2021年3月28日日曜日

出ず入らずの息

 

from:

小川忠太郎『百回稽古』



【出ず入らずの息】


剣道の稽古は一日に一時間か二時間であるが、一日は二十四時間。その二十四時間、休みなく活動しているのは呼吸である。呼吸は人の命であり、この呼吸を正す工夫をする。これが日常生活の土台となるのである。


呼吸を鼻と喉でしている人を剣道に当てはめてみると、手だけで打っている人と同じこと。これではだめで、呼吸を首でする。そういう修錬をすれば、構えにも繋がってくる。


日本神道では、臍(へそ)で呼吸せよ、臍は一尺位前に出ていると思え、と教えている。臍で呼吸をすると、心火がずーっと下に降ってくる。 小渥愛次郎範士は、「臍を鍔に乗せろ」と言っている。これは落着けという意味であり、呼吸を臍でする。


それから丹田で呼吸する。白隠禅師は『夜船閑話(やせんかんな)』で「心火を降下し、気海丹田の間に充たしむ」と言っている。ただし、無理に力を入れてはいけない。無理に力を入れると力みとなり、技が出なくなる。丹田から呼吸が全体にまわるように修錬すると、相手にも通じるようになる。



それから呼吸を足でする。荘子は「衆人の息は喉を以てし、真人の息は踵を以てす」と言っている。呼吸を足腰でする。剣道は足腰が大事である。足の踏み方の悪いのは、呼吸が乱れる。左足から崩れてくる。


斎村五郎範士は足が良かったが、三十歳位の時から歩き方の工夫をしたという。道を歩いていても呼吸を足でする練習をした。こういうふうに普段から心掛けて呼吸を修錬することが大切である。


剣道は呼吸の乱れたところを打たれる。昔から呼吸を「聞く」というが、相手に呼吸を聞かれたら、打たれてしまう。しかし呼吸を練ると、息をしていながら吐く息、吸う息の切れ目がなくなり、まるで息をしていないようになる。こうなれば呼吸が乱れることはなく、相手に呼吸を「聞かれる」こともない。


持田範士などは隙がないと言われるが、呼吸の修行を積んでいるため打つところがないのである。







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