2020年8月27日木曜日

白隠禅師の「片手の声」

 

話:大西良慶



白隠禅師は、何をいうても「片手の声を聞いてこい」といわはった。

人が「白隠が片手の声を聞くよりも、両手たたいて商いをせよ」とひやかしたら、

禅師は、「両手たたいて商いがなるならば、片手の声は聞くにおよばぬ」と答えたという。


禅師のいう片手の声とは、どういうつもりでやっておられるのか、それはわからない。

人によって「悟り」が違うものね。

悟りは自分の智恵で悟るものであって、子どもには子どもの悟りがあり、お婆さんにはお婆さんの悟りがある。


そこで、白隠さんは、一人一人の「片手の声」を聞いておられたのやないか。

心が静まって、心が練れてくると、人の片手の声が聞こえてくる。

人間の世界、片手の声が聞こえてくると一人前やね。


本来、片手から声なんて出ない。

片手の声を聞こうと思ったら、もう一つの手をもっていったらいいの。

このように、片手と片手を合わせればいいの。

片手が指をそろえているのに、ゲンコツをもっていったり、バラバラの指をもっていってもあかんの。

ちゃんとこう、片手に相応した手をもっていくの。そ

れが合掌なの。


片手の声とは、相手の声。

相手の声を聞くのは、相手の心になること。

心の中で、自我ばっかり渦巻いていては、指をそろえた片手にゲンコツをもっていくようなもので、ちゃんと寸法に合うようにもっていかねばならない。


寸法に合うと、声が出るの。

相手に返事のできないような声をもっていっても、声は出ない。

親の心のとおりになったら、親の声が出る。


国際間でもそうなの。

向こうに片手の声がある。

友達同士でも、そうやの。

向こうの気持でいったら、ウンウンという返事がかえってくる。

気に入らなんだら、黙っている。合わんものをもっていっても、片手の声は聞けないの。


神様や仏様の心に、御利益があるかないかと問うのは、こっちから神様や仏様の心に合わないものをもっていくから、心が通らない。

むつかしい問題ではない。

ちょっと仏法の話を聞いたら、間違いはないの。




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