2016年1月19日火曜日

『ミリンダ王の問い』 中村元[原始仏教]より



話:中村元







第7章

ギリシア思想との対決
「ミリンダ王の問い」


一、『ミリンダ王の問い』の成立とその意義


ミリンダ王登場の背景


本章では、「ギリシア思想との対決」という問題をとり上げます。具体的には『ミリンダ王の問い』という書物が、パーリ語で伝えられています。

東の思想と西の思想が対決をしたその記録という意味では、おそらくこれほど重要な典籍はまたとないのではないかと思われます。ここでは、インドに発した仏教の思想とギリシアの思想とが対決し、交流しているのです。



インドとギリシアとの文化交流ということは、相当古い時代からたどれるのですが、そのきっかけとなったのは、紀元前327年にアレクサンドロス大王がベルシアの方を征服しました。その余威をかってインダス河流域に侵入してきたその時代から始まるのです。

その後、インドのチャンドラグプタが、ギリシア人の勢力を一掃してマウリヤ王朝を建設し、ここにインド全体がインド史上では初めての空前の大国家を建設したのです。

前章で触れましたが、チャンドラグプタ王の孫のアショーカ王は、紀元前三世紀にさらに領土を広げ、マウリヤ王朝が栄えました。仏教が急激に広がったのもこの時からです。



このころからギリシアとの交流は非常に盛んになって、ギリシア人のことが仏典にもよく出てきます。いろいろな交渉がありましたが、インドへ入ってきたギリシア人の支配者たち、あるいは商人たちの間にも、いつのまにか仏教の信仰がだんだんと広がるようになり、仏教の霊場、寺院に、いろいろなものを寄進するようになりました。たとえば立派な彫刻の施されている窟院、あるいは貯水池をそこにつくるとか、ストゥーパの部分を寄進するとか、そういうことをヤヴァナ、すなわちギリシア人が行ったということが多くの碑文に出ています。

マウリヤ王朝は、アショーカ王没後はしだいに衰え、紀元前180年ごろにプシヤミトラという将軍に滅ぼされました。するとインド全体はまた以前と同様に分裂状態に陥ったのです。勢力が弱まったところにつけこんで、インドの西北の地方(現在のパキスタン北部)から北インドにかけてギリシア人の諸王(主としてバクトリアの方から)が相次いで侵入してきました。そしていくつかの王朝を成立させたのです。

多数のギリシア人国王の系譜はよくわかりませんが、かれらはそれぞれ貨幣をつくって発行しました。また碑文にもかれらの名前が載せられているので、それらを合わせると、少なくとも40人以上の王たちがパキスタン北部(いわゆるガンダーラとよばれる地方)からインドの北部に向かって、それぞれ王朝を確立し、支配していました。



ミリンダ王と仏教


これら多くのギリシア人の王たちの中で最も有名だったのが、ギリシア人なる国王メンドロス(Menandros、パーリ語でミリンダ = Milinda)です。だいたい紀元前160年から140年ごろに、バクトリアからカブールの地方を統治していたと考えられています。彼はそこからインドへ侵入してきたわけです。

この王が最も有力で、アフガニスタンから中部インドまでも支配しました。つまり、ギリシア人諸国王のうちで彼の領土が最も広く、そして彼のつくって発行した貨幣が今日多数残っています。なかには遥か海を越え、イギリスのウェールズ地方でも見つかったものもあります。その貨幣の表には彼の肖像が刻され、ギリシア文字で彼の名前が印されています。時期によって彼の肖像は多少異なりますが、なかなか精悍な、そして英知に輝く人物であったと思われます。

またその貨幣にはギリシアの神々の像が刻せられていることもあります。だから公にはギリシアの昔ながらの民族的な神々を、インド、あるいはアフガニスタンに居ながらも奉じていたわけですが、内心では仏教を信じていたらしいのです。というのは彼が奉納した旨を刻んだ舎利器(遺骨を納める器)が近年発見されました。また彼が亡くなった時に、インドの諸地方の八つの都市が、彼の徳を慕うあまり、その遺骨を互いに貰い受けて八つに分け、八都市が彼の遺骨を祀り記念碑を建てたということが記されています。これは釈尊の涅槃のときの伝説にならったものであろうと思われます。

彼はパキスタン北部のシャーカラという所に首都を構えインドを統治して、ガンジス河の流域にまでその勢力は及んだのです。



『ミリンダ王の問い』の成立


ミリンダ王はシャーカラ(パーリ語ではサーガラ)で仏教の長老であるナーガセーナ(Nagasena)という人と対談をしました。その対談がパーリ語で記し伝えられ、『ミリンダ王の問い(ミリンダパンハー)』という名前の書物として、今日南アジアの国々に伝えられています。

