2019年12月6日金曜日

【原文】正法眼蔵_弁道話_05


← 【原文】正法眼蔵_弁道話_04



道元

辦道話(べんどうわ) [弁道話]05

といていはく、乾唐(けんとう)古今(ここん)をきくに、あるいはたけのこゑをきゝて(どう)をさとり、あるいははなのいろをみてこゝろをあきらむる物あり。いはむや、釈迦大師は、明星(みょうじょう)をみしとき(どう)(しょう)し、阿難尊者は、刹竿(せっかん)のたふれしところに法をあきらめし。のみならず、六代よりのち、五()のあひだに、一言(いちごん)半句のしたに心地(しんじ)をあきらむるものおほし。かれらかならずしも、かつて坐禅(ざぜん)辦道せるもののみならむや。

しめしていはく、古今に見色(けんしき)明心(みょうしん)し、聞声(もんしょう)悟道(ごどう)せし当人(とうにん)、ともに辦道に擬議量(ぎぎりょう)なく、直下(ちょくか)に第二人なきことをしるべし。



とうていはく、西天および神丹国(しんだんこく)は、人もとより質直(しちじき)なり。中華のしからしむるによりて、仏法を教化するに、いとはやく会入(えにゅう)す。我朝(わがちょう)は、むかしより人に仁智(じんち)すくなくして、正種(しょうしゅ)つもりがたし。蕃夷(ばんい)のしからしむる、うらみざらむや。又このくにの出家人(しゅっけにん)は、大国の在家人(ざいけにん)にもおとれり。挙世(こせ)おろかにして、心量狭小(きょうしょう)なり。ふかく有為(うい)(こう)(しゅう)して、事相(じそう)(ぜん)をこのむ。かくのごとくのやから、たとひ坐禅(ざぜん)すといふとも、たちまちに仏法を証得せむや。

しめしていはく、いふがごとし。わがくにの人、いまだ仁智(じんち)あまねからず、人また迂曲(うごく)なり。たとひ正直(しょうじき)の法をしめすとも、甘露かへりて毒となるぬべし。名利にはおもむきやすく、惑執とらけがたし。しかはあれども、仏法に証入(しょうにゅう)すること、かならずしも人天(にんでん)世智(せち)をもて出世の舟航とするにはあらず。仏在世にも、てまりによりて四果を証し、袈裟(けさ)をかけて大道(だいどう)をあきらめし、ともに愚暗のやから、癡狂(ちきょう)の畜類なり。たゞし、正信(しょうしん)のたすくるところ、まどひをはなるゝみちあり。また、癡老(ちろう)比丘(びく)黙坐せしをみて、設斎(せっさい)信女(しんにょ)さとりをひらきし、これ智によらず、(もん)によらず、ことばをまたず、かたりをまたず、たゞしこれ正信(しょうしん)にたすけられたり。

また釈教の三千(がい)にひろまること、わづかに二千余年の前後なり。刹土(せつど)のしなじななる、かならずしも仁智(じんち)のくににあらず、人またかならずしも利智(りち)聡明(そうみょう)のみあらむや。しかあれども、如来の正法、もとより不思議の大功徳力をそなへて、ときいたればその刹土(せつど)にひろまる。人まさに正信(しょうしん)修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり。わが朝は仁智(じんち)のくににあらず、人に知解(ちげ)おろかなりとして、仏法を()すべからずとおもふことなかれ。いはむや、人みな般若(はんにゃ)正種(しょうしゅ)ゆたかなり。ただ承当(じょうとう)することまれに、受用(じゅよう)することいまだしきならし。



さきの問答往来し、賓主(ひんじゅ)相交(そうこう)することみだりがはし。いくばくか、はななきそらにはなをなさしむる。しかありとも、このくに、坐禅(ざぜん)辦道におきて、いまだその宗旨つたはれず。しらむとこゝろざさむもの、かなしむべし。このゆゑに、いさゝか異域(いいき)の見聞をあつめ、明師(めいし)真訣(しんけつ)をしるしとゞめて、参学のねがはむにきこえむとす。このほか、叢林の規範および寺院の格式、いましめすにいとまあらず、又草々にすべからず。

