2018年5月14日月曜日

タイの出家式【もっとも遅れてきたランナー】


From:
サンガジャパンVol.29
プラ・アキラ・アマロー(笹倉明)
『タイ上座仏教への道』





テーラワーダ(上座部)仏教では、僧になるのはさほど簡単ではありません。ひと昔前は、いまよりむずかしく、たくさんなパーリ語の経を憶えるのに少なくとも一年は要したそうです。

私が所属する寺の副住職(36歳)が20歳を迎えてサーマネーン(未成年僧)から正式な僧になるときは、やはりそれくらいの時間を訓練のために費やさねばならなかったといいます。近年は、必要な準備が緩められたとはいえ、それでも一定のバリアは設けられていて、伝統的な出家式(「ウパサンパダ」と呼ばれる受具足戒式)がなくなったわけではありません。

また、僧たるものはすべからく所属の寺院をもたねばならず(昔のカタチであった遊行僧〈自由に方々を旅して歩く〉は認められず)、プラユット政権になってからは、正式な得度を経ずして僧を名乗っている者(ニセ僧)がいないかどうか、寺の内外、巷の隅々まで警察がみてまわり、僧になりたてだった私もパスポートや出家証明書なるものを提出させられたものです。

これもいわゆる管理ストレス社会へ向かう時代の一面であり、経済が発展するにつれ同時にそういう窮屈さを強いられるというのは避けられないことのようです。したがって、僧になりたいという希望はあっても、所属寺院はどこにするのかを決めることからはじめて、いくつかのハードルを越えなければ出家(得度)式に臨むこともできません。

私の場合、それを教えてもらったのは、最初にチェンマイの寺院を打ち合わせに訪れたとき、一人の僧からでした。そこに至る経緯については後に述べることにして、いくつかの条件をクリアすれば受け入れるという住職の回答をメールでくれたのがその僧(仏教大学生)であり、はじめて訪れた私にさまざま指示を出してくれたのでした。

エーサーハン パンテー スチラパリニップタンピー タンパカワンタン サラナン ガッチャーミ タンマンチャ ピクサンカンチャ …(以下略)”

(尊師よ、般涅槃されてから久しいといえども、かの世尊と法とサンガ〈僧伽〉に私は帰依いたします。尊師よ、私は世尊の法と律のもとに出家したいのです)

出家式で唱えるパーリ語は、このような出家嘆願(最初は沙弥出家)に始まり、一連のプロセスを経ることになるのですが、それらをテープに吹き込んでくれたのも、その大学生僧(僧歴は12年〈未成年僧の時代も含め〉で27歳)でした。

最後まで通しで唱えると30分ほどかかる文言を、ぜんぶ空で憶えることが最初のハードルであり、バンコクに戻ってアパートを片付けるまでの一ヶ月と、チェンマイへ来てから出家式までの二ヶ月余り、計三ヶ月間をそれに当てることになります。

私にとってはまるで馴染みのない、生まれてはじめて耳にする言語であり、最初はガクゼンとしたものです。ゼツボウ的な気分に陥りながら、これをどうにかしなければ何も始まらない、いまさら後戻りはできないという思いから、実に久しぶりの本気でもって取り組んだものです。

これまでいかに弛んだ生活をしていたかを自覚しながら、ナマケ症になじんだ心身にムチを打ち、おさな子が言葉を覚えるときの精神に立ち返り、まさに一歩ずつ、くり返し唱えることで、やっと予定の日時に間に合ったような次第でした。

この出家式を待つ約二ヶ月が、その他の準備にも大事な期間で、私の場合、寺院にほど近い安宿(ゲストハウス)に宿泊しながらの日々――、朝は6時過ぎに托鉢に出る僧(世話人の大学生僧)につき従って街を歩き、それが休みの日は自分のお堀端(旧市街を取り囲む)を歩いて足裏を鍛えたものです。これもはじめのうちは、やわな皮膚が小石を踏むたびにヒメイを上げて、ときにふらつき、よろけながら、だんだんと皮が地面に馴染んできたのは、やはり慣れというものでしょう。

テーラワーダ仏教は、いわゆる苦行を強いることはなく、つまり、とくに肉体の試練を求めることはなく、この点で誤解している人もいるようです。釈尊自身がそれでは悟りをひらけなかったことが、テーラワーダ(「原始仏教〈第一結集での決定事項〉を守るサンガ(僧集団)の意)の方針として生きているといえます。

ただ、ゼイタクなるものを極限まで戒める、つまり何であれ(衣食住にわたり)必要最小限のものでよしとする、戒律や教戒におけるその徹底ぶりは他に類をみないといってよいかと思います。むろん、そうすることが民衆の信頼と尊敬を得、最終的に目指すところの悟り、解脱なるものに到達するための必要な条件であるからにほかならず、僧である以上は文句の一つも許されません。

私が出家を決意してから苦労したのは、先ほどのようなパーリ文の暗唱とは別にもう一つ、ほかでもない断酒でした。どれほど質素な暮らしようであっても、それだけは欠かしたことのなかった私が、テーラワーダ僧となる以上、断念しなければならないのはある意味で難行だったといえます。

これまた先のパーリ文と同様、少しずつ、一滴ずつ酒量を減らしていくしかないと心得て、きっちりと六ヶ月をかけ(これは出家を決心してからの月日)、出家式の前日に最後の飲みおさめを一週間ぶりに上等なビールひと瓶でやるまでに体質改善をなしたのでした。


出家(得度)式へ



そして翌日には、以降の断酒(その他)を本堂における出家式で誓うことになります。むろんその前には、いわゆる三帰依(仏、法、僧〈サンガ〉へ)の誓いがあり、ふだんの読経でも必ず冒頭に置かれる文言です。

まずは、独りで正しく悟りを開いて阿羅漢となった世尊への礼拝

ナモー タッサ パカワトー アラハトー サンマー サンプタッサ

に続いて、

ブッタン サラナン ガッチャーミ

(私は仏に帰依いたします)