またそのうちの初めの3分の1ほどは、『那先比丘経(なせんびくきょう)』というお経として漢訳でも伝えられています。那先(なせん)というのは、ここに登場するナーガセーナというお坊さんの名前の音写、比丘(びく)というのは仏教の修行僧のことです。漢訳では「経」と名付けられていても、厳密にいうと経典ではありません。というのは釈尊が亡くなって以後につくられたものだからです。

ですから、スリランカなどに伝えられているパーリ語聖典(三蔵)においては、『ミリンダ王の問い』は「経(sutra)」のうちには含められていません。しかしビルマでは『クッダヤ・ニカーヤ』の中に収められ、経典としての権威が付されています。



『那先比丘経(なせんびくきょう)』には、二巻本と三巻本があります。どちらも翻訳者の名前はわかりませんが、東晋の時代、だいたい4世紀から5世紀の初めごろに訳されたと思いますが、原典はもっと早くて、おそらくその原形は紀元前2世紀後半にできたものでしょう。さらに、この『那先比丘経』の主要な部分が、現存のパーリ文『ミリンダ王の問い』の中に含まれていますが、この、パーリ文と漢訳の対応する部分が特に古くて、紀元前1世紀から後1世紀にわたってつくられたと思います。その後パーリ語でつけ足されて、430年ごろまでにはパーリ文の原形ができ上がったとみられています。

次節では、この書の両者符合する部分を主題としてとりあげます。

この書物には、二人が対談した内容が、対話の形式で述べられていますが、この対談というのが、たいへんおもしろいのです。それはインド人同士でしたら何の疑問もいだかないような当たり前のことが、ギリシア人の眼から見ると奇妙で信じられない、そういうところを衝いているからです。それに触発されて仏教の修行層であるナーガセーナが応えるというわけで、これは東西の思想交流を示す非常に重要な古典です。

ガンダーラ美術はギリシア美術の影響が多分に見られますが、それと同じように思想の面でも必ず何か影響があったに違いありません。多くの書物は消えてなくなっていますが、この『ミリンダ王の問い』という書物は正にその思想交流、あるいは対決を示す貴重な文献なのです。



二、ナーガセーナとの対話


霊魂観


ミリンダ王とナーガセーナとの対話の中身について、みていきましょう。

議論の本筋に入る前に、最初はいきなりミリンダ王が出てこないで、王に従ってきた廷臣、アナンタカーヤとナーガセーナが対話をするという場面が出てきます。これも考えようによってはなかなかおもしろい対話だと思います。


「尊者ナーガセーナよ、私が『ナーガセーナ』と言ったとき、そこにおける『ナーガセーナ』とは何なのですか」

「では、そこにおける『ナーガセーナ』とは何なのだと、あなたは考えますか」

「身体の内部にあって、風(=呼吸)として出入りする霊魂を私はナーガセーナであると思います」

「しからば、もしもこの風が外に出たまま入って来ないか、また内に入ったまま外に出て行かないならば、いったいその人は生きていることができるでしょうか」

「生きていることはできません」

「しからば、人が法螺貝を吹く場合に、風が彼らのもとにふたたび入って来るでしょうか」

「入って来ません」

「また人が竹を吹く場合に、風が彼らのもとにふたたび入って来るでしょうか」

「入っては来ません」

「しからば、何ゆえに彼らは死なないのですか」

「さあ、尊者よ、このわけを話してください」

「風は霊魂ではありません。これらの出入りする風は、身体のなかにひそむ力なのです」

(第一篇 第一章 第四)


ギリシア人の霊魂観からみると、霊魂は出入りする空気だが、インドの仏教者は、それを認めないのです。

ナーガセーナが相手にしているのは、パーリ文ではアナンタカーヤという名前になっていますが、これは学者の推定によると、アンティオコスだろうといいます。彼はミリンダ王についてきた宮廷の地位の高い廷臣、官僚です。ですから、ギリシア的な見解をもっています。

その議論はなにか非常にギリシア的なような気がするのです。それをナーガセーナ長老は衝いているのです。

『ミリンダ王の問い』の中では、総じて議論は多岐にわたっていますが、だいたいインド人の間ではあたりまえだと思っていても、ギリシア人の立場からみると、どうも納得がいかないというようなことは、片っ端から取り上げて論じて質問を発するわけなのです。とくに主な論点としては、ここに出ている霊魂の問題、それからそれに付随する輪廻の観念です。つまり生まれ変わりです。ギリシア人はギリシア人独特の霊魂観をもっており、その立場から論ずるのです。仏教の無我説、それから無我説の立場に立ちながら、しかも人間が迷って輪廻するというその理(ことわり)が、ギリシア人にはどうもわかりにくかったらしい。それがまず出発点になっています。