おほよそ我朝(わがちょう)は、龍海(りょうかい)の以東にところして、雲煙はるかなれども、欽明(きんめい)・用明の前後より、秋方(しゅうほう)の仏法東漸(とうぜん)する、これすなはち人のさいはひなり。しかあるを、名相(みょうそう)事縁しげくみだれて、修行のところにわづらふ。いまは破衣(ほい)綴盂(とつう)生涯(しょうがい)として、青巌(せいがん)白石(はくせき)のほとりに(ぼう)をむすむで端坐(たんざ)修練(しゅれん)するに、(ふつ)向上(こうじょう)()たちまちにあらはれて、一生参学の大事(だいじ)すみやかに究竟(くきょう)するものなり。これすなはち龍牙(りょうげ)誡勅(かいちょく)なり、鶏足(けいそく)の遺風なり。その坐禅(ざぜん)の儀則は、すぎぬる嘉禄(かろく)のころ撰集(せんじゅ)せし「普勧坐禅儀」に依行(えぎょう)すべし。

曾礼(それ)、仏法を国中に弘通(ぐづう)すること、王勅をまつべしといへども、ふたたび霊山(りょうざん)遺嘱(ゆいぞく)をおもへば、いま百万億(ひゃくまんおく)(せつ)に現出せる王公相将(しょうしょう)、みなともにかたじけなく仏勅をうけて、夙生(しゅくしょう)に仏法を護持する素懐(そかい)をわすれず、生来(しょうらい)せるものなり。その()をしくさかひ、いづれのところか仏国土にあらざらむ。このゆゑに、仏祖の(どう)流通(るづう)せむ、かならずしもところをえらび縁をまつべきにあらず、たゞ、けふをはじめとおもはむや。

しかあればすなはち、これをあつめて、仏法をねがはむ哲匠、あはせて道をとぶらひ雲遊(うんゆう)萍寄(ひょうき)せん参学の真流(じんりゅう)にのこす。ときに、

寛喜辛卯中秋日
入宋伝法沙門道元記

辦道話





【原文】正法眼蔵_弁道話_04


← 【原文】正法眼蔵_弁道話_03



道元

辦道話(べんどうわ) [弁道話]04

とうていはく、この坐禅(ざぜん)をもはらせん人、かならず戒律を厳浄(ごんじょう)すべしや。

しめしていはく、持戒梵行(ぼんぎょう)は、すなはち禅門の規矩なり、仏祖の家風なり。いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その(ぶん)なきにあらず。



とうていはく、この坐禅(ざぜん)をつとめん人、さらに真言(しんごん)止観(しかん)の行をかね(しゅ)せん、さまたげあるべからずや。

しめしていはく、在唐(ざいとう)のとき、宗師(しゅうし)真訣(しんけつ)をきゝしちなみに、西天(さいてん)東地(とうち)の古今に、仏印(ぶっちん)を正伝せし諸祖、いづれもいまだしかのごときの(ぎょう)をかね(しゅ)すときかずといひき。まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし。



とうていはく、この(ぎょう)は、在俗の男女(なんにょ)もつとむべしや、ひとり出家人(しゅっけにん)のみ(しゅ)するか。

しめしていはく、祖師のいはく、仏法を()すること、男女(なんにょ)貴賤(きせん)をえらぶべからずときこゆ。



とうていはく、出家人(しゅっけにん)は、諸縁すみやかにはなれて、坐禅(ざぜん)辦道にさはりなし。在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して、無為の仏道にかなはむ。

