2019年9月6日金曜日

原文で読む『天狗芸術論』巻之四

天狗芸術論
巻之四


§1 2409字

【原文】

一、503字

問ふ。
槍に直槍、十文字、鎰、管等の伝あり。いづれか利あらん。

曰く。
何ぞ問ふ事の愚なるや。

槍は突くものなり。突くことの自在をなすは我にありて器にはあらず。然れども或いは鎌をつけ、柄に鎰を仕込み、或いは管をかけて用ふることは、其先人の得たる所より其利を工夫し、其うつはものの働を極めて、此れを用ひて自在をなしたるものなり。

今其流儀を学ぶ者は、初めより其器にて仕習ひたることなれば、他の器よりは手に熟したる器を以てはたらきたる方利あるべし。達して己に得るに至ては、棒をもちても槍となるべし。

今、後学其門弟をあつめて、横手物には此あひしらひにてかち、管、直槍には此通りにかかり、鎰にはかくの如くして勝つなどいふは、我が門弟に他の器に応ずることを教へ、我がうつはものの利を説くのみ。然らざれば其流儀の器をもちたる得なし。もし是を至極と心得て、十文字は入り込んで来り、鎰、槍は直槍の柄をからむものなりとのみ思はば、大いに相違あるべし。

然れども先師の教ふる所をもつぱらに習熟すべし。其上のことなり。あしく心得れば初学の迷ひを生ず。初学の取入るべきやうなき者のために、しばらく収気の術を記す。此れ小童に倣はすべきことなり。

【原文】  

一、 1906字

先づあふのけに寝て肩を落し、胸と肩とを左右へ開き、手足をこころのままに伸べ、手を臍の辺り虚欠の所に置き、悠々として万慮を忘れ、とやかくと心を用ふることなく、気の滞りを解き、気を引さげ、指の先までも気の往きわたるやうに気を総身に充たしめ、禅家の数息観のごとく呼吸の息を数へ居るに、初めの内は呼吸あらきものなり。漸々に呼吸平らかになる時、気を活して天地に充つるがごとくすべし。息をつめ気を張るにはあらず、気を内に充たしめて活するなり。

此時に積聚の病ある者は、胸腹の間其病のある所、必ずしだるく気味あしきものなり。此すなはちあつまり凝りたる気の融和せんと欲して動ずるなり。腹のうち鳴るもの也。此時多くは腹の内の気味あしきにおどろきて止むものなり。此時は猶初めの開きて充ちたる気を改めず、掌を以てやはらかに抑へ揉むべし。強く捫るときは彼動ずる邪気にさからひ、却つて鎮まらざるものなり。甚だ突上がる時は各別なり。

総じて腹の上一所に久しく手を置く時は、気其所へあつまるものなり。故に充ちたる所に手を置かずして、虚なる所に手を置くこと習ひなり。亦背に病ある者は必ずせなかしだるくなるものなり。只気のこらざるやうにすべし。

肩と胸とを開くこと習ひなり。両の肩をぬき出すやうにひらく時は気伸ぶるものなり。此れ形を以て気を開くの術なり。気滞る時は心滞る。心とどこほる時は気とどこほる。心気は一体なり。此術は先づ気の滞りを解きて、其倚る所を平らかにするの術なり。

譬へば総身に蟻などのたかりてせはしきを、払ひ落して身を清くし、其上にて新らしき衣類を着し、綺麗なる所に居るがごとし。

神道に内清浄外清浄といふことあり。内清浄は心を潔くして私念妄想の穢れを去り、無欲無我の本体にかへり、元来固有の天真をやしなふなり。外清浄は身をいさぎよくして衣服居所を改め、気を転じて外の邪気の内へ移らざるやうにして内清浄を助くるなり。内外本一なり。内清浄の外に外清浄あるにはあらず。

心気もと一体なり。気は形の内を運つて心の用をなす。心は霊なり。かたちなくして此気に主たるものなり。気を修する時は心おのづから安し。此気妄動する時は心困しむ。

たとへば船しづかなる時は乗者安く、波荒く船危ふき時は乗者安からざるが如し。故に初学の手を下す所、先づ気の滞りを解きて心を平らかにし、気を活して心の自在をなすべし。此迄は寝て散乱するの気を収め、倚る気を解きて平らかにするの術なり。