名前の問い


この仏典の「前世物語」のようなものが、はじめに含まれているのですが、実際の対談はミリンダ王がナーガセーナ長老を訪ねていって、議論を開始するところから始まります。


ときに、ミリンダ王は尊者ナーガセーナのいる所に近づいて行った。近づいて、尊者ナーガセーナに会釈し、親愛にみちた礼儀正しい言葉を交わして一方に坐った。

尊者ナーガセーナもまた答礼して、ミリンダ王の心を喜ばせた。そこで、ミリンダ王は尊者ナーガセーナにこう言った。


インドやスリランカの古来の礼法としては、宗教者が非常に尊ばれているので、たとえ国王といえども宗教家を訪ねて行き、礼儀正しい挨拶をしてから会話を始めるのが通例でした。ミリンダ王はギリシア人ですが、インドの礼法に従って、自分のほうから出ていって恭しく挨拶し対談を始めたというわけです。その挨拶に対して、出家修行者であるナーガセーナも同じように答礼をしたという次第です。


「いかにして、あなたは尊師として〈世に〉知られているのですか? 尊者よ、あなたはなんという名なのですか?」

「大王よ、わたくしはナーガセーナとして知られています。大王よ、同胞である修行者たちはわたくしをナーガセーナと呼んでいます。また父母はナーガセーナとか、スーラセーナとか、ヴィーラセーナとか、或いはシーハセーナとかいう名をつけています。しかしながら、大王よ、この『ナーガセーナ』というのは、実は名称・呼称・仮名・通称・名前のみにすぎないのです。そこに人格的個体は認められないのであります」


一人の個人というものが、実体として永久に存在するものではないということ、個人存在というものはつねに移り変わってゆくものである。日本人に知られている表現によると「無常なるものである」、これが仏教説です。だから実体としての人格的個体は認められない、そうはっきりと断言したのです。

ギリシア人であるミリンダ王はびっくりして、こう言いました。


「五百人のヨーナカ人(ギリシア人)諸君と八万の比丘はわが言を聞いてくれ。このナーガセーナはこう言ったぞ、『ここに人格的個体は認められない』と。それを信じ得るだろうか?」


五百人というのは、ある程度人数が多いのを示す呼称です。また、八万というのは、非常に多い数をいうのです。ギリシアの哲学では、魂というものをだいたい認めます。それに基づいて個体があると考えているので、ナーガセーナの言うことはとんでもないことだというわけです。

インドでは、仏教以外にもいろいろの哲学学派、あるいは宗教体系があり、それらはみな霊魂という実体があって、それがわれわれの存在の中心にあり支配して行動を起こす、とそう説いていたのです。ところが仏教では、そのような形而上学的な前提というものは取り除いて、現象に即して考える。そうすると、われわれが生きて働いているというのも、結局いろいろな原因と副次的な条件、因縁といいますが、この因と縁が集まって、そしてわれわれを生かし、活動させている。だから、なにも万能で絶対的な霊魂とか神とか、そういうものを考える必要がないという立場なのです。それがこの対話のなかにはっきりと出ていると思うのです。

仏教では霊魂を、肯定も否定もしません。ただ、世間にそういう信仰があるとしてそれを認めるという立場です。


ミリンダ王は、それで、尊者ナーガセーナにこう質問した、(中簡略)

「『大王よ、同朋である修行者たちはわたくしをナーガセーナと呼んでいます』とあなたはいいました。その場合、『ナーガセーナ』と呼ばれるところのものは、いったい何ものですか? 尊者ナーガセーナよ、髪がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「身毛がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「爪がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」


〈以下、身体の各部分について同様の質問・返答が繰り返される。すなわち、〉


「歯・皮膚・肉・筋・骨・骨髄・腎臓・心臓・肝臓・肋膜・脾臓・肺臓・腸・腸間膜・胃・糞・胆汁・痰・膿・血・汗・脂肪・涙・膏・唾・はなじる・関節滑液・尿・頭脳など、〈これらのいずれか一つ〉がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」


当時、すでにインド医学はある程度進歩していて、解剖も行われていました。当時のインド医学では解剖を禁止してはいませんでしたから、死体を解剖してこういう臓器があることは知られていました。そのどれも「ナーガセーナではない」というのです。

今度は少しく哲学的なことばを使って言います。


「尊者よ、〈物質的な〉かたちがナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「感受作用がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「表象作用がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「形成作用がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「識別作用がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」


ここの五つ、物質的なかたち、感受作用、表象作用、形成作用、識別作用を、漢訳仏典では「五蘊(ごうん)」といいます。つまりわれわれの個人存在を構成している要素ですが、これを現代的にわかり易く訳してみました。


「尊者よ、しからば、かたち・感受作用・表象作用・形成作用・識別作用〈の合したもの〉がナーガセーナなのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「尊者よ、しからば、かたち・感受作用・表象作用・形成作用・識別作用の外に、ナーガセーナがあるのですか?」

