2014年10月20日月曜日

光境倶亡 [小川隆]


〜話:小川隆(おがわ・たかし)駒澤大学外国語部講師〜


 さて、禅の語録によく出る言葉の一つに「光境倶亡」というのがある。これには他に「心境双亡」とか「心法双亡」等の言い方があり、「亡」が「忘」と書かれる場合もある。いずれも見る者(光・心)と見られる者(境・法)がともに滅却ないし忘却された世界、いわゆる主客の対立が完全に解消された世界の謂いであり、基本的には、かく主客の対立が消滅したところこそ一真実の世界に外ならぬとされていた。

 永嘉玄覚(ようかげんかく)の『証道歌』に「心と法と双(なら)び亡ずれば性は即ち真」とあり、黄檗希運(おうばくきうん)の『伝心法要』に「凡夫は境を取り、道人は心を取る。心と境と双び忘ずれば、乃ち是れ真法なり」とあるの等がその例である。


 そして、これらを前提としつつ、そこに新たな表詮を与えたものとして、最も名高いのが盤山宝積(ばんざんほうしゃく)の次の語であった。

夫れ心月は孤(ひと)り円(まどか)にして、光は万象を呑む。光は境を照らすに非ず、境も亦た存するに非ず。光と境と倶に亡ず、復(は)た是れ何物(なん)ぞ。禅徳よ、譬えば剣を擲(ふり)あげ空に揮(ふる)うが如し、及ぶと及ばざるとを論ずる莫く、斯乃(すなわ)ち空論に迹(あと)無く、剣刃も虧(か)くること無し。…

(『景徳伝灯録』巻七)

 まず、あまねき月光(光)と万物(境)との融和が提示され、それがすぐさま刃で虚空を斬る如しという、鋭い一瞬の閃きに転ぜられている。ここで「光境倶亡」の語は、もはや字面から想像されるような、模糊として縹渺たる一面無意識の広がり、そうしたイメージのうちにとどまってはいない。主客がともに空ぜられたその中に在って、なお一刹那のうちに鮮やかにはたらき、しかも些かの痕跡をもとどめぬ、いわば空を以て空を斬るとでも言うべき認識の冴えが、ここに描き出されているのである。空寂を基調としつつ、そこに一瞬の鋭利で鮮明なはたらきを対比させることによって、「光境倶亡」の語は、静的な観照の中に新たに動的な精彩と活機を得ているように思われる(『正法眼蔵』都機(つき)の巻にもこの話が引かれるが、前半の心月の喩の部分のみである)。


 それゆえか、この語は、この後しばしば禅者、とくに雪峯下の人々の採り上げる所となる。たとえば『祖堂集』巻十の長生皎然章に次のように見える。

ある日のこと、雪峯は古人の語を読んでいて、「光境倶亡、復(は)た是何ぞ」のところに読み到り、長生にこう問うた、「ここにいかなる一語を加えるべきか」。長生、「それがしの過(とが)をお赦し下さるなら、一言申し上げましょう」。雪峯、「汝の過を赦さば、何と言うか」。長生、「それがしも和尚の過を赦して差し上げます」。

 ここでいう「過(とが)」とは、「光境倶亡」について語ること。言葉でそれを説明しようとすれば、それはただちに「光境倶亡」を対象として措定し、主客の分別を設けることとなる、老師はすでにその過誤を犯しておられます、と言うわけであろう(『肇論』にいわく、「心を擬すれば己に差(たが)う、況んや乃ち言有るをや」)。だが、言語を絶すれば主客の対立は回避しうるとしても、ならば盤山によって提示された、あの、主客倶亡のうちに活きてはたらく空観の冴えは、どこへ往ってしまうのであろうか。


 そこで次に、保福従展(ほふくじゅうてん)の語を読んでみる。

盤山は「光境倶亡、復(は)た是れ何物(なん)ぞ」と言い、洞山は「光境未亡、復(は)た是れ何物ぞ」と言っている。それについて保福いわく、「この二尊者の見解では、なお主客を滅しきることができぬ」。そして長慶慧稜(ちょうけいえりょう)に問うた、「今なんと言えば、それを滅しきることができるか」。長慶はしばしの沈黙を以て、それに応えた。保福、「そなたが幽鬼の住む暗黒の世の住人であることが、見て取れた」。そこで長慶が問い返すと、保福はこう言った—— 両手に犂を扶(ささ)え水は膝を過ぐ

(『景徳伝灯録』巻十九)

 長慶は、言語を用いることによって主客の分別に渉ることを拒み、完全なる沈黙(原文は「良久」)によって「光境倶亡」そのものを体現してみせた。これは先の長生の所説をさらに徹底したものと言えよう。しかし、保福はこれを「幽鬼の住む暗黒の世の住人(山鬼窟裏に活計を作(な)す)」と断ずる。活きた人間の心のはたらきを死滅させ、無間の暗闇のうちに自らを閉ざす者、という批判であろう。そして、これに対する保福じしんの言は、こうであった。

わしは膝まで泥水につかりながら、牛とともに田を耕しておるよ


 先の盤山の語の透き徹った明晰さに比べ、こちらはなんと平凡で泥くさい風景であろう。だが、これは「光境倶亡」を放棄して、現世に埋没してしまったさまを言うのではあるまい。蓋し現世に在って光と境とを亡じつつ、なお現実の泥田に足をとられながら一歩ずつ歩みを進めている、そうした実地の生きざまを開示したのがこの言であるまいか。

 先の盤山の語が空を以て空を斬るという瞬間的な冴えを提示したものであったとすれば、こちらは空を以て現実の汚濁・矛盾の中を歩むという、持続的な生きる姿の描写であると言えよう。保福の語が「両手扶犂水過膝」という、平仄の整った、簡潔で余韻のある七言の詩句として結晶していることは、これが単に泥田に埋もれた風景でなく、そこに盤山が捉えたのと同じ空観の冴えが貫かれていること、言いかえればこの一句が「空霊」を止揚した「充実」の表現であることの表れのように思われる(宋白華「論文芸的空霊与充実」参照)。

 保福よりすれば、盤山の語はなお認識の領域にとどまるものであり、しかも、長生や長慶がそうであったように、ともすれば沈黙の闇の中に人を引きこもうとする傾きをもつものであった。彼は自らの生きる姿によって「光境倶亡」の語にずしりとした内実を与え、内に閉じようとする輪を、強く現実に向けて開け放っているのではないか。







出典:句双紙 (新日本古典文学大系 52)



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