から始まり、

タンマン(法)…

サンカン(サンガ)…

と順に「三宝」への帰依を唱えるもので、それも三度までくり返します。

再度(トゥティヤンピー)…

再々度(タティヤンピー)…

と、このような反復もまた、やはり三度の五体投地(ベンチャーン・カプラディット)の礼など、さまざまな場面で徹底しています。

パーナーティパーター ウェラマニー

(私は殺生から離れます)

から始まる十戒の唱えは、ほんの基本にすぎないとはいえ、戒全体のあり方を示すものといえます。盗み、嘘偽り、非梵行〈性交〉の禁、あらゆる種類の飲酒や麻薬類の禁、非時(午後)の食事の禁、等々。

これらは和尚の代理を務める式師(カンマワーチャーチャリヤ)の導きで唱えるものながら、まる暗記していなければとててもついてはいけません。

ナッチャキータワーティタ ウィスーカタッサナー

(演奏や舞踏など享楽的なものから離れる)

とか、

マーラーカンタ ウィレーパナ ターラナ マンダナ ウィプーサナッタナー

(香水や花輪などで身を飾ることから離れる)

などは最後まで舌がもつれそうになったものです。が、その発音は日本人に不可能なものが一つもなく、はじめは奇怪に聞こえた言語も、馴れてくると親近感をおぼえるところがあって、日本語がタミール語を起源にもつことを唱えた学者の説(大野晋『日本語はどこからきたのか』)は、その通りのように思います。


その日(午後3時より)の列席は、比丘がふつう10名以上(5名以上なら可)の規則に従い、わが寺院からは住職を含めて3名、他寺からは戒和尚、式師、教戒師役ほか7名、それぞれが縦二列に配置されます。

正面の戒和尚の前に私がいて、はじめは白衣(チュット・ブワットナーク)を着けて、先の出家嘆願を唱えます。これは、まだ沙弥出家の段階であり、人によっては別の日にすませていたり、未成年僧の場合は沙弥(サーマネーン)の名で呼ばれる通り、すでにその出家(これをパッパチャー〈タイ語ではバンパチャー〉といい7歳から可)時にすませているわけです。

このあたりの、正式な具足戒を受けた僧か、そうでないか(20歳を過ぎても沙弥のままでいることも可)は守るべき戒律の数からして相当な違い(僧は227戒律、サーマネーンは十戒のみ)があり、私の場合、前後して同時にやってしまう出家式であったことから、両者の境界が式次第に設けられていました。

ともあれ、先の沙弥出家の請願は、合唱した両腕にやがて着ることになる三種の衣(パー・トライ、この黄衣はふつうチーウォン〈三衣のうちの上衣のこと〉と呼称)を抱えて唱えます。

これがずっしりと重く、しかも足のつま先を反る形で床にひざまずいているため、そのプレッシャーから、カンペキを期したはずのパーリ文言がときに調子を乱し、二度目(トゥティヤー)と三度目(タティヤー)を逆にしてしまうなどして、そばの教戒師(アヌサーサナーチャリヤ)から援け舟を出されて事なきを得る始末でした。

一応の定年である60歳でもって念願の出家を果たすタイ人はいるけれども、それから7年も経ってからの出家は聞いたことがない(老いぼれて体力がない者は出家の資格外ゆえ)といわれたもので、まさに最後のもっとも遅れてきたランナーであることを初っ端から思い知らされたものです。


話は前後しますが、出家(この段階ではまだ沙弥出家)を嘆願して三衣を膝の前に置いた後、戒和尚から

タチャパンチャカ・カンマッターナ(皮五業処)」

というものが説かれます。これは、人体の各部分、つまり、頭髪(ケーサー)、体毛(ローマ)、爪(ナーカー)、歯(タンター)、皮膚(タチョー)の5ヵ所を指し、和尚について順に(二度目は順序を逆にして)唱えていきます。これは釈尊があみだした根本業処(ムーラ・カンマッターナ)と呼ばれる行法の一で、その意は、それぞれを不浄なものとしてよく観察するように、よく念じて心を静め揺るがさないように、というもの。

とりわけ出家する者に向けたもので、俗世を離れた当初は、残してきた人々や財産ほか物ごとに未だ縛られて心を乱しがちな者が少なからずいる(私自身もそうでしたが)ために、例えばとらわれる相手が人(愛憎こもごも)の場合、ただ対象を人体の5ヵ所のみとして観ることによって、考えすぎてしまう妄想や精神の錯綜から逃れ、心が静まり定(サマーディ)が得られる、というものです。

これは、さらに人体を諸々の内蔵を含めた三十二相として観る法「身至念(カヤーガターサティ)」や死についての「死念(マラナサティ)」などと共に、サマタ瞑想(ヴィパッサナー瞑想は次のステップ)なるものや、教理としての「無常」「無我」の法とも関わってきます。人はいずれ老いて滅び、こういう姿になるのだという、避け得ない理を認識することの大事につながるわけです。


そうしてやっと、戒和尚は、黄衣を着てよろしい。という許可を与えます。と、私は再び三衣を抱え、ひざまずいたまま後退して場の外へと出ていきます。

といっても、すぐの裏手(黄金の仏陀像の背後)で先輩僧ふたりに助けられて着替えをし、今度は白衣から黄衣姿になって座に戻ります。このときも、場の入口からは膝をつかって歩かねばならず、膝当てをしていなければとても耐えられない(用心してスポンジ布を当てていました)、またも老いを自覚させられる時間であったのです。





三帰依と十戒の唱えが終わると、戒和尚とのやりとりがつづきます。

「依止(えじ)」(新参比丘を教戒すること)を乞い求める文言につづき――

ウパチャヨーメー パンテー ホーヒ

(尊師よ、願わくば私の戒和尚になってください)

を私が三度まで、そしてそれを受けて戒和尚が――

パーサーティケーナ サンパテーヒ

(信を生じさせる努力をもって帰依しなさい)

と応えます。続いて、

アチャッタッケー ターニーテーロー マイハンパーロー アハンピ テーラッサ パーロー

(今日ただいまより、私は長老のお世話を致します。私もまた長老のお世話になります)

とやはり三度まで唱えます。これでもって、いわば師弟関係が成立したことになるわけです。僧の上下関係は、テーラワーダ(上座部)仏教の世界ではしっかりあって、一日でも一時間でも出家が早いほうが上にくる仕来りであり(法臘〈ほうろう〉の上下という)、年齢は関係ありません。

この師弟関係が成立した時点で、単なる沙弥から「仏教比丘」として認める段階に入ったことを戒和尚が告げます。そして、バート(鉢)を肩から吊るすように、という指示を出します。私が手元のそれを手にして肩に掛けると、式師がそれに手をふれて、

アヤンテー パットー

(これはあなたの鉢である)

と問いかけます。

アーマ パンテー

(はい、尊師よ)

と私が答えた後は、三衣(チーウォン他)にも順に手をふれて、同じ問いを口にしていきます。このような確認は、三衣をはじめとする僧の持ち物について必要とされるもので、新しいものを使用するときなどにも様々な戒律があり、その細かさは世尊時代の伝統を継いできた上座部の真骨頂といえそうです。

クッタン?