「大王よ、そうではありません」

「尊者よ、わたくしはあなたに幾度も問うてみたのに、ナーガセーナを見出し得ない。尊者よ、ナーガセーナとは実はことばのことにすぎないのですか? しからば、そこに存するナーガセーナとは何ものなのですか? 尊者よ、あなたは、『ナーガセーナは存在しない』といって、真実ならざる虚言を語ったのです」

そこで、尊者ナーガセーナはミリンダ王にこう〈反問して〉言った、

「大王よ、あなたはクシャトリヤの華奢な〈生まれ〉であり、はなはだ贅沢に育っておられる。大王よ、あなたが真昼どき暑い地面をやけた砂地のうえを、そしてごろごろした砂礫をふみつけて歩いてきたとすれば、足は痛むことでしょう。また、身体は疲労し心は乱れ、身体の苦痛感が生じることでしょう。いったいあなたは、歩いてやってきたのですか、それとも乗り物ですか?」

「尊者よ、わたくしは歩いてやってきたのではありません。わたくしは車でやってきたのです」


日本でも地面を裸足で歩くと、歩きつけない人は痛みます。ましてインドでは、昼間は猛烈に太陽が照りつけるので、痛いだけでなく暑いのです。

暑さにも耐えられない。ところが修行している修行者は裸足で歩くのは慣れているので、足の裏が厚くなって、歩いてもそれほど響きません。ところが華奢な育てられ方をした人は、そうではなく、身体の苦痛感が生じるであろう、というのです。だから修行者のように歩いてきたわけではないでしょう、というのです。



車のたとえ


ここで車に関する部分の一つ一つを取りあげていいます。


「大王よ、もしもあなたが車でやってきたのであるなら、〈何が〉車であるかをわたくしに告げてください。大王よ、轅(ながえ)が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「軸が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「輪が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「車体が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「車棒が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「軛(くびき)が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「 輻(や)が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「鞭(むち)が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「しからば、大王よ、轅・軸・輪・車体・車棒・軛・輻・鞭〈の合したもの〉が車なのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「しからば、大王よ、轅・軸・輪・車体・車棒・軛・輻・鞭の外に車があるのですか?」

「尊者よ、そうではありません」

「大王よ、わたくしはあたなに幾度も問うてみましたが、車を見出し得ませんでした。大王よ、車とはことばにすぎないのでしょうか? しからば、そこに存する車は何ものなのですか? 大王よ、あなたは『車は存在しない』といって、真実ならざる虚言を語ったのです」(中簡略)


こう言って、ナーガセーナはミリンダ王をやりこめたわけです。


そこで、ミリンダ王は尊者ナーガセーナにこう言った、

「尊者ナーガセーナよ。わたくしは虚言を語っているのではありません。轅に縁(よ)って、軸に縁って、輪に縁って、車体に縁って、車棒に縁って、『車』という名称・呼称・仮名・通称・名前が起こるのです」


つまり部分部分がバラバラにあったり、ただ積み重なってあるだけでは車にはならないのです。それぞれ適当な位置を占めて相互に連結することにより、そこで仮に車という名前ができ上るのです。縁って起こるということです。「縁って起こる」というのを仏教では「縁起」といいます。すなわちいろいろなものがより集まって個物ができるというわけなのです。

そこで、ナーガセーナがいいます。


「大王よ、あなたは車を正しく理解されました。大王よ、それと同様に、わたくしにとっても、髪に縁って、身毛に縁って……乃至……脳に縁って、かたちに縁って、感受作用に縁って、表象作用に縁って、形成作用に縁って、識別作用に縁って、『ナーガセーナ』という名称・呼称・仮名・通称・単なる名が起こるのであります。

しかしながら勝義においては、ここに人格的個体は存在しないのです。大王よ、ヴァジラー比丘尼が、尊き師(ブッダ)の面前でこの〈詩句〉をとなえました」


体の部分や、体の中で働いているいろいろな精神的作用によって、「ナーガセーナ」個人という仮の名前がつけられている。けれども究極的な立場からみると、人格的な個体は存在しない、というのです。

ここでヴァジラーという尼さんの詠じた詩の文句を引用しています。すでに最初期の仏教の時代から女性の尼さんは男子に伍して重要な位置を占めていました。ここにみられるような哲学的な論議をする人もいたのです。その詩の文句ですが、


「『たとえば、部分の集まりによって

”車”という言葉があるように、

そのように〈五つの〉構成要素の存在するとき、

”生けるもの”という呼称がある』と」


いろいろな部分が集まって車というものができる。それと同様に、われわれの存在を構成する五つの要素(五蘊)が集まって、生きている存在と名づけられるものがあります。これを漢訳仏典では「衆生(しゅじょう)」と呼ぶこともあります。あるいは唐代以後の漢訳では、「有情」と訳し、「有情」の「情」は情けではなく、むしろ「心の働き」という意味で、「人の働きのあるもの」、ですから生きもののことをいうわけで、人間のみならず、高等の動物はそこに含めますが、そういうものはみな五つの働きが集まっているものだ、というのです。

