話:プラユキ・ナラテボー
ブッダの教えた瞑想
まず、ブッダの瞑想法について簡単に説明しておく。
ブッダは
「サマタ」
(Samatha = 止)
と称する「集中系」と
「ヴィパッサナー」
(Vipassana = 観)
と称する「気づき・洞察系」の2種類のタイプの瞑想法を弟子たちに教えた。
「サマタ」はマントラやイメージなどの対象に意識を繰り返し向けていくことで、安定した集中力を培うことを目指す。
一方、「ヴィパッサナー」は、対象をあらかじめひとつに限定することなく、その瞬間瞬間に生じてくるものごとをありのままに自覚化することを繰り返しながら、洞察を育んでいく方法だ。
この2つの瞑想法を合わせて
「サマタ・ヴィパッサナー」
(Samatha-Vipassana = 止観)
と称し、そのバランスが大切とされる。
仏伝によれば、ブッダは出家後、2人の師につきサマタ系瞑想を最高度に極めたが、なおも究極的な安らぎは得られず、その後みずからが試みたヴィパッサナー系瞑想によって、解脱・涅槃に至ったとされている。
ヴィパッサナー系の瞑想については、現存する仏典では
「マハーサティパッターナ・スッタ」
(Maha-Satipattana-Sutta = 大念処経)
と
「アーナーパーナサティ・スッタ」
(Anapanasati-Sutta = 出入息念経)
のなかで、その詳しい紹介がある。
タイの代表的な4つの瞑想
タイでは、この2つの瞑想法のうちどちらを強調するか、どの対象に主に意識を向けていくか、内言(ラベリング)を用いていくかいかないかなど、あるいは同系統の瞑想法であっても、指導者によるテクニックが若干加えられるなどして、さまざまな瞑想法が実践されている。
そのうち、よく知られている代表的な瞑想法は以下の4つである。
1 「アーナーパーナサティ(出入息念)」瞑想法
2 「プットー(ブッダ)」瞑想法
3 「ユップノー・ボーンノー(縮み・膨らみ)」瞑想法
4 「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」瞑想法
1 「アーナーバナサティ(出入息念)」瞑想法
ブッダ伝来の伝統的な瞑想法で、前述の『アーナーパーナサティ・スッタ(出入息念経)』に沿い、呼吸への気づきを手がかりにして、
身体(Kaya)
感受(Vedana)
心(Cita)
法(Dhamma)
という順序で徐々に精妙化する4つの対象領域を、それぞれ4つの視点で洞察していく形式で、全部で16段階の瞑想プロセスを経ていくやり方である。
具体的には、まず姿勢を正して座る。
そして呼吸をいちばん感じ取ることができる鼻の入り口あたりに意識を集中させ、ひと息ひと息ごと丁寧に
「気をつけて息を吸い、気をつけて息を吐く」
Sato va assasati, sato va passasati
ここを始点としてさらに、呼吸をコントロールすることなく、ありのままの呼吸に油断なく細心の注意をむけつづける。そうしているうちに、だんだんと精妙化していく呼吸の細かな様相を見つめ、実感しつづけていく。
やがて呼吸と連動する身体感覚のありようについても感じられてくるようになったら、そのまま今度は身体感覚に生ずる諸相をもありのままに見つめ、体感していく。それから身体感覚に付随して生じてくる心の動きについても明晰に観察をすすめていく。
最終的には、
無常(Anicca)
苦(Dukkha)
無我(Anattan)
といった真理の法則性の認識にいたるまで洞察を深めていくものである。
故プッタタート比丘が建立されたタイ南部の有名なお寺、スワンモーク寺ではこのアーナーパーナサティ瞑想法をもちいたリトリートを毎月10日間のコースを提供している。
2 「プットー(ブッダ)」瞑想法
「プットー」は、タイ語で「ブッダ」の意味である。
これはタイのサマタ系瞑想の代表的なものとして知られている。
方法としては、姿勢を正して座ったあと、
息を吸うときに「プッ」
吐くときに「トー」
と心のなかで唱えながら呼吸していくものである。
この瞑想法でも呼吸のコントロールはおこなわないが、しかしアーナーパーナサティとは異なって、呼吸の観察からはじまって身体の感覚、心の動きまで洞察していくといったこともしない。