(あなたはハンセン病ですか)

ナッティ パンテー

(いいえ、尊師よ)

次に始まる「遮法試問」なる問答(本堂の最後部で式師と教戒師の両師が私を前にして問う)で、いきなりライ病か否かの問いが発せられるところも古来のままで、いまはそんな病が絶滅に近いことなど関係ありません。カンドー(腫瘍病)、キラーソー(天然痘)などの伝染病がないかどうか、かつて罹って完治していない場合も、出家の資格外となります。

マヌッソースィー?

(あなたは人間ですか)

アーマ パンテー

(はい、尊師よ)

それまでは、いいえ、と答えていたのが、ここからは肯定形になるので、いささか戸惑います。この問いの意味するところは浅からず、親を殺した者や僧(阿羅漢)殺しなど、最低限、出家資格者でないことを確かめるものといえそうです。また、人間(マヌット)が六道の基軸であり、これからニンゲンとしての資質が問われて死後に行く世界が決まることを示唆するものでもあるでしょう。

あとは、男性であること、自由者であること、が確かめられます。現代のサンガでは女性は認められておらず、黄門(同性愛者)も出家できません。自由な者というのは、雇われの身であるなら主人の許可を得ているかどうかの問いであると同時に、出家の束縛となるものから逃れられているかどうかの問いでもあります。

なかでも最大の束縛である配偶者(および家族)をもつ場合は、その了解を得ているかどうか(これは一時出家者の場合)、長期の出家であれば、子供はいても妻と正式に別れる(離婚に相当する)などして自由の身であるかどうかが問われるわけです。これは、家庭を捨ててまで強引に家を出ることは好ましくない(絶対に不可とはいえないまでも)という考えに基づくもので、私の場合、この点だけはタイへ移住するときの条件でもあって、皮肉な取り柄といえたでしょうか。

続いて、負債のない身であること、公務に関わっていない(その職務を忌避していない)こと、両親の許可を得ていること、20歳に達していること(未成年僧は7歳から可で正式な僧は成人してから)、鉢と衣が完備されていること、などが質(ただ)されます。



そして、最後に、名前の確認です。

キンナーモースィー
(あなたの名前は何ですか)

アハン パンテー アマロー〈ビク〉 ナーマ

(尊師よ、私の名前はアマロー〈比丘〉です)

加えて、戒和尚の名前も聞かれて、

ウパチャヨーメー スィリパットー ナーマ

(スィリパットー〈ビク〉です)

と答えます。あとは、冒頭に唱えた出家請願(今度は正式な僧としての出家で、セリフが少し変わる)を三度までくり返します。

サンカンパンテー ウパサンパタン ヤーチャーミ ウンルムパトゥ マンパンテー アヌカンパン ウパーターヤ

(サンガの諸尊師よ、私は具足戒を求めます。どうかサンガは慈悲心をもって私の出家を認めてください)

そこではじめて、戒和尚は、列席のサンガ衆に向かって、具足戒を求めているこの者(アマロー)を認めるかどうか、全員一致での決議(白四羯磨、ぴゃくしこんま)をするようにと告げます。そして、

それを受けて式師が、この者(アマロー)は所々の遮法(先の問答)から「清浄」であり、かつサンガに具足戒を求めているので、サンガ(衆)はスィリパットー様を和尚として具足戒を授けてほしい、と告げ(これを「白〈告知〉」と呼ぶ)、続いて、そのことを認める方は沈黙し、そうでない方はその旨を述べてほしい(これを「唱説〈確認〉」という)と告げます。

このような文言もすべてパーリ語であり、やはり三度まで同じセリフを一語の省略もなく、くり返し確認します。

そして最後に、アマロー・ビクは具足戒を授けられました、サンガはそれを容認していることから沈黙しています、と述べて結語とします。沈黙をもって肯定の法とするのは、これも世尊の採った方式であり、手間のない効率的な法といえます。

よほどの失敗がないかぎり、それは予定されていたことであり、出家証明書なるものもすでに用意されていました。ふつうの額縁に入れて飾っておける大きさ(タイ人はそのようにする)のもので、これにはすべてタイ語で記されています。私の本名と生年(仏暦2491)月日に加えて、日曜日(生まれた曜日)と両親の名前が書いてあるところ(これはいろんな公式の場で必要)が特徴的です。

アマローなる法名は、日曜日生まれにつく一群の名の一つで、天人(テーワダー)を意味します。死後にゆく世界の一つ、天界の入口にある領域ながら、不死の水(アマリット)を飲むことができ、最低でも天界齢で500年(人間界でいえば900万年)の命がある、といわれます。ほぼ永遠といっていいかもしれず、しかし、ついに尽きる日がくると、次にどこに生まれ変わるかは、命がある間の行いしだい、もっと上にいくこともあるし、奈落へ落ちる可能性もあるそうです。このテーラワーダ仏教における宇宙観は果てしなく壮大なもので、いずれそのチャートを描いてみたいものです。

儀式は、その後もしばらく続く「教戒」(ニサヤ4と呼ばれる「四依」〈僧生活の基本である衣食住薬〉と最低限の犯してはならない「四堕」〈殺、非梵行、盗、妄語の禁〉と呼ばれる戒律について、すべてパーリ語で告げられる)と一連の祝福の誦経の後、やっと終わります。