それを聞いて、ミリンダ王がいいました。


「すばらしい、尊者ナーガセーナよ。立派です。尊者ナーガセーナよ。〈わたくしの〉質問はいとも見事に解答されました。もしもブッダがご在世であるなら、賞賛のことばを与えられるでしょう。もっともです。もっともなことです、ナーガセーナよ。〈わたくしの〉質問はいとも見事に解答されました。

(以上、第一篇 第一章 第一)


この対談をみると、ギリシア人の王は、いつも「ブッダ」とよんでいます。ところが長老のほうは「世尊(尊き師)」ということばを使っています。ここに同じく釈尊に言及するにしても、若干の立場の違いがあるのです。



実体の否定


右にあげた車のたとえというのは、この本の中では非常に有名なものです。ナーガセーナ長老とミリンダ王との対談の最初に出てくるというので、よけい重要な意味をもっているかと思いますが、同時に仏教思想の理解のためにも重要なものです。このような説き方をのちの教義の学問では 析空 観(しゃっくうがん)といいますが、つまり分析によって空なることを知るというのです。われわれの個人存在はここにあり、これにいろいろ部分があると考えられる。その部分部分に分けてみて、そしてどこにも個人としての実体はない、あるいは霊魂というものはないということから、個人存在の空を説くわけです。

そこで、世の中の人は、我とよばれる実体にとらわれている。けれども、そういうものがあるわけではないといって、客観的に見えるわれわれの存在の一部分にとらわれることをなくさせる。つまり我執をなくさせるというのがその趣旨なのです。それで我執をなくさせるためのたとえですから、自己がないということをいうのではなく、本来の自己というものはそういう部分部分の中には認められない。けれども、人が人間としての理(ことわり)、理法に従って実践するところにほんとうの自己がある。そういうことは他の面の教えとして説かれています。だから、その場面の自己というのは、霊魂のようなフワフワしているものでもなく、実体でもないというのです。そうではなく、人間が人間として生きるところに、ほんとうの自己が存する。それは決して物体みたいなものではないというのです。それが背後に秘められている趣旨なのです。そこへ連れて行くために、まず非常に印象的なこの車のたとえを述べているわけです。ただこういう説明だけで、問題がじゅうぶんに解決できたということはいえないようです。

もしも輪廻の主体というものを、なにか実体みたいなものに考えると、無我の輪廻ということは、説明しにくくなるでしょう。そこで何か霊魂の代用品みたいなものを教義学者はいろいろ考えて、非常に複雑な論争が後にはなされるようになるのです。そして後代には、仏教哲学が展開することになりました。

ただ霊魂に関する議論が、仏教にとって必要な本質的なものであったかどうかというと、私としてはそうは思いません。むしろ実践的な要請が先にあったと思うのです。人間はなにゆえに迷って争っているか、これはやはり我執があるからです。なにゆえ我執にとらわれるかというと、何ものかが絶対のものといいますか、あるいは不変のもので、恒久的なものだと思っているから、それを大事にするために争いも起こるわけです。その我執を離れさせる、そしてもっと高いところへ目を向かせる、そこが出発点だと思うのです。

若い人は合理的に考えますから、実体を想定しなければ説明がつかないという議論もあるようで、それも確かに一つの問題だと思いますが、しかしいったい実体という概念は何かというと、それはつねに変化するものである作用とか、現象とか、運動とか、そういうものに対立した概念なのです。だから、それは感覚の世界においてのみ成立するものです。ところが、感覚を超えた世界へそれを導き入れるということに論理的な誤解がある。つまり適用範囲を逸脱しているわけです。ところが、世のいわゆる合理主義者というのは、その合理主義の限界というものを知らないということがいえるのではないでしょうか。



仏教における「無我」


ところで、この対談にあるような考え方によって「無我説」を理解するということは、私たちの祖先の間でも行われていたことであり、昔の歌にもあります。


引き寄せて結べば柴の庵となり

解くればもとの野原なりけり


いろいろな木片とか草とかそういうものを集めてきて結ぶと柴の庵となる。そこにわれわれは住んでいる。われわれの身体もそのようなものである。ところが解けてしまうとまたもとの野原である。われわれの身体も命がなくなると、またもとにかえるわけです。すなわちここに「無我説」の根拠を認めているのです。

「無我説」というのは、「実体としての我が無い」という意味で、自己を否定したのではありません。自己というものはことばではとらえることができず、五つの構成要素の外にあるものです。ただわれわれが人間の理法、理(ことわり)に従って実践をするその中に、ほんとうの自己が現れるということをこれまでみてきたように、原始仏教では説いていますし、さらに大乗仏教になると、この点を強調するのです。だから仏教は単なる虚無論ではなく、実体としての「我」が無い(これはいつかは消えてなくなるものですから)、その奥にある真実の自己というものは、人間の理(ことわり)、法を実現するものとして不滅の意義を有するというのが仏教の教えです。



