2016年5月8日日曜日

スリランカの「残す」文化 [スマナサーラ]




有田秀穂
「外食をすると、おいしいものが出てきます。ぼくらは戦後のなにもない時期に生まれたので、小さい頃から『食べものを残してはいけない』『残すことは悪いことだ』『つくった人にも悪い』と思いつづけてきました。美味しければなおさら、どうしても食べすぎてしまいます。そのつけが、あとで回ってくるのです」

アルボムッレ・スマナサーラ
「私も日本に来て、おなじ考え方をするようになりました。今はそれで苦労しています。自分の国(スリランカ)では、残すのは当たり前です。逆に、接待する側としては、お客さまが残すほど十分に料理をお出しした、ということになります。スリランカではなぜ食べものを残すのかというと、それが自然そのもので無駄にならないからです」



有田
「残しても、かならず誰かが、あるいは何ものかが、残りを食べるのですね」

スマナサーラ
「魚を食べたら骨を残すでしょう。スリランカでは、それを必ずネコにあげます。ネコはそれを期待しています」

有田
「なるほど、そういう意味ですね」



スマナサーラ
「ですから、残さないほうが悪いのです。戒律にあろうとなかろうと、食べる前に一部を分けなさいと。そうして、あらかじめ一つ、分けて置いておくのです」

有田
「食べる前に、ですか?」

スマナサーラ
「ええ。『わたしが全部たべるぞ』ではなくて、最初から一部をとっておき、それを食べないことにします。全部は食べず、一部をのこして食事を終えるのです。それを誰かに食べてもらったりするのです」



有田
「そうですか。それが食事をするときの一つのマナーなのですね」

スマナサーラ
「マナーでもあり、かつ、精神的なコントロール方法でもあります」

有田
「『腹八分目』が自然にできるのですね」



スマナサーラ
「ですから『せっかく作った食べものを残すなんて、もったいない』といいますが、せっかく作ったのなら自分ではなく、ほかの誰かが食べればいいでしょう」

有田
「なるほど、その発想があれば残せますね」

スマナサーラ
「『食べるのは、私だけではないのだ』と」









引用:仏教と脳科学―うつ病治療・セロトニンから呼吸法・坐禅、瞑想・解脱まで (サンガ新書)




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