名も知らない幾人かの観客(「ヨーム」と呼ばれるお寺の信者)から、さっそくバートに小額の紙幣が入れられて、最初の喜捨となったのでした。





From:
サンガジャパンVol.29
プラ・アキラ・アマロー(笹倉明)
『タイ上座仏教への道』

「オイ」と「ハイ」【鈴木大拙】


From:
鈴木大拙
『禅百題』




「オイ」と「ハイ」


身心不二とか身心格別とかいって、身と心との実在を論ずることが、古来心理学の課題であった。単に学問としてだけでなく、一般知識人の間にも、これは興味ある問題として取り扱われた。最後の解決に達したか否かはもとより問題ではあるが。

禅はいつも窮極の経験事実そのものに留意する。そして禅の問答はここから出発するのである。


石霜慶諸(せいきそうけいしょ)は道吾円智(どうごえんじ)を師とする唐末の人であった。

僧あり問う、

「先師(道吾)一片の霊骨は黄金色で、撃(たた)くと鐘の声が出るとききますが、さて(先師その人は)どこへ行かれたものでしょうか」

石霜は別になんらの説明も与えなかった。ただ、「オイ」と言ってその僧の名を呼んだ。僧は「ハイ」と答えた。石霜すなわちいわく。

「お前にはわしの言うことがわからぬ、出て行かっしゃれ(儞不会我語、去)」

石霜は何を言ったか。相手の坊さんの名を呼んで、その人は応諾しただけだ。彼の問いに対しては、われらが分別智上で言挙げするような返事も何もなかった。それで「お前にゃわからぬ、そっちへ行け」と言うこと、はなはだ無理な申し分のようにも見える。


この問答は、黄檗(おうばく)と斐休(ひきゅう)との間にとりかわされたものと一般である。「先師」の行くえ、「其人」の去処はもとより空間的に規定すべきものでないのである。彼とか此とかの分別がまだつかぬ以前の経験事実そのものに顧みて、はじめて解決がつくのである。

それ故、それは他から聞いて覚えるべきものでなくて、「オイ」と言い、「ハイ」と答えるその刹那の覚知に見て取るべきものなのである。ここで霊明の知、無知の知の働きに徹することができる。見聞覚知に即して見聞覚知でないものを認得する時、心といい身というものの元来抽象であったことがわかるのである。

窮極の経験事実には主客彼此などというものがない、が、それはそこから出るのである、出て出ないのである。そこを見よと石霜は言う。それがわからぬとなれば、ますます坐禅すべきことになろう。



From:
鈴木大拙
『禅百題』



2018年5月13日日曜日

「無知の知、すなわち般若である」【鈴木大拙】


From:
鈴木大拙
『禅百題』




身と心


さきに身体と精神、色(ルーパ)と心(チッタ)というようなものを区別して、それが別々の個在であるかのごとく記したが、事実の上では心も身も一種の抽象で、そんなものが個として別在するわけでない。

ただ、一般的に実用向きに話して便利がよいので、むかしからそんなふうに見て来ただけのことである。これが心で、あれが身だといって、別個の実体を認めるのは、まだ深く考えない結果である。われらはいずれも無始劫来(むしごうらい)といってよいほど、その迷夢から醒めないでいる。

われらの経験事実そのものには身も心もない、主観も客観もない、我も非我もない。これらはいずれも反省の結果である。再構成である、分極化である。経験事実の端的は無分別の分別、分別の無分別というよりほかない。

経験といわれるからには何か経験するものがなくてはならぬ。しかし経験というときにはすでに分別性がはいっている。この分別性の出所をつきとめなければならぬ。が、出所は『無住の住』で無出の出である。来去することない来去である。これを無分別の分別という、また了了として常に知るという。

この知は分別性の知でなくて、無知の知、即ち般若(はんにゃ)である。人間の分別知は一たびはこの根本智の無分別に還元せられなくてはならぬ。この還元によって分別の意味が了解せられる。

しかし無分別への還元は論理上のアプリオリではない、ポスチュレートではない。分別そのものが無分別なのである。還元というと、過程が考えられ、時間がその間にはいって来るようであるが、無分別の分別には時間はない、同一時である、一念の上に成就するのである。これを心心不異ともいう。また一即多、多即一の形式で表現せられる。

上記のように『一』が大地で象徴せられ、『多』が個々の身で象徴せられると見てもよい。坐禅終局の目的は上記の理を体得するところにある。



From:
鈴木大拙
『禅百題』



2018年5月9日水曜日

「大地から遠ざからぬ」【鈴木大拙】


From:
鈴木大拙
『禅百題』





筋肉生活と思想


ガンディーが手車の紡績を主唱するのは、主として近代文明の機械主義に対抗しようとの意味を持つものであるが、その心理的根底は筋肉の直接的な運動から離れたくないというところにある。筋肉の直接的な労働ということは、大地との交渉から遠ざからぬという意味である。

なんといっても人間は倒れても、起きても、大地の上を離れられぬ。漢民族の強靭性・実際性・悠揚性・永遠性は、実にかれらがいつも「その於いて在る」ところを忘れぬからであろう。インドは坐禅観念のうちに永遠を包もうとするが、漢民族は刀耕火種(とうこうかしゅ)の上に永遠に働く。この二つのものが禅という精神的訓練の中に織りこまれて、今日わが日本人の間に現存しているのである。

禅がただ棒であったり、喝であったり、また祇管打坐(しかんたざ)であったりしたなら、或はわれらの生活と没交渉なものになってすんだかもしれぬ。幸いにいつも大地を踏みしめているので、風船玉のようにふらふらと上昇するばかりでなくて済んだ。