対話の成立する基盤


続いて、いろいろな議論が述べられていきます。


「尊者ナーガセーナよ、わたくしとともに〈再び〉対論しましょう」

と王は問う。

「大王よ、もしもあなたが賢者の論を以て対論なさるのであるならば、わたくしはあなたと対論するでしょう。しかし、〈大王よ〉、もしもあなたが王者の論を以て対論なさるのであるならば、わたくしはあなたと対論しないでしょう」

「尊者ナーガセーナよ、賢者はどのようにして対論するのですか?」

「大王よ、賢者の対論においては解明がなされ、解説がなされ、批判がなされ、修正がなされ、区別がなされ、細かな区別がなされるけれども、賢者はそれによって怒ることがありません。大王よ、賢者は実にこのように対論するのです」


反対論が出されても、賢者は怒ることなく、じっと道理を考えて議論します。これが賢者の対論なのです。


「尊王よ、また王者はどのようにして対論するのですか?」

「大王よ、しかるに、実にもろもろの王者は対論において、一つの事のみを主張する。もしその事に従わないものがあるならば、『この者に罰を加えよ』といって、その者に対する処罰を命令する。大王よ、実にもろもろの王者はこのように対論するのです」


どちらをとるのですか、というわけです。ミリンダ王は答えざるをえません。


「尊者よ、わたくしは賢者の論を以て対論しましょう。王者の論を以ては対論しますまい。尊者は安心し、うちとけて対論なさい。たとえば、尊者が比丘あるいは沙弥(しゃみ)あるいは在俗信者あるいは園丁と対論するように、安心してうちとけて対論なさい。恐れなさるな」

「大王よ、よろしい」

といって、長老は同意した。

(以上、第一篇 第一章 第三)


右のように、あなたがそういう態度で対論なさるなら、これから始めましょうと長老は言いました。ナーガセーナ長老がミリンダ王に対して一本釘をさしたわけです。

つまり対論する場合には、力をもって圧迫するようなことがあってはならず、どこまでも道理を追求すべきであるという精神が、ここにはっきり出ているのです。今日のわれわれでもまず第一に心がけるべきことではないでしょうか。



究極の理想の境地


この他、いろいろのことが論ぜられています。たとえば「涅槃に入る」とはいったいどういうことなのか、ということが論議されます。


「尊者ナーガセーナよ、涅槃とは止滅のことなのですか?」

「大王よ、そうです。涅槃とは止滅のことです」

「どうして涅槃が止滅なのですか?」

「すべての愚かなる凡夫は、生まれ・老い死ぬこと・憂い・悲しみ・苦痛・悩み・悶えから解脱せず、苦しみから解脱していません。大王よ、教えを聞いた聖なる弟子は、何ごとにも歓喜せず、執著していません。このとき、彼には愛執が滅び、愛執が滅びるがゆえに執著が滅び、執著が滅びるがゆえに生存一般が滅び、生存一般が滅びるがゆえに生まれが滅び、生まれが滅びるがゆえに老い死ぬこと・憂い・悲しみ・苦痛・悩み・悶えが滅びる。このようにしてこの全き苦の集まりが滅びるのである。大王よ、こういうわけで涅槃とは止滅のことなのです」

(第一篇 第四章 第七)


「涅槃(ニルヴァーナ)」というのは、これまでにもたびたび出てきましたが、仏教が興った時代にどの宗教でも使っていたことばなのです。つまり理想の境地をいうわけです。理想の境地はどういうものかということを追求して、ある人々は、快楽を追求するのが理想だと思い、またある人々は、いっさいの人間の感情や欲望を鎮めてなくするのが理想だと思いました。後者の傾向のほうがインドの宗教一般としては強かったわけです。

そしてもとの語義から見ると、否定的な意味が強かったと言えるでしょう。ニルヴァーナ(nirvana)の nir は否定的な意味です。vana はよくわからないのです。いろいろ解釈されますが、やはり、われわれは束縛されている存在で、そこから出て行くということを意味するのです。

次に「すべての人が涅槃を得ることができるか」という問いを王は発します。


「尊者ナーガセーナよ、すべての人が涅槃を得るのですか?」


するとナーガセーナは、次のように答えます。


「大王よ、すべての人が涅槃を得るのではありません。しかしながら、大王よ、正しく道を行い、熟知すべき法を熟知し、完全に知るべき法を完全に知り、断ずべき法を断じ、修すべき法を修し、現証すべき法を現 証する人は、涅槃を得るのです」

「もっともです、尊者ナーガセーナよ」

(以上、同・第八)