かくの如くすること五七日或は十日二十日のうちに修して、みづから快きことを覚ゆべし。快き時は猶々此術を行ふべし。気収まりたらば気を活すべし。惰気にひかるべからず。気総身にみつるが如くわづかに心を活すれば、気活するものなり。

又昼は起きて形を正しうし、気を活して総身にみたしめ、正三派の二王坐禅のごとく、しばらくの内坐して気を収むべし。必ずしも線香を立て時を定め、結跏趺坐するにも及ばず、常の如く坐して形を正しくし、気を活するのみ。しばらくのうちかくの如くして、一日に幾度も間暇の時に修すべし。

かくの如くすれば筋骨の束ね合ひ、血脈流行して滞りなく、気実して病おのづから生ぜず。形正しからざれば気倚る所あり。

立つて修するも同じ。人と向ひ坐し、或は物に対し、または事を務むる時も同じ。胸と肩とを開きて気のかたよることなく、滞ることなく、総身指の先までも気の充ち渡るやうに心を付くべし。

歌謡して声を発する時も、飯を喫し茶を飲む時も、路をありく時も、常にかくの如く心を付くる時は、後に不断の事に成つて、自然に気活するものなり。不断かくの如くなる時は、不意の変に応ずること速やかなり。惰する時は死気に成つて用に応ずること遅きものなり。落付きたると油断と似て異なるものなり。みづから試みてしるべし。

此れ文才なく初学幼童といへども、心を付くれば労する事をなくして成り易きことなり。小子輩の立廻り、茶の湯、蹴鞠、一切の小芸舞躍の類迄も、気かたよりて生活せざる時は、形の動静手足の続き美はしからず、応用の所作も滞るものなり。常には惰気になりて何の心もなく、器を執る事ある時ばかり俄かに思ひ出して修せんとする時は、気改まり形に心をとられ、所作に意を住むるゆゑに、気動揺して不意の用に応じがたし。

常に心を用ひて修する時は、事ある時に無心にして応ずる者なり。只常に気を生活して惰すべからず。惰気は死気なり。死気は霊なし。故に用をなさざるのみにあらず、物に驚き怖るること多し。気総身にみちて心とともに生活する時は、おどろくこともなく、おそるることもなく、不意の変にも応じやすし。但し浮気は根なし。生活にはあらず。似て異なり。






§2 974字

【原文】

一、122字

昔或る禅僧、小童に教へて曰く、怖ろしき所を通る時は腹をはりて往過ぐべし。おそろしき事はなきものなりといひし。

よき方便なり。腹をはる時は気を引下げて下にあつまり、暫くは気内にみちて強くなるものなり。気虚欠にして上にある故におどろき怖るることあり。

【原文】

一、852字

亦歩行する者を見るに、常人多くは上ずりなるが故に、頭とつり合つて歩行し、或は五体をもみてありく。善く歩行する者は腰より上は動くことなく、足を以て歩行する故に、体静かにして臓腑をもむことなく、形疲れざるものなり。駕輿丁の歩行するを見てしるべし。

剣戟を執つて行く者、気濁つてかたよる時は、足を以て行くことあたはず、頭につれて五体をもむときは形に損あり、気うごいて心しづかならず。刀は右を先にし、槍は左を先にす。立つ時は前足を活して立つものなり。

一切の事みな常に修すべし。路をゆきながらも、坐しても、ねても、人と対しても、工夫はなることなり。

猿楽の太夫共の足づかひを見るに、みな爪先をそらしてすすむ。足を活かし踵を蹈みてゆく。これ身の風流ばかりにあらず。すすむ足活きて、足を使ふに自由なり。又気我にかへりて向ふへ曳かるることなし。鞠を蹴る者の身づかひ足づかひも同じ。

上手の太夫の舞ふ所を後ろより突くに、躓き倒るることなし。これ気活して総身に充ち、下は定まつておもく、上は軽く動いて片よる所なく、臍下より呼吸して声を出すがゆゑなり。

下手の舞ふ所へは、少し礙りてもつまづき倒れるものなり。これ下軽くして定まらず、気かたよりて生活せず、胸より上にて呼吸し、上ずりに成つて下虚欠なる故なり。

亦上手の謡物は、声を呂へ落す時、臍下大いにふくるるものなり。是等の事は常に試みて知るべし。

故に人の歩行するに下軽く上ずりなる者は、早く疲るる者なり。此等の事に限らず、耳目の触るる所に心を付けて試みる時は、天地の間の物みな工夫の種となり、天下我が師にあらずといふ事なし。我れに主あつて是を求むるが故なり。一切の事我に求むる主なき時は、人より与ふることはなきものなり。