しめしていはく、おほよそ、仏祖あはれみのあまり、広大の慈門をひらきおけり。これ一切衆生を証入せしめんがためなり、人天(にんでん)たれかいらざらむものや。こゝをもて、むかしいまをたづぬるに、その(しょう)これおほし。しばらく代宗・順宗の、帝位にして万機(ばんき)いとしげかりし、坐禅(ざぜん)辦道して仏祖の大道(だいどう)会通(えづう)す。李相国(りしょうこく)防相国(ぼうしょうこく)、ともに輔佐(ふさ)の臣位にはんべりて、一天の股肱(ここう)たりし、坐禅(ざぜん)辦道して仏祖の大道(だいどう)に証入す。たゞこれ、こゝろざしのありなしによるべし、身の在家出家にはかゝはらじ。又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのづから信ずることあり。いはむや世務は仏法をさふとおもへるものは、たゞ世中に仏法なしとのみしりて、仏中に世法なき事をいまだしらざるなり。

ちかごろ大宋に、馮相公(ひんしょうこう)といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりて、みづからをいふに、いはく、



公事之余喜坐禅、少曾将脇到床眠。
雖然現出宰官相、長老之名四海伝。

公事(くうじ)(ひま)に坐禅を(この)む、
(かつ)(わき)()(ゆか)(いた)して(ねぶ)ること()し。
(しか)宰官相(さいかんしょう)現出(げんしゅつ)せりと(いえど)も、
長老の名、四海に伝はる。



これは、官務にひまなかりし身なれども、仏道にこゝろざしふかければ、得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかゞみるべし。

大宋国(だいそうこく)には、いまのよの国王大臣、士俗男女(なんにょ)、ともに心を祖道にとゞめずといふことなし。武門文家(ぶんけ)、いづれも参禅学道をこゝろざせり。こゝろざすもの、かならず心地(しんじ)開明(かいみょう)することおほし。これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり。

国家(こくけ)に真実の仏法弘通(ぐづう)すれば、諸仏諸天ひまなく衛護(えいご)するがゆゑに、王化(おうか)太平(たいへい)なり。聖化(せいか)太平(たいへい)なれば、仏法そのちからをうるものなり。

又、釈尊の在世には、逆人(ぎゃくにん)邪見みちをえき。祖師の会下(えか)には、獦者(りょうしゃ)樵翁(しょうおう)さとりをひらく。いはむやそのほかの人をや。たゞ正師の教道をたづぬべし。



とうていはく、この行は、いま末代悪世にも、修行せば(しょう)をうべしや。

しめしていはく、教家に名相(みょうしょう)をこととせるに、なほ大乗実教には、正像末法をわくことなし、(しゅ)すればみな得道すといふ。いはむやこの単伝の正法には、入法(にっぽう)出身(しゅっしん)、おなじく自家(じけ)の財珍を受用(じゅよう)するなり。証の得否(とくふ)は、(しゅ)せむもの、おのづからしらむこと、用水(ようすい)の人の冷煖(れいだん)をみづからわきまふるがごとし。



とうていはく、あるがいはく、「仏法には、即心是仏のむねを了達(りょうだつ)しぬるがごときは、くちに経典(きょうでん)(じゅ)せず、身に仏道を行ぜざれども、あへて仏法にかけたるところなし。たゞ仏法はもとより自己にありとしる、これを得道の全円とす。このほかさらに他人にむかひてもとむべきにあらず。いはむや坐禅(ざぜん)辦道をわづらはしくせんや」。

しめしていはく、このことば、もともはかなし。もしなんぢがいふごとくならば、こゝろあらむもの、たれかこのむねををしへんに、しることなからむ。

しるべし、仏法は、まさに自他の(けん)をやめて学するなり。もし自己即仏としるをもて得道とせば、釈尊むかし化道(けどう)にわづらはじ。しばらく古徳の妙則をもてこれを証すべし。