ここではもし真剣に仏道の実践をするならば、いかなる人でも救われる。救われないはずの人はいないという根本的な立場が表明されています。

されに王は鋭く衝いていきます。


王は問う、

「尊者ナーガセーナよ、まだ涅槃を得ていない者が、『涅槃は安楽である』ということを知っているでしょうか?」

「大王よ、そうです。まだ涅槃を得ていない者が『涅槃は安楽である』ということを知っているのです」

「尊者ナーガセーナよ、どうして、まだ涅槃を得ていない者が『涅槃は安楽である』ということを知っているのですか?」


ナーガセーナは逆に王に問います。


「大王よ、あなたはどうお考えになりますか? 手足をまだ切断されたことのない人々が、『手足を切断することは苦である』ということを知っているでしょうか?」

「尊者よ、そうです。かれらは知っているでしょう」

「どうして、知っているのですか?」

「尊者よ、他人が手足を切断されたときの悲痛な声を聞いて、『手足を切断されることは苦である』ということを知るのです」

「大王よ、それと同様に、(まだ涅槃を得ない人々でも)、涅槃を体得した人々の声を聞いて、『涅槃は安楽である』ということを知るのです」

「もっともです、尊者ナーガセーナよ」

(以上、同・第九)


つまり、その境地に達していなくても、心の落ち着いたすがすがしい境地に達した人に会えば、自ずから「あの人の心境はまことに慕わしいものだ」とわれわれでも思うように、それによって究極の境地が願わしいものだということを知ることができるというのです。

これは今のわれわれにも非常に訴えるところがあると思います。ことにまだ涅槃を得ていない人でも、涅槃を体得した人々の声を聞いて、涅槃は安楽であるということを知る。現代の生活でも、宗教的実践に徹している方にお会いしていますと、何かしらそこに感ずるものがあります。こちらでは得ていなくても、あの方はそういう境地を得ておられると思って、非常に慕わしくなりますね。それからべつに宗教的実践というほど難しいことでなくても、ごく平生お会いしている方々の中に、それぞれその人の人柄といいますか、持ち味というものがあります。あの人のああいう気持ちはいいなということを感じます。それをここでは宗教的な形で述べているのではないかと思うのです。



解脱


解脱の状態については、さらにつっこんで議論されています。


「尊者ナーガセーナよ、涅槃を得た人は、なんらかの苦しみを感じますか?」

「ある種の苦しみを感じ、またある種の苦しみを感じません」

「何を感じ、何を感じないのですか?」

「大王よ、肉体的な苦しみを感じ、心の苦しみを感じないのです」

「尊者よ、どうして肉体的な苦しみを感じるのですか。またどうして心の苦しみを感じないのですか?」

「肉体的な苦しみを感じるための因と縁とがなくならないかぎり、肉体的な苦しみを感じ、また心の苦しみを感じるための因と縁とがなくなるがゆえに、心の苦しみを感じないのです。大王よ、世尊はこのことを説かれました。『彼はただ一種の苦しみのみを感じる。すなわち肉体的な苦しみのみを感じ、心の苦しみを感じない』と」

「尊者ナーガセーナよ、苦しみを感じるその人が、なにゆえ完全な涅槃に入らないのですか?」

「大王よ、聖者(阿羅漢)には愛好もなく、嫌悪もない、聖者は未熟なる〈果実すなわち身体〉を落とすことがない、賢者は〈それが〉成熟して〈脱落するのを〉待つのである」


業の成熟する因縁を待つというのです。

ここでナーガセーナ長老は、経典のうちの古い詩の文句を引用します。


「大王よ、サーリプッタ長老によってこれが説かれました。


われは死を喜ばず、われは生を喜ばず。
あたかも雇われ人が賃金を待つがごとくに、われは時の来たるを待つ。
われは死を喜ばず、われは生を喜ばず。
正しく意識し、心に念じて、われは時の来たるを待つ。

と」

「もっともです、尊者ナーガセーナよ」

(以上、第一篇 第二章 第四)


いま読んだパッセージの内容に付随して説かれていることですが、さとった人はなぜ完全な涅槃にすぐ入らないか、あるいは何もかも苦しみがなくなれば、存在も消えてしまうのじゃないか、そういう疑問を向けられたわけなのです。それに対する答えは、われわれの、ことに修行を完成した人の生存というものは、果実のようなものだというのです。果実が出てくるのは、いろいろの因縁があって、そして実がなるわけでしょう。

それと同じように、われわれがこの世でこうして生きているのは、過去から、あるいは目に見えないいろいろの因縁が織りなされて、そしてここにわれわれは現れているわけです。因縁の続いている限りは、われわれは生存している。因縁がやがて解きほごされると、われわれの存在も消えてなくなる。それに対して決して無理はしない。因縁の存する限り生き永らえる。生を願わず、死を願わず、与えられたものを与えられたものとして生をいただいて楽しんでいく。そういう気持ちなのです。無理して早く自殺するというようなこともしない。また不老長寿のことばかりやたらに求めて長生きをはかろうともしない。水が流れるようなサッとした気持ちで生きていく。それをめざしているのだろうと思います。