しかしまた大地にのみくっついていて、大空を見上げることを知らないでもいけない。即ち禅には思想的背景または源泉というものがなくてはならぬ。

『我這裡種田飯搏喫』

では一般の農家以上に出られぬ。どうしても

『汝喚什麼作三界』

という透徹した見処なかるべからずである。



この因縁は次のごとくであった。

地蔵桂琛(けいちん)という禅坊さんが、鋤(すき)を使って田んぼの草取りか苗植えをやっているとき、雲水が現れた。それでいつもの

「君はどこからやって来たか」

を放出した。答えは

「南方から来ました」

であった。それで琛(ちん)和尚は南方の禅法はどんなものだいと尋ねた。

「商量浩浩地」

たりで、問答商量はなかなか盛んに行われていますと、雲水の坊さんは答えた。琛和尚いわく、

「それも悪くはなかろうが、こっちでは、田を作って、それから米を刈り入れ、そしてそれをご飯にして皆がいただいている。そのほうがよいな」

と。雲水の坊さんには、これが解りにくかったとみえて、

「それでは三界(さんがい)をどうなさいますか」

と問うた。その意は教化をやらなくてはならぬ、三界出没の自分らはじめ世間の人々を救う方法、これはどうなさいますか、というのである。

琛和尚には思想があった、洞察があった。深い宗教観に徹したものがあった。

「その三界というのは、いったい何んだい。そんなものがどこにあるのだ」

これと彼の農業生活とを照らし合わしてみることによって、はじめて彼の日常を指導しているものが何であるかを知ることができる。

われらも瑞穂の国の住民であるからには、刀耕火種、栽植林木、漑灌蔬果、服田力穡を忘れてはならぬ、怠ってはならぬ。それと同時にまた思想がなくてはならぬことを忘れるべきでない。



牛頭山(ごずせん)の法融(ほうゆう)禅師は隋代の人で、いわゆる牛頭禅(ごずぜん)の開祖である。

彼は般若(はんにゃ)の空観において大いに徹したが、空を学して空を証せずで、但空に落在することをしなかった。彼は空を働いた、空を学した(学はここでは学ぶではなくして、働くの義である)。

彼に随従して来る者が多くなるにしたがって、供給が十分でなくなった。それで彼らは山を下りて丹陽(たんよう)の町に出て托鉢(たくはつ)をやった。それは八十里を隔てていた(日本里数でも、これは二里や三里ではあるまい)。

法融ももとより一行の中に加わって、そのうえ自らも米を背負って来た。本には一石五斗と記してあるが、それは日本ではどれほどになるのかわからぬ。またこれを法融だけがかついだか、それもわからぬ。

とにかく、朝からでかけて暮れに帰山して、毎日二時の食糧を欠かさず、三百の雲水が養われたというのである。

いかにもありがたい思いがする。



From:
鈴木大拙
『禅百題』



2017年4月27日木曜日

碧巖録 1.武帝問達磨[English]



碧巌録
へきがんろく
The Blue Cliff Records




第一則
武帝問達磨
武帝、達磨に問う

Case 1
Emperor Wu Asks Bodhidharma


【垂示】
Engo's Introduction

垂示云、
隔山見煙、早知是火、
隔牆見角、便知是牛。

垂示(すいじ)※に云く、山を隔てて煙を見て、早(つと)に是れ火なることを知り、牆(かき)を隔てて角(つの)を見て、便(すなわ)ち是れ牛なることを知る。
Smoke over the hill indicates fire, horns over the fence indicate an ox. 

※垂示…本則を提示する小序

挙一明三、目機銖両、
是衲僧家尋常茶飯。

挙一明三(こいちみょうさん)※、目機銖両(もっきしゅりょう)※は、是れ衲僧家(のうそうけ)※の尋常茶飯(さはん)
Given one corner, you grasp the other three; one glance, and you discern the smallest difference. Such quickness, however, is only too common among robed monks. 

※挙一明三…一を挙げれば直ちに三を了解する。明敏の喩え。
※目機銖両…「目機」は目で重さを量る。「銖・両」は小さな重量単位。一目で何たるかを見抜く。
※衲僧…禅僧

至於截断衆流、
東涌西没、逆順縦横、与奪自在。

衆流(しゅりゅう)を截断(せつだん)するに至っては、東涌西没(とうゆさいもつ)、逆順縦横、与奪自在なり。
When you have stopped the deluded activity of consciousness, then, whatever situation you may find yourself in, you enjoy perfect freedom, in adversity and prosperity, in taking and giving. 

※截断…あらゆる知見を截ち切る。
※東涌西没…東に西に出没自在。

正当恁麼時、且道、是什麼人行履処。

正当(しょうとう)恁麼(いんも)の時、且(しばらく)(い)、是れ什麼(いかなる)人の行履(あんり)の処ぞ。
Now tell me, how in fact will this sort of person behave? 

※正当恁麼時…ちょうどこのような時。「恁麼」は文語の「如此」に当る。
※且道…発問の語句の前におかれる常套語。さて、さあ、と相手に答えを促す気分。
※什麼…「何」に同じ。「甚」「甚麼」とも。

看取雪竇葛藤。

雪竇(せっちょう)の葛藤を看取(み)※よ。
See Setcho's complications.

※看取…「取」は能動的な語気の接尾辞。
※葛藤…からみまといつくものの喩え。禅では言語表現、または言語そのものの意に用いる。



【本則】
Main Subject

挙。
梁武帝、問達磨大師、
如何是聖諦第一義。

(こ)す。梁(りょう)の武帝(ぶてい)※、達磨(だるま)大師に問う、「如何なるか是れ聖諦(しょうたい)※第一義」。
Emperor Wu of Lang asked Bodhidharma, "What is the first principle of the holy teachings?" 

※梁武帝…梁の初代皇帝、蕭衍(しょうえん)464-549
※聖諦…仏法の根本義。

磨云、
廓然無聖。

磨云く、「廓然無聖(かくねんむしょう)※」。
Bodhidharma said, "Emptiness, no holiness." 

※廓然無聖…からりとした虚空のように「聖」も何も無い。「聖」性をも払い去った開豁な世界。

帝曰、対朕者誰。
磨曰、不識。

帝曰く、「朕(ちん)に対する者は誰(た)ぞ」。磨云く、「織(し)らず」。
"Who is this standing before me?" "No knowing." 

帝不契。
達磨遂渡江至魏。

帝契(かな)わず。達磨遂に江を渡って魏に至る。
The emperor did not grasp his meaning. Thereupon Bodhidharma crossed the river and went to the land of Wei.