むかし、則公監院といふ僧、法眼禅師の会中(えちゅう)にありしに、法眼禅師とうていはく、「則監寺(そくかんす)、なんぢわが()にありていくばくのときぞ」。

則公がいはく、「われ師の()にはむべりて、すでに三年をへたり」。

禅師のいはく、「なんぢはこれ後生(こうせい)なり、なんぞつねにわれに仏法をとはざる」。

則公がいはく、「それがし、和尚をあざむくべからず。かつて青峰の禅師のところにありしとき、仏法におきて安楽のところを了達(りょうだつ)せり」。

禅師のいはく、「なんぢいかなることばによりてか、いることをえし」。

則公がいはく、「それがし、かつて青峰にとひき、『いかなるかこれ学人(がくにん)の自己なる』。青峰のいはく、『丙丁(ひょうちょう)童子(どうじ)(きたって)求火(ひをもとむ)』」。

法眼のいはく、「よきことばなり。たゞし、おそらくはなんぢ()せざらむことを」。

則公がいはく、「丙丁(ひょうちょう)は火に属す。火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと()せり」。

禅師のいはく、「まことにしりぬ、なんぢ()せざりけり。仏法もしかくのごとくならば、けふまでにつたはれじ」。

ここに則公、懆悶(そうもん)してすなはちたちぬ。中路(ちゅうろ)にいたりておもひき、禅師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり、わが非をいさむる、さだめて長処あらむ。禅師のみもとにかへりて懺悔(ざんげ)礼謝(れいしゃ)してとうていはく、「いかなるかこれ学人(がくにん)の自己なる。」

禅師のいはく、「丙丁(ひょうちょう)童子(どうじ)(らい)求火(きゅうか)」と。

則公、このことばのしたに、おほきに仏法をさとりき。

あきらかにしりぬ、自己即仏の領解(りょうげ)をもて、仏法をしれりといふにはあらずといふことを。もし自己即仏の領解(りょうげ)を仏法とせば、禅師さきのことばをもてみちびかじ、又しかのごとくいましむべからず。たゞまさに、はじめ善知識をみむより、修行の儀則を咨問(しもん)して、一向に坐禅(ざぜん)辦道して、一知半解(はんげ)を心にとゞむることなかれ。仏法の妙術、それむなしからじ。






→ 【原文】正法眼蔵_弁道話_05

2019年12月5日木曜日

【原文】正法眼蔵_弁道話_03


← 【原文】正法眼蔵_弁道話_02



道元

辦道話(べんどうわ) [弁道話]03

とうていはく、仏家(ぶっけ)なにゝよりてか、四儀のなかに、たゞし坐にのみおほせて禅定をすゝめて証入をいふや。

しめしていはく、むかしよりの諸仏、あひつぎて修行し、証入せるみち、きはめしりがたし。ゆゑをたづねば、ただ仏家(ぶっけ)のもちゐるところをゆゑとしるべし。このほかにたづぬべからず。たゞし、祖師ほめていはく、「坐禅はすなはち安楽の法門なり」。はかりしりぬ、四儀のなかに安楽なるゆゑか。いはむや、一仏二仏の修行のみちにあらず、諸仏諸祖にみなこのみちあり。



とうていはく、この坐禅の(ぎょう)は、いまだ仏法を証会(しょうえ)せざらんものは、坐禅辦道してその(しょう)をとるべし。すでに仏正法をあきらめえん人は、坐禅なにのまつところかあらむ。

しめしていはく、痴人(ちにん)のまへにゆめをとかず、山子(さんす)の手には舟棹(しゅうとう)をあたへがたしといへども、さらに(くん)をたるべし。

それ、修証(しゅしょう)はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道(げどう)(けん)なり。仏法には、修証(しゅしょう)これ一等なり。いまも証上の(しゅ)なるゆゑに、初心の辦道すなはち本証の全体なり。かるがゆゑに、修行の用心をさづくるにも、(しゅ)のほかに(しょう)をまつおもひなかれとをしふ、直指(じきし)の本証なるがゆゑなるべし。すでに(しゅ)(しょう)なれば、(しょう)にきはなく、(しょう)(しゅ)なれば、(しゅ)にはじめなし。ここをもて、釈迦如来、迦葉(かしょう)尊者、ともに証上の(しゅ)受用(じゅよう)せられ、達磨大師、大鑑(だいかん)高祖、おなじく証上の(しゅ)引転(いんでん)せらる。仏法住持のあと、みなかくのごとし。