軍書に主人の供をして行くには、前後左右山川地利の益に心を付くべしといへり。古への名将は田夫野人の所作を見て心付き、謀術の種として功を立てたる人多し。

軍中には限るべからず。常にも万事に心を付くれば、益を得る事多かるべし。頑空なれば死人に同じ。得ることあれども取らず。





§3 1208字

【原文】

一、1208字

問ふ。
軍学は謀計を以て人を欺くの術なり。此道に習熟せば我が小知を助けて心術の害あらん歟。

曰く。
君子是を用ふる時は国家治平の器となり、小人これを用ふる時は己を害ひ人を傷ふの器となるべし。一切の事みな然り。志道にもつぱらにして、私心のまじはりなき時は、盗賊の術を学ぶといふとも、盗賊を防ぐの益となつて志の害をなすことなし。志情欲利害にもつぱらにして学ぶときは、聖賢の書といへども小知の助けと成るべし。

故に先づ正道の志を立て、是を変ぜずして後万事を学ぶべし。我に正道の主なくして軍術等を学ばば、功利の言を悦びて心此に動き、小知の巧を専らにして、是を以て士の道とするの誤りあるべし。剣術を学ぶ者も此芸に熟して、是を以て辻斬強盗をなして男道なりと思はば、芸術却つて身の害を招くべし。此芸術の罪にはあらず。志の違へるなり。

熊坂と弁慶と同じ打物の達者、勇謀兼備へたる大剛の者なり。弁慶は是を用ひて忠戦をなし、熊坂は是を用ひて盗賊をなす。故に謀計は士道にあらず。是を用ひて軍忠をなすを士道とす。加州安宅の関にて、弁慶が杖を以て義経を打ちたるは忠にはあらず、君の難を救ひたるを忠とす。迹を以て論じ、事を以て論ずるは不智なり。

夫軍法は人数を立てて備へを設け、敵のために我が陣を破られず、奇兵を用ひ謀を以て敵を破るの術なり。邪を以て正に敵する者は賊なり。備へを設けて謀を用ひず、無法に戦つて敵の謀に陥り、賊の為に我が忠義の士を傷つて可ならんや。我れ謀術を知るときは、予め其備へを設けて敵の謀におちいらず。其術をしらざる時は敵の擒となる。是をしらずして可ならんや。  

謀は其術多端なりといへども、畢竟人情に応じて用をなすものなり。人情に応ぜざるの謀は、其術を知るといへども用をなさず。医師の多く書を読み薬方はしりたれども、其病の因つて起る所をしらず、妄りに薬を施して却つて他の病を引出すがごとし。

人情をしることは将の知にあり。将信あり義あり仁あるにあらざれば、人情和せざるものなり。人情服せざる時は、其謀却つて禍となること古今明白なり。医師の妄りに薬を施して却って他の病を引出すがごとし。敵暴にして我に道あらば、人情の服する所金鉄のごとし。敵の謀何ぞ恐るるにたらん。

敵道あつて我が軍の人情服せずんば、我がはかりごとを用ふる所なし。故に将は人情を得るを以て要とす。今士の学ぶ所は名将謀術の迹のみ。

是古人の糟粕なり。其糟粕を学んで精汁を錬り出すは、其将の量なり。匹夫は其事を倣つて其事の中より、時に当るの働きをなすものは士の量なり。

物頭、物奉行、斥候、使番みなそれぞれの事あり。前備、脇備、卜備、遊軍皆それぞれの法あり。槍前、槍下、崩れ際のはたらき、皆しらずして叶はざることなり。或は城を攻め城を守り、伏奸、夜討、夜込等、軍は少しの誤りにて大崩れになる事おほし。各々其事をしらずして其場へ向ふは、水練をしらずして大河を渡らんとするよりもはなはだし。





§4 1364字

【原文】

一、1364字

問ふ。我が謀を以て敵を欺かむとせば、敵もまた謀を以て我をあざむくべし。豈われひとりしる事あつて天下みな愚ならんや。

曰く。然り。汝の言ふ所は押形の一通なり。

碁象戯の手の古来より倣ひありて、其理を尽しつくして此外に余術なきが如しといへども、又其上の上手出来ることあり。碁の定石を倣ひ、象戯の駒組詰物等をならふは、其押形を学ぶなり。我に自得する時は、其中より別に新しき手湧き出て勝負を決するなり。凡て世間一切の事みな押形の如くなることばかりはなきものなり。