帝後挙問志公。
志公云、陛下還織此人否。
帝云、不識。
志公云、此是観音大士、伝仏心印。

帝、後(のち)に挙(こ)して志公(しこう)※に問う。志公云く、「陛下還(は)此の人を識る否(や)」。帝云く、「織らず」。志公云く、「此れは是れ観音大士(かんのんだいし)※、仏心印(ぶっしんいん)※を伝う」。
The emperor later spoke of this to Shiko, who said, "Do you in fact know who this person is?" The emperor said, "No knowing." Shinko said, "This is the Bodhisattva Kannon, the bearer of the Buddha's Heart Seal."

※志公…宝誌(418または425〜514)。神異と奇行の僧として知られた。
※還…「還(は)〜否(や)」で、いったい〜か、という疑問を表す構文。「還〜也無(也未)」とも。
※観音大士…このころ『観音経』にもとづいて、観音さまがさまざまに姿を変えて人々を導くという信仰があった。
※仏心印…仏法の根本精神。悟りの核心。仏の悟りを印に喩えた語で、「仏印」「心印」とも。

帝悔、遂遣使去請。
志公云、莫道陛下発使去取、闔国人去、 佗亦不回。

帝悔いて、遂に使いを遣わし去(ゆ)きて請(しょう)ぜんとす。志公云く、「陛下、使いを発し去(ゆ)きて取(むか)えしめんとするは莫道(もとより)※、闔国 (こうこく)※の人去(ゆ)くも、佗(かれ)は亦た回(かえ)らず」。
The emperor was full of regret and wanted to send for Bodhidharma, but Shinko said, "It is no good sending a messenger to fetch him back. Even if all the people went, he would not turn back."

※莫道…「莫道a、b」、aは言うまでもなく、bも。
※闔国…国じゅうすべて。



【頌】
Setcho's Verse

聖諦廓然、何当辨的

聖諦(しょうたい)廓然(かくねん)、何当(いつのひ)※にか的(てき)を辨ぜん
The holy teaching? "Emptiness!" What is the secret here?

※何当…いつの日に。また「いつかは〜したいものだ」という願望を表すこともある。
※辨…仏法の核心をわきまえる。

対朕者誰、還云不識。

「朕に対する者は誰ぞ」、還(ま)た云う、「識らず」と。
Again, "Who stands before me?" "No knowing!"

因茲暗渡江、豈免生荊棘。

(これ)に因り暗(ひそか)に江を渡る、豈に荊棘(いばら)※を生ずることを免れんや。
Inevitable, the thorns and briars springing up;
Secretly, by night, he crossed the river.

※荊棘…「生荊棘」は戦争などで国土が荒廃すること。

闔国人追不再来、千古万古空相憶。

闔国の人追うも再来せず、千古万古空しく相憶う。
All the people could not bring him back. Now, so many years gone by, Still Bodhidharma fills your mind --in vain.

※千古万古…千年万年、永久に。

休相憶、清風匝地有何極。

相憶うことを休めよ、清風地に匝(あまね)く何の極(きわ)まることか有る。
Stop thinking of him! A gentle breeze pervades the universe.

※清風…やむことなく涼風は大地を吹きわたっているものを。

師顧視左右云、這裏還有祖師麼。
自云、有。喚来与老僧洗脚。

師左右を顧視(みまわ)して云く、「這裏(ここ)に還(は)た祖師有りや」。自ら(答えて)云く、「有り。喚び来たりて老僧(われ)の与(ため)に脚を洗わしめん」。
The master looks around: "Is the patriarch there? --Yes! Bring him to me, And he can wash my feet."





出典:
碧巌録〈上〉 (岩波文庫) 
Two Zen Classics: The Gateless Gate and The Blue Cliff Records


2017年4月19日水曜日

法句経 1.双要品[和・英・ 漢・パ]


法句経 
DHAMMAPADA
南北対照英・漢・和訳

常盤大定 著
出版者:博文館
出版年月日:明39.4


第一 双要品
THE TWIN-VERSES

1

何事も、皆、心より起る。
心を本(もと)に、成らぬものなし。

ものいふに、また、ふるまふに、
けがれたる心よりせば、
車に轍(あと)のそふごとく、
(くるし)みの従はぬ事あらじ。

All that we are is the result of what we have thought:
it is founded on our thoughts, it is made up of our thoughts.

If a man speaks or acts with an evil thought, pain follows him, as the wheel follows the foot of him who draws the carriage.

心為法本 心尊心使
中心念悪 即言即行
罪苦自追 車轍於轍

Manopubbaṅgammā dhammā
Manoseṭṭhā manomayā
Manasā ce paduṭṭhena
Bhāsati vā karoti vā
Tato naṃ dukkham anveti
Cakkaṃ va vahato padaṃ


2

何事も、皆、心より起る。
心を本(もと)に、成らぬものなし。

ものいふに、また、ふるまふに
うるはしき心よりせば、
形の影のそふごとく、
(たのし)みの随はぬ事あらじ。

All that we are is the result of what we have thought:
it is founded on our thoughts, it is made up of our thoughts.

If a man speaks or acts with a pure thought, happiness follows him, like a shadow that never leaves him.

心為法本 心尊心使
中心念善 即言即行
福楽自追 如影随形

Manopubbaṅgammā dhammā
Manoseṭṭhā manomayā
Manasā ce pasannena
Bhāsati vā karoti vā
Tato naṃ sukhaṃ anveti
Chāyā va anapāyinī


3

「にくや、彼、我をはじヽめ、
うたて、我、彼に敗(やぶ)れぬ」

かヽる思ひを、胸にやとさば、
怨みのきゆる時はあらじな。

"He abused me, he beat me, he defeated me, he robbed me,"
-hatred in those who harbor such thoughts will never cease.

人若罵我 勝我不勝
快意従者 怨終不息

akkocchi maṃ avadhi maṃ
ajini maṃ ahāsi me
ye ca taṃ upanayhanti
veraṃ tesaṃ na sammati


4

「にくや、彼、我をはじヽめ、
うたて、我、彼に敗(やぶ)れぬ」

かヽる思ひを、胸にやどさずば、
遂に、怨みのきえぬ事なし。

"He abused me, he beat me, he defeated me, he robbed me,"
-hatred in those who do not harbor such thoughts will cease.