すでに(しょう)をはなれぬ(しゅ)あり、われらさいはひに一分(いちぶん)妙修(みょうしゅ)を単伝せる、初心の辦道すなはち一分(いちぶん)の本証を無為(むい)()にうるなり。しるべし、(しゅ)をはなれぬ(しょう)染汚(ぜんわ)せざらしめんがために、仏祖しきりに修行のゆるくすべからざるとをしふ。妙修(みょうしゅ)放下(ほうげ)すれば本証()(うち)にみてり、本証を出身すれば、妙修(みょうしゅ)通身におこなはる。

又、まのあたり大宋国にしてみしかば、諸方の禅院みな坐禅堂をかまへて、五百六百および一二千(ぞう)(あん)じて、日夜(にちや)に坐禅をすゝめき。その席主とせる伝仏心印の宗師(しゅうし)に、仏法の大意(だいい)をとぶらひしかば、修証(しゅしょう)の両段にあらぬむねをきこえき。

このゆゑに、門下の参学のみにあらず、求法(ぐほう)高流(こうりゅう)、仏法のなかに真実をねがはむ人、初心後心(ごしん)をえらばず、凡人(ぼんにん)聖人(しょうにん)を論ぜず、仏祖のをしへにより、宗匠の(みち)をおふて、坐禅辦道すべしとすゝむ。

きかずや祖師のいはく、「修証(しゅしょう)はすなはちなきにあらず、染汚(ぜんわ)することはえじ」。

又いはく、「(どう)をみるもの、(どう)を修す」と。しるべし、得道のなかに修行すべしといふことを。



とうていはく、わが(ちょう)の先代に、(きょう)をひろめし諸師、ともにこれ入唐(にっとう)伝法(でんぽう)せしとき、なんぞこのむねをさしおきて、たゞ(きょう)をのみつたへし。

しめしていはく、むかしの人師(にんし)、この法をつたへざりしことは、時節のいまだいたらざりしゆゑなり。



とうていはく、かの上代の師、この法を会得(えとく)せりや。

しめしていはく、会せば通じてむ。



とうていはく、あるがいはく、「生死(しょうじ)をなげくことなかれ、生死(しょうじ)出離(しゅつり)するにいとすみやかなるみちあり。いはゆる、心性(しんしょう)常住(じょうじゅう)なることわりをしるなり。そのむねたらく、この身体(しんだい)は、すでに(しょう)あればかならず滅にうつされゆくことありとも、この心性(しんしょう)はあへて滅する事なし。よく生滅(しょうめつ)にうつされぬ心性(しんしょう)わが身にあることをしりぬれば、これを本来の(しょう)とするがゆゑに、身はこれかりのすがたなり、死此(しし)生彼(しょうひ)さだまりなし。(しん)はこれ常住(じょうじゅう)なり、去来(こらい)現在(げんざい)かはるべからず。かくのごとくしるを、生死(しょうじ)をはなれたりとはいふなり。このむねをしるものは、従来の生死(しょうじ)ながくたえて、この身をはるとき性海(しょうかい)にいる。性海(しょうかい)朝宗(ちょうそう)するとき、諸仏如来のごとく妙徳まさにそなはる。いまはたとひしるといへども、前世(ぜんぜ)妄業(もうごう)になされたる身体(しんだい)なるがゆゑに、諸聖(しょせい)とひとしからず。いまだこのむねをしらざるものは、ひさしく生死(しょうじ)にめぐるべし。しかあればすなはち、たゞいそぎて心性(しんしょう)常住(じょうじゅう)なるむねを了知すべし。いたづらに閑坐(かんざ)して一生をすぐさん、なにのまつところかあらむ」。