ただひたすら「プットー」という言葉に意識を集中させ、くりかえし唱え、心を静め三昧にはいっていくことが目的である。
いくつかの寺では、ただじっと座って唱えるだけでなく、数珠を瞑想の小道具として併用し、呼吸に合わせて、吸うときに「プッ」、吐くときに「トー」と唱えつづける方法もとられてもいる。
また、呼吸は関係なしに、ただ「プットー」と言葉を唱えるごとに、ひとつずつ数珠をはじいていくところもある。
3 「ユップノー・ポーンノー(縮み・膨らみ)」瞑想法
ミャンマーのマハーシ長老由来の瞑想法。
タイにおいても広く知られ、多くの寺院で実践されている。とくにマハーニカイ派の代表寺院で、マハーチュラロンコン仏教大学が敷設されているマハータート寺では、この「ユップノー・ポーンノー」瞑想法が取り入れられている。
この瞑想法では、姿勢を正して座ったあと、呼吸に連動して縮み・膨らみを繰り返す腹部に意識をむけていく。そして
お腹が縮んでいくときには
「ユップノー(縮む)」
お腹が膨らんでゆくときには
「ポーンノー(膨らむ)」
と、ひとつひとつ言葉を貼りつけて(ラベリング)認知していく。
私が参加したこの瞑想法のリトリートでは、最初、参加者全員で一斉に声を出しながら行い、その後、ひとりひとりに分かれてからは心の中でラベリングした。
また歩行禅もあり、その際には、一歩一歩を非常にゆっくりとしたスローモーションともいえる速度でおこない、その足の上げ下ろしのプロセスを
「ヨックノー(上げる)」
「ヤーンノー(はこぶ)」
「ジアップノー(下ろす)」
とラベリングしながら歩く。
それからさらに日常動作においても、
「立っている」
「座っている」
「触れている」
食事の際には、
「口を開ける」
「入れる」
「味わう」
「噛む」
「飲み込む」
などとラベリングしていく。
また、身体感覚や心の状態についても、それを感じた時点で、
「暑い」
「寒い」
「眠い」
「怒り」
「うんざりしている」
「わずらわしさ」
などなど、たえずラベリングしながら確認していく。
上述の『マハーサティパッターナ・スッタ(大念処経)』と『アーナーパーナサティ・スッタ(出入息経)』においては、「ラベリングするように」とは記されていないが、今のあるがままの状態を仔細に観察、自覚するという意味で、これもヴィパッサナー系の瞑想のひとつと言っていいだろう。
4 「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」瞑想法
ワット・パクナム寺の故プラ・モンコン・テープムニー師によって編み出された瞑想法である。
伝統寺院のパクナム寺および、パクナム寺から分院したあと、現代テクノロジーなどもふんだんに取り入れ、近代的な装いでタイの都市新中間層の人気をあつめるバンコク郊外のタンマカーイ寺。そして、その末寺でこの瞑想法がおこなわれている。
この瞑想法では、姿勢を正して座ったあと、呼吸を整え、
「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」
と唱えていく。
そして「水晶玉」や「光の玉」をまず鼻孔のあたりにイメージし、そこから目頭の中心、のど、へその上へと「球」が安定するように繰りかえし
「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」
と唱える。
この球への精神集中が強まるにつれ、心はととのい、情緒の安定がはかられる。さらに、球から光が発するのが見えたり、さまざまな仏像の姿が見えてくるにつれ、心の境地が次第にすすんでいくとされる。
この瞑想法は、イメージトレーニングによって高度の集中力をはかっていくサマタ系の瞑想といえよう。
以上が、タイでよく知られているオーソドックスな体系だった瞑想法である。
…
引用:「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語
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