑに内に徹すること深し。

師は始め、事を伝へて其含むところを語らず、自ら開くるを待つのみ。是を引而不発といふ。吝て語らざるにはあらず。此間に心を用ひて修行熟せんことを欲するのみ。弟子心を尽して工夫し、自得する所あれば猶往きて師に問ふ。師其の心に叶ふときは是を許すのみ。師の方より発して教ふることなし。

唯芸術のみにあらず。孔子曰く、一隅を挙げて三の隅を以て反さふせざる者には復せずと。是古人の教法なり。故に学術芸術ともに慥かにして篤し。

今人情薄く、志切ならず。少壮より労を厭ひ、簡を好み、小利を見て速やかにならんことを欲するの所へ、古法の如く教へば、修行するものあるべからず。今は師の方より途を啓きて、初学の者にも其極則を説き聞かせ、其帰着する所をしめし、猶手を執つて是をひくのみ。

かくのごとくしてすら猶退屈して止む者多し。次第に理は高上に成つて古人を足らずとし、修行は薄く居ながら、天へも上る工夫をするのみ。これまた時の勢ひなり。

人を導くは馬を御するがごとし。其邪にゆくの気を抑へて、其みづからすすむの正気を助けるのみ。また強ふることなし。

一、事に心を住むるときは、気此に滞つて融和せず、末を逐つて本を忘るといふは可なり。一向に捨て修すべからずといはば不可なり。

事は剣術の用なり。其用を捨てば、体の理何によつてかあらはれんや。用を修するによつて体を悟ることあり。体を悟つて用の自在なることあり。体用一源顕微間なし。理は頓に悟るべけれども、事は習熟にあらざれば気こつて形自在ならず。

事は理に因つて生ず。形なきものは形あるものの主なり。故に気を以て事を修し、心を以て気を修するは物の序でなり。然れども事習熟して気をさまり、神さだまることあり。

舟人の棹を取つて舷を走ること、大路をはしるがごとし。かれ何の工夫をかなさんや。只水に習熟して大水に入りても死せざることをしる。ゆゑに神定まつて此自在をなす。

樵夫の重き薪を荷つて細きそば路を伝ひ、瓦師の天守に登つて瓦を敷く、皆其事に習熟してうたがふことなく惧るることなし。かるが故に神定まつて自在をなすものなり。

剣術もまたしかり。
此芸に習熟して心に徹し、事にこころみてうたがふことなく、おそるることなき時は、気活し神定まつて、変化応用無礙自在なり。

然れども此までは気の修錬にして自ら知ることなり。恃むことあつてしかり。故に言を以て論ずべし。

彼の無心にして自然に応じ、往くに形なく、来るに跡なく、妙用不測なる者は、心体の感通思ふて得べき所にあらず、聞いて知るべきものにあらず、師も伝ふることあらず。自修の功積みて自然に得るのみ。師は其道脈を伝ふるまでなり。容易に論ずべからず。故に世に稀なり。



一、問うて曰く。
然らば我ごとき者の修して得べからざるの道か。

曰く。
何ぞ得べからざらん。聖人にさへ学びて至るべし。況んや剣術の一小芸をや。

夫剣術は大体、気の修錬なり。故に初学には事を以て気を修せしむ。初学より事を離れて気を修する時は、空にしてこころむべき所なし。気を修すること熟して心に達すべし。

此間の遅速は生質の利鈍によるべし。心の妙用を知ることは易く、おのれに徹して変化自在をなすことは難し。

剣術は生死の際に用ふるの術なり。生を捨て死に赴くことはやすく、死生を以て二つにせざることはかたし。死生を以て二つにせざるものよく自在をなすべし。

問ふ。
然らば禅僧の生死を超脱したる者は剣術の自在をなすべき歟。

曰く。
修行の主意異なり、彼は輪廻を厭ひ寂滅を期して、初めより心を死地に投じて生死を脱却したる者なり。故に多勢の敵の中にあつて、此形は微塵になるとも、念を動ぜざることは善くすべし。

生の用はなすべからず。唯死を厭はざるのみ。聖人死生一貫といふは是に異なり、生は生に任せ、死は死にまかせて、此心を二つにせず、唯義の在る所に随つて其道を尽すのみ。是を以て自在をなすものなり。

一、問ふ。
生死に心なきことは一なり。然るにかれは生の用をなさず、此は自在をなすものは何んぞや。

曰く。
初めより心を用ふる所異なり、彼は寂滅を主として生の用に心なし。唯死をよくするのみ。故に生の用においては自在をなすことあたはず。

聖人の学は死生を以て二つにせず。生にあたつては生の道をつくし、死に当つては死の道をつくす。一毫も意を作し念を動ずることなし。故に生に於ても自在をなし、死においても自在をなす。

彼は造化を以て幻妄とし、人間世を以て夢幻泡影とす。故に生の道を尽すをば、生に着して此営みをなすと思へり。かれ平生の行相を以ても見るべし。父子を離れ君臣を廃し、爵禄を班ず、武備を設けず、聖人の礼楽刑政を見ること、嬰児の戯遊を見るが如く思へり。

平生捨てて用ひざるの剣戟何ぞ此に心あらん。只死にあたつて生を惜しまず、一切世間みな心の所変なることを知るのみ。

一、問ふ。
古来剣術者の禅僧に逢うて其極則を悟りたる者あるは何ぞや。

曰く。
禅僧の剣術の極則を伝へたるにはあらず。只心にものなきときはよく物に応ず。生を愛惜するゆゑにかへつて生を困しめ、三界窠窟のごとく一心顚動するときは、この生をあやまることをしめすのみ。

彼多年此芸術に志し、深く寝席を安んぜず、気を錬り事を尽し、勝負の間において心猶いまだ開けず、憤懣して年月を送る所へ、禅僧に逢うて生死の理を自得し、万法惟心の所変なる所を聞いて、心たちまちに開け、神さだまり、たのむ所をはなれて此自在をなすものなり。

これ多年気を修し事にこころみて、其器物をなしたるものなり。一旦にして得るにはあらず。禅の祖師の一棒の下に開悟したるといふもこれに同じ。倉卒の事にあらず。芸術未熟の者、名僧知識に逢ひたりとて開悟すべきにあらず。






天狗芸術論
巻之一
おわり


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