若人致毀罵 彼勝我不勝
快楽従意者 怨終得休息

akkocchi maṃ avadhi maṃ
ajini maṃ ahāsi me
ye ca taṃ nupanayhanti
veraṃ tesūpasammati


5

いつの世にかは、怨みによりて、
うらみ心の、きえてはつべき。

忍ぶの外(ほか)に、道はあらじと、
うべ、昔(むか)しより、いひぞ傳ふる。

For hatred does not cease by hatred at any time:
hatred cease by love;
This is an old rule.

不可怨以怨 終以得休息
行忍得息怨 此名如来法

na hi verena verāni sammantīdha kudācanaṃ
averena ca sammanti esa dhammo sanantano


6

(ひと)の身をせむるをやめて、
我と、我身(わがみ)をかへり見よ。

あはれ、よく、かくとしりなば、
争ひは、やがてきえなむ。

And some do not know that we must all come to an end here;
but others know it, and hence their quarrels cease.

不好責彼 務自省身
如有知此 永滅無患

pare ca na vijānanti mayaṃ ettha yamāmase
ye ca tattha vijānanti tato sammanti medhagā


7

五欲の赴むくまヽに、
快楽(たのしみ)の影のみを追ひ、
気弱く、心(こころ)(ゆる)まば、
なよ草の風にふす如(ごと)
(まよはし)に、たはされなまし。

He who lives looking for pleasures only, his senses uncontrolled, immoderate in his enjoyments, idle and weak, Māra (the tempter) will certainly overcome him, as the wind throws down a weak tree.

行見身浄 不摂諸根
飲食不節 慢惰怯弱
為邪所制 如風靡草

subhānupassiṃ viharantaṃ indriyesu asaṃvutaṃ
bhojanamhi cāmattaññuṃ kusītaṃ hīnavīriyaṃ
taṃ ve pasahati māro vāto rukkhaṃ va dubbalaṃ


8

快楽(たのしみ)の影を追わず、
適度(ほどほど)に、五根(ごこん)を制(おさ)へ、
気たけく、心(こころ)精進(しま)らば、
風ふけど、山動かぬ如(ごと)
(まよはし)に、たはされざらむ。

He who lives without looking for pleasures, his senses well controlled, in his enjoyments moderate, faithful and strong, Māra will certainly not overcome him, any more than the wind throws down a rocky mountain.

観身不浄 能摂諸根
食知節度 常楽精進
不為邪動 如風大山

asubhānupassiṃ viharantaṃ indriyesu susaṃvutaṃ
bhojanamhi ca mattaññuṃ saddhaṃ āraddhavīriyaṃ
taṃ ve nappasahati māro vāto selaṃ va pabbataṃ


9

心の中(うち)に毒態(けがれ)あり、
まだ自らを調(おさ)め得(え)で、
墨染(すみぞめ)の衣(ころも)きるとても、
きるかひもなき身ぞ、うたて。

He who wishes to put on the sacred orange-colored dress without having cleansed himself from sin, who disregards also temperance and truth, is unworthy of the orange-colored dress.

不吐毒態 欲心馳騁
未能自調 不應法衣

anikkasāvo kāsāvaṃ yo vatthaṃ paridahissati
apeto damasaccena na so kāsāvaṃ arahati


10

心の中(うち)に毒態(けがれ)なく、
よく自らを調(おさ)め得(え)ば、
かヽる身になむ、墨染(すみぞめ)
(ころも)の色ぞ相応(ふさ)はしき。

But he who has cleansed himself from sin, is well grounded in all virtues, and regards also temperance and truth, is indeed worthy of the orange-colored dress.

能吐毒態 戒意安静
降心已調 此應法衣

yo ca vantakasāvassa sīlesu susamāhito
upeto damasaccena sa ve kāsāvaṃ arahati


11

いつはりをまことヽ思ひ、
まことをば、いつはりとせば、
真理(まこと)をさとる時もなく、
あだの願ひを、たどるべし。

They who imagine truth in untruth, and see untruth in truth, never arrive at truth, but follow vain desires.

以真為偽 以偽為真
是為邪計 不得真利

asāre sāramatino sāre cāsāradassino
te sāraṃ nādhigacchanti micchāsaṅkappagocarā


12

まことをば、まことヽしりつ、
いつはりを、いつはりとせば、
やがて真理(まこと)をさとり得て、
たヾしき道を踏み行(ゆ)かむ。

They who know truth in truth, and untruth in untruth, arrive at truth, and follow desires.

知真為真 見偽知偽
是為正計 必得真利

sārañ ca sārato ñatvā asārañ ca asārato
te sāram adhigacchanti sammāsaṅkappagocarā


13

(やね)ふくとても、もし隙あらば、
雨ふるたびに、漏れもこそすれ。

こヽろの動くまヽに任さば、
うごくまにまに、欲ぞ漏れ出(で)ん。

As rain breaks through an ill-thatched house, passion will break through an unreflecting mind.

蓋屋不密 天雨則漏
意不惟行 淫泆為穿

yathā agāraṃ ducchannaṃ vuṭṭhi samativijjhati
evaṃ abhāvitaṃ cittaṃ rāgo samativijjhati


14

七重(なヽへ)に、八重(やへ)に、屋(やね)をふきなば、
雨ふるとても、漏らんよしなし。

こヽろを、かたく摂(をさ)めゆきなば、
漏れ出(いづ)る欲もあらじとぞ思ふ。

As rain does not break through a well-thatched house, passion will not break through a well-reflecting mind.

蓋屋善密 雨則不漏
摂意惟行 淫泆不生

yathā agāraṃ succhannaṃ vuṭṭhi na samativijjhati
evaṃ subhāvitaṃ cittaṃ rāgo na samativijjhati


15

道にたがへる業(わざ)を為す身は、
この世、後(のち)の世、ともに痛(いた)まし。

あしかりしむかし思へば、
心は苦し、また悲し。

The evil-doer mourns in this world, and he mourns in the next; he mourns in both.
He mourns, he suffers when he sees the evil of his own work.

造憂後憂 行悪両憂
彼憂惟懼 見罪心懅

idha socati pecca socati pāpakārī ubhayattha socati
so socati so vihaññati disvā kammakiliṭṭham attano


16

道にかなへる業(わざ)を為す身は、
この世、後(のち)の世、ともにうるはし。

(きよ)かりしむかし思へば、
心は楽し、またうれし。

The virtuous man delights in this world, and he delights in the next; he delights in both.
He delights, he rejoices, when he sees the purity of his own work.

