2016年5月2日月曜日

真如 Suchness [仏教英語]



話:室謙二


真如は「Suchness」である


あるとき私は、少し遅れて彼(ティク・ナット・ハン)が話しているところに入っていった。

黒板には

「如」

と漢字が書かれていて、彼はちらっと私のほうを見た。というのは、そのとき禅堂にいた人のなかで、たぶん私だけが漢字がわかる人間だったから。彼は仏教の説明に漢字をつかうことはなかった。これは珍しいケースだった。



そして彼(ティク・ナット・ハン)は、

「この漢字の意味は Suchness です」

と言いながら、黒板に

「真如」

と書いて、「これは仏教の一番重要な考え方です」と付け加えた。



こうやって私は、「真如」という偉そうな言葉(漢字)の意味を、ティク・ナット・ハンから、「それは Suchness ということなんだよ」と教わった。辞書で調べてみれば、真如というのは

「あるがままにあること

とあるけど、「真如」と書くと、偉そうな漢字がその口語的理解を阻害する。



しかし

真如というのは Suchness なんだよ」

と英語で言われてみれば、そしてアメリカ人は「真如」というような漢字は知らずに、Suchness という単語を仏教の基本として習うわけで。



なーんだ、これは Such という単語に ness がついて、状態をあらわす抽象的な言葉になっただけで、Suchness を辞書で引いてみれば

The quality or state of being such: essential or characteristic quality

とある。



もっとも2番目の定義として、仏教では

nameless and characterless reality in its ultimate nature

とある。つまり「真如」

「名前もなく性格もなしのリアリティ、”のような(such)”状態」

かあ。



漢字の

真如こそは仏教の重要概念である」

と習うのと、

Suchness が仏教の重要な考えですよ」

と英語で習うのは、ずいぶんと違うね。







引用:アメリカで仏教を学ぶ (平凡社新書)



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