謀もまたかくのごとし。将の器量によつて、古人の押形の中より、臨機応変のはたらき奇兵の謀術は、其時にあたりて将の胸臆より湧き出るものなり。古への良将は漁樵賤夫のしわざを見て直に取つて新しき術となし、軍中に用ひたることおほし。常に心を付ける時は、見ること聞くことみな謀術の助けとなるものなり。

然れどもまづ古人の押形を知らざれば、後学の因るべき所なし。学術も亦しかり。古人の迹によらざれば其跡なき道を悟ることあたはず、一切の事みな常に心を用ひて耳目のふるる所を以て修行の種とし、事ある時は其時の変に任すべし。

又軍中は敵味方ともに大勢なれば、独りばたらきの如く自由は成りがたきものなり。常に古人の跡を考へて法を出し、士卒を錬り、駈引きの自在なるやうに備へを立つるを以て要とす。

吾人父祖の陰徳によつて今日身に福ありといへども、一念わづかに差ふときは、其より種々の妄心生じて終に天狗界に入り、父祖の陰徳を削り、身に禍あること矢よりも疾し。汝等惧れ慎むべし。

天狗界といふは己が小知に慢じて人を侮り、人の騒動するを悦び、是を以て是非得失の境をなして無事を楽しむことをしらず、欲する所を必として己を省みることなし。只己に従ふ者を是とし、己にしたがはざる者を非とす。

世間の是非を己が我執のしがらみに留めて、彼を悪みこれを愛し、或いは怒り或いは困しむで、常に心のしづかなることなし。之を仏家に一日に三度熱湯を飲んで総身より火焰を生ずといふ。此煩熱の苦しみより種々転動して邪をなし人を害ふ。

汝等よく心を修し気を収め、魔界を去り、人間に出て道を求むべし。汝等鼻ながく、觜あり翅あるを以て、人に勝れりと思つて愚人を誑かす。汝の長き鼻、尖れる觜、軽き翅は、却つて心を苦しめ人を害ふの器なり。学術剣術ともに只己をしるを以て専務とす。己をしるときは内明らかにして能く慎しむ。故に来つて我に敵すべき者なし。たとひ知足らずして過ちありとも、我が罪にあらず。天に任するのみ。

己を知らざる者は人を知らず。私心を以て人を欺き勝ちを取らんと欲する者をば、人其私心の虚を討つ。欲を以て人を襲ふものをば、人其の欲を動かして其の動の虚を討つ。勢を以て人を圧す者をば、人其勢の衰ふる所を討つ。

学術、剣術みな同じ。只己を尽して無欲なる者は討つべきの虚なし。勢を以ても挫ぐべからず、欲を以ても動かすべからず、巧を以ても欺くべからず。吾此れを思つて常に慎しむといへども、凡情いまだ断ぜず。只熱湯を飲む事を少しく免かるるのみ。

猶天狗の列にあり、何れの日か人間に出て道を悟らん。しばらく我が聞く所を以て汝に示すのみといひ既つて、草木震動し、山鳴り谷応へ、風起つて面を撲つと見て夢悟めぬ。

山と見えしは屛風にてありし。寝所に遽々然として臥したり。






芸術論後

【原文】290字

客あり、此書を難じて曰く。子が論ずる所、理を開き情を尽し、気の所変を語つて未だ事の応用を審らかにせず。老人病身又は務め繁き者の志を養ふには可なり。芸術修行の者のためには足らざる所あり。

曰く。吾剣術者にあらず、何ぞ人を導くことをせんや。只弱冠より好むで芸術ある人に親炙し、其事の利を討ね、気の変化を試みて其病を治し、その理を聞きて心術を証せんことを求むる者なり。たまたま心に黙契することあれば、筆記して予が童蒙に示すのみ。

友人予が童蒙によつて頻りに請ふ。然れども多言にして識者の謗りを招かんことをおそる。已むことを得ずして天狗を傭ふて戯談せしむ。寝語の小冊予、豈みづから是とせんや。



享保十四歳次
己酉孟春

洛陽堀河錦上ル町
西村市郎右衛門
書肆
武陽本町三丁目
蔵版西村源六
豊島町
彫工栗原次郎兵衛