造喜後喜 行善両喜
彼喜惟歓 見福心安

idha modati pecca modati katapuñño ubhayattha modati
so modati so pamodati disvā kammavisuddhim attano


17

道にたがへる業(わざ)を為す身は、
この世、後(のち)の世、ともに苦しむ。

かへりみるだも、くるしきを、
罪の報いを見ば、いかに。

The evil-doer suffers in this world, and he suffers in the next; he suffers in both.
He suffers when he thinks of the evil he has done; he suffers more when going on the evil path.

今悔後悔 為悪両悔
厥為自殃 受罪熱悩

idha tappati pecca tappati pāpakārī ubhayattha tappati
pāpaṃ me katan ti tappati bhiyyo tappati duggatiṃ gato


18

道にかなへる業(わざ)を為す身は、
この世、後(のち)の世、ともに楽しむ

かへり見るだも、たのしきを、
(さち)の報いを見ば、いかに。

The virtuous man is happy in this world, and he is happy in the next; he is happy in both.
He is happy when he thinks of the good he has done; he is still more happy when going on the good path.

今歓後歓 為善両歓
厥為自祐 受福悦豫

idha nandati pecca nandati katapuñño ubhayattha nandati
puññaṃ me katan ti nandati bhiyyo nandati sugatiṃ gato


19

多く誦(よ)むとも、身に行はず、
動くこヽろを制(おさ)へ行(ゆ)かずば、
(よそ)の牛をば数ふるごとく、
(ひじ)りの友と、いはんよしなし。

The thoughtless man, even if he can recite a large portion (of the law), but is not a doer of it, has no share in the priesthood, but is like a cowherd counting the cows of others.

雖誦習多義 放逸不従正
如牧数他牛 難獲沙門果

bahum pi ce saṃhitaṃ bhāsamāno na takkaro hoti naro pamatto
gopo va gāvo gaṇayaṃ paresaṃ na bhāgavā sāmaññassa hoti


20

(よ)むことは、よし、少しなりとも、
三毒(さんどく)をすて、二世(にせ)に惑はず、
たヾしき智慧に意(こヽろ)開かば、
これや、聖(ひじ)りの友とこそ見め。

The follower of the law, even if he can recite only a small portion (of the law), but, having forsaken passion and hatred and foolishness, possesses true knowledge and serenity of mind, he, caring for nothing in this world, or that to come, has indeed a share in the priesthood.

時言少求 行道如法
除媱怒癡 覚正意解
見対不起 是佛弟子

appam pi ce saṃhitaṃ bhāsamāno dhammassa hoti anudhammacārī
rāgañ ca dosañ ca pahāya mohaṃ sammāppajāno suvimuttacitto
anupādiyāno idha vā huraṃ vā sa bhāgavā sāmaññassa hoti



出典:
法句経 : 南北対照英・漢・和訳 常盤大定 著
Readings in Pali Texts
常足庵備忘録


2016年6月1日水曜日

鈴木大拙『禅学への道』序 An Introduction to Zen Buddhism


An Introduction to Zen Buddhism
禅学への道







Preface

ここに集めた数篇の論文は、もと、第一次大戦の頃ロバートスン・スコット氏編輯のもとに日本で発行されていた英文雑誌『ニュー・イースト』の為に書いたものである。
The articles collected here were originally written for the New East, which was published in Japan during the 1914 War under the editorship of Mr.Robertson Scott.


氏はそれらを一書にまとめて出版するやう勧めたが、当時は気が進まずそのままになつた。
The editor suggested publishing them in book-form, but I did not feel like doing so at that time.


やがてそれらは英文『禅論』第一巻(一九二七年刊)の素地となった。したがって『禅論』第一巻はほぼ同様の領域を取扱ふとふ結果になつている。
Later, they were made the basis of the First Series of my Zen Essay (1927), which, therefore, naturally cover more or less the same ground.




ところが最近、やはり此等旧稿を一書にまとめるのもよからう、といふ気持が動いてきた。
Recently, the idea came to me that the old papers might be after all reprinted in book-form.

おもふに、『禅論』の方は浩瀚に過ぎて、禅についてごく予備的な知識を得たいといふ人々には取りつきにくいところがある。
The reason is that my Zen Essays is too heavy for those who wish to have just a little preliminary knowledge of Zen.

とすれば、海外の友人の間では入門書のやうなものもまた喜ばれるのではなかろうか。こんな考へからであつた。
Will not, therefore, what may be regarded as an introductory work be welcomed by some of my foreign friends?




これを念頭に置いて私は改めて旧稿の全部に眼を通し、依用の文献はもとより、措辞・用語についても不正確と思はれるものはすべて訂正した。
With this in view I have gone over the entire MS., and whatever inaccuracies I have come across in regard to diction as well as the material used have been corrected.

中には今になって見るとむしろ表はし方を変へた方がよいと思はれるところが二、三あるが、そのままにしておいた。
While there are quite a few points I would like to see now expressed somewhat differently, I have left them as they stand, because their revision inevitably involves the recasting the entire context.

誤謬に亘らなぬ限りそれらには強ひて手を加へないことにした。
So long as they are not misrepresenting, they may remain as they were written.



この書が、禅への入門書として実地に役立ち、自分の他の諸著作を研究する手引となれば、目的は達せられたといつてよい。ここでは問題の学的な取扱ひを任としていないのである。
If the book really serves as a sort of introduction to Zen Buddhism, and leads the reader up to the study of my other works, the object is attained. No claim is made here for a scholarly treatment of the subject-matter.



なほ本書の姉妹篇として ”The Manual of Zen Buddhist Monk(邦語版『禅堂の修業と生活』1934)”, “Manual of Zen Buddhism (1935)” が出ている。禅入門の三部書として併せ用いられるならば、さらに読者に便宜に資するところがあらうと信ずる。
The companion book, Manual of Zen Buddhism, is recommended to be used with this Introduction.



D. T. S.
Kamakura, August 1934
鎌倉にて 鈴木大拙