かくのごとくいふむね、これはまことに諸仏諸祖の(どう)にかなへりや、いかむ。

しめしていはく、いまいふところの(けん)、またく仏法にあら。先尼(せんに)外道(げどう)(けん)なり。

いはく、かの外道(げどう)(けん)は、わが身うちにひとつの霊知(れいち)あり、かの()、すなはち縁にあふところに、よく好悪(こうあく)をわきまへ、是非をわきまふ。痛痒(つうよう)をしり、苦楽をしる、みなかの霊知のちからなり。しかあるに、かの霊性(れいしょう)は、この身の滅するとき、もぬけてかしこにむまるゝゆゑに、ここに滅すとみゆれども、かしこの(しょう)あれば、ながく滅せずして常住(じょうじゅう)なりといふなり。かの外道(げどう)(けん)、かくのごとし。

しかあるを、この(けん)をならうて仏法とせむ、瓦礫(がりゃく)をにぎつて金宝(こんぽう)とおもはんよりもなほおろかなり。癡迷(ちめい)のはづべき、たとふるにものなし。大唐国の慧忠(えちゅう)国師、ふかくいましめたり。いま心常相滅(そうめつ)の邪見を計して、諸仏の妙法にひとしめ、生死(しょうじ)本因(ほんいん)をおこして、生死(しょうじ)をはなれたりとおもはん、おろかなるにあらずや。もともあはれむべし。たゞこれ外道(げどう)の邪見なりとしれ、みゝにふるべからず。

ことやむことをえず、いまなほあはれみをたれて、なんぢが邪見をすくはば、しるべし、仏法にはもとより身心(しんじん)一如(いちにょ)にして、性相(しょうそう)不二(ふに)なりと談ずる、西(さいてん)東地(とうち)おなじくしれるところ、あへてうたがふべからず。いはむや常住(じょうじゅう)(だん)ずる門には、万法(まんぼう)みな常住(じょうじゅう)なり、()(こころ)とをわくことなし。寂滅(じゃくめつ)(だん)ずる門には、諸法みな寂滅(じゃくめつ)なり、(しょう)(そう)とをわくことなし。しかあるを、なんぞ身滅(しんめつ)心常(しんじょう)といはむ、正理(しょうり)にそむかざらむや。しかのみならず、生死(しょうじ)はすなはち涅槃(ねはん)なりと覚了すべし、いまだ生死(しょうじ)のほかに涅槃(ねはん)(だん)ずることなし。いはむや、(こころ)()をはなれて常住(じょうじゅう)なりと領解(りょうげ)するをもて、生死(しょうじ)をはなれたる仏智に妄計(もうけ)すといふとも、この領解(りょうげ)知覚の心は、すなはちなほ生滅して、またく(じょうじゅう)ならず。これ、はかなきにあらずや。

嘗観(しょうかん)すべし、身心(しんじん)一如(いちにょ)のむねは、仏法のつねの(だん)ずるところなり。しかあるに、なんぞこの()の生滅せんとき、(こころ)ひとり()をはなれて生滅せざらむ。もし一如(いちにょ)なるときあり、一如(いちにょ)ならぬときあらば、仏説おのづから虚妄(こもう)になりぬべし。又、生死(しょうじ)はのぞくべき法ぞとおもへるは、仏法をいとふつみとなる。つゝしまざらむや。

しるべし、仏法に心性大総相の法門といふは、一大法界(ほうかい)をこめて、性相をわかず、生滅をいふことなし。菩提(ぼだい)涅槃(ねはん)におよぶまで、心性(しんしょう)にあらざるなし。一切諸法万象(まんぞう)森羅(しんら)ともにたゞこれ一心にして、こめずかねざることなし。このもろもろの法門、みな平等一心なり。あへて異違(いい)なしと(だん)ずる、これすなはち仏家(ぶっけ)心性(しんしょう)をしれる様子なり。

しかあるを、この一法に()(こころ)とを分別(ぶんべつ)し、生死(しょうじ)涅槃(ねはん)とをわくことあらむや。すでに仏子なり、外道(げどう)(けん)をかたる狂人のしたのひゞきを、みゝにふるゝことなかれ。






→ 【原文】正法眼蔵_弁道話_04