2018年5月9日水曜日

「大地から遠ざからぬ」【鈴木大拙】


From:
鈴木大拙
『禅百題』





筋肉生活と思想


ガンディーが手車の紡績を主唱するのは、主として近代文明の機械主義に対抗しようとの意味を持つものであるが、その心理的根底は筋肉の直接的な運動から離れたくないというところにある。筋肉の直接的な労働ということは、大地との交渉から遠ざからぬという意味である。

なんといっても人間は倒れても、起きても、大地の上を離れられぬ。漢民族の強靭性・実際性・悠揚性・永遠性は、実にかれらがいつも「その於いて在る」ところを忘れぬからであろう。インドは坐禅観念のうちに永遠を包もうとするが、漢民族は刀耕火種(とうこうかしゅ)の上に永遠に働く。この二つのものが禅という精神的訓練の中に織りこまれて、今日わが日本人の間に現存しているのである。

禅がただ棒であったり、喝であったり、また祇管打坐(しかんたざ)であったりしたなら、或はわれらの生活と没交渉なものになってすんだかもしれぬ。幸いにいつも大地を踏みしめているので、風船玉のようにふらふらと上昇するばかりでなくて済んだ。

しかしまた大地にのみくっついていて、大空を見上げることを知らないでもいけない。即ち禅には思想的背景または源泉というものがなくてはならぬ。

『我這裡種田飯搏喫』

では一般の農家以上に出られぬ。どうしても

『汝喚什麼作三界』

という透徹した見処なかるべからずである。



この因縁は次のごとくであった。

地蔵桂琛(けいちん)という禅坊さんが、鋤(すき)を使って田んぼの草取りか苗植えをやっているとき、雲水が現れた。それでいつもの

「君はどこからやって来たか」

を放出した。答えは

「南方から来ました」

であった。それで琛(ちん)和尚は南方の禅法はどんなものだいと尋ねた。

「商量浩浩地」

たりで、問答商量はなかなか盛んに行われていますと、雲水の坊さんは答えた。琛和尚いわく、

「それも悪くはなかろうが、こっちでは、田を作って、それから米を刈り入れ、そしてそれをご飯にして皆がいただいている。そのほうがよいな」

と。雲水の坊さんには、これが解りにくかったとみえて、

「それでは三界(さんがい)をどうなさいますか」

と問うた。その意は教化をやらなくてはならぬ、三界出没の自分らはじめ世間の人々を救う方法、これはどうなさいますか、というのである。

琛和尚には思想があった、洞察があった。深い宗教観に徹したものがあった。

「その三界というのは、いったい何んだい。そんなものがどこにあるのだ」

これと彼の農業生活とを照らし合わしてみることによって、はじめて彼の日常を指導しているものが何であるかを知ることができる。

われらも瑞穂の国の住民であるからには、刀耕火種、栽植林木、漑灌蔬果、服田力穡を忘れてはならぬ、怠ってはならぬ。それと同時にまた思想がなくてはならぬことを忘れるべきでない。



牛頭山(ごずせん)の法融(ほうゆう)禅師は隋代の人で、いわゆる牛頭禅(ごずぜん)の開祖である。

彼は般若(はんにゃ)の空観において大いに徹したが、空を学して空を証せずで、但空に落在することをしなかった。彼は空を働いた、空を学した(学はここでは学ぶではなくして、働くの義である)。

彼に随従して来る者が多くなるにしたがって、供給が十分でなくなった。それで彼らは山を下りて丹陽(たんよう)の町に出て托鉢(たくはつ)をやった。それは八十里を隔てていた(日本里数でも、これは二里や三里ではあるまい)。

法融ももとより一行の中に加わって、そのうえ自らも米を背負って来た。本には一石五斗と記してあるが、それは日本ではどれほどになるのかわからぬ。またこれを法融だけがかついだか、それもわからぬ。

とにかく、朝からでかけて暮れに帰山して、毎日二時の食糧を欠かさず、三百の雲水が養われたというのである。

いかにもありがたい思いがする。



From:
鈴木大拙
『禅百題』



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