「生を喜ばず、死を喜ばず、生を悲しまず、死を悲しまず」

という淡々たる気持ち、それが解脱である、ということになるのだと思います。



そこで右の議論をつきつめていって、解脱においては心の悩みはないけれども、体の悩みはべつになくなるわけではないということをいっています。

これは非常に合理的な徹底した説明です。つまり初期の仏典を見ると、涅槃、ニルヴァーナの説明はあるのです。そこでは、苦しみがなくなるとか、すがすがしいとか、涼しいとか、清らかだとか、安楽の楽しい境地であるとか、そういうようなことをいうわけです。けれども、具体的にどういうことかということを深くは追究していない。それでインド人は非常に空想してものごとを考えて、遠くに思いを馳せるわけです。だから、あまり分析的に論議をすることをしなかったわけです。

ところが、ギリシア人の合理的思惟によって質問を向けられた。そこで考えてみると、なるほどさとった人だって、棘が刺さればやはり体は痛い。だから、身体の苦痛は残る。しかし精神の苦しみはなくなっているのだ、と、そこをはっきり指すわけです。つまり、問答、ダイアローグによってその点がはっきりさせられたということになるのではないでしょうか。これはつまり対話によって異質的な考え方をぶつけられたために、こういうことがはっきりしたのではないでしょうか。

つまりさとりを開いても、あるいは解脱をしても、生きている限りは、少なくとも肉体的な感覚はちゃんとある、痛いものは痛い、と。

こうはっきりいったのは、仏典ではここが最初ではないかと思います。それは古い仏典を見ると、さとった修行者の生活とか感想などがいろいろ出ていますから、それを論理的に分析すればこういうことになりましょうけれども、インド人はあまりそういうことを分析しないで、現実と空想の世界がなにか続いていたように考えて楽しんでいたという面があるのです。ところが、この対話においては、考え方が非常に現実的になっています。



念仏


このようにいろいろなことが議論されていますが、日本人にとって興味あることの一つは、念仏が論議されていることです。

念仏によって救われるとは、どうしていえるのか。王はききます。


「尊者ナーガセーナよ。あなたがたはこのようにいわれます。−−『たとい百年間も悪を行っても、臨終に一たび仏を念ずることを得たならば、その人は天上に生ずることができるであろう』と」(しかし私はそんなことは信じません)。

「またあなたがたはこのようにいわれます。−−『ひとたび殺生を行ったならば、地獄に生まれるであろう』と」(こんなことも信じません)。


これに対してナーガセーナは反論します。


「石を水の中に投げこんだら石は水の中に沈むでしょう。しかし石を舟の上に乗せてごらんなさい。すると石は浮ぶじゃありませんか。大きな牛でも舟に乗せると浮ぶ。それと同じように念仏の行いというのは功徳のあるものであって、不思議な力を持っているのです。だから過去に悪を行った人でも、仏さまを念ずるというその行いによって人は救われるのです」と。

(以上、第一篇 第七章 第二)


仏さまを念ずるということは、仏教で最初から説くことです。そしてそれは功徳があると考えられています。それで念仏によって罪が救われるという考え方もだんだん出てきたわけです。けれども、念仏によって救われるということがギリシア人には理解しがたかったのではないでしょうか。

この議論はずっと続くのですが、彼は善業の力というものは、悪業の力より強いと考えていました。ここにインド人の楽観的な見解が認められるのです。

悪人は確かにいることは認めますが、どんな悪人でもやがて救われる可能性があり、それを救ってくれるのが仏の慈悲であると考えているのです。そういう見解がここにも反映しています。



ミリンダ王がナーガセーナと議論をした論題は、まだこの他にいろいろあります。ことに仏典の記述には、インド人一般の宗教聖典も同様ですが、非常に誇張した表現があります。それから空想的な説き方があります。これをミリンダ王は、「わしには信じられん」というのです。またミリンダ王は、三十二相が信じられないと言っています。仏さまに三十二のいろいろ立派な特徴があるという、あの信仰をどうしても信じられないというので質問するところが、この書物の中に出てきます。

これらの対話を、今日の問題として考えてみますと、宗教伝統の確立しているところでしたら、経典に説かれているからということで、それだけですべて受け入れられるわけです。ところが、今日のようにいろいろ異質的な人が対立して争っているときには、ただお経に書いてあるからというだけではだめなのです。どこまでも合理的に考えて、自分で納得しなければ人は受け入れないわけでしょう。納得してもらうように説くためには、この『ミリンダ王の問い』というのは、実に教えるところの多い経典だと思います。







引用:原始仏典 (ちくま学芸文庫)