2012年10月13日土曜日

雨に濡れない「極意」とは? 沢庵禅師と柳生宗矩


江戸時代、徳川将軍家の剣術師範をつとめた「柳生宗矩(やぎゅう・むねのり)」は、禅僧・沢庵(たくあん)との出会いによって、剣に開眼したと云います。



ある雨の日、禅問答を仕掛ける沢庵禅師。

「お主、この雨のなか外に出て、濡れない極意を見せてみよ」

柳生宗矩は降りしきる雨のなか、剣で雨をメッタ斬りにして見せます。「どうだ」とばかりにドヤ顔の宗矩に、沢庵は「そんなに濡れていて、何が極意じゃ」とニベもない。



「それなら和尚の極意を見せてくれ」と食ってかかる宗矩。

その言葉を受けて、おもむろに雨のなか外に出た沢庵禅師。何をするでもなく、ただ、じっと雨のなかに立っているばかり。



濡れネズミのようになって戻ってきた沢庵禅師に、宗矩はすかさず突っ込む。「なんだ、和尚だって濡れているじゃないか」。そこで、禅師はこう言うのです。

「まったく違う。お主は濡れまいとして、刀を振り回して雨に立ち向かった。だが、雨はそんなことはお構いなしにお主を濡らしたわけじゃ。わしは雨を受け入れて、ただ立っていた。わしが雨に濡らされたと思うか? わしは雨とひとつになっただけじゃ」

この一言に宗矩は開眼し、剣を極めることとなったのだとか…。



同じ雨のなかにいて、「心を掻き乱して戦った」宗矩と「心穏やかに佇んでいた」沢庵。

「濡れない極意」とは、あるがままを受け入れ、それとひとつになることだったようです。





出典:禅が教えてくれる 美しい人をつくる「所作」の基本

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