国訳『枯崖和尚漫録』
国訳『枯崖和尚漫禄』
序
石谿偃谿、人物を愛し、風教を崇ぶこと、端嘉の諸老に賢れり。暮年霊径にて、余と尤も親密なり、述作を評商するに、一語諱むことなし。
嘗て枯崖仲簡の二老に道ふ。厥の後、倶に記を径山に掌る、簡は文に富むも、惜しいかな早世せり。而して枯崖は清苦憤発して、正宗聞くことあり。
余、喝石巌に居せし時、夾路の玉簪花一たび開いて、秋風騒然たり。或人笑って曰く、禅和子纔かに此花を見れば、則ち寒を禦ぐに計なきを憂ひて、東馳西鶩す、独り枯崖破窓に坐して、怡然たり。毎に被を携へて、巌上に同宿す、月涼なれば閣に登り、雪霽るれば山を看て、相与に胸中耿々たり。余、錦谿の報慈を出でて、延平の含清に帰り、数年稍々睽る。
間ろ聞く、枯崖古を集めて録を成すと、偃谿其取る所の機縁皆、控人の入処あるを喜し、後村は何れの時か茗を煮て重論を得んと謂ひ、竹谿は他時共に僧宝伝に入らんと謂ふ。枯崖南に帰って、録を携へて相訪ふ、適々余光孝に遷らんとし、卒爾に過目して別る。
今枯崖泉南の興福に瑞世す、而して起蔵主為めに梓に刊せんとして、叙を欲す。夫れ参方の正眼、為人の峻機、逸致高標にして、貪を激し懦を立つるは、備さに此に見ゆ。因って思ふ、石谿太白に閑居せしとき、仲宣の孚、非庵の光、艮巌の沂、勝叟の定、諸人の旧作を刻せんと思ふ。黄を捧げて住山するに及び、酬応不韻にして亦果さず。
枯崖当に其遺を捜抉して継ぎ継いで彙集し、五燈の後、復た一燈の光明天下を燭すを見せしめば、豈漫録と云はんや。
枯崖名は悟、福の福清の人。
咸淳八年仲春、北山の紹隆、鼓山の老禅庵に書す。
序
昔し偃谿仏智禅師、霊隠に住し、予臨安に客たり、相与に往来す、神交道契、一日に非ざるなり。枯崖の名を知ること久し、未だ嘗て眉毛厮結ばざるなり。
偶々泉に寓す、因って興福寺に過ぎて一見す。元と是れ屋裡の人、恬淡寡言、真に偃谿の印子を脱し来る。頃聞く、枯崖癸亥の歳、径山の蒙堂に帰して、平昔聞見する処、宗宿入道の機縁、示衆の法語及び残篇短碣、名字の未だ燈に上らざるものを裒集し、随って筆する所、名けて漫録と曰ふと。其志在る有り、偃谿に呈示す、叱して無事閤裡に撆下せらる。
是歳夏五、忽ち謂って曰く、「将に謂へり、述ぶるところの者、紀談雑録に効ふて談柄に資するのみと。今之を閲すれば、則ち是れに異なり、収むる処の機語、皆控人の入処あり」と。
已に筆を用ひて、点下し、余は則ち剗却す。且つ嘱すらく、宜しく之を珍蔵すべしと、予是の録を見んと欲すと雖も、而も未だ叩くに暇あらず。忽ち起座元の元藳を携へて我に過ぐるを得、為めに梓に□せんと欲し、信庵が一転語を請ふ。
予詳復すること数四、枯崖は、之を聞く処見る処に得ると雖も、然も編集して伝を成すや、或は讃し、或は拈し、或は着語し、或は実を記し、一々胸襟より流出す、豈是れ依本の胡蘆ならんや。則ち知る、枯崖和尚集むる所の者は、皆蘊櫝の美玉を発して鼠璞にあらず、仏智禅師点する所のものは、皆走盤の遺珠を選んで魚目にあらざるを。
予更に贅語せば、恐らくは反って玉の瑕を生じて、珠の類を為さん。起兄之を請うことを力む。已むを獲ずして再び一足を垂れ、彼の画蛇を助く。噫、漫録の一出、何ぞ揚雄が玄を草して、譏りを人に取るに異ならんや。然りと雖も、後世必ず、子雲なるものあって出でん。
咸淳壬申夏、清漳の信庵陳叔震序す。
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